フィグラーレ史

Last-modified: 2015-09-26 (土) 13:43:00
聖教歴フィグラーレ歴事柄
1年-500年堕天使が降臨し、聖教成立
200年-300年フィグラーレ一帯を竜王『シャフナッツ』が棲みかとする
286年-214年聖地追放。魔王ドロレス軍の侵攻により聖教教会の教皇及び信徒、聖地を追われる
418年-182年教皇領が周辺諸国に主権を承認させ、建国
コンクラーヴェの結果、新教皇としてサラディーノ・レボラ・カヴァリエリが選出
440年-160年第一次十字軍による数か月に渡る遠征も失敗。以後20年ごとに遠征を繰り返す
501年1年第八次十字軍の手で解放された地に教皇の支持により、フィグラーレ王国が建国される
アルべールト・エルツ・フィグラーレ(23)が初代国王として即位
第一次タニストリー(王選会議)開催。翌年レアンドロ・エルツ・フィグラーレ(4)が選出
510年10年旧市街の形成。ドミツィア市街整備一次計画が完了。第一の環状城壁が築かれる
512年12年ドミツィア大聖堂完成
518年16年王都郊外にドミツィア王立学院設立
520年20年フィグラーレ王国、第九次十字軍に参戦も戦費により財政が窮乏する
523年23年魔女ヴェロニカの手により魔術ギルド『Veronica Stregone Alleanza』が王都ドミツィアに設立
535年35年大飢饉、疫病の流行による大災厄で数十万人近くが死亡。疫病に罹患した者達は城外から追い出されて死ぬに任せられた。そうして次の夜アンデッドの群れが都市を襲った。
548年48年初代国王アルベールト(71)が急病に見舞われ、翌年死去。レアンドロが国王即位
620年120年教皇領、第十四次十字軍を機に財政上の問題から中断を宣言
628年128年新市街の形成。ドミツィア市街整備第二次計画が完了。第二の環状城壁が築かれる
633年133年名宰相オルランド・エルツ・メッサーナ卿の下で経済振興策が行われ、フィグラーレ王国が他を凌ぐ経済大国となる
650年150年上級貴族らの街区にて下水道が整備。疫病蔓延が抑制される
1326年676年コンクラーヴェの結果、新教皇としてフェルディナンド・コッリ・バロッコが選出。第十五次十字軍遠征へ意欲を声明
1340年690年前国王死去。第二十九代目国王ガウディーノ・エルツ・フィグラーレ(18)が即位
第四十二次タニストリー(王選会議)開催。翌年フロリアーノ・エルツ・フィグラーレ(2)が選出
1365年718年フロリアーノ死去。第四十三次タニストリーの3年後の開催が予告される
1367年720年現在