「やるなぁ、坊主。
……たいした魔力と防御力だよ」
大剣を構えた髭面の男は、シン・アスカに向かってうっそりと笑った。
だが、男の浮かべた笑みがシンへ向ける一片の感心をも湛えていないのは、その目を見れば明らか。
男は、明らかなる嘲笑を込めて、こう言葉を続けた。
「だが、いけねぇなぁ。
そんな白兵に向かねぇデバイス使ってる癖に、砲撃がまるでなっちゃいねぇ。
幾ら魔力が高くったって、それじゃ宝の持ち腐れだぜ」
そう言い放った男の、視線の先には、シンの背に浮かぶ一対の翼状デバイス――Wing of the Destiny――。
確かに、戦闘特化の魔法使い達が好んで用いる杖、剣等の形をした取り回しの良いデバイスと比べて、シンのディスティニーは決して扱いやすいとは言えないデバイスだ。
かつてのシンであれば、頭に血を上らせて我武者羅に突っ込んでいたに違いない言葉。
「そう思うかい、おっさん」
だが、CEにおける最後の――そう、シンの体に寄生する正体不明のロストロギアに故郷と引き離されたあの――戦いの時から一年、今の彼は冷静にそう答え、双の拳を構えた。
確かに、シン・アスカの特性は、遠距離戦には向かない。
師匠と出会った世界で彼が手にした武具と、時空管理局に所属して知った魔力の適正は、何よりも客観的にそれを指し示していた。
逆に彼の背中のディスティニーは、白兵戦には向かない。
彼の中のロストロギアの影響を受けているらしいとは言え、元は支援用のデバイスなのだから、それは当たり前だった。
……今のシンの心は、当たり前の事実を挑発的に指摘された程度で揺れはしない。
故郷から完全に切り離されてしまった事がシンをそうさせたのか、あるいは、初めて飛ばされた世界で出会った生涯の師の教えの影響か?
かつての、凶戦士めいた彼を知るものならば瞠目するだろう落ち着きを払って、シンはただ格闘の構えを取っていた。
そう、シンの手に武器は無くとも、彼は師より受け継いだ十三の武器を持っている。
そして、そんな彼にとって、ディスティニーが最良のデバイスである事に、目の前の男は気付いていなかった。
「おいおい、そのデバイスでどうやって近接戦をやるつもりだい?」
だからシンは、呆れたように剣を構えなおす男を無視して、周囲の仲間達の様子を探る。
シンの仲間……と言うには、余りに幼すぎ、彼に多少の気恥ずかしさと大きな無力感とを感じさせる少女達――高町なのはとフェイト・テスタロッサ――は、それぞれの敵に相当苦戦していた。
フェイトは、剣型のデバイスを用いる連携に長けた二人組の魔法使いを攻めあぐねており、なのはは、砲撃特化らしい杖型のデバイスを持った多数の魔法使い達の飽和攻撃を受けて、行動がままならない。
魔法使いとしては規格外の能力を持つ二人だが、肉体的にはまだ幼い少女。
体力的にも、運動能力的にも、しかるべき訓練を受けた大人の魔法使いに敵う筈も無い。
それと数の力を生かした集団戦術で、魔力で大きく優越する少女達を磨り潰そうという敵の作戦は、今の所成功しているようだった。
恐らくは、二人の能力に対する調査と分析とを重ねた上で、幾度と無い演習を行った結果がこの作戦なのだろう。
「砲撃戦に長けたなのはを飽和攻撃で、
高機動戦に長けたフェイトを連携と手数で……
情報の少ない俺は、一番場数を踏んでいるリーダーのあんたが抑える、か」
個人戦技に走りがちなZAFTをナチュラルが数と戦術で圧倒する事例は、シンが学んだ士官学校の授業でもしばしば取り上げられていたが、フェイトとなのはを巧妙に切り離し、封じた彼らの手口は、そのお手本として教本に載せても恥ずかしくない程の鮮やかさを持っていた。
「そう言うことだ。
悪いが坊主には、あっちの嬢ちゃん達がへたばるまでは俺に付き合ってもらうぜ」
シンが戻した視線の先で、男は僅かな感心の籠った笑いを見せる。
そして、無理に攻める気は無い男が、隙無く周囲を伺う姿に、シンは奥歯を噛み締めた。
これだけ周到に彼らを誘い込んだ敵が、まだ何人かの味方がいるアースラに、何かのアクションを起こしていないとは考えにくい。
つまり、短期的には味方の増援は期待できず、現状を好転させたければ、シンがこの場を何とかするしかなかった。
……もっとも、目の前の男がシンの能力を見誤っている現状、それはそう難しい話ではない。
「ディスティニー!」
『Lighet Wing get set』
シンの叫びと共に、ディスティニーから光が噴出し、翼の様に姿を整えた。
同時、シンの前面……手刀構えで前に延ばされた右手を基点に、円錐形の強力な防壁が形成される。
確かに、ディスティニーは、白兵には向かない。
そしてシンは、射撃や補助には向いていない。
だが、シンとディスティニーの組み合わせが、格闘戦に向いていないかといえば、そうではなかった。
どんな魔法使いよりも速く空を駆ける光の翼。
四肢の先端を基点に展開し、着用者を防護すると同時に、空力を利用したアクロバティックな動きを可能にする可変式魔法障壁。
どんなナチュラルよりも耐G能力に優れた、コーディネーターのシン・アスカ。
師より受け継いだ十三のアーツ。
この四つの組み合わせは、高速格闘戦にこそその最大の威力を発揮する。
「ヘッ、カミカゼかい?
ジャッ……」
なにかを言いかけた男を無視して、シンはその心をクリアに……頭の中に浮かぶ、銀色の鍵の表象(イメージ)、徐々に遅く、情報量を増していく世界に微かに顔をしかめると、右手刀を振り上げながら光の翼を一打ちした。
そして、地面スレスレを恐ろしい勢いで跳びながら、更に地を蹴って加速加速加速。
一瞬にも満たない刹那で彼我の距離を0にし、シンは障壁を収束した手刀を振り下ろす。
「両断!ブラボチョップ!!」
十三のブラボー技(アーツ)の一つ、両断!ブラボチョップ!!
師であるキャプテンブラボーのような――海を割るほどの――域には達しないシンの一撃だが、それでも男がとっさに構え受けた剣型のデバイスを断ち切り、更にはその持ち主を大地に叩き付ける程度の芸当は平気でやってのける超常の秘技。
「グハァ!」
その上、非殺傷設定も攻撃を目的とする術以外には効果が薄く、この攻撃の威力の大半は、純粋に物理的なものだ。
内蔵を傷めたらしく血を吐いている男に背を向けて、シンは光の翼でフェイトの元へと飛ぶ。
地面スレスレを飛びながら、地を蹴って更に加速加速加速加速。
シンは、コーディネータと言えども用意には対応できない速度で地面スレスレを飛びながら、神業ともいえる知覚力と運動能力で地を蹴って、更なる加速を重ねた。
そうしながらも、空中で白兵戦を続ける三人の戦闘の軌跡からその行く先を予測して回り込み、地を蹴って急速上昇。
光の翼を一打ち、二打ち、重力に逆らって加速加速加速。
敵二人とフェイトを挟み込むようにして、音速超過で突進。
障壁の内で姿勢を変え、跳び蹴りの様な姿勢を作ると、蹴り足を起点に、障壁を細く細く絞り込む。
「流星! ブラボー脚!!」
そして、魔力で強化された音速超過の衝撃を曳き、シンは二人の敵の背後をすり抜けた。
空中で姿勢転換、障壁構造の変化。
シンは空に背を向け、大きく四肢を広げる様にしながら、身に降りかかる巨大なGに歯を食いしばって耐える。
眼下には、突如襲い掛かる衝撃波に、デバイス自動発動の防御魔法で耐える三人……だが、背後からの攻撃、崩れた連携と、不利な要素がより多い上に、基礎魔力もまた低い敵手二人の方が、建て直しにかかる時間は長い。
「バルディッシュ!」
『Load cartridge,Harken Form』
その隙を突く様に、フェイトが叫び、その大斧は光刃を展開する大鎌へとシフト。
大きく薙ぎ払おうとするフェイトに、なんとか回避行動を間に合わせた二人へと、シンは数発の魔力弾を打ち出した。
威力は低い、コントロールは甘いと御世辞にも褒められないシンの、更には不安定な姿勢ではなった速射砲撃だったが、それでも二人を牽制するには充分。
「「…!?」」
頭上注意の警告に、二人の動きが僅かに迷った。
対し、先の衝撃の源がシンであることを知るフェイトは、敵手二人を迷いごと薙ぎ払うように前進……二人は鎌に薙ぎ払われ、更には追い討ちとなった魔力弾を受けて、降下。
それは恐らく、デバイスの自動機能によるものなのだろう。
戦闘中とはとても思えぬ、ゆっくりとした動きで地に下りると、二人は動きを止めた。
「大丈夫か、フェイト」
子供は大人と比べて体力があるとよく言われるが、それは、単に体重が軽く代謝量が高いだけの話で、内在するエネルギーの総量は大人と比べるべくも無い。
戦闘に長けた大人二人の狡猾な連携は、思った以上に、フェイトの体力を磨り減らしていたようだった。
「助けに、行かないと……」
だが、それでも……荒い息を吐きながらも、なのはの支援に向かおうとするフェイトを、シンは肩を掴んで引き止める。
「いや、なのはの支援には俺が行く。
フェイトは、下の二人と、向こうに倒れているリーダーらしき敵の確保を頼む」
そう言ったシンの目を、フェイトは僅かに苛立ちを含んだ目で見返した。
フェイトにとって、最初の、そして最高の友人であるなのはを、魔法使いとしての等級では自分に劣る、まだ良く知らない男に任せるというのは、余り嬉しくない事なのだろう。
それに……、フェイトと比べればまだ余力を残しているシンではあったが、こういってはなんだが、疲労した彼女を戦わせたくない理由の半分は、彼のわがままだ。
死んだ妹に近い年頃の少女を、戦いなどに行かせたくは無い。
本当なら、元気な時でさえ二人を戦わせたくは無い。
そして、とても長い付き合いとは言えないフェイトだったが、彼女は共に戦った幾つかの戦闘における彼の行動から、シンのそういった過保護に気付いているようだった。
だからなのだろう、消耗した今のフェイトを、なのはを押さえ込めるだけの数の暴力にぶつけるのは無謀……そんな彼の判断は正しいはずなのに、シンの方は少なくない引け目を抱き、対するフェイトの方はそんなシンに不審を感じる。
だが、今のシンには、フェイトを悠長に説得している程の時間は無く、また、共に向かうには彼女は消耗しすぎていた。
アドレナリンが分泌されている今この瞬間はいいだろうが、何らかの理由で緊張が途切れたらと思うと、シンは気が気ではない。
かと言って、人付き合いが苦手で口下手なシンに、フェイトを丸め込めるわけも無く……ループに陥りそうな現状を振り払い、シンは覚悟を決めた。
こうなったら、困った時のブラボー頼み。
後々面倒な事になりそうな気はしたが、きっと緊急避難的な行為として認めてもらえるだろうと、シンは、無理矢理自分に言い聞かせる。
「フェイト!」
「!?」
そして、真顔でその目を見返すシンに、フェイトは微かに息を呑んだ。
邪眼。
伝承の中の魔法にはそういった技も存在するが、まさにその邪眼めいたシンの赤い瞳が、フェイトのそれを刺し貫く。
そんなフェイトの目前で、シンは自分の口元に己が手を当てると……。
「悩 殺! ブラボキッス(は~と)」
キュピィン(は~と)
その瞬間、フェイトの背筋から股間を、言い知れぬ戦慄が走った。
フェイトの胸が勝手に高鳴り、頬が上気する。
目の前のシンの顔をまともに見れず、なんだ、まさか本当に邪眼なのか……と、混乱するフェイトの膝が、かくんと崩れた。
そう、フェイトは今まで、白兵技術と経験において彼女を上回る、それも連携慣れした大人の敵と、延々渡りあっていたのである。
フェイトに自覚は無くとも、彼女の体は疲労の極みにあった。
それが、シンのブラボーアーツで開いた意識の空隙に、一気に襲い掛かってくる。
「フェイト、大丈夫か?」
そして、混乱に疲労が重なり、珍しくも姿勢を崩したフェイトの体を、直ぐに細く引き締まった逞しい腕が包んだ。
彼女の目の前には、心配そうなシンの顔。
見た目によらず逞しいその胸板と、激しい戦闘でかいたのだろう、彼の汗の香りとに包まれて、フェイトの心臓は更に激しく高鳴る。
次いで、自分もそれ以上に汗をかいているのだろうと気付き、フェイトの感じていた恥ずかしさが百倍以上にも跳ね上がった。
シンは、フェイトを抱きとめたまま下降……顔を極限まで赤く、目をぐるぐるにして思考停止する彼女を、酷く優しく地上に降ろす。
「だから言っただろ?
なのはは俺が絶対に助けるから、フェイトはここで待ってるんだ!」
まるで、妹にでも言うように優しく告げるシンに、フェイトは微かな不満を感じながらもこくこくと無心に頷いたのだった。