Start Up Altered

Last-modified: 2009-01-09 (金) 19:00:15

 負けた。でも戦争は終わった。

 

 だからそれでいいと思ったんだ。どういう形であれ、世界は平和に向かって歩き始めていたから。プラントで連中の下に入る事に、何も感じなかった訳じゃない。でも、もう向こうが”正しく”なってしまった。ここで反旗を翻して、収まりかけた戦火を広げてしまうのは、本当に本末転倒だから。言われた言葉に不満が無かった訳じゃない。打ち立てられた体制に不満が無かった訳じゃない。でも俺は世界を平和にするために生きて来たんだから、この結果は”間違っていない”はずだから。

 

 もう不要だったんだろう。たぶん唯一出来る事を投げ出してしまったから。

 

 胸に空いた穴から色んなものがこぼれていくのをただ見つめている。その時はてっきりモビルスーツの中だと思っていたから、不思議な気分だった。
 ここでおしまい。自分が本当に欲しいものもわからず、自分が本当に信じられるものを見つけられず、ただ流されるままに戦い続けたバカな生涯はここでおしまい。
 失ってばかりで辛くて苦しいことばっかりだった人生も、ここでおしまい。
 後悔は当然あるし、未練もたくさんある。
 だけど、心のどこかでこれで楽になれるっていう気持ちが確かにあって。
 思っていたより、ずっと清々しい気持ちで、俺は幕のつもりで瞼を閉じた。

 
 
 
 
 
 
 

 ……うん。ここで終わるはずだったんだけどさぁ。

 
 

「今日から新しいお友達が、このクラスにやってきまーす」
 父さん母さんマユ、見てますか。見てるんでしょうね。出来れば見ないでください。
 俺、今日から小学四年生になるんです。

 
 

”何のための命なのか ――Start Up Altered ――”

 
 

 その身は負け犬。信じたものを失って、信じたものに裏切られる。
 牙を抜いて爪を折った小さな子犬。
 今日も独りで歩いてる。

 

 とぼとぼとぼとぼ、歩いてる。

 
 

///

 

「――ああ。そういえば、彼の様子はどうだね。ようやく手に入れた安寧だ。謳歌してくれているといいのだが」
「どうも暇を持て余しているようです。まあ当然と言えば当然ですが」
「彼もなかなか忙しい人生だったからね。これからの事はゆっくり決めていけばいいさ。……そうだ。もう一つ。何故彼にあの世界を紹介したのかね? あの世界は危険ではないが、少々周囲にイレギュラーが多すぎるだろう。本当に平和に過ごさせるのならもっと適した場所はいくらでもあると思うのだがね」
「ああ、それですか。偶然ですよ。俺も知った時は驚きました。まさかエース級が周囲に三人も居て、かつ同じクラスだとは」
「そうか偶然か。ならば仕方がないね」
「はい。仕方ないでしょう」

 

「……本当にそうかい?」
「さあ、どうでしょう?」

 
 

///

 

 ――もし。第二の人生、なんてものが与えられたら?

 

 シン・アスカという名前の付いた人間は、現在十歳であるらしい。この世界において十歳という年齢の子供はいわゆる義務教育期間なるものらしく、小学校と呼ばれる教育機関への参加を義務付けられるそうだ。当然シンも例外でなく、参加している。だって十歳だから。元の年齢が何歳でも、今の肉体年齢は十歳なのだから。

 

 ……何でだよぅ。

 

 そんな風にこの小学校に転入してからというもの、既にちょっとした日数が経過していた。現在の時刻は夕刻。教室の中は夕陽の光で満たされているが、音を提供する存在は皆無である。どこか遠くや、窓から見下ろせるグラウンドにてクラブ活動に勤しむ学生たちの声が微かに響いてくる程度。そんな中でシンは一人居た。
 小学生に値する年齢は、いわゆる”子供”である。無知であるが故に勇敢であり、未成熟であるが故に無垢である。例外はあれど概ねその思考は前向きで、理想や夢にあふれている。故に容姿もその内面に準じたものとなる。
 ただし教室で一人突っ立っているシンの顔は多少の例外など吹き飛ばしかねないほど不景気な面をしていた。血色が悪い訳ではない。致命的なまでの無気力さが外見に影響を与えているのである。
「はぁぁ――――ぁぁあ……」
 質量をもつかの如く重い溜息をついて、シンはバケツやホウキ、雑巾といった掃除用具の類を片付けにかかる。請け負った掃除も終わってしまった。これらの片付けもそう時間がかからずに終了してしまうだろう。それが今のシンにはたまらなく嫌だった。とはいえ手を止める理由にはならないので、シンはまとめた道具をロッカーへと詰め込む作業を開始する。間も無くそれらは滞りなく終了する。丁寧に整頓された用具を眺めながら、シンは再度重苦しい溜息を吐いた。
「…………もう。すること、ないな」
『うわーお暗ーい』
「うるさい。喋るな」
『いーじゃーん。どーせマスター以外にゃ聞こえないしー』
「俺がうるさい事に変わりはないだろ」
『ぶー。ケチー』
 再度言うが、シンはこの教室に一人でいる。そもそも下校時刻を過ぎた教室に生徒が残っている訳がない。本来の掃除当番である”クラスメート”達もとっくに帰ってしまっている。じゃあシンは誰と会話しているのか? 別に精神を患っているとかそういうアレな理由ではない。やる気というか活力の類は皆無だが、心身ともに一応問題はない。ちなみに”肉体”は必要以上に健康体である。

 

「うるさいって言ってるだろ、いいから黙ってろアルタード」
 インテリジェントデバイス・アルタード。最近シンに頭痛を提供してくれる素晴らしいアイテムである。それはこの”世界”に存在する理、魔法と共にある道具。簡単に言えば魔導師の杖だ。魔法という”技術”は、この”場所”ではあまり公になっていないが、別の場所では大々的に発達している。故にデバイスという存在は極めて珍しいという訳でもない。一介の小学生が持つには不釣り合いなオモチャではある事は確かだが。
 問題なのは普通なのが名前だけで、その機能の在り方が極めて特殊であるという事だろう。デバイスというものはストレージ、インテリジェンス、アームドと種類こそあれど、結果的に”道具”である事に変わりはない。あくまでも魔導師が”持つ”もの。
 しかしアルタードと名づけられたデバイスはその規格から大きく外れる。

 

 ――休眠状態から起動状態へ。外装を構築。

 

 シンの身体を赤い光のラインが幾条も駆け巡る。同時に右手の先で発生した赤い粒子が急速に収束し、カタチをつくる。まずは右手に装着される形でシンプルな形の手甲が形成された。そして握った拳の中から伸びるように、武器としてのカタチが発生する。一秒の時間も有さず、起動状態へ移行した”アルタード”がその姿を現した。
 それは単純に剣である。全体を黒、刃とその他の一部は赤に塗り分けられた、片刃の剣。それはかつてザフトのフラグシップを務めた機体の持つ対艦刀と微妙に似通っていた。ただビームによる刀身を構成していた対艦刀と違い、その剣には赤い実刃が付いていた。

 

「何回見ても思うんだけど。これ杖じゃなくて剣だろ」
『まーこの身は持ち手たるマスターの意識に大分影響されるかんね。前の世界で剣型の武装よく振り回してたからそのせいでないの? カリバーとかアロンとか』
「そしてお前は無駄によく喋るよな……」
『つーかこの程度割りかし普通なんだなー。アームドの連中はまー当然としてもインテリやストレージでもぶっ飛んでるやつぁぶっ飛んでるしさー。それこそこの身の何倍にも。そう考えっと結構この身は普通の域な訳さ。形態に攻撃的なのが多いっつーかそればっかなのは単にマスターの血の気が多いだけじゃね。いくらやる気がゼロになったからってその人物を形成している根幹はそう急には変わらんもんさぁ』
 何かもう答える気力も失せ、シンは何度目とも知れない溜息をついた。そう言われても魔法なんてファンタジーな代物に慣れていないのだから仕方がない。価値観が無いのだから判断基準も作りようがないのだ。
 ただ価値観が無かろうが判断基準が無かろうが、それが”自分の肉体と完全に融合している”ことが”異常”だとはわかる。アルタードに待機状態のカタチが”存在しない”のは、その異端というべき特性の産物だった。
「…………でもなあ。こんなもん持たされてもなぁ」
『あーひっでー。この身はこれでも超高性能だっつーのに。管理局のヒラ局員の給料じゃ三生かかっても手の届かない機能満載してるんだぜー』
 ケタケタケタと頭の中で声がする。シンは自分の”半身”の声には返答せず、手にした剣を左右に振ってみたり、揺らしてみたりと弄ぶ。
「まあどうでもいいけど…………あー、どうしようかなあ。掃除終わっちゃったしなあ。まだ暗くなってすらないし……何して時間潰そうかなあ…………」
『訓練とかすりゃあいいじゃん。マスターがプロフェッショナルなのはあくまでMS戦絡みだけで魔法絡みの技能は半人前もいいとこだし。プラス正直に言ってマスターはまだこの身を全然さっぱりまったくこれでもかってほど使いこなせてないんだけど』
「そんな事して、何になるんだよ……ザフトに居た頃ならまだしも、今の俺はただの小学生だぞ…………力なんて、持つ意味がないだろ」
 投げやりな口調になりながら、シンは頭の中に響く声に返答した。軍人だった頃ならともかく。無様に生き延び、命を持て余して、生きているのか死んでいるのかわからない気分のまま日々を過ごす小学生に”力”なんてものは必要が無い。意味がない。理由が無い。
 そう。そう認めきってしまえば何の問題もないのだ。

 

『役に立ったじゃん。この前もさ』

 

 舌打ちをしていた。事実を直に突き付けられたせいだ。このデバイスは本当の事しか言わない。結局悪いのは自分自身だと、シンは自分でわかっている。
 シン・アスカはまだ未練があるのだろうか。何もしていない人は守られるべき。自分の力でそれを成すという馬鹿げた幻想を。それはあんなにわかりやすく、かつ徹底的に砕かれてしまったというのに。
『名前何だっけこの前潰した連中――まあ名前どうでもいいや。あんときだってマスター逃げようと思えば逃げられたのに戦ったじゃん。最後の一人まで徹底的に追い詰めて粉砕したじゃん。ああマスターの好きな表現だと”薙ぎ払う”だっけ?』
「あれ、は……しょうがなかっただろ。ああするしかなかったんだ」
『でもそれ”ただの小学生”にゃあ関係ないよねえ? タダノショウガクセイってのはこの身の知る限りそう言う時は逃げ惑ってまず自分の身の安全を確保してもっと大きい力にすがり付くのが正解だと思うんだよねえー』
「放っておけばよかったっていうのか!?」
『うんにゃあ? ただマスターが手を出す必要はなかったよねって話。確かにマスターはあの時一番近く、一番速く手を伸ばせる位置に居たけどさあ。それだけじゃん。力が不要だってんなら使わねえ方がいいんじゃねえのかなあ。この前に限ったときじゃなくて、その前も、そのまた前もそう』
「…………うるさい」
『下手に首突っ込むから管理局にもそろそろ嗅ぎつけられるしさあ。まあこの身としては派手にドンパチする事に異論は全くねえんだけど。別にフツーの人間として生きたいってんなら反対する気もねえのな。あの金髪もマスターが戦う理由を亡くしたって知ってるからこそ今の生活用意してくれたんだろ?」
「……………………うる、さいっ」

 

『今の宙ぶらりんを続けるにも限界ってのはあるんだぜ。今はマスターの特性とこの身の性能でゴリ押ししてるけど。戦い続けるのか。その輪から外れるのかくらい決めておいてもいいんじゃね?』
「うるさいッ! いいからもう黙ってろ!!」
 力の限り、手にした剣を眼前の掃除用具入れに叩きつけた。剣は掃除用具にぶち当たると同時に赤い粒子となって溶ける様に空気中に霧散する。刃を設定していなかったのでロッカーは真っ二つにはならなかったが、インパクトの瞬間に質量は叩きつけられている。綺麗に整っていた掃除用具が、けたけましい音を立てながら周囲に散らばった。
 肩で息をしながら、シンはがっくりとその場に膝をついた。頭が痛い。寒気がする。眩暈がする。頭痛がする。

 

――君は、一度死んでいる。

 

「わかってるさ。今の状態が中途半端だってことくらい……」

 

――新しい肉体に、記憶と人格をそのまま移植したのが今の君だ。

 

「だけど、こんなっ……」

 

――つまり、君は二つ目の命を手に入れた事になるね。

 

「どうすればいいのか……どう生きればいいのかわからないんだよ!!」

 

 一番近くにあったバケツを思い切り殴り飛ばす。気が動転していたせいか、普段なら無意識にできている筈の手加減が外れ、バケツの側面が拳の形に陥没した。金属製のバケツは教室の壁や誰かの机等に数回ほど衝突し――やがて残響を残しながら静止する。

 

「………………何やってんの?」

 

 不意打ち気味にかけられた声で、不自然なほどにシンの身体がビクゥと硬直した。身体中から嫌な汗が噴き出るのを感じながらシンはゆっくりと声の方――教室の入り口へ首を向ける。一人の女子生徒がぽかんとした表情で立っていた。
 しくじった。時間帯に油断しきっていたのがまずい。アルタードが起動しているのを見られていると一気にややこしい事になる。
(てか、誰だ……?)
『アリサ・バニングス嬢な。クラスメートくらい覚えとこうぜマスター……あれー? 何じゃこりゃー?』
 アルタードからフォローが入る――語尾が変だった気もするが、普段から突拍子もない事を言い出すデバイスなのでいちいち気にしていたらきりがない。
 さておき。
 そんな風に言われてもシンは学校生活に注意を傾ける気にはならない。確かに肉体は十歳だが、中身はもっと年上なのだから。
「……いつからそこに? てか、何で居る。下校時間、過ぎてるだろ」
「今。忘れ物取りに戻ってきただけよ。そしたら何かちらかってるし、あんた崩れ落ちてるし……何、顔色悪いけど大丈夫?」
 シンに話しかけるアリサの態度に不審な点は無い。あくまで様子のおかしいクラスメート程度としか認識されていないようだ。どうやら起動させていたアルタードは見られなかったらしい。
「……いや大丈夫。片付けてた掃除用具をひっかけて散らかしちゃっただけ」
「掃除用具? あんた今日掃除当番だっけ?」
「違う。代わってもらった。何か用もあったみたいだし、ちょうどよかったよ」
 手加減無しの一撃で盛大にへこんでしまったバケツをアリサの視界に入らないようにそそくさと回収しながらシンは答える。何とかごまかせそうなのに、このバケツを見られては台無し極まりない。
「用?」
「何か今日ゲームの発売日だとか言ってたなあ」
「それ思いっきりいいように使われてるんじゃない?」
 バケツはひとまずロッカーに入れておく。この後にでも同じバケツを用意してこっそりすり替えておけば問題ないだろう。他の用具も大体仕舞い終え、ぱたんとロッカーを閉める。少し立て付けが悪く感じた。明日にでも工具を持ってきて調整しておこうかなどと考えてみたりする。

 

「いや俺から言いだして代わってもらったんだよ。暇だからさ。帰ってもする事ないし」
「……ふーん。物好きね」
 呆れたような顔で見られた。まあそうなんだろう。普通こういう年ごろだとやりたい事でいっぱいの筈だ。思い返せば確かにシンもそうだったと、思う。ゲームしたり、マユと遊んだり――とにかく毎日を楽しく充実させるために動き回っていた気がする。
『んあー? 何だこれー? っかしーなぁ』
 おかしいのはお前の人格だ、とシンは心中だけで呟いた。
 まあ今となっては特に趣味らしい趣味もなく、住処に戻ってもぼんやりする事しか出来ない。ただぼんやりしていると色々と余計な事を考えてしまうので、とにかく何かをしていたいのだ。自分の席に戻って、座る。窓の外ではグラウンドで運動クラブの面子が動き回っている様子が見える。ああいうのに入ればもう少し何もしない時間が減るのだろう。ただどうにも入る気にはならなかった。たぶん、いや絶対馴染めない。いくら身体の時間
が巻き戻っていても、シン・アスカという人間がやってきた事はまだ記憶としても事実としても残っている。つまりは致命的に住む世界が違うのだ。
「帰んないの?」
「次何しようか、考えてから帰る」
 アリサが帰ってから偽装工作(バケツ隠ぺい)の続きをする事はもう確定している。今考えているのはその次にする事だ。
「何、友達とかと遊べばいいじゃない」
「……友達ねえ」
「居ないの?」
「居るよ。とびっきりのが。でも住んでるところが遠いんだ……ついでに立ってるところが全然遠い。向こう、凄く前向きだから」

 

 ――確かに今俺達が置かれている状況は、とんでもなく馬鹿げている。ただチャンスでもある。だから生きてみようと思う。生きて、やるべき事を見つけてみようと思う。

 

「参るんだよ、本当……何か凄い置き去りにされてる気分で……」
『ちょいちょいと。顔みしり程度のクラスメートに愚痴ってる訳だが。いいんかい』
 アルタードの言葉で状況を自覚する。なんとまあバカ丸出しな事か。不景気なツラで周囲に違和感を振りまくだけでは飽き足らず、下らない泣き言まで吐き出そうとは。
「……あ、悪い。変な事、言った」

 

「…………ちょっと、わかるのよね」

 

「は?」
 アリサもシンと同じように席に座り、ギイギイと椅子を鳴らしながら揺らす。
「友達がいるのよ。でもね、少し前から住む世界が少しずれちゃったの。向こうにそんな気が無いのは、勿論わかってる。そういうこと、考えもしない子だって、私ちゃんと知ってる。ただ一生懸命だって、知ってる。でもね置いてかれてる気が、するのよ。今日だって、約束があったの。用事ができたらしいけどね……」
 正直、言葉に詰まった。話が何か予想以上に深刻そうだったし、語るアリサも表情に影が落ちている。シンは今の生活にあまり興味はないが、周囲をまるで見ていない訳ではない。アルタードに名前を言われてから思い出したが、シンの知る限りこのアリサ・バニングスという少女は活発な部類に入っていたように思う。
(……最近の小学生も、何か色々大変なんだな)
『いやこの子の精神年齢がとっても高いだけだと思う。小四とか普通頭カラカラよ』
 だよなあ。
「――ごめん。あんたに言う事じゃないわよね」
「いや、こっちも変な事言ったから、おあいこでいいだろ」
「そうね――もう帰るわ。また明日」
 今の話を聞いて色々と思うところはあったが、何も言わなかった。いや言えなかった。シンのような汚い人間が口を出していいとは思えなかったし、足しになるとも思えなかったから。だから席を立ってこちらに手を振る少女に手を振り返しながら無言で見送る。
 また明日と返す気にはなれなかった。今のシンは気持ちも、立場も、その存在すらも、曖昧で定まっていない。明日もここに居るかどうかはわからなかったから。

 
 

 バケツを校舎内の適当な場所に隠してから、靴を履き換えた。後は同じものを調達した後、夜中にでもにすり替えに来ればいいだろう。警備システムは掌握してあるし。
「帰るか……」
『んー? あー? 気のせいかなあ……って、マスター。暇潰しはおしまいかい?』
「まあな。とりあえず部屋に戻って料理でも作る。適当に凝れば、時間も潰れるだろ」
 ホームセンター以外に、スーパーによれば更に時間も潰れるしと呟いて、シンは茜色の世界の中を歩き出す。暇つぶしにチラシや新聞を熟読する癖が付いたせいか、今のシンは特売の時間帯や日々の価格変動に主婦並に敏感になっていた。その変貌(堕落)ぶりには何度目とも知れない溜息をつくほかない。
 適当なあたりをつけ、店を選ぶ。距離は関係ない。むしろ遠い方が時間が潰れるからいい。ただ今日は擬装用のバケツ調達の用もあるので、それを考慮する。
 そんな風に考え事をしながら歩を進める。更に五分ほどして、普段ならひっきりなしにしゃべる半身が異様に静かな事に気付く。
「アルタード。お前何かさっきからおかしくないか?」
『んー……まあたぶん気のせいだと思うんだけどなあ……まあなんでもなーい』
「ふーん」
『ところでさあマスター。

 

 いくらなんでも小学生に手を出すのはどうかと思うんだよ、この身は』

 

「いきなり何を言い出すんだお前は」
『だってさっきフラグたててたじゃん。絶対ピコーンとか言ってるよさっきの。あ、でもマスターも今小学生だから大丈夫なのか!? 合法ロリコン!?』
「お前本当に黙れ!!」
 往来であるにも関わらず、シンは我を忘れて絶叫していた。周囲に居た人間――学校帰りの”同類”やら、帰宅途中のサラリーマン、買い物帰りの主婦等々が何事かといった目をシン(小学生)に向ける。バツが悪いままゴホンと咳払いし、シンは何事も無かったかのように歩き出した。
 こういう場合、下手に騒げば騒ぐほど余計に注目を集めてしまう。しばらく大人しくしていればまた街の風景に溶け込める筈だ。ただ下手にアルタードに関わるとまたさっきの様になりかねない。意識からアルタードを追い出すよう心の防壁を貼り、シンは黙々と歩きだした。
『やっぱ気のせいだよなあ。あいつがこんなトコいる筈ないもんなあ。つうかあいつまだ生きてんだっけ? それにマジに居たらこの身にはわかる筈だし……』
 だから、その後のアルタードの呟きをシンは聞いていない。聞いてはいたが、意識には入れないようにしていた。故に、その単語を聞き逃す。

 

『……………………懐かしいなあ。この身以外の”エンシェント”、か』

 

///

 

 今のシン・アスカが一番怖いもの。
 その名を週末という。

 

 何という事でしょう。普段は(興味がないとはいえ)学校という朝から夕方まで時間を消費させてくれる教育機関に行く事が出来ないのです。
 元々シンは軍人の割に生活リズムはルーズだった。寝坊してルームメイトに叩き起こされた事が何度かある程度には。ただ今は軍人ではない。故に最初の頃は、休日等は丸一日寝ていようかなどとも思っていたし、そうしようとした。だが皮肉な事に今の身体は前よりも効率よく休息するらしい。ある程度寝てしまうともう眠気が起こらない。
 一応一人暮らしなので家事等もあるにはあるが、それでも半日潰せればいい方である。元々一人暮らしの経験があるせいもあり、最近は必要以上に要領よくなってしまった。
「…………わあ真っ暗だあ。何でかなあ。そらはこんなに青いのになぁ」
『マスター暗い。半端無く暗いから。今通りかかった兄ちゃんギョっとしてたから』
「、ははっ」
『病んでやがる……見失いすぎたんだ……』
 既に恒例化してしまった馬鹿なやり取りはさて置いて。シンはふらふらと街を徘徊していた。特に行く当てもなければする当てもない。たまに視界に入ったら脊髄反射で店に入り、適当に物色してから再度徘徊するという行為を繰り返していた。
(…………平和だな。ここ)
『そりゃあね。つうかマスターの居た世界が異常だと思うんだわ。そらここでも前に戦争起きたりしてはいるけど、向こう程理由歪んでねえからなあ。汚い思惑とかじゃなく条件反射で向こうの民族気に入らねえから殲滅しようぜって結論に至るとかさあ』
(……はー……居辛いんだよなあ)
『おー、元ソルジャーっぽいぽい。でも目がやべえ。死んだ魚ばりに濁った眼とかまさか実際に見るとか思わなかったよこの身。微妙な形とはいえ生き延びたんだからもう少し嬉しそうに日々を過ごした方がいいとこの身は進言してみたりするんだわ』
(…………)

 

 もう疲れたから返事はしない。何となく目についたゲームセンターに足を踏み入れる。人声、放送音声、ゲームの筐体の放つ音声と、通常より高めの複数の音声が一気に聴覚へ流れ込んでくる。聴覚を蹂躙せんばかりの大音量に思考がじんわりと侵される感覚。BGMと混じり合っているせいで、他者の音声に対して感覚が希薄になる。
『あっ! 今のコ可愛かった! マスターバックバック! 声かけよう!!』
 でもこいつの声はまるで薄れないのだから困る。本当に困る。
 誰でもいい。こいつ何とかしてくれ。そうすればもう少し負担が減る。具体的には胃と脳の負担が。ハハハーとシンが不気味に笑っていても、環境のせいで特に注目される事は無い。ここへ来る人間はおそらく楽しむために来ている。だからこそ、それ以外の事象に対して感情が希薄になる。故に多少の異常など見て見ぬふりをされるのだ。
 適当なクレーンゲームを見繕い、ポケットの財布から硬貨を取り出して投入する。ボタンで操作された通りにクレーンが稼働し、景品である無駄に大きいぬいぐるみへと向かう。アームが先端を開きながら下りる。掴む。掴めない。戻ってくるアーム。景品が獲得できなかった事を伝えるSE。硬貨を投入する。アームが動く。景品が掴めない。SE。戻ってくるアーム。投入される硬貨。アーム。SE。硬貨。アーム。SE。硬貨。アーム――
「それ、絶対取れない位置にあると思うんだけど」
「だよな。無駄だよな。傍から見てればたぶん無駄だって直ぐ気付いたんだろうな。でも実際に向かい合ってると、それがどれだけ無駄な事なのか見えないんだよな。何でだろうなあ。バカだからなのかなあ……」
 硬貨(原因となる発端が)が投入されて。
 アーム(各地で戦場)が動き。
 SE(たくさんの犠牲者)が次への布石になる。

 

 ――ほんとうに、ばかげてる。

 

「ちょっと。見ててイライラするから止めてくれる?」
「はぁ? イライラ? お前でもそんな事にな――――、あれ?」
 アルタードが精神の不調を訴えるなんぞ珍しい事もあるものだと思って、事態の異常に気付く。シンは先ほどからアルタードと会話していると思いこんでいた。シンは基本こんなところで遭遇するような知り合いは居ない。学校なら兎も角。プライベートのシンに話しかけるのはアルタードくらいなものだ。だが常にクリアにシンの意識に直接響く筈の声は、”肉声”の様に騒音に疎外されているかの如く聞こえてくる。
 顔を横に向ける。
 少し前、たまたま放課後の教室で会った少女がそこに居た。
「……、……アリサ・バニングス? こんな所で何してるんだ?」
「それは私のセリフでもあるわね」

 
 

「ふーん……暇潰しねえ」
「そーよ。ただの暇潰しよ。他意なんて無いわ。あんたに会ったのも偶然ね」
「へー……」

 

 ちょ、あの子達すごくねえ!? ゲーム初めて三十分経ってんのに互いに一発もくらってねえ! ああああ!? あの肉眼で捉えるのは不可能と言われた特殊技を全弾直ガード!? なんなの最近の子供ってあんなバケモノなの!? つうか画面内が目まぐるしくて……俺なんか酔って、き……  スズキ――――ッ!!

 

 ……スズキさん? は大丈夫だろうか。とシンは心中で呟いてみる。
 気の狂ったリズムゲーム及びタイミングゲームばりの速度でジョイスティックと複数のボタンをズダダダダン! と操作しながら、シンはぼんやりと考えていた。
(それにしても……”性能”任せで連射してるのについてくるなんて、よっぽどゲーム上手いんだな、バニングス)
『やりこんでんじゃね――おおっとォ右左右右右上上上ガードコマンドコマンドコマンドオオオオオォォ!!!! ――まあここまでついてくんのは若干いじょコマンドオオオォォォ!!!!!!!』
 普通にうるせえ、こいつ。
 頼んでもいないのにアルタードは筐体内の電気信号の流れから相手の次手を読み取ってシンに伝達してくる。無視するのもそれはそれで面倒なので、シンはアルタードから流れ込んでくる(流し込まれているともいう)行動予測に従いひたすらに手を動かし続ける。
 というか何故ゲームしているんだろう。
『どうせ暇ならちょっと付き合いなさい。言っとくけど、わざと負けたらもう一回ね』
 つまりはそういう事。この面倒な事態を終わらせるためにシンは勝たないといけない。だからシンは大人げないと自覚しつつ、ほぼ全力(チート込み)でゲームに挑んでいる。
 なのに勝負が付く様子は無く、もう大分時間が経過している。ダメージの低さと防御の豊富さから長引くことで評判なゲーム(情報提供アルタード)とはいえ、ここまでとは完全に予想外だった。

 

(まあいっか。結果として時間は潰れてる訳だし……)
『よーし! そこで超必だああああああぁぁァァ!!!』
 半身が通常の三倍うるさいのは勘弁してほしいが。ただ確かにタイミングとしては正しい。スティックを折らんばかりの勢いで動かし、後はボタンを押せば、選択したキャラの最強技が発動――せず。変に硬直したところを神業がかった連続コンボを叩きこまれ。かつお返しの様にと決まる向こうの最強技。フルだったはずの体力はみるみる減少し、やがてゼロへ。画面に表示される『Your Lose』。
『Oh――――No――――――――!』
 アルタードの絶叫が(シンの脳内のみで)その場に木霊する。発音が無駄に良くて少しイラッとした。不本意ながら集めてしまったギャラリーからは決着を見届けての溜息や呟きなどがさわさわと聞こえてくる。
「ちょっとあんた、今わざとやったでしょ」
「いいや」
「……うそつきなさい」
「気付いただけだよ。これも無駄だろ」
 踵を返して出口へと歩き出した。ギャラリーの輪はもう無い。人の流れを縫うように歩き、出口に辿り着く。外に出た瞬間、視覚を満たした茜色に軽く目をしかめる。いつの間にか夕方になっていたらしい。
「……暇潰しにはなったからいいか」
 ハハと自虐気味に笑いながら、シンは当てのない徘徊を再開するために一歩踏み出した。
『マースター。呼ばれてるけどー?』
「……俺には聞こえないからきっと気のせいだろ」
『この身小学生相手に捻くれるのは大人げないと思いまーす』
 もう一度、口元だけで笑う。

 

「いいだろ別に。今は俺も、小学生なんだからさ」

 

///

 

 割と死にそうな目に会えば、C.E.に帰ることはできたらしい。
 最初、シンは帰るつもりだった。訳のわからない身体になっているとはいえ、あの世界を平和にしたいという思いは当然残っていたし――というより、それが唯一の拠り所だった。シン・アスカは被害者である事を捨て、加害者を狩る側に回った。最後(負ける)まで自分が加害者になる事の意味を理解できなかったが、それでも始めた事に責任はある筈だから。だから、どういう形でも生きているのならそれをやり遂げるべきだと思った。
 俺のその言葉を聞いた半身は、

 

 ――戦争? 終わってるよん。向こうはもう平和になってから80年位たってるねえ。

 

 前が解らなくなった。左が解らなくなった。下が解らなくなった。後ろが解らなくなった。上が解らなくなった。右が解らなくなった。
 何もかもが、わからなくなった。

 

 ――まー完全な恒久平和にゃ程遠いけど。マスターの知ってる時よりゃだいぶマシなんでない? とりあえず武力は今お呼びでねえよ。今求められてるのはテーブルの上で上手く相手をだませる狸かね。あと罪償うにしても10歳の子供が80年前の罪訴えても誰も相手にしてくれねーと思うぜー。

 

 燃え尽きる前に、抜け殻になってしまった。何をすればいいのかわからない。何を目指せばいいのかわからない。与えられたものはシンの小さくなった手には余りあるもので、どうすればいいのかわからない。一時期は錯乱寸前になり、自分で自分に始末をつけようとすらした。どうせ一度死んでいるのだから、別にもう一度死んでも何の問題もないとすら思っていた。
 まあその時は親友に思い切りブン殴られた訳だが。

 

 時刻は夕方。そろそろ空の茜色が黒に浸食される兆候を見せ、もうじき夜が来ることを表している。そんな風に空が変わる様子を、シンは公園のベンチに腰掛けてぼんやりと眺める。相変わらず暇な時間をどう潰していいか見付けられず、外をひたすらブラブラ歩きまわっていた。昨日の様な事になるのは御免だったのでなるべく人の少ないところである。
「そろそろ戻るか。アルタード、晩飯食いたいもんとかあるか?」
『ま』
「満漢全席は古い」
『……………………………………』
 勝った――シンは微かな優越感を覚えながら、立ち上がって大きく伸びをする。一日中歩きまわっていた割に身体に疲労は感じない。これも持て余しているものの一つ。
「さて。本当に何にしようかな…………とりあえずスーパー行ってから考えるか……」
 一番近いスーパーは何処だったかと口の中で呟きながらシンはとりあえず住処にしている部屋の方向へと歩き出した。
 歩く。速くもなく遅くもない。急いでいるわけでものんびりしているわけでもない。今現在のシンを現すかのように、どちらでもない中途半端な状態で。
「……奇遇ね」
 声をかけられた。反射的に視線を正面に向ける。少女が居た。またかと呟く。
 腰まで伸びる金の髪。僅かにつり上がった瞳。後ろ手に大きな包みを持っている。
 口をへの字に曲げたアリサ・バニングスがシンの行く手を阻むように立ち塞がっていた。
「えぇー……」
 普段の気だるげな様子も忘れ、シンは思い切り顔をゆがめて呻いていた。教室と昨日は完全に偶然なのだろうが、今回の遭遇は何らかの意図があるのは明白だった。
 今のシンにとって、そういうものは本当に遠慮したい。他人と関わっていられるほど余裕がないのだ。だって日々を平穏に過ごす事も出来ないのだから。
「私、後ろ向きな考え大嫌いなのよ」
 シンが返答に困っていると、アリサが持っていた包みを放り投げた。ゆるやかな放物線を描いたそれをシンは条件反射でキャッチする。何事かとアリサを見れば、視線だけで開けろと伝えてくる。よくわからないままシンは袋を開ける。
 中に入っていたのは、無駄に大きいサイズのぬいぐるみ。ちぐはぐな顔のパーツ。やたら左目の大きいとっても不細工な黒い犬のヌイグルミ。
「これ、まさか……」
 それは昨日のゲームセンターでみかけたもの。絶対に取れないと決めたうえで、取ろうとしていたヌイグルミ。シンが無駄の象徴にしていたヌイグルミ。
「無駄じゃなかったみたいね?」
「…………それ言うためだけにわざわざ出向いて来たのか。暇なんだな、アンタ……」
 ふふん、どうよ? と得意げな顔のアリサと対照的に、シンは苦虫を噛み潰したかのような顔で吐き捨てるように返答する。
「予定あったんだけど、中止になっちゃったから。だから昨日の不戦勝のお返しよ」
「何だよ、それ。まさかこれ取るために一日潰したなんて言うんじゃないだろうな」
「そんな訳ないでしょ。半分はあんた探し回ってたのよ」
「勿体ない時間の使い方するなよ……」
「うるさいわね。私の時間をどう使おうと私の勝手じゃない」
 全身から力が抜けるのを感じる。理解ができない。こんな抜け殻を見返すために一日を潰すなんて。他にもっとやる事があるだろう。有意義な生き方が出来るだろう。眼前の少女はシンみたいな錆びついた人間とは違う筈なのだから。
「もういい。わかった」
 ぬいぐるみを袋にしまい直し、アリサに向かって歩き出した。微かに警戒の色を見せるアリサの前で立ち止まり、袋を掲げる。
「もう遅いから、送る。それで貸し借り無し。こういうの、これっきりにしてくれ」
 かつて空を満たして茜色は消え、代わりに黒で覆われている。

 

「じゃ、私の勝ちでいいのね?」

 

 少女が無邪気に笑う。それは真夏の太陽を連想させるような”善意”。
 それがどうしようもなく眩しくて、シンは反射的に目を背けていた。

 
 
 

『送り狼。若い女性を親切げに家まで送るとみせかけすきがあればらんぼ』
(それ以上喋ったらお前との付き合い方本気で改めるからな)
『ひゃひゃひゃ。じょーだんじょーだん。マスターにそんな度胸が無いことくらいこの身はちゃんと理解しているのですよ。現に今もクレープ奢らされてるしな』
(うるさい黙れ沈黙しろ)
『意味重複してんぜ……ところでさあ。行動パターンも読めないくらい交流の無い他人を当てもなく探し回って見つけられる確率ってどんくらいだと思う?』
(はあ? 何だそれ)
『んん、アリサ嬢は何でマスターを見つけられたんだろうねってお話』
(そんなのただの偶然だろ? 半日かかったって言ってただろ。それに向こうは現地人だからな。新参の俺より土地勘あるんだろ)
『ふーへーほーん。まーマスターがそれで納得してるんならそれでいーけどぉー』
(……何だよ気持ち悪いな。言いたい事があるならきちんと言えよ)
『んーんべつにー。しっかしイグニスの祖のくせに年月経ってどっかボケたんかねぇ。なんでこんなことになってんのやらまーよくわかんねーけど』
(俺はお前がよくわかんないんだけど)

 

 次の言葉は、シンに聞こえないように。

 

『マスターの腹括らせるにゃあ、ちょーどいいかもねえ』

 

///

 

『本当に心配したんだからね……!?』
「ごめんね、心配かけて」

 

 電話の向こうで親友(月村すずか)がえらく憤慨していた。アリサは苦笑いしながら一方的に謝罪の言葉を並び立てる。連絡もせずに家を抜け、日が暮れるまで外出――つまり今日一日失踪したようなものなのだから、言い訳出来ないほどアリサが悪い。
「勘弁してよ、ね? 親にも電話で散々お説教されたのよ?」
『もうっ。こういうのはこれっきりにしてね』
 偶然だろうけど、今日その言葉を言われるのは二度目。一度目は、数日前から何の縁か数回遭遇したあのクラスメイトが言ったその台詞。
「そっか。今日一日あいつにあげちゃったのか。勿体無いことしたかも」
『?』
「ま、いっか」
 何の事か確実にわかっていないすずかを置き去りにして、アリサは勝手に結論した。確かにあの男の子が言ったように、勿体無い時間の使い方だったかもしれない。だけどあの異常なまでに無気力な奴を完膚なきまでに見返せたので結果オーライ。加えてゲーセンでの侮辱の借りも返せた。アリサ・バニングスにとって、今日はとても有意義だった。
「そうね、捻くれた野良犬みたいに不景気な顔してる奴を見返してやったのよ」
『??』
 すずかが首を捻っているのが容易く想像できてしまった。思いついた事をそのまま言ったのだが、随分的を射ていると感じて少し笑う。どうにも似ているのだ。周囲を信じられなくなって世界と自己の間に壁を作っているような感じが。
 ……数回会っただけの相手を犬呼ばわりするのもどうかと思うのだが、一度ぴったりだと思ってしまうとなかなかイメージを更新できないものである。
「ごめんごめん、訳わかんなかったわよね。それで、なのはから何か連絡あった?」
『うん。お仕事が入っちゃったからしばらく連絡できなくて、帰って来られるのも当分先になっちゃうみたい』
「はあ。あの子も大変ね、とても同い年とは思えないわ」
『なのはちゃん、アリサちゃんに謝りたがってたよ。でも携帯も通じないし……』
「悪い事しちゃったかな。”今度”ちゃんと謝っておかなきゃね」
『それで今度の事だけど……』
「ああ、それね。もう中止にしちゃわない?」
 アリサの言葉にすずかがえ、と声を詰まらせた。
「なのはも何か忙しくなっちゃったみたいだし、当日は平日だしね。来年またやればいいじゃない?」
『でも……せっかくのお誕生日なのに』
「いーのいーの。あ、もう時間遅いから、切るわね。おやすみ」
『うん……おやすみ』
 携帯のディスプレイが通話が終了した事を伝えてくる。アリサは腰掛けていたベッドにぼふっと倒れこんだ。携帯が手を抜けてどこかに転がっていったが、特に構わなかった。
「…………ふう。何やってんのかしら」
 ぼそりと呟きながらカレンダーを見た。カチカチと時計を刻む音しか耳に入ってこない。
 理解はしているつもり。住む世界がズレても友達だと確信できる。

 

 なのに、胸の中のこのもやもやは何だろう。

 

 置いてきぼりにされていると考えてしまう。後回しにされていると考えてしまう。そんな考えが出てくる自分(アリサ)が嫌。でもそれはどうやっても解決しない。
 だって。
「……魔法、か」
 掌を何となく灯にかざしてみる。けれど何も起こらない。当然だ、アリサにはあの子達と違って持っていないのだから。
 だけど、もし。
「私も、持っていれば、違ったのかな」
 当然それはそれで今より違うコトになるのだろう。だけど今よりは少し気が楽なんじゃないかと思うのだ。だって今は、会いにもいけないんだから。

 

 求める心が引き金になる。

 

「わ、た、し、に、も……」
 意識がぼんやりとしている。視界に映っていた自室の天井がじんわりと揺らぐ。それはとても眠気に似ていて、アリサの意識を侵食する。
「あ、れ、ば……」
 光が見えた。
 もう眠ってしまったのだろうか。
 だからこれは夢なのだろうか。
 夢は願望の現われだと聞いた覚えがある。
 だからこんな風に夢に出てきたのだろうか。
 伸ばしたままの掌の先。
 何かの色をした光が少しずつ収束していくような気がした。
 何の色だろう。
 慣れ親しんでいる気がする。
 いつも見ている気がする。
 光が集まっていく。
 ”暖かい”のではなく”熱い”。
 熱に浮かされたかのように意識が更に曖昧になる。
 いつの間にかヒカリが膨大になっていて。
 眩しくて目を開けられないほどだった。

 

 ”それ”が形を持った時、アリサ・バニングスは思い出した。

 

 ――あかねいろ。夕焼けの、色。

 
 
 
 
 
 
 

 茜色が、
 彼女のセカイを

 

///

 

『この身は決まった姿を持たない……まあ”あるっちゃある”んだけど、オリジナルネームの話はまた今度のお楽しみな。ともかく今のこの身は”材料”の集合体な訳さ。だからこの身の形態――外装のカタチは主たるマスターの精神によって決定される』

 

 既に太陽は落ち、夜。空を見上げれば真ん丸な満月が静かに光っている。周囲には錆び付いた建物が点在しているだけで、人の気配も無ければ灯も少ない。いわゆる倉庫街という場所のせいか、街から僅かに辿り着く街の喧騒の残滓と、夜闇に紛れて生きる命の囁きしか聞こえてこない。
「……おいアルタード。何も無いんだけど」
 時刻はもう間もなく今日が終わって明日になる頃。シンは錆びれた倉庫街の真ん中に、ひとりぽつんと立っていた。小学生が出歩く時間ではない。仮にシンがかつての年齢だったとしても要もなく外出するような時間でもない。ならば何故こんなところまでわざわざ出向いているのか。別に夜の散歩とかそういう洒落たものではない。

 
 

 ――無視してもいーけどさ、そしたら人が死んじゃうけど?

 

 シンの半身であるそいつがそんな事を言うものだから、中途半端な抜け殻はノコノコ出向いてしまったという訳だ。シンはこれから起こる”何か”が常識通りの事象だとしても、非常識の事象だとしても、頼ればいい機関をきちんと心得ているのにも関わらず。
 だけど。事が起こる前だから誰にも信じてもらえないだとか、間に合わない可能性だとかそういう言い訳を無数に心で吐きだして、シンは此処にやって来た。
 来て、しまった。
 もっと相応しい――こんな抜け殻じゃない、ちゃんとした存在(主役)がやって来るまでの時間稼ぎくらい出来るだろうとか、その考えの酷さに吐き気がする。一番許せないのは、自覚しているくせに結局来てしまった自分そのものだ。
「……アルタード。こういう冗談は本当に止めろ」
 苛立ちを隠す理由もない。シンは言葉にありったけの敵意を乗せて、頭の中の存在に話しかける。指定された場所に到着した後、アルタードは意味のわからない話ばかり続けている。
『――そんな訳で、マスターが本気にならないとこの身は完全起動する事も出来ない訳さ。今はマスターの中で最も強い他者への攻撃性、その残滓で武装の体裁は保ててる。けどそれだけ。未だにまともなバリアジャケットすら生成できやしない。今のマスターに残ってるのはあの世界での恨みだけでそこにマスター自身の欲は無い。だから守るという攻撃性が発生してない訳。なんせ生き延びようと思ってないからねえ』
「聞けよ人の話を! ……もういい。帰る!!」
 相も変わらずアルタードは意味不明な事ばかり話し続けている。どうやらかつがれたらしい。胃に重くのしかかるような不快感を感じながら、シンは元来た道を戻り始めた。途中道端に落ちていた空き缶を思いっきり蹴り飛ばす。手加減する余裕がなかったのせいか空き缶は無残にひしゃげながら彼方へと旅立っていた。

 

『だってさあ。全部終わっちゃってから説明しとけよって言われてもこの身困るからぁ』

 

 何を、と言いかけて、言えなかった。
 結果的に凌げたのは偶然だった。背筋を走り抜ける悪寒。脳髄に突き刺さるかのような強烈な敵意。何か巨大な質量が空気を引き裂きながら飛翔する音。個体の意識に関係ない、生命としての生存本能。そして引き上げられた身体能力がその対処を可能とする。明かりの極端に少ないその場所で赤い粒子が舞い散った。タイムラグ無しで右手に出現した残骸(武器)を、シンは襲撃者へと叩きつける。

 

『だから言ったじゃんかぁ』

 

 ケタケタと、シンの半身は楽しそうに告げる。ビシンと、黒と赤の刀身から嫌な音が響く。シンの神がかった反応を嘲笑うかのように襲撃者はその勢いを欠片も緩めない。
 ――巨大な刃金だった。葉の様な、花弁の様な、あるいは羽根の様な鋼の塊。
 驚く間もなく、シンは握った刃に出来うる限りの力を込める。少しでも気を緩めれば、身体が無残に引き裂かれるのだという事が直感出来た。身体ごと持って行かれそうな圧力が、刃を通してシンの腕へと絶えず伝達されている。だがシンの身体は通常の規格から外れている。拮抗できるとシンが前へ踏み出そうと、刃金が茜色の光を吹き出す。急激に何倍にも高まった圧力に、まず刀身が耐えられなかった。抉り取られるかの様に砕かれた赤と黒が飛び散り赤い粒子となって舞い散る。イメージされる、無残に食い千切られる自分のカラダ。抗うのは、生きたいからじゃなくて死ぬのが怖いから。崩れかけた刀身を振り抜こうとする。できなかった。呆気なくシンの死力が弾かれる。剣を握った腕ごとバチィンと上へと跳ね上がった。僅かに軌道は変わっていたが、茜色の襲撃者がシンの胴体を通り抜ける。右の脇腹の辺りを凶器が通り抜け、皮膚が裂けて血管が裂けて肉が裂けて、裂けた後にそれらがごちゃまぜにかきまわされて空気中に飛び散った。激痛を脳が知覚する。っか、っと口から悲鳴の出来そこないが漏れた。
 傷の痛みに浸る暇がない事を知らせるように、刃金が戻ってくる音がする。刀身が三分の二に減ってしまった剣を構えようとして、
 刃金の数が三つになっている事に気が付いた。

 

『死んじゃう、ってさ』

 

 他人事の様に。
 アルタード(半身)がそう告げる。

 
 

 そこには情けとか容赦とか慈悲とかはなくて、ただ押し潰される様な敵意だけがあった。
 受けるには重過ぎて、避けるのには速過ぎる三枚の刃金が吹き荒れる。もう何度目かわからない交差。もぎ取られていくのは刃と肉体。刀身は既に最初の面影を残しておらず、剣の形を保てなくなってきている。削られた身体から血肉がこぼれ落ちていく。軽い眩暈を覚えた。それでも刃金が止むことは無く、次こそはシンの身体を両断せんと舞い戻ってくる。悪態をつく暇がない。むしろ呼吸を整える暇もない。
 次の交差に備えて剣を握り直――激突。先程と同じように、刀身と肉体のいくらかを犠牲にしてその軌道を逸らそうとする。
 刃金が突然停止する。否。停止したのではない。シン刃金を弾けていたのは、それが圧倒的な圧力を持って向かって来ていたからだ。大きな力は微かな影響で変化するから。それが、その圧力がシンに拮抗する程度まで”下がった”としたら。剣が進むでも戻るでもなく停止する。同時に、シンの身体が”その場に縫い付けられる”。それはこの攻防(蹂躙)において致命的な隙になる。質量が空を裂く音。もうどうしようもない。背後からそれが”来る”とわかっていても、唯一の迎撃手段はもう塞がっている。両腕に込めた力を疎かにすれば今停止している刃金が前進してしまう。
「――、っ!」
『おっと障壁障壁』
 アルタードの呟きと同時にシンの背中で赤い粒子が収束した。淡い輝きを放つそれは実体を持つには至らない。激突。刃金と赤い粒子が衝突する。一瞬の拮抗は即座に、文字通り破壊される。茜色を吹き出しながら回転した刃金が、シンの赤を削り取る。
「――っが、あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛ああっ!?」
 ガリガリという音が数瞬持たずにブチブチという音に変わる。千切れていくのは皮と肉、撒き散らされるのは赤い血。脳髄が激痛でもってグチャグチャにかき混ぜられる。一瞬だけ意識が離れた。腕の力が緩む。前から進んでいた刃金の再開を許す。既に抉られた左腕の傷の上を、回転する刃金が緩やかに通行する。肺に空気が残っていなくて悲鳴が声として成立しない。ただ幸か不幸か、後ろからの圧力と前からの食い違った圧力により、シンの身体が刃金から逃れる様に弾き飛ばされて宙を舞う。
「……、っ」
 痛む体を無理やり動かして、横合いから飛来した三枚目に剣を向ける。ただし向けられただけ。何の力も込められずに刃金と対峙させられた刀身が、断末魔と共に半分以下の長さになった。刃金がシンの身体を通過する。血肉が飛び散った。体勢を立て直す余裕もないまま、シンの身体が地面に落ちる。
「……っか、ぁ――は」
 ただひたすらに単純に、”痛い”。
 視界が白くなったり色が付いたりめまぐるしい。気分が悪くて胃の中の物を戻しそう。身体中から熱が流れ出ているせいで寒気がする。痛みが止まない。身体中あちこちから思考に流れんで来る。痛い、痛い、痛い、イタイ、いたい。

 

 それらは全部『痛い』。『死にたくない』は一つも無い。

 

 ずりずりと虫の様に地面を這いずる。腕に力を入れる。相変わらず痛い。けれど動かない訳じゃない。刀身が半分以下になってしまったが、剣はまだ残っている。『杖』くらいにはなるだろうと、地面に突き立てた。それを支点にして、強引に身体を引きずり上げようとする。
『なあマスター。何で立ち上がろうとしてるん?』
 ……それは、立たないとあの刃金が戻ってくるから
『じゃあ丁度いいじゃん。マスター、前から死にたがってたよねえ。直接表現しなくてもこの身にゃわかっちまうのさ。ほら今なら都合がいいぜ? 大好きな言い訳にゃあ困らない。こりゃ事故みたいなもんだろう。マスターに非は全く無くてただ”運命”を受け入れただけ。命を粗末にしちゃいないんだから?』

 

 それは――そうなのだろうか。

 

 それが正しいと思えてしまう。
 その通りだと思ってしまう。
 意味も無く、
 目的もない、
 ただ命があるだけ。
 ”この身”はシン・アスカの続きである抜け殻。
 ここで終わって誰が困る。
 ここで諦めて誰に迷惑をかける。

 

「何、誰かと思ったらまたあんた? 本当に奇遇ね」

 

 しょうがないという言葉がある。それは魔法の言葉だ。かつてシンが一度目だった頃、何度も何度もシンを悪夢みたいな現実から庇ってくれた”言い訳”。その単語を持ち出せば納得できた。する振りをした。諦める事が出来た。受け入れる事が出来た。裏切り者と罵られた時も。負け犬呼ばわりされた時も。視線が合っただけで殴られた時も。事故という名目で自室が燃やされた時も。味方の筈の機体に背中から撃たれた時も。演習で”勝った”から袋叩きにされた時も。戦地の真ん中に置き去りにされた時も。食事に薬物を混ぜられた時も。MS相手の模擬戦で弄ばれた時も。最後に胸を撃ち抜かれた時でさえ、その言葉で逃げてきた。だからここでも使おうとした呟こうとしたでも出来なかった。だって、

 

 ――その魔法の言葉が効力を失う場面がある。

 

 顔を上げたのはその声に聞き覚えがあったからだ。
 関わりだしたのはここ数日。数えられるほどの少ない接触。
 だけど。
 抜け殻になってから初めてまともに接したかもしれない、
「…………アリサ、バニングス」

 

 ――それは”他人”が、勘定に加わった時だ。

 

 何であんたがここに居ると問いを投げかける。心中だけで。本当は言葉にしようとしたが、出来なかった。中途半端に持ち上がっていたシンの頭が地面に叩きつけられる。顔面に感じる衝撃と、鈍い痛み。身体が急に動いたことで全身の傷から再度痛みが脳髄へと送信される。口の中に感じる錆びた鉄の味。口の中が切れたのか、じわりと滲み出てくる血と砂利が混ざって酷い不快感だった。
「何であんたが居るの。呼んでないのに、いちいち出てこないでくれる?」
 再度、衝撃を知覚する。三度目で踏み付けられているのだと理解した。脱力感すら無かった身体に思い出したように火が灯る。衝撃の直後、次が降り下りてくる前に身体を横に転がして回避する。勢いよく地面を転げまわって距離を取り、その速度を利用してばね仕掛けの様に立ち上がった。跳ね上がったと言った方が正しいか。急な機動に身体のあちこちにできた傷が異常と警鐘を脳髄に激痛というシグナルで伝達するが、正直それは今どうでもいい。今は傷の痛みすら活力に。
 でも、剣は構えない。
「――アルタード、おいアルタードッ!!」
『やー。そんな怒鳴らなくても聞こえてるんだがー』
「なんだこれは!? 何でこんな事になってる!?」
『見ての通りじゃね?』
「ふざけるなあッ!!」
 バガァン! と地面が砕け散った。爆発的な力を加えて撃ち出されたシンの脚はその衝撃を本体(にくたい)の加速力へと変更して常識外れた速度での移動を可能とする。
 再度飛来した刃金が、数瞬前までシンが居た地点を大きく抉り取る。一枚目はそれで地面に刺さって動きを止めた。二枚目、一枚目の二の轍を踏むまいと空中で動きを変え、シンへと直進する。
「違うだろ! おかしいだろこんなの!! 普通の子だったろ!?」
『そーだね。普通だったね。

 

 さっきまでは』

 

 壊れかけの剣と飛来した刃金が一瞬以下の時間だけ接触した。シンは僅かな接触の際に生じた衝撃を利用して身体を空中で強引に捻り――刃金を全力で踏み抜いた。小さい身体から発生するには不釣り合いな威力の蹴りを叩き込まれ、二枚目の刃金が堕ちる。胴体に直進してきた三枚目に剣を思い切り振りおろした。激突したのは刃金の中央の辺り。シンの剣には既に切っ先が無いので刺さりはしない。擦れ合う刀身と刃金が火花を上げる。拮抗するつもりは無いし、出来るとも思わない。無理やり突き立てたまま膂力で強引に”放り投げる”。明後日の方向に、刃金が飛び去っていく。
『あーあーあーちょいと”理由”が出来るだけで随分動きが違うなあマイマスター! さっきまでのなぶられっぷりが嘘みたいじゃないか! 普段からその位トばしてもらえるとこの身は嬉しいんだけどなあ!!』
「ふざける……っ、おい、まさか、これはお前の仕業かッ!?」
『アハハハハ。んな訳ねえじゃん。でもまあ全く関係がねえわけじゃねえな。このお嬢さんがマスターと鉢合わせするようにお膳立てしたのはこの身だよ。ちょいと仲間内でしか通じないトクベツ電波をこう、ビビっとな。でもそれだけなんで一番悪いのはたぶんエクスハティオのヤロウじゃね』
「エクスハティオ!?」
『イグニス・エクスハティオ。デバイスだよ。あの嬢ちゃんが持ってるヤツな。やー本当は資格があっても制御の出来ない普通の人選んだりしねえ筈なんだけどな』

 

「どういう――!?」
 ガン、と金属質な音が鳴る。少女(アリサ)が手にした杖、その先端をシンへと向ける。金属質な音はその先端が――砲の様な形に展開した音。受け切れないという直感があった。だから地面を蹴る。試みたのは右方向に身体をスライドさせる事による回避行動。シンの身体が動くとほぼ同時に周囲を溢れんばかりの茜色の焔が覆い尽くす。膨大な熱量と速度を併せ持って発射されたそれ(砲撃)がシンを僅かに掠めて直進し、激突した建築物を呆気なく融解させ、簡単に突き破り、ずっと彼方へと突き抜けていった。
「くそ、……っ」
 回避……出来た事は出来たといえる。シンはまだ生きているから。もし直撃していたらシンの身体程度は呆気無く”蒸発”していただろう。ただ焔とほんの僅かにすれ違った左腕からは肉の焦げる嫌な臭いと、痛覚含めた感覚の麻痺が伝達される。当分左腕はまともに動きそうにない。この状況下では絶望的な損傷だった。
『鎧は無いし剣は折れてるし身体はぼろぼろ。圧倒的に劣勢だねえ? いやー、それでもまだ”本気”になんないマスターにもはやこの身ぞくぞくするわー』
「だま、」
 れが言えなかった。この状況下でアルタードに意識を向けたのが致命的な失敗で。
 ふわとシンの視界で金色が舞う。それが少女の髪だと気付くのに一瞬、その体勢を理解するのにもう一瞬、抜き放たれかけている刃の存在に気が付くのにもう半瞬――!
 バァン! と何かが弾けるような衝撃音を響かせながら、茜色の刀身と赤い刀身が激突した。紺色の”杖”の、砲で無い反対側から抜き放たれたその片刃の剣。それが熱量と圧力を響かせながらシンへと押し込まれていく。対してシンは力の限りそれを押し返す。シンの持つ剣は既に悲壮感すら漂う状態だったが、ひび割れた各部から赤い光を吐き出し、何とか状況を拮抗へと持ち込ませている。
『おーすげえすげえ。完全起動にゃ程遠いけどそれでも外装の構築密度が倍近く跳ね上がってら。おまけにメインジェネレーターの稼働率もさっきと段違いだし。やっぱマスターやればできんじゃない。やれよ、普段から』
「……っ、おい! 自分が何やってるかわかってるのか!?」
 アルタードは無視してアリサに呼びかける。返答は無し。ただ茜色の圧力が上昇する。片腕になったとはいえ、純粋な力ではまだシンが圧倒的に勝っている。だが刃に込められた力が圧倒的に違いすぎた。それはシンの持つ刃が耐えられない事を意味し、茜色が赤を侵食するようにずずずとめり込んでくる。
「おい! おい答えろっ!」
 花火の様に、茜色が一気に噴き出した。黒と赤の刀身をヒビが猛烈な勢いで浸食し、バ
キバキバキと崩壊の音が、

 

「うるさい――――――ッ!!」

 

 半分から更に半分になった。剣が。
 少女の怒号を聞いている暇がない。通常より遥かに延長された知覚が軋みを上げるほどに稼動する。飛ぶ勢いでシンは後ろに動く。でも、当然の様に遅かった。茜色の刀身が胴体を通る。皮が裂けて肉が裂けて骨が斬られて。あふれ出た赤い液体が飛び散った。

 

(――あ、)

 

 かっと喉の奥から熱いものがこみあげてくる。意識が瞬間的に途切れる。大きく後ろに飛んだはいいが、着地に失敗して赤を撒き散らしながらごろごろと地面を転がる。風の強い日に公園や道をかさかさ音を立てながら転がっていくゴミの様に。
「ぁ……か、……」
『あー結構いいのくらったねえ。マスター? おーい生きてる?』
 アルタードの声が遠い。視界が霞む。感じるのは寒気と眠気。身体のあちこちから赤いものが流れ出すのが何故か知覚できた。
『あー駄目っぽいな。ここまでか』
 体を動かそうとしても、もう動きそうになかった。痛い、寒い、眠い。頭の芯からじんわりとした痺れが広がってくる。それが意識に拡がり、身体に拡がるのを知覚する。
 僅かに戻った”熱”が、緩やかに引いていくのを知覚する。力が赤い色と一緒に流れ出ていく。身体を動かせない。辛うじて機能を保っている聴覚が近づいてくる足音を知覚する。けれどもそれに反応する事がもうできない。
『ふーん。ここいらが”今の”マスターの限界かね。さて。こっから先は正直この身にとっても結構賭けな訳だが。ちなみに言ってなかったがマスター死ぬとこの身も消えちゃったりするんだぜ。何たって完全に溶け合っちゃってるからさ。まあそれはさておき、ボロ雑巾みたいになったマスターにこの身からとびっきりの魔法の言葉をくれてやろう』
 アルタードが何か言っているのがわかる。
 どうせまたくだらない事だろうと思っていたのに。

 

『その嬢ちゃん、被害者だぜ』

 

 それは確かに。
 シン・アスカという馬鹿に効果覿面な魔法の言葉だった。

 

『この身、言ったよね。マスターが動かなきゃ”人が死ぬ”って。今死にそうになってんのはマスターだけどさ? この身が言ったのは、マスターが動かなかった場合でさー。簡単な引き算じゃん。この場からマスターを引いてみましょう。はいギセイシャだーれだ』
 ガチガチガチと頭の中で何かが噛み合う音がする。前のセカイで慣れ親しんだその感覚。心が、意識が、全部それ専用に切り替わる感覚。
 考えるまでもない。無縁だった筈だ、こんな事には。ならこうなった原因がある筈で、シンが此処で諦めるという事は目の前の女の子を見捨てるという事で。
 それは、
 そんな事が、
『さっきから会話が成立しないだろ? 向こうさんほとんど喋らないだろ? ココロがトラワレテルからああなってんだよ。さーあどうする”シン・アスカ”。このまま諦めて全部投げ出して一人楽しくあっけなく死ぬかい? オヒメサマを見殺しにしてさあー?』
 夕焼けの教室を思い出した。
 喧騒の中のゲームセンターを思い出した。
 夕と夜の狭間の公園を思い出した。

 

『じゃ、私の勝ちでいいのね?』

 

 なあ。シン・アスカっていう名前をしたバカが守りたかったのは、こういうものじゃなかっただろうか。戦争だとか世界だとか理想だとか現実だとか運命だとか自由だとか正義だとか、そんな小難しいもの以前に。
 こんな、眩い笑顔を、当然のようにあちこちにある”幸せ”ってやつを、

 

 ――俺は、守りたかったんじゃないのか。

 

 真っ赤な閃光が、夜闇の中で爆裂する。シンの焼け焦げた左腕が再動し、止めと振り下ろされていた刃を”掴む”。素手だったはずの左手には青い手甲と一体化した手袋が生成されている。そこから溢れんばかりに弾け飛ぶ赤い粒子が、先ほどまでと逆、茜色を食い尽くさん勢いで爆裂する。
 圧倒的に優勢だった女の子が困惑する。
 圧倒的に劣勢だった男の子が顔を上げる。

 

「Start Up」

 

 抜け殻。空虚。空っぽ。そう、思い込もうとしていた何もかもが中途半端な負け犬。
 だけど譲れない。
 だから立ち上がる。
 そして、

 

「――――――Alterd」

 

 そして、がんばる。
 赤が爆発する。溢れ出た真っ赤な光がシンの身体を一気に染め上げるように覆う。瞬間的に光は何かの形を作り、そして弾けた。剥がれ落ちた赤の下からロングコートに似た防護服(バリアジャケット)が出現する。色はグレー、かつてその機体の主となっていた色。右手の先で赤が一層強く弾け、手甲が形成された。左手よりデザインが少しだけ仰々しい手甲。光はまだ止まらない。シンの周囲に渦巻いていた赤が、形成された右手の手甲に集まり――シンはそれを、握る。接触した部分から粒子が収束し圧縮され形成される。柄の部分から、駆け上がるように凶器が構築されていく。先程と同じく黒身に赤刃。しかし前よりより力強く確かな姿を持って”剣”が生成された。
『バリアジャケット展開。近接特化武装パターン1-”アロンダイト・リファイン”構築。

 

 ――System Altered All Complete.

 

 、ッハハハハハハハハアアアアハハハハ!! そうだよなぁ! できねえよなぁ!! どんだけ踏みにじられても嬲られても苛められても削り取られても虐げられても蔑ろにされても最後にゃ殺されちまったっていうのに! 『アンタ』は最後まで”それ”を失くさなかったもんなぁ!!!!』
 アタマの中で爆発するようにまくし立てるアルタードには何も答えない。答える必要がない。今はそんな事よりも重要な事がある。赤い色の瞳で、シンは眼前の”目標”を見据えた。赤く発光するアロンダイトの刃がその輝きを増す。
 少女の身体が演舞のように華麗な動作で回転する。茜色の剣が引かれ、動作の延長で剣が納められた。何時の間にか杖に戻ってきていた刃金に茜色が収束していく。周囲の赤を押し返すように、茜色も爆裂した。
「動作が綺麗過ぎる!」
『デバイスのサポートが動いてる。並の魔導師の何倍も良い動きすると思え』
 踏み込み。シンの足と地面が接触する瞬間に赤が爆発する。先程とは比較できない物理的なチカラを叩きつけられた地面が轟音と共に削り取られ、その衝撃を速度に変換したシンの身体が異常な速度で移動する。ただ地面を蹴った力を推進力に変えただけのそれは、跳躍ではなく飛翔の域に達していた。アロンダイトの柄は長めに造形されている――正確にはシンがそういう風に”造形した”。右手と左手で柄をしっかりと握り締め、眼前にそびえる茜色へと挑む。

 
 

 交差。横一文字に振り抜かれた長刀(アロンダイト)と縦一文字に振り下ろされた戦杖(エクスハティオ)が衝突した。剣の刃からは狂ったように赤い光が溢れ出し、また刃金からも同量以上の茜色が溢れ出す。激突は轟音と衝撃波とエフェクトの残滓を周囲に盛大にばら撒き、その場が昼以上の明るさで満ちる。
『瞬間最高出力は向こうが圧倒的に上』
(平均維持出力は?)
『ギリギリこっちだぜ』
(上等――!)
 激突は一瞬だけ。一瞬しかさせなかった。破壊力では相手が勝っているとシンは判断し、そしてそれは正しかった。だから拮抗はさせない。
 アロンダイトを握る手元に力を加える。くん、とアロンダイトがわずかに落ちる。付き合って下がったエクスハティオとの間に生まれた僅かな隙間。一瞬だけ生まれたそれを逃さず、シンは再度飛翔寸前の速度で前進する。相手の刃を滑る様に通り抜けたアロンダイトが、アリサの懐を狙って直進する。狙いは手元。武器を叩き落すのがシンの狙い。
 エクスハティオはそのまま、いや更に加速して”地に落ちた”。原理はシーソー。片側が下がればもう片側が上がる。地に落ちた戦杖の先端とは反対に、アリサの体が跳ね上がった。アロンダイトがアリサの”居た”場所を通り抜ける。
 シンが舌打ちする。背後で砲身の展開音がした。くるりと一回転したアリサがエクスハティオの砲身をシンに向ける。
(緊急――)
『――回避ィ!』
『「フルブーストッ!!」』」
 地面を蹴ると同時に、シンの足の裏、背中、腰、ふくらはぎと体のあちこちから赤い光が噴出した。それはモビルスーツでいうスラスターに当たる機能に酷似している。ただし噴出しているのは高速移動用の術式によって推進力へと変換された魔力。飛翔の域ではなく、文字通り飛翔。シンの体が消失するかの如き勢いで垂直に上昇する。茜色の砲撃がシンの居た場所を焦がして突き抜けた。
 ニ撃目。滞空したままのシンを狙い、茜色の砲撃が直進する。今度は片側から赤い光が噴出して、シンの体が空中で横にすっ飛ぶようにスライドした。砲撃を回避すると同時に、身体の各部から吹き出る赤い光を調整し、滞空したままシンは自分の向きを反転させる。同時に右手握ったアロンダイトに無数の細かいラインが走り――溶ける様に分解した。
「この、……ケルベロスⅢ!」
 形態名をコールする。空気中に溶けたように見えた赤い粒子がシンの手元で迸り、先程までと別の形を形成する。銃。グレーと濃い緑のパーツで形成された、子供の手にとても似合わない兵器が生成される。アロンダイト・リファインは元よりも兵器らしさが薄れ、”剣”としての概念的な造形が増加していたが、ケルベロスⅢはその真逆だった。より兵器らしさを追求したような、無駄を極限まで削り取ったかのように無骨な造形。
 先端部の銃口から赤い光弾が無数に吐き出される。それら総てが未だ地上に居るアリサ目掛けて雨のように降り注ぐ。アリサは回避行動を取らず――開いた左手で虚空を殴りつける。インパクトと同時に発生した茜色の”壁”が光弾の雨を一発残さず打ち消した。
「駄目か……!」
 牽制にすらならなかった。舌打ちをしながら、シンは茜色の砲撃を回避する。空中を曲芸のようにくるくると飛び回り、休み無く放たれる砲撃を巧みに避けていく。
「威力の低い攻撃じゃ通らないか!」
『ブチ抜きたいならバーストモード使うのが速いとまともな進言してみたりする』
 足元に展開した移動用術式を用い、地面を滑る様に移動する。障害物に隠れても、障害物ごと消し飛ばされる。停止は死を意味する。故に放たれる続ける砲撃を回避しながら、次の手を模索する。
 元々威力を抑えた速射砲身(ラピッドモード)だ。牽制程度しか期待していない。だが意味が無かった。アルタードが提示するに、エクスハティオは瞬間最大出力が圧倒的だという。ならば障壁も強固なのだろう。それを破れるほどの攻撃を叩き込んだとして、もし少女(アリサ)がそれに耐えられなかったら?
 高威力砲身(バーストモード)を、選択肢から棄てる。

 

「…………なあ。アルタード。俺の身体、後どれくらい持つ」
『――――驚いたね。まさかマスターが自分の身を心配するセリフ喋るなんぞ』
「いいから答えろ」
『五分……は無理だな。一応あれこれ処置してるけど、今の調子で動き回ってりゃ後三分くらいで限界が来るね』
「あんまり時間も無い、か」
 そう。今のシン・アスカはあまり生に執着がない。何かのキッカケで命が費えたら、おそらくそれを何の疑問も無く受け入れるだろう。もしかしたら安堵すらするかもしれない。
 ただし今回は事情が違う。ここでシンが死んでしまったら、今シンが戦っている相手が”ひとごろし”になってしまう。それだけは絶対に阻止しないといけない。
 だから、今回は死ねない。絶対に。
 勝たなければいけない戦いは数え切れないほどしてきた。腐るほどに。ただ今回はもう一つ、厄介で珍しい条件が増えていた。
「勝って、生き残る……か。ひさしぶりだな、こんな条件……なあアルタード。確率にしてみてくれよ。出来るかどうか」
『んー。23%くらいかねー』
「……微妙に絶望的だな」
『……微妙に絶望的だねえ』
 飛んだり落ちたり転がったり跳ねたり家加速したり減速したり。縦横無尽に駆動して砲撃を掻い潜っている最中だというのに、シンは自分の半身と世間話でもするかのような口調で語る。バリアジャケットの裾から滴る赤い液体がシンが身体を動かすたびに周囲に飛び散り、タイムリミットが遠くない事を示していた。
『でもさあ。もう諦める気は無いんだろ?』
「当たり前だ! やってやるさ! きっちりな!!」
『……え、誰こいつ』
「やかましい!!」
 高らかに吼えて、シンは赤光をたなびかせながら疾駆する。今までは距離を一定に保っていたが、ここら先は損傷覚悟で接近する。威力の低い攻撃は通らない。だけど威力の高い攻撃では相手を傷つけてしまう可能性がある。ならばどうするか。なけなしを振り絞って答えは出した。形態も創造した。術式も構築した。後は、シンが終ってしまう前に叩きつけるだけだ。
「何なのよ……」
 砲撃が止んだ。代わりに三枚の刃金がシン目掛けて舞い踊る。シフト――アロンダイト。手にした長刀でシンは刃金を打ち落として進む。

 

「何なのよ、あんたは――――――ッ!!」

 

 アリサの怒号を合図として、三枚だった筈の刃金が倍の六枚に、その倍の三十六枚に、更にそのまた倍に。視界を埋めつくす程に増殖した刃金が、一斉にシン目掛けて殺到する。
「冗談だろッ!?」
 数え切れない総数の刃金の群れに長刀を振り抜く。正面から来た刃金の群れをまとめて粉砕。スイングの反動で身体を回し、背後から迫った刃金をかわす。数が増えた分、一枚一枚の耐久力は大幅に減少しているのか、一撃で容易く粉砕できた。けれども数が異常を超えた何かだった。圧倒的な数の暴力。更に刃金の嵐を凌ぐにはアロンダイトは大振り過ぎ、幾枚もの直撃を許す。バリアジャケットが裂け、数え切れない程の傷口が身体中に刻
み込まれる。ただでさえ減っていたものが、更にこぼれていく。
「エクス」
『ダブル』
「カリバ――――――ッ!!」
 アロンダイトが刃金と接触した瞬間、その真ん中で”折れた”。シンは足元から飛来した刃金を踏みつけて跳躍する。そして”折れた”方の剣を左手で掴む。その瞬間両手に握られた”剣”が粒子化し、新たな姿に再構築される。
 エクス・ダブル・カリバー。アロンダイトの半分以下の長さの二振りの両刃剣。かつてのレーザー対艦刀エクスカリバーの意匠を受け継ぐ、近接特化武装パターン2。
「お――おおおおおオオオオおおぉぉぉぉォ――――――!!!!」
 360度から殺到する刃金を左右の剣でもってぶち壊してひたすらに斬って斬って斬って斬って斬って叩き落として無力化してぶち壊して蹂躙して撥ね退けて。
 狂った様な数の刃金を、狂ったような速度でシンの両腕が迎撃する。こぼれる液体の量が増えた気がしたが、無視した。初めて感謝したかもしれない。常人より高めの耐久力と身体能力を持たされた身体を。本来はアルタードの高出力に耐えるための措置らしいが、それは今どうでもよかった。とにかく今は跳ね回らねばならない。
 嵐を迎え撃つ為に自身も嵐になりながら、シンは少しずつじりじりと歩を進めて前進する。退けば負け。故に前進のみしか行わない。

 

「何なのよあんた! 邪魔しないでよ!! いきなりふらっと出てきただけのくせに!!
 私は、わたしは、私はただ――――ッ!!」
 ピシ、と少女(アリサ)の胸元で音がした。

 

「――あ、れ、わたし、私は、ただ――あい、会いに、あ」

 

 場の空気が変ったのを知覚する。それが最初で最後の好機だと判断し。シンは放出魔力の桁を一つ引き上げる。耐久値を越えた魔力が刀身に流し込まれ、そして破裂した。破壊力のある赤のエフェクトが周囲に撒き散らされ、周囲の刃金を一時的に一掃する。
 武装再構築。選択形態アロンダイト・リファイン。
「う、」
 思いっっっきり振り上げたアロンダイトを振り下ろし、正眼の位置で停止させる。集中させるのは刃先と推進力。それ以外は不要。シンの世界が切り替わる。一瞬が永遠に、知覚速度が数倍に。光の消えた瞳でシンはしっかりと”目標”を捉え、
「おおおおああああああああああ――――――――!!!」
 その背中で、花が咲くように翼が開く。赤い光で構成された翼の形のエフェクト。蝶の羽根によく似た形をしているが、その端々は引き千切られた様に尖っており、美しさとは正反対の印象を与える。
 そこから先は愚直なまでの直進だった。
 立ち塞がる刃金の群れを意に介さず、赤い翼が突き破るように真っ直ぐに突き進む。砕けた破片がシンを掠め、顔に腕に体に無数の切り傷を生んだ。魔力を回されないバリアジャケットはその防御力を大幅に減少させ、抵抗も出来ず千切れ飛んでいく。
 数メートルの距離は一瞬以下でゼロになり、アロンダイトの刃先が標的へと到達する。最大加速から繋がる長刀の”突き”。それはシン・アスカがかつて居た世界で得た一つの”必殺”である。『最高の存在』に泥を付け、かつての仲間を沈めた必殺。巨大にして強大な破壊者すら一撃の下に破壊し、シンに勝利を約束していた必殺のカタチ。
 けれどこの場では呆気なく封殺された。シンが”標的”にしていた箇所。それはアリサのちょうど胸元――そこに存在するブローチだ。現在のアリサは障壁を張る事は行っていても、”バリアジャケット”に値するモノを展開していない。唯一、武装以外の変異点として首元から肩までを覆うケープがある。そこに収まったブローチ。その中心の宝玉。それが”中核”だと判断しての一撃。
 だけど当然の様に届かない。通用しない。迎撃に戦杖(エクスハティオ)すら翳されていない。寸前まで到達したアロンダイトの刃先が茜色の障壁に阻まれる。刀身が耐えられるギリギリの魔力を叩き込んで強化された刀身が、激突の負荷に悲鳴を上げた。赤い刃に少しずつ少しずつ崩壊の印であるヒビが拡がっていく。

 

「パルマフィオキーナ」

 

 シンが呟いた。
 相手に剣を突き刺そうとしている状況で、掌の槍の名前を呼んだ。剣が砕ける。激突に耐えかねたに見えるそれは、けれど明確な目的を持って自ら崩壊する。砕けて赤い粒子と化した刀身の残滓は、空気中に霧散しなかった。霧の様に見える赤の群れが茜色の障壁に張り付き、蝕むように蠢き始める。シンは一層強く剣を突き立てる。進めば進むほど刀身が減り、赤が増える。
 魔術障壁は万能ではない。その構成を逆算してやればブレイクする事が可能である。開けるのはほんの小さな穴でいい。赤の群れはナノサイズ以下。その一点から、針のように収束した赤が障壁を越えて突き進んだ。
「――……!」
 その光景に危機感を感じたのか、アリサがエクスハティオの柄から茜色の刀身を持つ剣を引き抜き、進入してきた赤を切り払う。輝く刃と衝突して赤は呆気無く散り散りに――されなかった。触れた茜色にべったりと張り付く様に絡みつき、

 

 その赤は、対象を破壊する為のモノではない。

 

 侵食が開始された。障壁を破る際にはスローモーションだった赤がおぞましさを感じさせる速度で刀身を這う。そのまま進み柄を握る手へと到達し――少女の身体を駆け上っていった。アロンダイトはもう柄しか残っていない。シンは最後に残った柄を殴りつけ、障壁へと叩き付けた。武装は総て赤い粒子へと還元され、障壁を抜けて少女の身体に群がった。手から腕へと登って胸の上を這いずり回り一方は胴を通って下腹部から両の太股を通り抜けて細い足を這うように足へと進みもう一方は肩を通って華奢な腕を下り左手のほうにも勢力を伸ばす。

 
 

 その赤は、対象を捕縛し無力化させるモノ。

 

 赤がほぼ少女の全身を掌握しつくした所で、その実体を取り戻した。首に肩に二の腕に肘に手首に胸に腰に太股に膝に足に、鎧のような”拘束具”が形成される。
「え? あ、や……やぁ…………っ!」
 少女の握るエクスハティオが異常をきたす。赤が侵したのは少女の肢体だけでなく、その武装の制御系も含まれる。茜色の刀身が消え、補助術式の消失により杖本来の重量が少女の身体に負担をかける。そして最後の砦が、外敵の本体(シン)を阻んでいた、茜色の障壁が、音を立てて砕け散った。

 

 真っ赤な瞳だった。

 

 光がない。生気がない。感情がない。温かみがない。余りにも無機質で人間離れした質感の二つの赤い瞳がただの少女に成り下げられたアリサを見ていた。掻き立てられるのは異物への不快感と理解し得ない対象への恐怖感。逃げようとしても拘束具でガチガチに固められた身体は寸分も動かず首を動かす事も出来ず赤い瞳をした少年がゆっくりと赤い光を灯したその右手を振りかぶるのを見ている事しか出来なくて、
『――ッハァ。これじゃあどっちが悪役かわかんねえなあ。まあどっちも悪役じゃあねんだけど。さーてお嬢ちゃん。残念ながらこの身の主は他人を特に救ったり守ったりする方向の事になるともう相手の意志とか迷惑とか理由とか全く考えずに全力で突っ走る大馬鹿野郎だ。ま、犬に噛まれたと思って諦めな』
 恐怖に耐え切れなくなって、アリサが悲鳴を上げる前に、

 

「――――アンリミテッドオオオオオオオオォォォ!!!!!!」

 

 シンの右腕が、アリサの身体に叩き込まれる。全身の魔力ラインを阻害されても、コアの機能までは抑制し切れなかったのか。シンの掌の先で輝く凝縮された赤を迎え撃つように茜色の宝玉が瞬いた。赤と茜色が今日何度目とも知れない拮抗を開始する。シンの右腕を負荷が奔りぬけ、裂傷が幾筋も生まれて鮮血を散らす。それでもシンは掌を前進させる事を止めなかった。干渉して干渉されて侵して侵されてと続く拮抗は、これまでと逆の結
果へと傾き出す。幾度と無く赤色を退けてきた赤色が、段々とその勢いを弱めていく。
 シンが、更に掌を押し込んだ。
 到達する。ブローチ。宝玉。エクスハティオの”コア”。それでもまだ茜色の障壁は健在だった。欠片ほどに小さくなっても最上に圧縮されたそれが、コアを守護している。だけど此処まで来ていたらもうそんな事は関係なくて。
 掌を閉じる。”障壁ごと”手の中に握りこむようにコアを掴む。魔力ライン同士の物理的な接触のせいか、シンの頭の中で何かがパチパチと微かに弾ける様に明滅した。それの内容を知った瞬間にシンはそれの内容を理解する。

 

(…………………………アルタード)
『わーってるよ。ちゃんと遮断してる。”こっち”のは流しゃしねえ』

 

 いつものように、慣れ親しんだように、軽口のように伝わってくるその言葉が何故だかとても頼もしかった。
 結局。それは”誰か”の感情だった。誰かは言うまでもない。この場にあるのは三つの感情だが、シン以外の感情でシンが知らない感情は一つしかないのだから。
 まず怖い。赤が怖い。相手が怖い。何が起きているのかわからなくて怖い。だから拒む。拒絶する。でも止まってくれない。進んでくる。域を侵して進んでくる。遠慮なく情けなく容赦なく徹底的に熱烈的に壁を破ってはいってくる怖い怖いこわいこわいこわいこわいこわい助けてタスケテたすけて来ないで来ないでこないでこないでこないで――――!

 

 いやだね。

 

「でえええやあああああああぁぁぁァァ!!!!!!!」
 最後のひと押し。そして身体に残った熱を欠片も残さず爆発させる様に吼え、シンは握り締めた手を力の限りに引く。干渉によるスパークと余波の拡散魔力が周囲に盛大に撒き散らされるが、それも大して時間をかけずに沈静化した。
 当然の様に、終わりを告げるように、そして思いのほか呆気無く。シンとアリサを繋いでいた、赤と茜色が混ざり合った光のラインが、夜闇の中に溶けていった。

 
 
 
 
 
 
 
 

「あー……しぬ。もうだめ。死んじゃう。いたい、すごいいたい……もうかえる……」
『ひっでえ。さっきまでのマジモードが見る影もねえ……』
 無気力とか脱力とか、そういうのを通り越して生霊というか亡霊寸前の面持ちで、シンは夜闇の中に佇んでいた。口からはぶちぶちと弱音とか言い訳とかが零れ落ちるようにぼろぼろと吐き出され、膝は伸びきっていない上に背も少し曲がり気味である。
「よしかえろう……後は専門に任せる……かえる……もうかえる……もうこんなんやらない…………なあアルタード。この、バリアジャケットだっけ? これって脱げるのか?」
『まあ魔力で編んだだけで一応服だから脱げるけど、どうすんの?』
「……いや。自分でやっといてなんだけど、このまま置いておくのはちょっと心苦しいというか……なんというか……」
 傍らの地面に寝かせたアリサをちらりと見やる。外傷は無く、眠っている。アルタードによると多少の衰弱とショックはあるが、それも軽度との事。何か診るついでにキオクも弄っちゃったとか物騒な事を言っていた気がするが、シンはこういう事にはどうしようもなく役立たずなので意見しようがない。
 さて。それはさておいて。
 シンはアリサとデバイス(エクスハティオ)のリンクを強制的に切り離す為、胸元に取り付けられていたコアを力任せに引き千切るという手段を選んだ。
 そう、力任せに。余計なもんまで掴んでるのとか、ぜーんぜん気にせずに。こう、ブチーっと。いっちゃった訳である。

 

 ――要は、服も一緒に引き千切っちゃったのだ。

 

 なので。現在アリサの服は首元から胸にかけて盛大に引き千切れ、肌を隠す衣服としての機能を全く果たしていない。アブナイポイントまであと数センチという惨状だった。
『――……ふっ。ふふふふ、ふっ――おい、ちょ、勘弁、笑い死ぬ、ふふっ、ふひゃひゃひゃひゃひゃ――――!!』
「黙れよもうー……しょうがないだろー、手加減してる余裕無かったんだから……」
 アタマの中に響く嘲笑にぶちぶち文句を言いながら、シンはバリアジャケットの上着を脱ぐ。ぱっくり裂けたアンダーウェアから覗く腹部のデカイ傷口がもう塞がりかけているのを見てシンは顔をしかめた。
 上着の方も改めて見るとあちこち破れたり穴が開いたり出血で赤黒い染みがべったりだったりとても酷い有様だった。とりあえずアルタード(まだ笑ってやがった)に頼み、血の染みが出来ている所を意図的に消失させ、長方形に折り畳む。これならば上着としての使用は無理でも、布としては使えそうだった。
 正直その悲惨な事になっているアリサの衣服を視界に入れるだけで、シンの中で罪悪感という奴が半端無い勢いで騒ぎ立てる。でもヤってしまった事態には責任を取らねばなるまいとシンは屈み、アリサの露出した肌を隠すようにバリアジャケットを被せた。
「………………アルタード」
『なんだいヘタレ』

 

「ありがとう。”けしかけて”くれて。また、取りこぼすところだった」

 

 アルタードはあくまで事態に引き合わせただけと言った。結局”この事態”はどうやっても起こったのだろう。だけどシンが求める結果にするには”これが一番”最適だった。
 だから言っておかないといけないと思ったのだ。余計な装飾とか、変な照れ隠しとか、要らない遠まわしを避けて、伝えたい事だけ言葉にする。
『うわぁ……素直なマスター…………気持ち悪ぅ……』
 だというのに半身のヤロウは本当に心底気味悪そうな声で返してくれやがった。シンは言い損だよクソッタレがー! と吐き棄てようとして、途中で咳き込む。咄嗟に口を押さえた手に赤い液体が付着した。どうやら身体の方が本当に限界らしい。いい加減引き上げたほうがいいだろうと、シンが身体を引き摺って歩き出す。

 

『――あ、誰か来る。ていうか、来た』
「ふぁい?」
 シン・アスカ。負け犬なりに頑張りました。でも、っていうか頑張ったからもう限界です。身体も心もふにゃふにゃに弛緩していたから、それが何なのかわからなかった。
 ただそれが金色だという事だけ判別できた。
 後。息苦しくなるくらいの強烈な、でもとても真っ直ぐな――怒気。
 シンは高速で振り抜かれた金色の大剣の刃が、自分の胸部に叩き込まれるのをただ見ていた。正確には刃が直撃して胸部が陥没するんじゃないかという衝撃を知覚した時点で、ようやく何が起こったのかを理解した。
 何となく向けた視線から入ってきた情報にシンは少し驚いた。”相手”は”今の”シンと同じくらいの年齢で、なのに文句のつけようのない見事な一撃だったから。
『……あー。肋骨イったな』
 肺の中に残っていた酸素が一気に絞り出される感覚。水切りという遊びがある。スナップを効かせて石を投擲し、水面の上を跳ねさせるというもの。
 今のシンはほとんどそれ同然だった。ただし石はシンで、水面じゃなくてコンクリの地面とそれぞれの要素が変っていたが。バンバアンズバアアン! と地面と幾度と無く衝突した後、シンの体が中空に放り出される。なんてことは無い。地面が尽きたのだ。そのまま地球の重力に魂どころか肉体も引かれてシンはざぶーんと海に落ちる。
 海水で身体が包まれる。体がゆっくり沈んでいく。酸素が泡になって口から出て行く。
「ごぼぼぼぼ」
『マスター? おーい』
「ごぼぼぼぼ」

 

『……ああ。これはもう、駄目かもわからんね』

 

///

 

 ・・・Line On.

 

『んで。何でこんなクソ面倒くさい事態引き起こしやがったてめえ。堅物全開のてめえらしくねえにも程があるぞ。無関係な女の子を巻き込みやがって』
 ――言い訳する言葉もない。此度の騒動は纏めて私の不始末だ。
『いや言い訳でいいから理由言えや』
 ――正当でない改修を強引に施されかけたせいで一時的にシステムに不具合が発生した。
『はーん。人格が一時的に落ちたのか。つう事は主を”探す事”は出来ても”判断が出来なく”なってたんだな? んで理性も消えてるから人恋しさも我慢できなかったと』
 ――肯定する。
『んで今は』
 ――システムの復旧はほぼ完了している。
『そーかそ-か。でもまかり間違っても起動すんじゃねえぞ。今度こそ嬢ちゃんが壊れちまう。ここで死なすにゃ勿体無さ過ぎる嬢ちゃんだったしな。あと今度こそうちのマスターに欠片も残らんほどにブチ壊されるぞ、そんな事したら』
 ――相変わらず幼子に執心する傾向があるな。
『この身の人格形成基礎に”なってる”つーか、最初のご主人様がロリコンだからな。たぶんシスコンも混じってるけど。まあその辺は流せ。昔の話飛び越えて太古の話だ』
 ――私はこれからどうなる。
『直すっつーか作り変える。今回は不完全起動だったからひっぺがせたけど、結局お前さんと嬢ちゃんを引き離す方法はねえんだ。だからヒトが安全に使える域まで落とし込む。この身みたいにな。それからは嬢ちゃんの一生に精一杯付き合いやがれ』
 ――感謝する。アニムス・エクスティウム。
『今は”アルタード”だよ。しがない負け犬専用のインテリジェントデバイスさ』

 

 ・・・Line off.

 
 

///

 

 目を開ける。
 見慣れない天井が目に入る。
 白い。

 

「――――――あ、れ」

 

 上体を起こそうとして、カラダが鉛の様に重い事に気が付いた。覚醒した筈の意識も泥に埋もれているようにはっきりとしない。何とか首だけ動かす。枕元で僅かな灯と共に時刻を示す時計を見つける。深夜。日付が変って数時間後。
「わ、たし、何……………………?」
 思い出す。思い出そうとする。でも出来なかった。頭の中に靄がかかっている。未だしっかりと覚醒しない意識で、必死に記憶の糸を手繰り寄せる。
 思い出せたのは今日一日の行動。でもそれは不自然に途切れている。夜のすずかとの電話が終わり、”気分転換のために家を抜け出して散歩に出た”後の記憶が全く無い。
「――――――あ」
 欠けた記憶を復元しようと頭の中を混ぜている途中で、気が付いた。おそらく病室であるこの場所にアリサ以外の人間が居る。栗色の髪をリボンで結んだ二房。間違える筈も無い。大切な友達がそこに居た。ベッドにもたれかかるようにして眠っている。
 少しだけ嬉しいという感情が沸く。
 けれど。頬に残った涙の跡を見て、その感情を抱いた事を後悔した。
「……ごめん、ね」
 自然と呟いていた。友達はアリサの右側で眠っている。だから右腕を動かした。身体は本当に鈍く、筋肉痛によく似た感じで不調を訴える。でも構わずに動かした。投げ出されるように空いていたその手に触れる。少し冷えているように感じた。
 何が起こったのか全然覚えていない。でも”自分が悪い”という確信があった。何があったにしても、アリサ(自分)のせいで大切な友達に迷惑をかけた。心配をさせた。
 それだけで、どうしようもなく苦しくなる。バチが当たったのかもしれない。ワガママなんか思ったから。捻くれた事ばかりしていたから。確かに会いたかった。話したかった。でも、こんな風に悲しませてまで叶えたくなかった……!
「…………ごめ……ん、ね………………!」
 どうしようもなく苦しくてしょうがない。謝ろう。この子が目を覚ましたら、どういう手段を使ってでも謝ろう。直接会えないからって、気持ちを伝える方法なんていくらでもあるのだから。他の皆にも謝ろう。たくさん謝って謝って、それからまた笑おう。
 そうしてちゃんと皆が好きでいてくれる、好きでいてよかったと思える子になろう。
 握り締めた手から伝わってくる温もりがとても優しい。
 意識がふいに遠くなった。身体も心もどうしようもなく休息を欲している。最後にもう一度、その寝顔を見て、心の中で謝って、そしておやすみなさいを言って瞼を下ろした。
 沈む事を許した意識はどんどんと下降していく。
 体の重さも忘れて、眠りの中に落ちていく。

 

 でも。
 何か。
 何故か。
 後一つ(一人)。

 

 欠けているという確信があった。

 
 

///

 

「ごぶふぅぇあ――ッ!」

 

 人気の無い港の端で、奇怪な叫び声と共に海から這い出たシンの手がしっかとコンクリの出っ張りを鷲掴む。そのまま微妙にぷるぷるしながらも腕を身体を胴を足を海水の中から引きずり出し、シンはコンクリの地面の上に大の字になって寝転んだ。
「ぜ、ひゅっ……ひっ、……し、しぬかひょ、おもっひゃ…………!」
『マスター。ちょっとしぶとすぎると思うんだわ。普通は死ぬよ』
「う、うるひゃ……げほっ、がはッ! げふっ、げふっ! あ、むり……これむり……」
 言葉が上手く成立しない。
 呼吸すらままならないのだから、喋る事なんぞ出来なくて当然なのだが。
『あー、無理だ……まともに喋れない……』
『まーあちこちボロボロな上に駄目押しで肋骨バッキリ折れてっから当然だろーよ』
『正直最後の肋骨がとびきりキツイ……』
『ノーガードだったからねえ……人は見かけによらんもんだ、可愛かったのになぁ』
 元々アルタードの声はシンにしか聞こえない。先程まではシンの言葉になり損ねた声が周囲に響いていたが、それも二人の会話が念話に切り替わった辺りで消える。周囲にはシンの荒い呼吸の音だけで満ちる。
 人気も無く、灯もない。静かな場所。
『……管理局か、あの”連中”』
『ハッ。複数居たのにゃ気付いてやがったか。まあマスターが下手人に見えてもしょーがねーわな、あの状況じゃ。でも嬢ちゃんを容疑から外す理由になっから喜んどけよ』
『大丈夫かな、バニングス。変な事に巻き込まれたりしないよな……』
『大丈夫じゃね。エクスハティオはこっちで回収してるし、元々あのお嬢ちゃんマスターと一緒で魔力素質がねーもん。とばっちり受けた”犠牲者”として処理されんだろ』
『レイにも……何とか、頼……』
 意識が落ちていく。体がどうしようもなく休息を求めてくる。
 閉じかかった瞼を留める理由がないから、そのままそれに身を委ねた。
『んでマスター? 結局これからどうするのか決めたのかい? まー今日の暴れっぷり見てりゃ聞くまでもねーとは思うがな。いやー流石にこの身が見込んだだけはあるわ。暴力沙汰向きにも程があるぜ、アンタ。獲物(武器)としては喜ばしい事ではあるがね』
 からかうような、冗談半分の口調でアルタードがシンに問う。
 その問いに答える為に。
 シンは沈む意識を何とか繋ぎとめて、

 

「……めがさめてから、かんがえる」
『おおぉぉいい!! 結局決めてねぇ――のかよォ――――!!!』

 
 

///

 

 小さな子犬は今日も独りで歩いていました。
 とぼとぼとぼとぼ、歩いていました。
 子犬にはご主人様が居ません。
 だから今日も独りです。

 
 

 ある日、子犬は女の子と出会いました。

 
 
 
 
 
 

END

 
 
 

・次回予告

 

「進む気も戻る気もないんだよ……いいからもう放っておいてくれぇ――――!!」

 

 叫んだ声が、セカイの流れに掻き消される。
 変らない日常なんてない。
 変革は常に起こっている。
 故に物語は生まれ続ける。

 
 

 ――無数の青い光が世界を埋め尽くした。正確無比な射撃は360度ありとあらゆる角度から一斉にその場に降り注ぎ、外敵を無慈悲に断罪していく。
「何で――あいつ、」
 天使のような優雅さで、ソイツが空から降りてくる。
 シン・アスカという存在にとって最上の因縁。
 セカイに与えられし称号の名はスーパーコーディネイター。
 忘れる筈もないその青き翼。

 

 それは家族の敵であり、
 それは理想の天敵であり、
 それは運命の宿敵であり、

 

「あいつは、あいつは――――――」

 
 
 
 

「フゥハハハハハハハハハハ僕にひれ伏せ愚民共ォ――――!!
 くらえ必殺! ハイマット・フルバ――ストォ――――――――――――!!!!」

 

「誰だ――――――――――ッ!?」

 
 

”彼等が剣は何故に ――His reason is freedom!――”

 
 

「僕はね、出番の無かった”予備”なのさ」

 
 
 

 そして後の親友であった。