李承燁(イ・スンヨプ)を揶揄する際に用いられる接頭辞。
韓国での愛称『国民的打者』が由来。
経歴
李はNPBでロッテ・巨人・オリックスの3球団に在籍。
千葉ロッテ時代(2004~2005)
落ちる球に非常に弱く*1三振を量産し、三振を「(国民的)スン振」、空振りする姿を「スンダンス」と呼ばれた。
巨人時代(2006~2010)
前半の2年間はほぼフル出場で30本塁打を超えるなど戦力として活躍したが、2006年終盤の膝の故障の影響もあり落ちる球への対応力が更に弱まる。後半の3年間はおおむねシーズン試合数の1/3~半分程度の出場に留まり、打率は高くて.248、本塁打は多くて16本と低迷に陥る。打撃が期待できない様から「国民的置物」と揶揄された。
オリックス時代(2011)
移籍当初も低調で、打席に立った際に
と、安打(本塁打)を全く期待されていないコールが起こる。9月16日のロッテ戦ではユニフォームを忘れ、体格が近い鴨志田貴司から借りて出場したため「国民的鴨志田」という奇妙な呼び名も誕生した。
中盤以降はチームの得点力不足を補う長打力と勝負強さで存在感を発揮した*2ため、翌年も残留確実かと思われたが自ら2年契約を破棄し退団。会見にて「(中軸としての)期待に応えることができずに、チームに迷惑をかけてしまったと思います。」等の悔恨のコメントを残しKBO(韓国プロ野球)復帰という意外な展開を見せた。同会見にて球団編成部の中村潤氏が李を「韓国の宝であり、『国民打者』とも呼ばれる選手」と称している。
本行動から李はなんJでぐう聖認定され、当時ヘイトを溜めていた金泰均*3と対照的に「メンタル王」という謎の賛辞を受けた。