北見神社

Last-modified: 2013-11-08 (金) 00:32:26
 

北見神社
きたみじんじゃ
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(参拝日:平成25年9月16日)
住所:北海道北見市北2条東6-11mapionlogo.gif
主祭神:天照皇大御神、豊宇気毘賣神、住吉大神
社格:郷社
主な祭礼:9月15日(例祭)
webサイト:北見神社

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↑神門↑
(由緒:パンフレットより)
明治三十年六月、屯田歩兵第四大隊が野付牛移駐にあたり、大隊長小泉正保様が天照大御神を奉戴致し、
同年八月、現・野付牛公園南端に神殿を設け、同年二十四日・二十五日の両日鎮座祭を斎行し、
奉斎致したるをもって創始とする。当時はこれを護国神社と称した。

これと前後して開拓移民団が入植する。当時は海路にて来北する為に、一ヶ月以上もの船旅中、
海上守護神たる住吉大神を奉戴して祈願を続け、上陸後、開拓の祖神として合祀される。
明治三十八年四月、社殿を高台寺敷地の一角に移築する。

大正二年五月、野付牛の発展に伴い住民の合意により、現在地(北二条東六丁目)への遷社が決定、
同年九月十五日、遷座祭を斎行する。ここに北見神社例祭日の起源がある。
大正九年十二月、内務省より無格社に列せられる。社号を野付牛神社と定める。
大正十年四月、内務省より村社に列せられる。
 

昭和十七年二月、社務整備の結果、内務省より郷社に列せられる。
同年六月、市制施行に伴い、同年十月、社号を北見神社と改称する。
昭和十八年、県社昇格申請を出すも、終戦により社格制度が消滅する。
 

昭和二十五年四月、伊勢神宮少宮司秋岡保司様来社の折、農業神たる豊受毘売神の御分霊
御下附申請をなしたところ、同年五月、特別御裁可と決定され、同年六月二十四日、
豊受毘売神が御奉遷され、翌二十五日、御奉遷大祭を斎行し奉斎される。

すなわち、北見神社は、先人たる開拓者が一家挙げて命がけで来北し、
血のにじむような歎難辛苦の果てに、精一杯の思いを込めて建立したお宮であって、
生きる為に、家族を守る為に、厳寒の大地に働き抜き、苦しみと悲しみと疲労とが
怒濤のごとく渦巻くその胸の内を、拍手の音にこめてひたすら祈ったところの壮絶たるお宮であった。
 

かかる想像を絶する開拓者、農民達の努力と労苦の結果、
氷雪の大地にも米を根付かせるに至った事に対して、畏れ多くもこれに御報い下さらんとして、
我が国神祇の本宗たる伊勢神宮より、農業神であられる豊受毘売神が御分霊あそばされたのである。

昭和二十七年八月、伊勢神宮御分霊社たる由緒をもって、伊勢神宮祭主北白川房子様が
伊勢神宮大宮司佐佐木行忠様、参議院議長佐藤尚武様を随伴され、正式参拝の御儀がある。

昭和四十二年十月、同じく、伊勢神宮大宮司徳川宗敬様の正式参拝の御儀がある。
昭和五十二年十二月、北見神社御造営奉賛会が組織され、市民の御浄財により、昭和五十五年七月、
現在の総桧、銅板葺きの神明造り御社殿が竣工し、同年七月三十日、遷座祭が斎行される。
さらに社務所、神輿殿の竣工、玉垣新設、庭園造成等の境内の整備事業がなされる。

平成八年、北見神社は明治三十年の創祀から数えて記念すべき百年目を迎え、同年六月二十五日、
御創祀百年記念式年祭が斎行された。

平成十一年十月二十七日、第四十回北海道神社庁神社関係者大会が北見市において開催。
それに先立って北見神社において、藤岡重孝伊勢神宮少宮司、古谷金祐神社本庁統理代理、
片川昭壽神道政治連盟会長代理の正式参拝を賜リました。
 
平成十二年豊受毘売神合祀五十年を迎えるにあたり、石碑三基、歌碑二基、火灯簸一対、
管鸚一対、大幟一対、植樹三百本の記念事業により境内は一新され、
同年六月二十五日豊受毘売神合祀五十年祭が厳粛に斎行された。

平成十六年、駐車場を拡張整備し、平成十八年には御創祀百十年祭を厳粛に斎行した。

こうして北見神社は、氏子崇敬者の共有財産たる、北見の鎮守の氏神神社として今日に至っている。

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↑拝殿・神輿殿↑
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↑表参道↑
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↑例大祭の露店↑
(以下、余談)
工業都市・北見市の総鎮守として当地の開拓当時から鎮座する神社です。

「北見市」は「北見国」から命名されましたが、あまり歴史がある訳ではなく、
明治5年(1872)にノツケウシ村が置かれてから野付牛と呼ばれていました。
付近の屯田兵村の下野付牛は端野神社、上野付牛は相内神社が置かれました。
野付牛町から昭和17年(1942)に北見市政に移行されました。

訪れた当日は例大祭が行われていて、神輿を担いだ男たちが街を練り歩いていました。