Sin-Jule-IF_101氏_第14話

Last-modified: 2010-01-09 (土) 03:02:37

14.赤の獅子と金色の大鷲

 
   「受け入れの拒否とはどういうつもりだ!」
 
    二世代ほど逆行した骨董品のような通信機を握り締め、ロード・ジブリールは声を荒
   げた。世界犯罪者として追われる身には、安息の地と呼べる場所はどこにも存在しない。
   ブルーコスモスの息のかかった地域はプラントの制圧下にあり、大きな力を持っていた
   ロゴスは完全に解体されている。
    コーディネーターの天下は、まさに彼にとって悪夢だ。テレビ越しであってもナチュ
   ラルの仕立てた高級ジャケットを纏うコーディネーターの企業家を見ると唾を吐きたく
   なる。ロゴスが大手を振っていた中では、決してありえなかった光景だ。気が狂いかね
   ない事態の中でも、彼は絶望しなかった。最強最後の手段が、彼にはある。たった一本
   の糸だが、それは惨めな逃亡生活を続ける希望となっていた。
    逃亡生活の末に彼が選んだ地はオーブだった。希望の地へ辿り着くには、まず敵だら
   けとなってしまった同胞の地を発たねばならない。
 
    埃塗れの服を纏い、同じく追われた者からなけなしの施しを受け、時には残ったファ
   ントムペインの力を借り、ジブリールは奇跡的にもオーブに着々と近づいていった。復
   興に手を貸した恩義を名目にマスドライバーの使用を許可してもらうつもりだったとこ
   ろだが、最後の最後に彼の運は尽きた。
    秘匿回線の通信に応じたのは、頼みのウナトでも、その息子ユウナでもない。祖国へ
   と凱旋したカガリ・ユラ・アスハだった。
 
   『何度も言わせるな。犯罪者の逃亡を幇助すればわがオーブが危険だ』
   「このままプラントの支配を許す方がもっと危険だと分からんのか!」
 
    ジブリールはカガリとは直接の面識は無い。御しにくいが所詮は小娘、というユウナ
   の評だけを聞き、気にも留めていなかった。そんな相手に、ジブリールは激昂している。
 
   『支配だと? それこそ被害妄想だろう。世界は少しずつ修復の道を進んでいる』
 
    対するカガリの返答は静かなものだった。ジブリールが平素の気勢を保っていたなら
   ば、カガリにしては冷静すぎることに気付いていたはずだろう。かつて戦いの前線でM
   Sを駆った直情など、その言葉には微塵もない。
    ジブリールに残された手立てが映像を伴わない通信であることは、カガリにとって幸
   運だった。気取られぬよう一言も発してはいないが、傍らにはユウナがいる。少しでも
   捕らえる材料を逃さぬべく盗聴の準備までさせており、速記の筆談でカガリにアドバイ
   スを送り続けていた。叫びたい衝動を抑えつけているのは、オーブを背負っていること
   をユウナが先に散々念を押したためだ。
    ユウナはやれやれといった風のまま拳を固めるカガリを見やる。最初は歓迎する振り
   をして逮捕するべきだと言ったが、頑固な姫君はどうしてもそれを善しとはしなかった。
    もうアドバイスは無用だろうか。ユウナがそう思い始めた頃、ジブリールは最大の失
   言を叫んだ。
 
   『黙って我々を月に送り出せッ!』
 
    ――だってさ。言葉には出さずに、ユウナは別の通信機に視線をやる。
    月には、まだ彼の武器が残っている。彼の強気な態度を見るに、それは世界を敵に回
   しても勝算を見出すほどの大物だ。
    別の通信機は、別の相手へとリアルタイムに言葉を送り続けている。
    パトリックもまた、オーブ近くに潜んでいた。
 
    再びプラントへと戻ったデュランダルは、帰ってきて早々に問題に出くわした。手を
   組んでいたラクスが、地球への慰問に参りたいと言ってきたのである。
    それ自体は問題ではなかった。むしろ彼女の言う活動は、地球側のプラント受け入れ
   の抵抗を弱める効果を持つ。ラクスが言い出さなくても、近い将来デュランダルの側か
   ら願い出るつもりだった。
 
   「しかし、何も急ぐことはないのではないのかね? 今の地球は混乱している。もしも
   万が一のことがあれば……」
   「わたくしだけがそんなことを恐れて縮こまっているわけにはいきませんわ」
 
    デュランダルの懸念は、プラントのクライン派にあった。ラクスを神輿として担ぎ上
   げた件の派閥は、プラントの議会において多数を占めている。連合が仕掛けてきた戦い
   を有利な形で終結させた以上、クライン派は更なる権力を手にするだろう。その暴走を
   防ぐためにも、ラクス本人からクライン派を抑止させる必要がある。
    それを伝えても、ラクスは首を横に振るばかりだった。尚更に、荒んだ地の復興を支
   援すべきであると主張する。
 
   「その方々がわたくしを信じてくださるのならば、議長の心配なさるようなことは――」
   「人の心は揺らぐものだよ。譲れないものがあれば、尚更ね」
 
    続く平行線を断つようにデュランダルは苦々しげに言葉を吐き出す。そこで、一度会
   話は途切れた。
 
   「なら、あたしにその役目を任せてください!」
 
    割って入ったのは、傍らに控えていたミーアだった。ラクスと同じ顔かたちの彼女は、
   未だ自由な生活が許されていない。
 
   「あたしはずっと練習してきました。ラクス様のこと、歩き方も。話し方も。歌い方も」
 
    聞きながら、デュランダルは僅かな時間で思考した。クライン派の中には真にラクス
   を慕うものたちがいる。それらには影武者の言葉は通じないだろう。それに乗じて派閥
   には属さないデュランダルへの攻撃にさえ移りかねない。
    慰問の方にミーアが赴くことには何ら問題はない。元々、ミーアはザフトへの士気の
   高揚を試みるために用意した人間だ。ラクスの歌のコピーに過ぎないが、真実を知らぬ
   人には癒しとなる。ラクスの役目をミーアに頼んではどうかと提案するが、
 
   「それはできませんわ。あなたは、あなたの歌を歌うべきです」
 
    ラクスはなおも首を横に振る。おっとりとしていたが、凛とした声色だった。
    何かを言いたげにミーアは口を開いたが、声は音とならずに空気に溶ける。小さな拳
   は震えていた。
 
   「議長の仰ることはもっともです。ですが、どうか、わたくしを信じてください」
   「敵を欺くにはまず味方から、か。あの男め」
 
    デッキに立つサトーは嘯いた。オーブから送られた信号を頼りに、パトリックは一地
   点を目指していた。
    ジブリールの護衛として僅かに残ったMSの中にはアカツキがあった。元々オーブの
   誇る最強のMSは、先のヘブンズベースでの戦いにおいて最新鋭機デスティニーを撃墜
   したという情報もある。全幅の信頼を置くのも無理からぬ話だ。
 
    ――カガリは無理だったけど、アカツキを取り戻してくれないか?
 
    ユウナ曰く、アカツキはウズミ・ナラ・アスハの形見でもある。何も知らされていな
   かったカガリは、通信の向こう側でユウナに食い掛かっていた。拳を振り上げる勇まし
   き姫君に、おどけた様子で逃げ回る補佐の姿がモニターの外に消える。うまくやれそう
   じゃないか、アスランはほっと息を吐いた。
    デッキの指揮官席につくアスランの胸中では、カガリが最後に問いかけた疑問が幾度
   となく繰り返される。
 
    ――お前、何をするつもりなんだ?
 
    答えられるはずがなかった。自分を手駒とされていた憎しみと、腐敗したプラントへ
   の憤りだけで突っ走ってきたのだ。建設的なプランなどありようはずもない。カガリの
   成長の程を知る由もないが、置いていかれたような疎外感さえアスランは覚えていた。
 
   「さ、間もなくだよ、アスラン」
 
    不意に名を呼ばれ、途切れかけていた意識を取り戻す。隣に立っていたのはヒルダ・
   ハーケンだ。崇拝さえしていたクラインの偶像を徹底的なまでに破壊された彼女とその
   部下たちは、新興ザラ派の考えに染まっていた。
    クライン派が腐ってもラクス本人は違う、と頑なに首を縦に振らなかった彼女らだが、
   ラクス本人が受領したというストライクフリーダムの存在に最後の信用さえ打ち崩され
   ていた。
    ヒルダの呼びかけにアスランは短く返事をし、立ち上がった。
 
   「全機、発進準備だ! ジブリールだけは必ず逃がすなッ!」
 
    仲間を見渡し、アスランはようやく気付いた。パトリックの仲間は、本来ならば有り
   得ないメンバーで構成されている。ザラ派の考えを信じ、貫き通そうとしたサトーのナ
   チュラルへの憎しみは徐々に薄れていた。綺麗事だけを吐き、プラントをいいように支
   配しているクラインを信じていたヒルダは今やアスランの考えに完全に同調している。
    がむしゃらに突っ走ったからこそ、両極ともいえる二者を結びつけることができたの
   だろう。将来構想が無かったのは認めるところだが、それを構築するのはこれからでも
   遅くはない。
 
   「そして金色のMS……アカツキは俺が討つッ!」
 
    決別の一歩を、アスランはようやく踏み出した。
 
    逃亡者というには、それはあまりに堂々としていた。民間のものを装った三機の輸送
   機は、堂々とその身を露出させている。作業用とでも偽っていたのだろうか、中からは
   MSの反応が光っていた。
    そこに、五つの巨大な人型が轟音とともに降り立った。砂埃が舞い、圧縮された空気
   が押し出される。出撃したのはドム・トルーパー、ジン・タイプインサージェントが三
   機ずつだ。
   無駄と知りながらもヒルダは輸送機内部を公開するよう通信を送る。
 
    その直後に、金色のMSが飛び出した。
    アカツキの銃口がドムに向けられる。光の一撃は狙いを過たず虚を突いたが、ビャク
   ライの一撃は赤く発光する装甲に掻き消えた。すぐさま後ろのドムがギガランチャーを
   見舞うが、空を自在に飛び回るアカツキはものともせずに回避した。
 
   「マーズ! ヘルベルト! 奴には構うんじゃないよッ!」
 
    アカツキに狙いを定めていた部下を叱咤し、ヒルダのドムはビームサーベルを抜いた。
   後ろの二機がそれに続くと、輸送機からは更に別のMSが出撃した。スローターダガー
   にウィンダム、どれも飛行可能な機体だ。舌を打ち、機体を浮遊させて斬りかかる。
    敵の陣形を真っ先に切り崩したのはサトーのジンだ。片刃の斬機刀の鋭い閃きの前で
   は、通常の装甲は紙も同然だった。
 
   『やるじゃないか。テロリストさん』
   「ふん、貴様も赤の端くれならば力を見せてもらいたいものだな」
   『言ってな。あたしらの方が多く落としてみせてやるよ』
 
    不敵な笑みとともに、ギガランチャーが一度に二機の敵を撃ち落す。近づく敵は斬機
   刀に切り払われ、敵からの攻撃はスクリーミングニンバスがほぼ無効化する。
    上空のアカツキが飛来せんとするのを、別の方向からのブーメランが留めた。ネオは
   出現した新手に向き直る。
 
   「ジャスティス!」
 
    眼を見開き、ネオは叫んだ。ジャスティスに似た姿を更に鋭角的にしたフォルムは、
   一目で後継機だと分かる代物だ。背負ったリフターも戦闘機に似た形状に変貌し、推進
   力を増したことが伺える。
    大破したジャスティスの改修はほぼ不可能なことだった。ストライクフリーダムの受
   領とともにフリーダムが本国へと返還されたのは、まさに幸運な事態だった。新たにN
   JCを生み出すことは、活動としては目立ちかねない。
    ターミナルの持っていた量産型ジャスティスの設計、Hデュートリオンの技術らをも
   とに、ジャスティスは新たな姿として生まれ変わった。
 
   「アスラン・ザラ、インフィニットジャスティス――出るッ!」
 
    無限の正義の名の下に、赤の騎士は剣を抜いた。
 
    もともと地図でも米粒ほどの扱いの小さな島は、今や一つの戦場だった。破壊された
   人型の兵器の破片が降り注ぎ、狙いの外れた光の粒子が大地を焼き焦がす。人ひとり住
   んでいなかった静かな島は、地獄へと続くかのごとき様相へと変貌している。
    歪な穴の空いた人型が、切り裂かれた人型が、崩れ落ちて爆散する。
 
    “アスラン”とは獅子を意味する言葉である。幼い頃に知り、今まで根強く残ってい
   る知識の一つだ。絶対的な力を有し、全てを統べる獣の王、それが自身の名であること
   をアスランはこれ以上ないほどに実感していた。
    アカツキは速く、強かった。ストライクのシルエットを継ぎながらも、その基本性能
   を極限まで引き出したような動作はセカンドシリーズすら上回る。驚くべきは機体を作
   り出したオーブの技術力か、それともその性能を引き出すパイロットだろうか。
    アカツキは距離をとって戦っていた。ただでさえジャスティスは近接戦闘に特化した
   機体だ。加え、ヤタノカガミの前では、ビームライフルは封じられる。
    左腕のソリドゥス・フルゴールが、アカツキのビャクライをかき消した。
 
   「またビームシールドかッ!」
 
    ネオはコクピットで舌を打った。ビームの攻撃を互いに無力化できるとなれば、終わ
   りの見えない泥沼に陥ることは目に見えている。
    言葉では焦りながらも、ネオの思考回路は淀まなかった。狙うべきはジャスティスが
   痺れを切らした時だ。リフターの推進力を生かして突撃してきた時こそ、相手を撃墜す
   る最大の好機だ。
 
    アスランはシャイニングエッジの投擲に攻撃を集中させざるを得なかった。リフター
   での攻撃は、射撃と近接戦闘の両方に警戒を与えている時にこそ効果を発揮する。射撃
   を封じられた状況ではあっさりと回避されるだろう。さらに、ブーメランの軌道を掴む
   ことは空間把握能力に長けたネオにとっては容易いことだった。
 
   「こいつッ!」
 
    相手が挑発しているのは明らかだ。突進してくる時を狙ってカウンターを叩き込むつ
   もりなのは眼に見えている。ファトゥム01の推進力は新生とともに強化されているが、
   アカツキの速度を大きく上回れるとは思えなかった。
    囲まれたジンの一機が爆発し、別の一機が腕を失った。徐々に押され始める状況が、
   徐々にアスランの精神を急かす。
    残る味方は四機だ。輸送機の中ではロード・ジブリールが愉快そうに笑っているのだ
   ろう。ただの想像だというのに、感覚が鋭敏になったアスランには眼にしているように
   感じ取れた。
    状況は逼迫しているというのに、怒りは湧かなかった。逆に波打つ精神が平たくなっ
   ていくのをアスランは感じる。ジブリールは小物だ。討つべき敵だが、怒りの鉄槌を振
   り下ろすべき相手は彼ではない。
 
    心の中で、なにかが爆ぜる。
 
    左の盾に装着された切り札、グラップルスティンガーがアカツキを捕らえた。アカツ
   キがビームサーベルを引き抜くより、∞ジャスティスの攻撃動作の方が速い。翼、脚部、
   全身に装着された刃が熱を帯びていく。
 
   「お父様の形見とはどういうことか、説明してもらおうか」
 
    赤みを帯びた拳を解き、ぶらぶらと振りながらカガリは呆れたように言った。視線の
   先にいるのは、頬を大きく腫らしたユウナだ。代表としての勉強漬けや余裕があったわ
   けではないだろう逃亡生活を経ても、その短絡思考と馬鹿力は損なわれていない。これ
   からも苦労するだろうな、と思いながらユウナは観念した。
    アカツキというMSは、もともとウズミが構想を練ったものだ。理念を体現すべく防
   御に特化し、同時にオーブでは高貴とされる黄金の甲冑を纏ったものを目指した。ヤタ
   ノカガミ装甲は、技術の粋と理念の融合体と言えるものだ。
 
   「実際、素晴らしい思想だと思うよ」
 
    カガリも頷く。父を敬愛する彼女のことだ。脳内における“立派なお父様”のイメー
   ジは更に煌びやかになっているのだろう。ユウナは一度視線をそらした。
    ユウナ自身は兵器そのものになんら魅力を感じない。MSは多大な金を食って作り、
   多大な金を食って動き、最後には無駄に散ることすらある無駄の塊だ。
    一つ問題があった。とユウナは付け加える。
    MSは金を食う。性能が大きければ大きいほど、そのコストも大きくなる。アカツキ
   一機を作るのには、MSを二十機製造できるだけの費用が必要になる。
    アカツキの製造はほぼ秘密裏に行われていた。ユウナもアスランを匿うためにオーブ
   を隅々まで見直さねば、その存在を見逃してしまっていただろう。通常のMSの二十倍
   のコストに加え、政府のトップにまで隠しとおせるほどの情報操作まで行われていたと
   いうことになる。たった一機のために実際に動いた金額を思うと、自然と頭痛薬が欲し
   くなった。
 
   「理念、といえば聞こえはいいけどね」
   「お父様の考えを無駄というのか?」
   「――なんなら働いて稼いでみるかい? MS一機ぶん」
 
    カガリは言葉に詰まった。無理だ。人一人がどう背伸びしても届く額ではない。
    ユウナはアスランに期待していた。彼はおそらくアカツキを破壊する。オーブの理念
   の象徴の破壊は、それまでの凝り固まった思想の破壊となるだろう。
    その時こそ、ようやくオーブは新しく生まれ変われるのだ。
 
    鈍ったジンを破壊したのは緑の装甲のMSだった。猛禽のごとく空から飛来したそれ
   が、続けざまに二機目を撃ち抜く。
 
   『たったこれだけの相手にざまぁねぇな』
   「お前、何で……!?」
 
    カオスから届いた減らず口がネオを驚愕させた。過剰な強化の末に、スティングの肉
   体は静かに死を待つだけの状態にあったはずだった。
    速やかに、精密な射撃でカオスの照準はドムに向けられる。三発目の光線はスクリー
   ミングニンバスの赤熱はかき消されたが、それを見越したかのようにスティングは次の
   動作に移っていた。
    ビームサーベルが最後のジンの盾にぶつかり、弾けた粒子が光を放つ。
 
    体温を失った身はむしろ軽く、笑みが零れるほどに軽快だった。澄み渡った五感は研
   がれたばかりの刃物のように鋭い。スティングはMS越しに敵の操縦動作さえ分かる気
   がした。デストロイの爽快感などちっぽけなものだ。
    ジンを相手にしながら、斬りかかってきたドムの腕を逆に斬り飛ばす。MAの形態か
   ら飛べない敵に向けてカリドゥス改の猛火を降らせ、機動兵装ポッドの自在の放火がド
   ムやジンの装甲を容赦なく削る。
    ネオ・ロアノークやエクステンデッドの二人、おそらくは幾度と無く刃を交えたミネ
   ルバの宿敵さえ、この境地には辿り着いてはいないだろう。
 
   「ざまぁみろ、ハイネ」
 
    スティングはほくそ笑んだ。今戦えば、あの小憎らしいオレンジの機体をどうしよう
   もなくグシャグシャに叩き潰せることだろう。
    今のカオスは、スティングの神経の延長線にあった。その自在の感覚ゆえに、スティ
   ングの脳から一つの事実が覆い隠されてしまう。それが記憶から掘り起こされたのは、
   得意になって飛び回るカオスのコクピットが急に暗くなった時だった。
 
    量子通信はかなりのエネルギーを消費する。
 
    たった一文の事実が、スティングの脳を支配した。切り離したまま使用していたのは
   迂闊だったとしか言いようが無い。
    瞬間だけ表情を凍らせたスティングだったが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。最後
   の最後に無敵の境地に辿り着けたのは、奇跡では片付けられない幸運だ。歪に焼け焦げ
   た四機が、落下したカオスに迫る。
    ビームカービンがコクピットを貫いた。
 
   「スティング……!」
 
    グラップルスティンガーに捕らえられたまま、ネオはゆっくりと呟いた。急な脱力感
   に襲われ、もがく力も自然と弱まる。
    ジブリールが覇権を握れば、スティングはもう少し長く生きられたはずだった。ネオ
   がジブリールと交わした約束は、彼の治療と再生への尽力だった。スティングが死んで
   しまった今、ネオの戦う理由は完全に瓦解する。
    アーモリーワンのときから非道の手段を使ったつもりだ。今から命乞いをするほどプ
   ライドを捨て去ったつもりは無い。それにどうせ、自分は一度死んだ身だ。力なく、ネ
   オは接触する機体との通信を試みた。
 
   「や、テロリストさん」
   『少佐……!?』
 
    アスランの表情と声が、僅かに歪んだ。
    最後の話し相手がコーディネーターの色男とはね、と溜息をつきながら、
 
   「斬れ」
   『――ああ』
 
    アカツキの撃墜とともに、オーブに近い、名もなき島の戦いは終わった。
    ロード・ジブリール逮捕のニュースは間もなく全世界に知れ渡った。平素の不敵な態
   度をかなぐり捨て、カメラに向けて呪詛の言葉を吐き出す姿は同胞であるはずのナチュ
   ラルにさえ嫌悪感を抱かせる。無様という以外に形容が見当たらないジブリールの末路
   は、ある意味ではデュランダルにとって理想的な終わりだった。敵と見なした相手に共
   通の認識を持ってくれたことは、コーディネーターとナチュラルの二者を纏め上げるの
   に大きな助けとなる。
    一方で全てが思惑通りに運ぶわけではないことも承知していた。地球に残るザフトや
   無理を通して割いてもらった連合からの人員をもってしても発見できなかったところを、
   たった数人のテロリストに決着をつけられてしまった。そういった面からデュランダル
   の手腕を疑う声も、決して少なくはない。
 
   「アスラン・ザラか……。君はどう思う?」
   「え? あの、あたしですか?」
 
    難しい顔をしたデュランダルに話を振られ、所在なさげにしていたミーアは思わず頓
   狂な声を上げてしまった。ラクスの影武者という急造の立場により、基地の内部に限り
   ほとんどの行動は制限されていなかった。
 
   「あの、難しい話はあんまり……」
   「構わないよ。むしろ、だからこそ聞きたい。普通の感覚では彼に対してどのような感
   想を抱くのか」
 
    プラントの議会での主な認識は父の後を継ぎナチュラル排斥に走ったというものだ。
   その中で、新しい考えが生じつつあった。その新たな意見が議会という狭い場に留まっ
   ているものではないことを、デュランダルは確認したかった。
    デュランダルが恐れていることは、アスランを支持する声が高まることだ。テロリス
   トに身をやつして世界の悪を討ったとなれば、一躍英雄として脚光を浴びる可能性すら
   あり得る。
 
   「その、彼は悪い人じゃないと思うんです」
 
    ふむ、とデュランダルは小さく頷いた。話を途切れさせぬよう、空を泳いでいたミー
   アの視線の先をじっと捉える。喉を少し震えさせ、ミーアはぽつりぽつりと続けた。
 
   「ユニウスセブンを落とした人たちも、彼と出会って変わっていったように思います」
 
    始めは自信なさげだったミーアの言葉だが、少しずつ確信を持ったように変わってい
   くのをデュランダルは感じた。
    大罪を犯した罪人に償いの機会を与え、自分は汚名を被ってでも悪を討ち果たす。ア
   スランの評価の変動の原因は、まさにそこにあった。
    それに合わせたようにザラ派の強硬路線は変化しつつあり、穏健派であるクライン派
   もそれを受け入れている。ナチュラルを敵とは見なさないまでも迎合を善しとはしない
   考えの人間は多く、徐々にアスランを高く評価する声は強くなっていた。
 
    裏方に徹してきたアスラン・ザラが放送ジャックという手段で表立って世界に一つの
   宣言をしたのは、それから間もなくのことだ。
 
    アスラン・ザラの“宣言”は纏まりかけていた世界に再び亀裂を走らせるに足るもの
   だった。長きに渡る暗躍は陽動に過ぎない。プラントで大手を振っていたクラインの目
   は、アスランにのみ注視していた。巨大な敵に注目しすぎているが故に、プラント議会
   そのものがザラという毒に蝕まれていることに気付かなかった。
    アスランが公開した情報はクラインの秘匿していた軍事技術だ。NJC搭載のMSを
   禁じていながらも裏では開発を進めていた事実が、蛮行とも取れる彼の行動を正義足り
   えるものにしていた。
    短い間に新たなザラへの共感を集めた中、最後に力強く彼は述べた。
 
   『ラクス・クラインを解放せよ!』
 
    宣言を終え、撮影をオフにしたとともにアスランは両の膝を付いた。何かの病気にで
   もかかったかのように全身は細かく震え、水でも被ったように汗が噴出す。小隊の隊長
   として号令を揚げるのとは訳が違う。世界に向けての、いわば挑戦だ。覚悟はしていた
   が、実行となれば重みが全く違っていた。
    かつてカガリをボディガードとして支えていたつもりだったが、何の役にも立ってい
   なかったのだなとぼんやり思う。
 
   「意外なものだね」
 
    最初に声をかけたのはヒルダだった。もともと過激な嗜好であるが故に、アスランが
   ラクスを討てと掲げるものだと考えていた。かつて信奉していたものに弓を引くことに
   抵抗はあったが、やり切れる自信はあった。それだけに、新たな主の示した言葉に拍子
   抜けをしたのもまた事実だ。
    呆け、やや時間を置いて視点の焦点を定めてからアスランは言う。
 
   「ラクスを殺すわけにはいかないさ。彼女は“平和の歌姫”だからな」
 
    例えクラインの神輿でありながらその利益を享受していたとしても、ラクスの風評は
   決して低くはない。クラインの悪行を暴いただけでは、彼女はただ偶像を利用された被
   害者だ。殺すことを宣言すれば多くの反感が返ってくるのは想像に難くない。
    感心するようなヒルダの態度を無視したかのように、アスランは言葉を続けた。
 
   「それに、生きていてもらわなければいけないんだ」
 
    担ぎ上げられた被害者であることが印象付けられた今、彼女が武力をもつことを他な
   らぬ彼女の信奉者たちが許さないだろう。全ての抵抗する力を取り除かれた歌姫に、自
   分がいかに無力であることかを思い知らせてやらねばならない。
    アスランは唇を吊り上げ、整った風貌が崩れるほどに引きつった笑いを浮かべた。
 
   『ラクス・クラインを解放せよ!』
 
    遠く離れたヘブンズベースの地で、デュランダルは執務室の机を拳で殴りつけたい衝
   動に駆られた。ミーアが怯えたのに気付かなければ、険しく変化した表情は鬼神のごと
   く変貌していたことだろう。
    長く間を取って深呼吸をし、デュランダルは表情を戻した。感情の熱がいくらか抜け
   ると、思考回路も冷却される。国内情勢を静観していたつもりではなかったが、ザラの
   活動を見落としていたのは失態というほかない。地球連合との新たな架け橋を作るべく
   奔走していたために、身中に巣食った小さな毒虫の存在を見落としてしまっていた。
    やはりラクスを強引にでもプラントへ送り、クライン派の制御を先にしておくべきで
   あったのだろうか。そこまで考え、IFに逃げてしまいそうになるのを踏み止まった。
    アスランの手立てが間違っているとは彼は考えていなかった。聖女を神輿に我が物顔
   で政治の声を大きくした膿を締め出すには、内外への逃げ道を完全に塞いだ状態でなけ
   れば意味が無い。今でこそクライン寄りの立場ではあるが、近い将来には自らの手で断
   罪を行うつもりですらあった。
    それでも諸手を上げてアスランを歓迎しようという気は彼には無い。それはたった一
   つの事象に起因する。
    苦々しさを多分に携えて、デュランダルは奥歯を強く噛み締めた。
 
    アスランは、ミネルバを落としたのだ。
 
    そこは、まるで別世界だった。
    四方の壁に窓はなく、ひとつベッドが置かれているだけの簡素な部屋には寒々しさす
   ら漂っていた。
    電気は通っていたが、照明は点けられていなかった。
    ベッドの上には一人の少年が蹲っていた。
    もとから色白であった肌は更に青白くなり、金糸の髪は藁のように痩せ細っていた。
    腕から通されたチューブだけが、彼を世界に繋ぎとめる鎖だった。
    彼は壊れた玩具のように同じ言葉を繰り返す。
   「ギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんな
   さいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめん
   なさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめ
   んなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルご
   めんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギル
   ごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさいギルごめんなさい」
    勇ましく戦場で叫び声をあげていた喉は潰れ、声らしい声ですらなかった。その痛み
   も忘れ、同じ言霊だけを唱え続けていた。
    涙など枯れ果てていた。嗚咽の時間すら惜しむほどに、彼の言葉はひたすらだった。
 
    レイ・ザ・バレルは、立ち上がることができずにいた。
 
 

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