野見神社は大阪府高槻市、旧高槻城内北大手(現野見町)にあり、祭神は須佐之男命、野見宿禰命を祀る。
創建の年代は社記に拠れば人皇第五十九代宇多天皇の御宇(西暦887年から897年)当地方に悪病が流行して、
多くの死者がでた時、「社殿を造り、牛頭天皇をお祀りすれば悪病が治まる」というご神託があった。
この神様は、災厄、疫病を追い払うと言われていたことから、
早速お祀りしたところ、悪病はたちまち終息した。
国人たちはおおいに喜び、ここに社殿を造り、牛頭天王社として祀った。
これが当社の起源となる。
その後、享禄、天文間には高槻城主入江駿河守、和田伊賀守などの歴代高槻城城主や家臣の崇敬を集め、
社領の寄進などがあった。
後にキリシタン大名高山右近が耶蘇教を信じ神殿を破壊し、社領を没収。
時の神職は御神体を石清水八幡宮に避難させる。
しかし元和五年、城主となった松平紀伊守は、城内の安全を祈願して、
牛頭天皇社を新造するとともに、社領を寄進した。
慶安二年(西暦1649年)七月、永井日向守直清か城主となって更に社殿を修築し、社領を寄進して例祭日を
十月十四日と定めて、臣下、国人とともに盛大な祭礼を行うようになる。
永井氏治政二百年の後、明治維新を迎えた明治元年の神仏分離令により、牛頭天皇は須佐之男命と名を変え、
更に野見宿禰命を合祀して、「野見神社」と改称した。
例祭は十月体育の日とその前日に執り行われる。宵宮祭、湯神楽奉納、例大祭、御輿渡御と盛大に行われる。
御輿渡御は当社を出発し御旅所まで行き、神幸祭を斎行しその後氏地を練り歩く。
境内は八五〇坪を有し、本殿、幣殿、拝殿、能舞台、社務所がある。
現在の本殿は天和二年(西暦1682年)の建築。幣殿、拝殿は平成十五年の改修事業により新築された。
JR高槻駅、阪急高槻市駅付近の中心市街地付近に鎮座し、ビルのように立派な市役所が近くにあります。
高槻城跡が近い駅南の神社付近は住宅街が広がり、比較的落ち着いた街並みです。
延喜式神名帳に「摂津国嶋上郡 野身神社」と記載のある式内社の論社のひとつとされています。
『大阪府史蹟名勝天然記念物』では式内社に似せるため野見宿禰を合祀して改称したと結論づけ、
上宮天満宮の境内摂社「野身神社」であると比定しています。
9世紀後半、当地方に疫病が流行したことから、悪病退散のため牛頭天王を祀ったのが始まりです。
キリシタン大名・高山右近が神殿を破壊したので、神職は御神体を石清水八幡宮に避難させました。
元和五年、城主となった松平紀伊守は、高槻城内の鎮護祈願のため牛頭天王社を新造、社領を寄進しました。
境内には永井神社があります。藩祖・永井直清の霊神をお祀りし、九代藩主・直進が創建しました。
唐門の前に立つ鳥居には京都卜部家より「直清霊神」の号を受けたことが記されています。
社殿・唐門は藩政期の特色がみられることから、平成17年に高槻市指定有形文化財になりました。