イタリア閣僚

Last-modified: 2022-03-14 (月) 08:24:52


M3076.pngグイド・ユング

none軍需大臣天才的実業家権威主義者1936年~

略歴:イタリア大蔵大臣(1932年~1935年)
ドイツから移住してきた裕福な正統派ユダヤ人商人の出身。
パレルモ銀行の取締役を務め、1906年にはイタリア王冠勲章(カヴァリエーレ)を受章。
第一次世界大戦で従軍し、イタリア陸軍第25砲兵連隊に所属して、大尉まで昇進した。
1932年に大蔵大臣に就任。
世界恐慌に対応できなかった前任者に代わり、国家の経済への介入を強める政策によって恐慌を乗り切ろうとした。
しかし、ユダヤ人の血を引いていたため、35年に大臣を解任される。
本人は熱狂的なファシストであったが、ファシズムとナチズムは別物だと考えていた。一方で、(ユダヤ人のアイデンティティを捨て)カトリックの洗礼も受ける。
エチオピア戦争にも従軍したが、1939年、イタリア人種法が制定されると、兵役を解かれた。以降は反ファシストに転向。
第二次世界大戦でイタリアが降伏すると、バドリオ政権で一時的に大蔵大臣を務めるも、元ファシストのため米英の圧力により3か月で解任。
その後は新生イタリア軍で再び軍人となった。最終階級は中佐。
1949年に死去。
(筆:フランツ)

M3021.pngパルミーロ・トリアッティ

none国家元首権力に餓えた扇動家レーニン主義1936年~
none外務大臣イデオロギーの闘志レーニン主義1936年~
none内務大臣治安重視急進的左翼1941年~
none情報大臣技術分析の専門家レーニン主義1941年~

略歴:イタリア共産党書記長(1927年~1964年)
ジェノバの下級官吏の家庭に生まれる。
1921年にイタリア共産党に入党、1926年にムッソリーニ政権下でアントニオ・グラムシが逮捕され、イタリア共産党の最高指導者となる。
その後、フランス、スペイン、ソ連などに亡命し、スペイン内戦にも参加。
サロ政権が成立した1944年に帰国し、バドリオ政権に副首相として入閣。
暴力革命を否定した議会制民主主義路線への転換した、サレルノ転換を実施する。
1945年に成立した戦後政権には法務大臣として入閣、王制廃止を支持したが、米英の圧力により1947年に内閣を去る。
トリアッティの行ったサレルノ転換により、イタリア共産党はヨーロッパで最大の統治しない共産党となった。(筆:フランツ)