No.009 | ||||
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46cm三連装砲 | 大口径主砲 | |||
装备属性 | ||||
火力 | +26 | 雷装 | ||
爆装 | 对空 | +5 | ||
对潜 | 索敌 | |||
命中 | 回避 | |||
射程 | 超長 | |||
可装备舰种 | ||||
驱逐舰 | 轻巡洋舰 | 重巡洋舰 | 战舰 | |
轻空母 | 正规空母 | 水上机母舰 | 航空战舰 | |
备注 | ||||
呉海軍工廠砲熕部が極秘開発した世界最大最強の战舰主砲です。 敵战舰に対してアウトレンジが可能な最大射程40kmを超える最新鋭のこの巨砲は、 機密保持のため公式には16インチ砲とされていました。 「三式弾」を用いた強力な对空射撃も可能です。 |
在游戏中
- 現在、艦これにおいて最大最強の艦載砲である。通称46cm砲、大和砲とも。
- 火力はなんと驚きの+26。軽巡2隻分の攻撃力底上げができる。
- 説明文にある通り、この砲単体で三式弾を用いた对空射撃が可能。对空兵装がなくても对空攻撃が行われる。(検証済)
- 設定フル無視になってしまうが大和以外の战舰にも装備できる。46cm三連装砲4基12門装備の金剛型とか胸熱。
- 上記のように、常軌を逸した性能であるがゆえに開発するのも難しい。どのレシピも開発確率は5%未満なので気長にやろう。詳細はこちら?。
小捏他
- 元ネタは「45口径九四式46cm3連装砲」である。これを装備した艦艇は勿論、大和型战舰のみ。艦船に搭載された世界最大の艦砲としてギネスにのっている。
- 46cm砲の次の大きい砲はイギリスの45.7cm砲で、轻巡洋舰フューリアス*1に載せていた。バルト海での対地艦砲射撃を念頭に置いた特殊な設計だったとはいえ、何やってんだお前。
- 蛇足だがフューリアスは厳密には大型轻巡洋舰(Large Light Cruiser)という艦種に属する。轻巡洋舰相当の構造で建造された大型砲艦という意味であり,排水量は約2万tもあった。フィッシャー海軍卿の暴走の産物で,極秘のバルト海直接侵攻作戦のため「だけ」に建造された通称「ハッシュハッシュ(秘密の)クルーザー」である。
- さらにその轻巡洋舰が空母化された後、取り外した45.7cm砲を小型のロード・クライブ級モニター艦(対地艦砲射撃に特化した艦種)に載せてしまった。
30.5cm連装砲と45.7cm単装砲を搭載した、たった6000t級の軍艦である。 - 水上艦との交戦を殆ど考慮せず、艦砲射撃の威力のみを追求したからことできた離れ業ではあるが、流石に無理があったらしく、同級の3隻を除いて類例は存在しない。というか3隻も作ったのかよ。
- 試作されたものに目を向ければ、ドイツの52口径53cm砲(ゲレート36)が世界最大である。1941年頃に製造され、数回の試射が行われたという。
- ちなみに正式名称は「四五口径九四式四〇糎砲」である。そう、40cm砲とある。これは大和が極秘建造された艦艇であり、46cm主砲の存在も隠蔽するための名前だと思われる。
- 46cm砲の次の大きい砲はイギリスの45.7cm砲で、轻巡洋舰フューリアス*1に載せていた。バルト海での対地艦砲射撃を念頭に置いた特殊な設計だったとはいえ、何やってんだお前。
- 最大射程は計算上42kmだが、これは長いかと言えば微妙である。届くかどうかだけではアイオワ級战舰なんか44.1km届く(しかし砲身寿命や命中精度を維持するために実用での射程距離は39kmだった)。
- そして撃っても当たる保証はないため、実用的な射程距離は30km前後であると言われている。20kmが想定交戦距離であると証言する元大和乗員もいる。
- 実際、レイテ沖海戦では金剛さんが「24kmより遠くは観測がディフィカルト(困難)でうまくファイアー(発射)できないヨー!」と証言しているなど、射程超長の威力が発揮できる場面は少なかった模様。
- 参考として、当時最も進んだ射撃管制装置を持っていたアイオワ級战舰の主砲命中率は、同航する战舰大の目標に対して距離27000mで2.7%、18000mで10.5%、9000mで32.7%と計算されていた。
- そもそも『長距離砲戦よりも砲弾1発当たりの威力を追求した結果開発された』とする資料もある。41センチ砲弾3発より46センチ砲弾1発の方がダメージ量は多いとか。
- そして撃っても当たる保証はないため、実用的な射程距離は30km前後であると言われている。20kmが想定交戦距離であると証言する元大和乗員もいる。
- 砲身の寿命=砲齢は常装薬330kgで200発。加算される砲齢は装薬の量で異なり、常装で1、強装363kgで2、弱装165kgで1/4、減装82.5kgで1/16となり、砲暦簿に記録された砲齢が200になると砲身の内筒を交換する必要があった。
- 終戦までに大和、武蔵用に18門、信濃用に7門、発射試験用に2門の計27門が製造され、終戦時には9門が残存し、広島の亀ヶ首射撃場に保管されていた。
この内、射撃試験用の2門は45年11月に、信濃用の5門も46年に現地で破壊された。
残りの2門はアメリカに運ばれ、ヴァージニア州ダールグレン海軍試験場に搬入されたが、特にテストも行われず1950年代にスクラップにされたという。