「貴様、アスカ・シンだな?」
「なんだ? おっさん」
「――はぁ」
首を傾げるルフィをよそに、シンは一瞬、『人違いです!』と誤魔化そうかと思ったが、 すぐに諦めた。問いかけてくる男の手に、見慣れた手配書の束があるのを見つけたからである。
いつの間にか撮られていたあの顔写真。アレと見比べられては、到底言い逃れは出来ない。
身の丈2メートルはあろうかという大男は、槍を二本両手に持って、耳障りなしゃがれ声で吼えた。
「年貢の納め時だアスカ・シン! この『二槍流のジェラード』が、貴様の賞金800万ベリーを貰い受けるぞ!」
ウエストブルーの片隅にある無人島の砂浜……
先程まで彼が堪能していたのは、背中に厚く感じる砂の感触。潮の香りと果ての無い水平線。そして、耳にささやく健やかな波の音だった。自分と同じようにタマタマこの島に立ちより、今傍らで寛いでいる、陽気な海賊との語らい。
謂われない罪で追われる彼にとっては、久方ぶりの安息だった。
それがどうだ? このぶしつけな闖入者のせいで全てがぶち壊しである。
水平線は見苦しいブ男に。波の音と語らいは怪獣の雄叫びにそれぞれかき消されて、台無しである。潮の香りも、ジェラートとか言うおっさんから漂ってくる体臭で相殺されてしまっている。
離れたところからルフィとは別に寛いでいた二人の船員は、いきなり響き渡った声に驚いて船長の方向に目線を投げる。
それを背中で感じながら、シンは嘆息して傍らに立てかけてあったものを手に取った。袋に包まれた棒状のなにか。彼が肌身離さず持ち歩いている『相棒』だ。
「赤服のシン。初頭金200万ベリーから、値上がりしてって800万」
「800万って……50人くらい殺さなきゃつかない金額よね」
「賞金? シン、お前海賊なのか?」
「断じて違う! ついでに犯罪者でもない!」
賞金稼ぎ時代の性か律儀に説明するゾロ、あからさまに軽蔑のまなざしを向けるナミ、暢気に首を傾げるルフィの三人に、そこだけは断言しておくシン。当たり前である。彼が賞金首になったのはあくまで不幸きわまる事故なのだから……!
「何をほざく! 海軍の将官に対する暴行が、犯罪でなくてなんだというのだ!」
「町で女の子泣かせてヤラシイ笑い浮かべた変態ジジイが海軍将官だなんて、誰がわかるかぁっ!!」
突っ込みいれる大男に、シンさらに突っ込み返す。
……正直、『あんた一体なんなんだーっ!』だの、『アンタって人はー!』だのの勢いでボッコボコにしたのだから、懸賞金くらいついて当たり前だと思う。泣かされてた少女がマユに似ていたのも無関係ではないのだろうが。
助けられたはずの少女が泣いて逃げ出した事と、この一件だけで『赤服』なんて二つ名がついた事から、どんな有様だったかは読者の想像にお任せする。
(きっかけになった将官、確か再起不能じゃなかったか?)
ふとゾロの脳裏に昔聞いた話がよぎったが、彼は口に出さなかった。
「……やるか?」
代わりにゾロの口を突いて出たのは、そんな言葉。見たところ、あのジェラードという槍使い、口先だけの手合いではない。並の男なら持ち上げられないであろう鉄鋼製の三叉槍を片手で軽々と扱い、なおかつ様になっているからだ。賞金稼ぎとしては中堅どころといった所か。
食料がつきかけていたルフィ達に食料を分けてくれた恩返しのつもりで聞いたのだが、
「いや、いいよ。俺でも何とかなりそうだ」
意外な事に、シンは断った。こう言われては傍らにいるルフィも手の出しようがない。
彼は手にした『相棒』の紐を緩めて、袋を捨てる。
『相棒』の全貌を目にしたおっさんとゾロの反応は正反対。おっさんは鼻で笑い、ゾロは思わず目を見張る。
袋の中から出てきたのは一本の槍だった。
ただ……それは、明らかに普通の槍より細く、頼りなく見える代物だったのだ。すたすたと自分に向かってくるシンに、ジェラートは嘲りの言葉を投げかける。
「ふん! 槍一本でわが二槍流に勝てると思ってるのか!? しかもそんな細くもろい槍で」
「思ってるから言ってるんだろ」
「ならば来るがいい! 戦いの極めるのはパワーだという事を教えてやる!」
構えるジェラードに、シンは黙々と歩み寄っていく。
ヒュンッ……と風きり音をたてて槍が新円を描き……
ぼとっ!
何かが、砂浜に落ちた。
「……へ?」
マヌケな声を上げたのは、ジェラードだった。
視線の先に落ちているのは、見覚えのある三叉の物体。
……彼の槍の、穂先だった。ジェラートから見えるそれは、鋭利な刃物で切られたであろう断面を彼に見せ付けていた。
ヒュンッヒュンッヒュンッヒュンッヒュンッヒュンッヒュンッヒュンッ!
ボトボトボトボトボトボトボトボトボトッ
「! !? !! なっ!? なにがっ!」
シンの槍が円を描くたびに、ジェラードの豪槍はその丈を削られていく。
わけが分からず呆然とするナミを尻目に、ゾロとルフィはその凄まじい技に驚いた。いや、これを技と呼んでいいものか……
技もヘッタクレもないのだ。シンの繰り出す槍の速度が速すぎて、ジェラードとナミの動体視力では捕らえきれないのである。
すちゃっ
槍を切り刻んだのと同じように、目にも映らぬ速さでシンの槍の穂先が喉元に突きつけられた。ジェラードは呆然と、両腕の中に残った金属……もち手の部分だけになってしまった槍の成れの果てを落とす。
「これ以上やるなら、指ももらうぞ……」
この調子で賞金稼ぎを撃退してきたというのなら、賞金が上がるわけだと、ゾロは呆れた。はっきり言って、下手な800万級の賞金首よりも強いだろう。
いや、それよりも。
目下の問題はそれではなく。
「すっげーっ!!!!」
逃げ出していくおっさんを忘却の彼方に押しやり、両目を輝かせるルフィのほうが余程の大問題なのだが……その、余りに輝きすぎる両目を見た瞬間、二人の船員は思った。
――駄目だ。もう止まらない。
――いらっしゃい新入り君。
シンとルフィの『仲間になれ』『嫌だ』の大論争開始まで、後30秒。