目次
注意書き
当SSはネちょ学SSです。
ご出演者であるお三方のお叱りを受けた場合、謝罪と共に削除させていただきます。
また、この話は鬱分を含みますのでご注意ください。
前編
【序】
思えば、僕の人生は何もなかった。
掴んだと思ったものは、掴めてはいなかった。
思えば、僕の人生は何もなかった。
あの、人が小さく切り取った空ですら、僕の手には収まらなかった。
思えば、僕の人生は何もなかった。
あの、澄んでいない空気ですら僕の手を擦りぬけた。
思えば、僕の人生は何もなかった。
人は何かを手に入れ、何かを手に入れる。
それすらできない僕は、人なのだろうか。
思えば、僕の生は何もなかった。
奪い、与えられたものしかなかった。
僕が手にいれようと思ったものは、何もこの手に収まっていなかった。
僕が手にいれたかったものは、何もこの手に収まっていなかった。
欲してすら、いなかったかもしれない。
喪失し、喪失し、喪失し、喪失した。
いつしか、喪失に慣れ、無になった。
思うまでもなく、僕の生には何もなかった。
多分、生という単語すらなかった。
肥え、肥り、食べられる畜生ですら、生を繋ぐ。
僕は生を繋げない。
思うまでもなく、僕に何もなかった。
だから、最後に、生きた感触が欲しかった。
最後に、あの空を手に入れたかった。
最後に、あの空気を手に入れたかった。
最後に、僕の生を手に入れたかった。
最後に、人間らしさを手に入れたかった。
最後に、人生が欲しかった。
最後に、自由が欲しかった。
だから、手を伸ばした。
目一杯、伸ばした。
でも、空は高くて、大きくて、あの切り取られた、小さな空も手に収まらなかった。
でも、空気は柔らかくて、小さくて、握りこんだら、僕の手を擦りぬけていった。
手に入れられたものなどなかった。
でも、求めたという事実だけは本当だった。
だから、僕は人でも良いんだろうか。
だから、僕は生を謳歌したのだろうか。
誰か答えて欲しい。
望んだものが手に入らなくても、望んだものが何も手に入らなくても、望みを叶えようとした僕は生きているのかを。
きっと、優しい人は、そうだよ、と微笑んでくれるんだろう。
そう思うだけで、僕は空に向かって笑えそうだった。
さぁ、あの空にダイブ。
魂があるのなら、あの空にダイブ。
人間にはさようなら、いつか来るでしょう。
だから、僕はあの空の青にダイブ。
空を掴めなかったから、小さくてもどんなに切り取られても手にも収まらなかったから。
せめて、僕は空の一部になりたい。
ダイブ・トゥ・ブルー。
ああ、そうか、呼吸をして、歌わなきゃ。
「見られない未来にも別れを告げて、乞われない幻想に帰ろう」
ああ、誰か泣いているな。
ああ、誰か僕を呼んでいるな。
でも、人間にはさようなら、いつか来るじゃない。
そっと、目を閉じるよ。
瞼の裏の空は暗くて寒いけど、僕の中に収まっているから。
「空に沈む心で、忘れていた呼吸をしよう」
ゆっくり、呼吸をする。
息を吸いこみ、息を吐く。ブレス。
最後が君の傍で良かった。
君は優しいから、僕を生かしてくれるから。
だから、僕は奇麗な思いのまま行くよ。
届かない思いは無垢だから。
僕は綺麗なままで行くよ。
だから、さようなら。
人間にはさようなら、いつか来るじゃない。
【壱】
予想だにしない事が起こるのは、何時もの事だった。
だが、今回は事情が違った。
その一報は学園に伝えられ、衝撃を与えた。
それは、学園内では解決できない事件だった。
誘拐。
一学園が解決に乗り出すような事件ではない。
例え、警察以上に優秀な人材がいようと、単身で解決できる人材がいようと、社会に関わる学園という立場では、どうにもできなかった。
しかし、警察は介入しなかった。
幾ら問い合わせても、まともに対応もしてくれなかった。
そもそも、誘拐された事実はあれど、犯人からの声明は一切ないのだ。
情報が不足していた。
それ以外にも、要因があるのだろう。ともかく、警察は頼れない。その事実だけが学園に重くのしかかった。
特に生徒会の人間の落ち込みようは酷かった。
そう、攫われたのは生徒会の人間だった。
生徒会会計にして、学園のアイドル。攫われた人物はエミーこと、MTUNだった。
彼女を慕う人間も多かったため、その事実は学園にとって、とても重いものだった。
だが、警察は取り合ってもくれない。
まず、学園はその事実を受け止めなければならなかった。それから、MTUNを救う術を考えなければならなかった。
その為に、社会科教師であり、MTUN誘拐の目撃者である狐は呼ばれたのだった。
「さて、どういう状況だったか説明してもらえるかしら」
瀟洒! が狐に説明を求める。
その場にいたのは、てんこあいしてぬ教頭と生活指導の瀟洒! であった。
校長である後悔はしていないは、警察に直談判に行ってしまった為、代わりに教頭であるてんこあいしてぬがこの場の責任者として残されたのだった。
「……あー、その、薔薇十字の刺青が入った人間みたいなのが攫っていったとしか言いようがないのです」
薔薇十字。
その単語を聞いた瞬間に瀟洒! はてんこあいしてぬ教頭を交えて話すべきではないと判断した。
すぐさま、瀟洒! はてんこあいしてぬ教頭を追い出した。
それもその筈だ。
薔薇十字の刺青を入れた人間らしいとしか言えないもの、と言われれば、その道に明るい人間ならば、絶対に関わろうとは思わない。
それほどまでに恐ろしい世界に、知らぬものを触れさせてはならない。
それは瀟洒! の配慮だった。
「正しい判断だと思うのですよ」
てんこあいしてぬ教頭を追い出す姿を見て、狐は笑う。
それを見て、瀟洒! は自分と同じ側の人間だと判断した。
「やはり、こちら側の人間でしたか」
瀟洒! は薔薇十字と言う単語を平然と言った事から既に予測していた。普通は薔薇に巻かれた十字架の刺青、と言うところを狐は薔薇十字と言ったのだ。それはその薔薇十字が意味するものを知っているという事だった。だから、瀟洒! は狐がただの人間ではないとすぐに判断できた。
「まぁ、人間とは違うのですけどねー」
「……狐、ですか」
狐が頷く。
狐は瀟洒! の言う通り狐の怪異だった。
だが、狐はそれ以上は自らの正体について何も言わない。
「瀟洒! 先生。多分、ご自分で解決したいと思っているんでしょうけど、今回はウチに任せてもらえますか?」
狐の意外な申し出。
瀟洒! は狐から情報を聞いてすぐに自分が動くつもりだった。生徒を完全に守るのは不可能だと言う事はわかっていたが、自分の学園の生徒を攫われたのだ。生活指導であり、生徒の安全を守る立場にある瀟洒! はその事実を許して置けるはずがない。だから、瀟洒! はすぐにでも自分の体を矢にして、犯人を探し出し、MTUNを助けたかった。
しかし、助けには狐が行くと言う。
任せて良いものか。瀟洒! は悩んだ。
「瀟洒! 先生の気持ちはわかります。でも、目の前で教え子が攫われたウチの気持ちもわかって欲しいのですよ」
余りに一瞬の事で、あの時の狐は何もできなかった。
狐はそれを恥じていた。それは、確かに教師の持つ感覚として正しかった。
そして、瀟洒! はその言葉を信じようと思ったのだった。
「わかりました。あなたに任せましょう。私はこちらで抑えのきかない生徒を宥めます」
抑えのきかない生徒。狐が察するにそれはゆか眠の事だろう。ゆか眠はMTUNと特に仲が良かった。ならば、人外の力を持って、今すぐに飛び出してしまうだろう。それを止められるのは、確かに長く彼女に関わってきた瀟洒! 以外に有り得ないだろう。
「では、ウチは行くのですよー」
「ああ、待ってください」
狐を呼びとめる瀟洒! 。
「何ですか?」
「その前に無駄をなるべくなくすべく、やらなければならない事があります」
「策、でもあるのですかー?」
「まぁ、そんなところですわ」
瀟洒! の策とは以前、ヘタレが使った空を自在に駆けるビデオカメラだった。
つまり、ヘタレのアンリミテッド・ビデオ・ワークスにゆか眠の死霊を憑依させ、自在に動くビデオカメラにしようというものだ。そのビデオカメラを使えば、MTUNの探索も早く終わらせられる。瀟洒! にはその確信があった。
狐もその説明を聞き、それを使うことに賛成した。
「では、その準備はそちらに任せるのですよ。ウチにはウチの探索法があるのでそれを絡めて連絡を取り合えば、より探索効率が上がる筈なのです」
「探索法、とは?」
「ウチの知り合いに良く鼻の利くのがいるのですよ」
「……信頼できるのですか?」
「大丈夫です。一応、ウチの妹ですから」
「なるほど。では、これを」
瀟洒! は狐に通信機を渡す。
狐はそれを受け取り、部屋を飛び出した。
それを見届け、瀟洒! も自らの仕事をなすべく、部屋を飛び出したのだった。
【弐】
MTUNの目の前には正に怪物と呼ぶべき存在がいた。
七本腕、三つ目、人間の規格には収まらない異様に大きな、象ほどの大きさの体。その姿は正に怪物だった。
だが、MTUNにはその恐ろしげな三つ目が、悲しそうに見えたのだった。
「泣いて、いるの?」
怪物がMTUNを三つ目で見る。
その目には驚きが含まれていた。
それもその筈だ。怪物から見ても、自分は恐れられるべき存在に見える。それに対して、恐れながらも哀れと思われているような言葉を投げかけられたのだ。驚くしかない。
「あなた、人間なの?」
MTUNは再度、訊ねる。
MTUNは人の心に聡かった。
それはMTUNが優しかったからだ。
「なんで、そう思う」
怪物である彼は、人間であるのか、という問いを恐れた。
自らは人間である、怪物はそう何時も思ってきた。
しかし、いざ、それを問われると恐ろしかった。
それは、人間だと思われないだろうという今までの経験則からの思い込みだった。
そもそも、怪物ですら、自らの姿を見て自分が人間である事を忘れてしまうくらいだ。
問いから感じられる気配が怪物である事を疑うものであろうと、最終的には怪物として扱われるのだろうという諦観が怪物の中で強力に巣食ってしまっていた。
MTUNはそれに気付き、より目の前の怪物が人間らしく思えた。
「そう。あなたは人間なのね」
最初から、怪物だったのなら、彼はこんなに悩まなかった。
生まれながらの怪物だったのなら、彼はMTUNを攫う必要もなかった。
彼は、人間と触れ合っていたかった。
何故なら、彼が人間に他ならないからだった。
MTUNはその結論に達し、彼がその恐ろしい七本の腕で自分を襲わない事を判断し、同時にそれを信じられた。
彼女は、何処までも優しかった。
「……こんな姿の人間がいていいのだろうか」
怪物の呟き。
彼の姿は人間ではない。
だが、心は人間だった。
そのギャップが彼を苦しませた。
MTUNはその心を正しく読み取っていく。
怪物の心は無垢な子供のようで、その思考をただ言葉として洩れさせていた。
いや、それは溢れるほどの思いだったのだ。
そう理解するMTUNは怪物の体に触れた。
「人間よ。怪物なら、そんな事は思わないわ」
「……君は僕を人間だと思ってくれるのか……」
気弱な、母からはぐれてしまった幼子のような、そんな表情が怪物の三つ目の顔に浮かぶ。今にも泣き出してしまいそうな顔がMTUNを見つめる。それは期待をしている顔に他ならなかった。彼は人間として誰かに見とめて欲しかったのだった。それは、長い長い夢だった。
「ええ、あなたは人間。人間以外でそんな顔をする人を見たことがないもの」
MTUNはひたすらに優しかった。人の心に聡かった。
怪物にはそれが嬉しかった。だから、その三つ目から涙を流した。
「ありがとう、ありがとう」
後しばらくだけ、怪物の嗚咽は続いた。
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