大山祇神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 18:57:28
 

大山祇神社
おおやまづみじんじゃ
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(参拝日:平成24年12月23日)
住所:愛媛県今治市大三島町宮浦3327mapionlogo.gif
主祭神:大山積神
一宮:伊予国一宮
社格:式内社(名神大社)、国幣大社、別表神社
主な祭礼:旧暦8月22日(産須奈大祭)

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↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
大山祇神社は、瀬戸内海のなかでも特に景勝地である芸予海峡の中央に位置して、
大小の島々に囲まれた国立公園・大三島に、日本最古の原始林社叢の楠群に覆われた境内に鎮座している。

鎮祭神は大山積大神一座で天照大神の兄神に当らせられる。

天孫瓊々杵尊御降臨の際、大山積大神、またの名吾田国主事勝国勝長狭命(大山積神の擬神体)は
女木花開耶姫命を瓊々杵尊の妃妃とし、国を奉られたわが国の大神であらせられるが、
同時に和多志大神と称せられ地神・海神兼備の霊神であるので
日本民族の総氏神として古来日本総鎮守と御社号を申し上げた。

大三島に御鎮座されたのは、神武天皇御東征のみぎり、
祭神の子孫・小千命が先駆者として伊予二名島(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司っていたとき
芸予海峡の要衝である御島(大三島)に鎮祭したことに始まる。

本社は社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称せられ歴代朝廷の尊崇、国民一般の崇拝篤く
奈良時代までに全国津々浦々に御分社が奉斎せられた。

延喜式には名神大社に列し、伊予国一の宮に定められ、官制に依り国幣大社に列せられた四国唯一の大社である。

現在官制は廃せられたが、地神・海神兼備の大霊神として千古の昔に変わらぬ崇敬を寄せられ、
全国に奉斎される大山祇神社・三島神社の総本社として、
又数万点に及ぶ宝物類を蔵する国宝の島として四季を通して多数の参拝がある。

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↑斎田↑
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↑境内地図(クリックで拡大)↑
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↑総門・翼舎↑
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↑十七神社↑
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↑神門↑
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↑拝殿↑
(以下、余談)
しまなみ海道を通り、神の島・大三島にやって参りました。
長らく、漁業を行うことが禁止されていたことから、釣船の姿はあまり見かけませんでした。
同じような事例は、広島県の宮島にある、安芸国一宮・厳島神社がそうですね。

国宝・重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割がここに集まっている、国宝の島でもあります。
近現代を通じて、政治や軍事に携わる第一人者からの崇敬が篤く、現在でも自衛隊の幹部の参拝などがあります。

全国に1万社ある三嶋神社・大山積神社の総本社としていますが、
おもに東日本では静岡県・三嶋大社を総本社とする神社が多く分布しています。
どちらを総本社かとするかは諸説あり、結論は出ていません。

おそらく、こうした由緒よりもよく知られているのが「一人角力」ではないでしょうか。
春の御田植神事の前と秋の抜穂神事の後に年2回行われ、三本勝負の相撲を行い、稲の精霊が勝つことによって、
春には豊作が約束され、秋には収穫を感謝するという神事です。
神様との力比べですので、「相撲」を含めた広義の「角力」という字を用いています。
昭和59年を最後に一度は神事が途絶えましたが、しまなみ海道開通(平成11年)を契機に復活しました。

当たり前ですが、しまなみ海道が平成に開通するまでは船でしか訪れることのできない島でした。
高速道路のICは離れた山奥にありますが、本州に向かうフェリーのりばは神社から徒歩で行ける距離にあります。
うさぎ島で知られている大久野島に向かうフェリーを始め、近隣の島に向かう航路が発着しています。

更に余談ですが、「はかたのしお」で有名な会社の工場が立地しています。伯方島ではないんですね。