SRW-SEED_ビアンSEED氏_第75話

Last-modified: 2013-12-26 (木) 22:32:49
 

ビアンSEED 第七十五話 流転戦場

 

 磨き抜いた鏡の様に周囲の暗黒と星のきらめきを映すジェネシスの装甲が、ふいにぼこりと盛り上がった。ぼこり、ぼこりと癌細胞が正常な細胞を侵食して、その領土を広げて行くように。
 肉腫の様に盛り上がったジェネシスのPS装甲が、瞬く間に色を変える。紫に、赤に、橙に、青に、銀に、黒に、見る者の視神経を侵し脳を狂わせる狂気の色に変わってゆく。
 節くれ立った触手が、ねじくれた山羊の様な角が次々と装甲表面を突き破り、人造物らしき構造が、瞬く間に生物的なシルエットを帯びて行く。暗闇の彼方から悪意の身を持って訪れた異形の侵略者の姿であった。
 ジェネシス周囲に浮かんでいた換装ミラーへと金属の触手が伸びて絡み取り、たちまち大地に根を張る大樹の様に取り込んでゆく。全てのミラーが取り込まれるのには、ものの数分で事足りた。
 ひどく悪夢じみた光景を前にして、ジェネシス防衛に任されたザフト部隊も、ノバラノソノ艦隊も、地球連合残存艦隊も、そしてDCさえもその尋常ならざる光景を前に固唾を呑む事しかできずにいた。
 ヤキン・ドゥーエ管制室では突如コントロールを離れ、想定外の変形といっていいものかどうか、変わり始めたジェネシスを前に、凍りついた様に静まり返っていた室内で、プラント最高評議会議長パトリック・ザラの怒声が響いた。

 

「事態を報告しろ。なんとしてもジェネシスのコントロールを取り戻せ」

 

 ジェネシスの第二射が、想定しないタイミングで発射されたとはいえ、すでに地球連合の残存艦隊は切り札となるアズライガーを失い、増援艦隊も、月基地の一つも破壊されてもはや敵ではない。
 かといって無視できる相手でもないのだ。またそれとは別にしても、ジェネシスは殲滅兵器と呼んでも差し支えない代物だ。それが自分達のコントロールを離れたとなれば、戦時下であろうとなかろうと国家の命運にかかわる一大事だ。
 パトリックの声にオペレーター達がようやくコンソールを叩く指と、インカムへ向ける声を再び発しようとしたとき、画面いっぱいを埋めていた『I am AI-1』の文字が切り替わり、そこに一人の女が映った。
 艶やかな亜麻色の髪を振り乱し、紅を刷いた唇を嘲笑の形に釣り上げた妙齢の美女であった。狂的な光を湛える瞳に、確かな理性の残光を浮かべながら、女――エルデ・ミッテはパトリックへ向けて、口を開いた。

 

『お久しぶりでございますわね、ザラ議長閣下』
「エルデ・ミッテ!? 貴様、貴様がジェネシスのコントロールを奪ったのか」
『正確には、私のAI-1が、ですが。ジェネシスはちょうど良い苗床になりましてよ。内蔵されていたNJCも核燃料も、PS装甲も、本来のあの子に見合うほどのものではありませんが、ありがたく頂戴いたしましたわ』
「苗床? あの子だと? 貴様、何を言っている。そして、何が目的だ?」
『強いて言えば何もかもを手にする事が目的かしら? あの子とは、申しました通りAI-1の事ですわ。ご覧になられますか、私の愛し子の姿を?』

 

 エルデの笑みが正気の皮を破り捨て、どこかが壊れてしまった人間の笑みの深さを増す。そして、エルデの映る画面の半分にAI1に同化されたジェネシスが映し出された。
まるで出来の悪いホラー映画か何かの様な光景に、さしものパトリックやシーゲル達も息を呑む。それは彼らの常識を逸脱した光景であった。

 

『貴方方に提供したラズナニウムのサンプルを覚えていますかしら? AI-1は、ラズナニウムの自己再生機能に自己増殖と自己進化機能を兼ね備えているのよ。その力でこうしてジェネシスと一つになったの』
「お前は、お前は何をしたいのだ」

 

 呻くパトリックに、エルデはにっこりと、大輪の薔薇が咲いた様な笑みと共に答えた。ひどく明るいのに、見る者の背筋を凍らせるナニカが混じっていた。人が悪魔に出会ったら、同じものを感じるかもしれない。

 

『何を? そうねえ、今も昔も変わらないわ。AI-1がこの世のすべてとなる事よ。人間も、動物も、植物も、鉱物も、天体も、宇宙も、何もかもと一つになり、すべてがAI-1となる事、それを、私はこの子と一つになりながら見守るのよ』

 

 それこそが至上の幸福であると、エルデは信じ切った顔で恍惚と呟いた。

 

   ▽   ▽   ▽

 

 それまで史上空前の規模ではあるが、常識的と言える戦闘を繰り広げていた各勢力の部隊が、このような事態によく対応できたか、といえば否であった。
 アズライガーを失い、今だWRXやω特務艦隊こそ健在ながら、戦力の大多数を喪失し、いよいよ降伏するしかないと諦めた地球連合。
 背水の陣を敷いた勝負に勝ち、これで隷属させられていた地球連合との関係を逆転させ、コーディネイター達の新しい世界が造れるのだと、安堵を覚え、明るい明日を思っていたザフト。
 ジェネシスの発射に神経を割きながら、戦いの趨勢を見守っていたノバラノソノ艦隊。
 そして、重傷を負ったままネオ・ヴァルシオンに搭乗し、いざとならばザフトも地球連合同様に駆逐する心構えで待つビアン・ゾルダークが率いるDC。
 誰にとっても、エルデ・ミッテとAI-1セカンドという第五勢力の出現は、想定外の事態と言う他はなかったろう。よりにもよって、四勢力の戦力が消耗されているこの状態で、よりにもよって、戦争の趨勢を左右する兵器が一個人に乗っ取られるなどと。
 そして、AI-1セカンドが、ジェネシスを完全に取り込んだ事で、単独で一勢力と呼べるほどの戦力を生み出す事が可能になったなどと。
 悪夢と狂気の産物の様な汚穢な塊と化したジェネシスが、徐々に宗教画に描かれる悪魔の様な姿を取りはじめるや、肉の瘤が引っ切り無しに収縮し、増殖する表面を突き破って、およそ二十メートルほどの人型が飛び出し始めた。
 黒に僅かに銀を混ぜた様な装甲の色は、メディウス・ロクス。ゲイツを上回る性能を持ちながら、コスト面から少数のエース様に配備されたザフトのMS。だが、その実態は、ターミナス・エナジーを用いた機動兵器ターミナス・アブソーバーの試作五号機だ。
 今はアルベロと共にDCに在る初代AI-1が搭載されていた機体であり、ザフトにその機体の残骸ごと所属したエルデが、CEの技術で復元・再現したものだ。
 今、AI-1から生み出されているメディウス・ロクスは、CE製のレプリカではなくオリジナルに限りなく近い高性能機であった。
 メディウス・ロクスの群れはたちまちの内に数十を数え、構えた銃口を――ザフト、DC、ノバラノソノの部隊へと向けた。唯一、ジェネシスまで距離のある地球連合の艦隊だけが銃口の祝福から免れる。
 鎮火するかと思われた戦火は、いままた新たな悪意によって豪火へと燃え盛らんとしていた。突如の事態に混乱する戦況に、ザフト、ノバラノソノ、DCは浮足立ち、襲いかかるメディウス・ロクスの群れを前に一機、また一機と撃墜され、爆光の中に飲まれてゆく。
 ザフトの各部隊長も、ノバラノソノのダイテツやマリュー、キサカらも、この事態に思わず目を見張り、何が起きているのかと情報を求めるのに、黒幕が答えた。
 人道を外れながら、あまりに人間らしい自己顕示欲に突き動かされての事だろう。ヤキン・ドゥーエ攻防戦の行われている宙域の全艦艇、全MSに向けて一方的に通信が繋げられたのだ。
 映し出されたのが誰かは、あえて書くまでもあるまいが、エルデ・ミッテである。

 

『聞きなさい、そして見なさい。愚かな子羊達。私のAI-1が世界のすべてとなる瞬間を。そして光栄に思いなさい。貴方達如きが、このAI-1と、私の愛する子供と一つになれる事を』

 

 画面が切り替わった。そこには鋼の玉座に腰かけたエルデ・ミッテが映し出される。白衣らしき衣装の胸元をあられもなくはだけ、飛びきり上等の麻薬を飲んで夢中の世界に居る様な笑みを浮かべている。
 だが、それを見た誰もの目を引いたのは、玉座と一体化しつつある彼女の肉体であった。見れば画面に映らぬ外から無数の蛇の様にコードが鎌首をもたげながらエルデの肉体に突き刺さり、血管の代わりとなって皮膚の内側で蠢いている。
 皮膚の一部は硬質の輝きを放ちはじめ、時折エルデの瞳が緑の電子の色に輝く。血肉さえもラズナニウムを介してAI-1と一つになっている。
 確かにエルデの言葉通り、このままAI-1が増殖し続ければ何もかも、誰も彼も一つになってしまうのだ。それがたとえ、地球であっても。
 世界中の悪夢の中の産物を揃えても、これほど非現実と現実が中途半端に混ざり合い、現実に牙を剥いた例はほかにあるまい。
 エルデの笑みが浮かぶ間もメディウス・ロクス達は安堵の吐息を吐いていた者達へと襲いかかり、新たなる死者の山を作り出している。
 恐慌に陥ってしゃにむにメディウス・ロクスと銃火を交わすもの達が、ささやかな抵抗を示す中、ザフトの部隊はヤキン・ドゥーエの管制室へとひっきりなしに応答を求め、自分達がどうするべきか指示を待った。
 エルデが乗っ取ったジェネシスは明らかにこちらのコントロールを離れ、つい数分前まで存在していた切り札とはまるで別の、巨大な悪魔の様な姿に変貌しているが、明確な命令もなしに攻撃して良いのかという迷いがあった。
 地球連合の残存艦隊は動きこそ見せぬがいまだ健在で、地球連合との講和に置いてもあのジェネシスという決戦兵器が最大の抑止力と最悪の恫喝になる。ジェネシスなしでは、ザフトに地球連合と戦う力はもうほとんど残されていないようなものだ。
 ジェネシスの変貌についての火矢の如き問い合わせは無論、ザフトのみでは終わらない。DC艦隊の総指揮を任されているマイヤーもヤキン・ドゥーエやプラント付近に浮かぶザフトの軍事衛星に向けて、ジェネシスについての回答を待っていた。
 苦吟に苛まれるパトリックの背中を押したのは、傍らのシーゲルではなく、やや青ざめた顔に変わらぬ意思の光を湛えた男であった。ビアン・ゾルダークである。
 パトリックが何か言おうと口を開くよりも早く、ビアンが言った。突き離すような物言いであった。

 

『ザラ議長、われわれDCは乗っ取られたジェネシスを破壊する』
「……ふ、ふふ」

 

 返す言葉など聞く耳持たぬと言外に告げるビアンの口ぶりに、パトリックは一瞬呆けに取られたがすぐに小さく笑うや、どこかすっきりとした顔でこう答えた。

 

「派手にやってくれ。我らの新世界を造るはずだった創世の光だ。散り様はせめて華々しく、といきたい」
『では、言葉通りにして見せよう』

 

 それだけ言うや、ぶつんという音と共に黒一色に変わるモニターを見つめながら、パトリックは声を大きくして指示を飛ばした。

 

「DC、ザフト、ノバラノソノへジェネシス破壊を通達せよ。あれはテロリストに占拠された。第三射を撃たれる前になんとしても破壊するのだ!」
「議長!? ですが、まだ取り戻せないとも限りません、よろしいのですが?」

 

 黒服の一人が、眉間に深い皺を刻みながらそう告げるのに、パトリックははっきりと答えた。心中の想いは聞きとれぬ鉄の響きの声であった。

 

「構わん。あれは地球も撃てる。ましてや、エルデの眼を見て、声を聞いたならば分かるだろう。あいつめ、自分とあのAI-1とかいう存在以外、全てどうでもよいと思っているぞ。今ジェネシスの破壊をためらったら、あの世で後悔する事になる」

 

   ▽   ▽   ▽

 

 この事態にレフィーナを司令とするω特務艦隊は、比較的早期に対応した。先程のジェネシスの第二射で、旗艦シンマニフェルが消滅し、サザーランド大佐やアードラーらもまた運命をともにしている、
 アズライガーが撃墜されてしまった事で、指揮系統に横やりを入れてくる者もいない。即座に体勢を立て直すべく撤退信号を上げさせたレフィーナの指示に、茶々を入れる者はなかった。
 ゲヴェルのメインモニターにはヤキン・ドゥーエからの指示が行き渡り、突然の事態の変化に戸惑いこそ隠せぬものの、襲い来るメディウス・ロクスと交戦に入ったDC・ザフトの連合部隊が映っている。
 主力は抜けたが、地球連合残存艦隊を警戒して、いくつかの部隊は残っている。地球連合よりも緊急性の高い敵と判断したのだろう。指を組み、美麗な肌に皺を刻むレフィーナにドミニオンのナタル・バジルールとスヴェルのイアン・リーが通信を繋いできた。

 

『エンフィールド中佐、戦況の変化はおそらくは先程の通信の女が何かをしかけたものかと思われますが……』
「それ以外はないでしょうね。とはいえ、私達もアズライガーを失い、月からの増援艦隊を失っています。このままジェネシスの破壊を行うにも、ザフトとDCと交戦せずにはすまないでしょう」
『DCとザフトがあの兵器を破壊するような動きを見せていますが、せめてそれだけが不幸中の幸いですかな?』

 

 苦虫を百匹も噛み潰したような顔でいうリーに、ナタルが不安げな影を帯びた顔で言った。

 

『なぜ、そうしなければならないのかが問題でしょう。先ほどの女がプラントの意向を全く無視した形で乗っ取ったとしたなら、やはり危険です。国家という抑制の無い個人が好きに使うには過ぎた力です』
「いずれにせよ、私達が介入するには、戦力を失いすぎました。動くとするならば、タイミングを見計らう位しかできる事はありません」

 

 唇から血が滴りそうなほど強く食い縛り、レフィーナ達はめまぐるしく、狂気を孕んで流転する戦場から離れて、推移を見守るしかなかった。
 WRX以下、R-GUNパワードやガルムレイド、ストライクノワール、ブルデュエル、ヴェルデバスター、ネロブリッツ、ロッソイージスなど、他にもギリアムやアヤ達も合流し、残ったわずかな友軍の盾となる位置で、彼方の戦場を見つめていた。
 テンザンとの戦闘を切り上げたリュウセイのヴァイクルも合流し、整備と補給、休憩の居る者達をローテーションを組んで交代させる。後退して距離を置いたおかげか、メディウス・ロクスがこちらに襲いかかってくる様子はない。
 そんな中、秘匿回線を通じて、ギリアムとイングラムが余人の混じらぬ会話をしていた。

 

『ギリアム少佐、あれは確か……』
「AI-1。エルデ・ミッテが作り上げた人工知能だ。彼女もこちらに来ていたらしいが、よりによってジェネシスを奪うとはな」
『馬鹿になんとやら、か。ならば問答無用で地球も食いつくす、いや同化するつもりだろうな。ならば我々も手をこまねいて見ているわけにも行かんだろうが……』
「難しいな。我々もつい先ほどまでザフトとDCを相手に戦っていたのだ。信用されるわけもない。かといって、彼らを振り切っておれ達だけでジェネシスを破壊する事も出来まい」
『しばらくは傍観に徹するか。ヴィレッタもいる以上、簡単にはやられまい。それに、まだDCは戦力を温存しているようだからな』

 

 冷え冷えと輝く刃のような瞳で、イングラムは艦を転進させ、ジェネシスめがけて部隊を進ませるDC艦隊を見ていた。

 

   ▽   ▽   ▽

 

「各機を呼び戻せ! ジェネシスのコントロールが奪われるとは、何をやっているんだ!?」

 

 流石に苛立ちを込めて呟くバルトフェルドの指示を、オペレーター達は友軍各機に通達し、直衛に着けていた以外の部隊を呼び戻し始めた。
 特に、対地球連合党の最前線に到着していたラピエサージュやマガルガ、ジャスティス、フリーダム、ガーリオン・カスタム無明の不在が手痛い。
 エターナルやクサナギ、スサノオ、アークエンジェルに狙いを定めて襲い来るメディウス・ロクスの群れは、AI1セカンドの遠隔操作によって、異世界のエース達に匹敵する技量を与えられて圧倒的な力を見せていた。
 機体構造そのものを変化させて、三機のフォーメーションで攪乱しているのは竜騎兵の戦闘データを与えられた者たちだろう。まるで肉体の延長の様に機体を操り、撃たれる前に回避して見せるのは、ニュータイプと呼ばれた者達のデータのコピーだ。
 挙げればきりがないほど、どれも一流から超一流レベルの戦闘技能を見せるメディウス・ロクス達は、百にも満たぬ数で、恐るべき戦闘能力を発揮して見せた。

 

「ぬおおおおおおお!!!!」

 

 その、メディウス・ロクスに回避の余裕を与える間もなく一刀のもとにまとめて胴を横薙ぎに真っ二つにして見せたのは、いざという時にジェネシス破壊の為にエターナルの近くで待機していたスレードゲルミルであった。
 機体こそ半死人といっていい惨状ながら、この世界に来てから数段向上した操者ウォーダン・ユミルの戦闘技能と、波濤の如き気迫が唸らせる斬艦刀の一太刀は、水を断つ名刀の様にラズナニウムの装甲を切り裂く。
 スレードゲルミルは、異世界のエースの技術を完璧に模倣したはずのメディウス・ロクスであっても、抗し得ぬ理不尽な暴力の化身だ。

 

「迸れ、斬艦刀――」

 

 横に倒した刀身を、右半顔にまで引き絞り、一陣の烈風の様な怒声と迫力を伴い、マシンセルが変化した雷電が宇宙の闇を貫いて走る。

 

「電・光・石・火!!!!」

 

 それは太陽の光を阻む分厚い灰色の雲を切り裂く天空の雷にも勝る轟と共に、進む先に在るメディウス・ロクスも、スペース・デブリも飲み込み、消滅させてゆく。
 大きな顎を開いた雷竜が、満たされぬ飢餓を満たすべく、暴食する様に。
 エターナルの淡い紅色の船体に無残な穴を穿つべく迫っていたメディウス・ロクス四機を、ものの数秒で殲滅したスレードゲルミルである。鷹よりも鋭く巌よりも厳しいウォーダンの青い瞳は、吹雪の様な冷たさと共にAI-1セカンドを映している。
 もし、ジェネシスの第三射の照準が地球であり、かつ第三射を放つべく換装ミラーが動き始めたら、即座に斬艦刀究極の一閃を持ってジェネシスを破壊する算段を立てていたウォーダンは、今がその時と判断した。
 ジェネシスを吸収し、換装ミラーすべてを取り込んだ以上、AI1セカンドとエルデ・ミッテはいつでも好きな時に地球やプラントへ向けてジェネシスのγ線を放てる。ここで破壊しなければ気まぐれに人類を滅ぼせる狂気の女の存在を許す事になってしまうだろう。

 

『ウォーダン、ジェネシスを破壊してください!』
「委細承知っ!!」

 

 想定外の事態に顔色を白いものに変えたラクスに、間髪入れずウォーダンが答えた。スレードゲルミルのコンディションは、相も変わらず不調のままだ。まともな整備は行えず、元いた世界とこちらで蓄積したダメージは、機体全体に浸透している。
 そんな状態で、これほどまでの戦闘能力を発揮して見せるのは異常という他なかった。ウォーダンの意思に答えて、スレードゲルミルの心臓である、マシンセルによって変異・強化されたプラズマ・リアクターの凶暴な唸りがより一層激しさを増す。
 しかし、ウォーダンには聞き慣れたその駆動音に、時折肺病に侵された病人の咳の様なものが混じっている事に気づいていた。この愛機の限界が近い。その事実を噛み締めた歯の軋りと共に、意図的に忘却した。
 今は、目の前の醜悪な悪意を断つ。例えそれが、戦友たるスレードゲルミルと引き換えにする事になっても。例えそれが、自身の命を天秤に乗せなければならぬ事であったとしても、ウォーダンは刃を振るう事を選択しただろう。

 

「伸びよ、斬艦刀――っなに!?」

 

 機体後方に雷光の刃を伸ばし始めようとしていたスレードゲルミルめがけて、直径百メートルを超す巨大な触手が、まるで意思を持った森の様に迫っていた。
 おそらくは、この戦場で今駆動しているMSや艦艇よりも莫大なエネルギーを放出し始めたスレードゲルミルを感知し、自身にとって危険ないしは価値があるとAI1セカンドが判断したのだろう。
 咄嗟に回避行動に移ろうと、ではなく構わずエネルギー化したマシンセルの刃で、触手もろともに斬り飛ばそうとするスレードゲルミルに、四方からメディウス・ロクスが組み付き、あろうことか閃光と共に爆発する。

 

「無人機故の自爆か!? おのれっ」

 

 周囲への注意を怠った己への叱責を混ぜた声は、姿勢を崩し、マシンセルの光刃が元の青い刀身に戻った状態のスレードゲルミルと共に、ラズナニウムの触手の中に飲み込まれた。
 その光景を見ていたラクスは、まるで人形に変わったように息を飲んで、言葉を忘れた。常に頼りにしていた絶対の味方が、今、目の前で!?

 

「ウォー……ダン?」
「ラクス? ラクス、しっかりしろ!」
「あ、え?」
「ちい、部隊の合流を急がせろ、あちらさんのメディウス・ロクスは数が少ないが、相当にやるぞ。単独では闘うなよ」

 

 初めて戦場で呆然とした様子を見せるラクスに、バルトフェルドは仕方がないと判断して即座に指揮に意識を戻した。もとより戦争の素人であるラクスが戦闘の指揮をとった事はない。
 あったとしてもウォーダンに指示を出すが、士気鼓舞の意味で、各部隊の隊長に通信を繋げてバルトフェルドの代わりに命令を伝える位だ。彼女一人が呆然としていようが指揮に関しては問題が無い。

 

(とはいえ、いつも動じずにそこに座っているだけでも、ラクスの存在がプラントのコーディネイター達にとっては救いになっていたからな。クルーには多少の動揺が出るか)

 

 良くも悪くもラクス・クラインという少女の影響は強く、またクライン派の兵士達は一人の少女に寄りかかり過ぎなのだ。結束している時は強いが、自分達が崇拝する象徴が望ましからぬ面を見せると脆さを露呈する。

 

「まったく、溺れる者は藁をも掴むというが、似たようなものなのかねえ」

 

 そう呟くバルトフェルドの口元に浮かぶ笑みに、自棄が幾分混じっている事を、恋人であるアイシャだけが気付いていた。

 

   ▽   ▽   ▽

 

 突然のジェネシスの変貌と謎の第五勢力の出現と襲撃は、クライ・ウルブズやサイレント・ウルブズの猛者達のかなり太めの神経でも、動揺を隠せずにはいられないものであったが、降りかかる火の粉は払わねばこちらが火傷する。
 加えてマイヤーとビアンの両名がジェネシス破壊命令を下した事で、ゆるみかけていた緊張感の糸を張り直し、つい先ほどまで守っていた筈のジェネシスを破壊する為に向かうという、どこか喜劇的な戦いを始めた。
 現地球圏最強戦艦であるスペースノア級といえども、圧倒的だった地球連合の大物量と最精鋭部隊との交戦で船体のあちこちに焼け焦げの跡や穴が開き、また整備が必要な機体も相当出ていた。
 現在、応急処置と弾薬の補給を受けているのはジガンスクード、ガーリオン・カスタムTB、ラーズアングリフ・レイブン、ランドグリーズ・レイブン、ヒュッケバインMk-Ⅱ、サイバスターだ。
 サイバスターは機体にダメージは少なかったが、サイフラッシュやアカシックバスターの使用によるマサキの消耗を慮り、ほんの数十分ほどではあるが休ませるべきと判断されている。
 まだかまだかと、機体の出撃準備が整うのを躍起になって待つタスクや、ユウ、レオナ、カーラ、ジャン、マサキ達は、戦場に残った仲間達の無事を祈る思いだった。
 口の中に広がる鉄の味さえも分からなくなったのはいつからか、シンには分からなかった。少なくともアズライガーを守るGAT-Xナンバーの発展機達と交戦している間はまだ分かっていたと思う。
 狭霧が立ち込めた様に霞む瞼を瞬いて、元の視界を取り戻し、眼前に迫っていたメディウス・ロクスの胴にグルンガスト飛鳥の巨拳を叩きこんだ。
 さらにトリガーを引き絞り、音声による武器選択システムのサポートも着けてゼロ距離からブースト・ナックルを放つ。
 ラズナニウム装甲を持ってしても大質量・超加速・ゼロ距離からのブースト・ナックルには耐えられなかったと見え、目の前のメディウス・ロクスの機体が吹き飛ぶ。
 しかし、敵機の撃墜を喜ぶ声をシンは挙げなかった。グルンガスト飛鳥の左脇腹を、メディウス・ロクスの振るった光剣が切り裂いていたのだ。本来のシンなら十分な余裕を持って回避できたはずの攻撃であった。

 

「くそ」

 

 一語一語を区切る様にして呟く。唇を開く事さえ億劫であった。流れる血潮の事は考えない事にした。視界を塞がないよう、ヘルメットの吸引機を常に作動させてそれっきり考えていない。
 耳にかすかな吸引の音が響いて集中しようとする意識に雑音を混ぜてくるが、それでも視界に赤い粒が混じるよりは、心情的にも、戦闘の邪魔にならないという意味でもまだましだ。
 右手に握った獅子王斬艦刀に、斬って捨てたメディウス・ロクスの潤滑液が滴っていた。負傷する前ならば、不凍処理を施されたオイルであっても、その粘着力に勝る剣速を誇っていたはず。
 それが、今や見る影もない。もっとも、その見る影もない状態でさえ、平均的なエースクラスでは一合斬り結べるかどうかという高みにまで、今のシンは上り詰めていた。
 ゼオルートとの濃密な修行に加え、あの精神世界での決断、精神における成長を促した結果であろう。
 目下、シンの最大の敵は、衰弱し、完治しきらぬままの自身の肉体であった。それが分かっているのか、眼の下にうっすらと隈が浮かびあがり始めたシンを庇うように、いや庇うフォーメーションを、ヒュッケバインとアカツキ、ナイトガーリオンが組んでいる。
 落としても落としても、AI1セカンドの表面から産み落とされるメディウス・ロクスは、連合の大物量とは異なる恐怖を呼び起こすものだった。大本であるAI1セカンドを破壊しない限り、無限に生まれ出てくるのではないだろうか。
 先行するリカルドのザムジードが、超振動によって分子結合を崩壊させてあらゆる物質を灰燼に帰す、レゾナンス・クエイクでまとめて敵機を葬るが、今も毎秒複数が産み落とされるメディウス・ロクスは、空いた空隙をあっという間に埋める。
 常にどこを向いてもメディウス・ロクスの姿が映る状態は、さしものリカルドやヴィガジらにも疲労の影を負わせている。タマハガネとアカハガネの周囲で敵機を迎え撃つスマゥグ達の動きも、戦闘序盤に比べ明らかに精彩を欠いていた。
 北天方向から迫る新たな敵機に気づき、シンはそちらを飛鳥に振り向かせる。十二機に及ぶメディウス・ロクスである。人間に依らぬ機械故の正確な出力制御でターミナス・エナジーを制御し、構えた銃口の奥に眩い光が灯る。

 

「させるかあっ!」

 

 そう叫んで気力を振るい起こさねば、今にも瞼を閉じてしまいそうな自分を鼓舞し、シンは飛鳥の胸部に膨大なエネルギーを集中させた。飛鳥のプラズマ・リアクターが一時的に限界を超えた莫大なエネルギーを放出する。

 

「オメガレーザー!」

 

 星型の破壊の光の軌跡は、迫るメディウス・ロクスの内二機を呑みこみ、一機の右半身を持っていったが、それ以外の九機は無傷で通した。アウルやステラ達は、別の敵の対応に神経を割かれ、迎え撃つ者はシンのみ。
 メインスラスターの駆動に呼吸のタイミングを合わせ、おそらくC.Eでも数えるほどしかいない位に絶妙な踏み込みをしようとしたシンは、しかし、わずかに自分の意思に遅れた指先に気づいていた。
 まるで氷の浮かぶ海に着けていたかの様に指先が冷たい。そのまま腐り落ちてしまったのではないだろうか。
 そんな吐き気を催す想像が過ぎったが、かろうじて反応していることからそんな心配はなさそうだ。青紫位には変色しているかもしれないけれど。
 わずかな遅れはシンにとって舌打ちに値するものだったが、メディウス・ロクスには変わらぬ脅威であった。シシオウブレード形態の銀刃が、すれ違いざまにメディウス・ロクスの首を刎ね、翻った刃が縦一文字に両断する。

 

(次を――!!)

 

 加速するシンの思考を、機体に伝わった振動が妨げた。シンが斬り捨てた機体を囮にするつもりだったのだろう。一秒にも満たぬ時間、動きを止めた飛鳥の巨躯めがけて他のメディウス・ロクスの放った光弾が集中する。
 機体に走る振動が、シンの傷をさらに広げ、まだ流れる量があったのかと驚くほどに流血を強いた。ゼオルートの前の師匠に教わった呼吸と血流、自律神経の調整による肉体の活性化及び痛覚の麻痺や血止めを駆使していなかったら、とっくに失血死している。
 ただし、痛覚の麻痺だけは行わないでおいた。痛みはまだ自分が生きている証拠だ。その痛みが走る度に、もうこんな怪我はしないぞ、という教訓にもなる。
 絶え間なく瞳を焼く光の雨粒の隙間を見つけるべくシンの眼球はせわしなく動き、磨いた第六感をフルに駆使するが、いっかな飛鳥の動きを束縛するライフルの連続攻撃に間隙は出来ない。
 このまま機体を砕かれるまで言い様に撃たれるのか? 情けなさに、悲しみや恐怖よりも怒りと悔しさが先立つシンは、しかし、次の瞬間ピタリと止んだ銃撃と、反応が消えた敵機に、はっと視界を上げた。
 シンの周囲だけではない。二つのウルブズや付近のDC、ザフトと交戦していた四十以上のメディウス・ロクスが、ほんの一秒かそこらの間に全て撃墜されてしまったのだ。シンが、後方から高速で接近する機体に気づき、サブモニターに映した。

 

「あれは……!?」

 

 驚きと共に絶句するシンの瞳に映ったのは、無機物でありながら、より猛々しさと重厚な威厳を纏った機動兵器。
 初陣で見せた絶対的な暴力と、知的生命体に畏怖を与える外見から、血に濡れた魔王を前にしたような恐怖を見る者に与える巨人――ネオ・ヴァルシオンであった。
 周囲で瞬くあらゆる光を、その真紅の装甲の中に飲み込んでしまいそうなほど深い紅の鉄機は、右手に液体金属の刃へと変わったディバイン・アームを引っ提げていた。そして、その左手の甲に、膨大というも愚かなエネルギーの残滓があるのに、シンは気付いた。

 

「今のは、総帥が?」

 

 シンの予想は当たっていた。グランゾンが持つワームスマッシャーの空間歪曲による遠隔・全方向からの射撃攻撃を、クロスマッシャーに応用した、ワーム・クロスマッシャーで一気に撃墜して見せたのだろう。

 

「総帥!」
『シンか? あまり顔色は良くないな』
「総帥も似たようなもんです」
『だろうな』

 

 まるで同じ病室の人間に話しかける入院患者の様なやり取りであった。たしかに二人の顔色はモニター越しにも紙の色に近くなっているのが分かったし、共に顔に浮かぶ死相を見ていた。
 ネオ・ヴァルシオンの姿に気づいたステラ達も、敵機と交戦しながら通信を繋げてくる。

 

「ステラ達も、良く頑張っているな」
『そんな事より、いいのかよ、前に出て来てさ!?』

 

 唾を飛ばしかねぬ勢いのアウルに、苦笑するようにビアンは答えた。

 

「後方に座したまま見過ごすわけにもゆくまい。指揮はもとよりマイヤーが取っている。それにネオ・ヴァルシオンは私にしか動かせぬようになっているし、これに乗っている方がマハトに座しているよりも安全だ」
『そりゃ、その機体を斃せるMSも特機も在りはしないでしょうけれど』

 

 力無く反論したのはスティングである。確かにネオ・ヴァルシオンの前身であるヴァルシオンからして空間歪曲フィールドという、ふざけた防御機能を持ち、重力操作兵器という前代未聞の武装を持った超高性能機だ。
 その発展型であるネオ・ヴァルシオンならば、特機や高性能MSが氾濫し始めた現在でも、戦局を単機で覆せる超ド級の規格外機であるだろう。
 とはいえ、人間の方はそうはいかない。シンよりはだいぶましとはいえ、ビアンもまた軽くはない負傷を追っている筈だ。今も、普段の気迫は変わらぬがどこか纏う雰囲気に活力が欠けている。
 そんな中、雨に打たれている捨てられた子犬みたいな顔で、ステラが心配そうにビアンとシンの顔を見ていた。
 ステラにとって大きく心を占める二人が揃って、顔色を悪くし、どこか死の雰囲気を纏っている。そう言った感性が鋭いステラには殊の外、不安が胸の中で渦巻いているのだろう。

 

「なに、すぐにこやつらを片づけてベッドで眠ればすぐに治る傷だ。そう、心配そうな顔をしなくてもいいぞ、ステラ」
『本当に? シンは?』
「おれも、大丈夫だよ。ステラを置いて遠い所に行ったりしないよ」

 

 あまり長く離すと舌がもつれる。かすれそうになる声を必死に隠して、シンは笑顔を浮かべて答えた。なんとか、笑みを形作る事は出来たようだ。ステラは曖昧に笑った。
 ネオ・ヴァルシオンが先頭に立ち、飛鳥やアカツキ、ナイトガーリオン、ヒュッケバインを引き連れる形でAI-1セカンド目掛けて再び動き出す。
 魔王の配下の軍勢の中でも、取り分けて優れた力を持つ精鋭達の出陣であった。

 

「行くぞ、シン、ステラ、アウル、スティング! 我らDCの真の力、あの異形に知らしめる」
『はい!』
『ステラ、頑張る』
『任せときな、おれらナメたらどういう目に遭うか、教えてやるぜ』
『アウル、シン、前に出過ぎるなよ!』

 

 テスラ・ドライブの翡翠色の粒子と共に、ビアン達は巨大な流星となってすべてと一つにならんとする、狂気の産物めがけて宇宙を飛翔した。