「えせ経営者」とは
存在が軽いので「えせ」というひらがなにしてある
日本にいるほとんどの「えせ経営者」は問題を解決しない。
という記事がある。それに付け加え、「仕事をしない技術」の意義を書いてみたい。
背景
(1)「理系」の人は賃貸マンションに住んでる
ふつーのサラリーマンである。年収500-600万
(2)「文系」の人は高級マンションか一戸建てに住んでいる。
「えせ経営者」が多い。(失効^H^H執行役員含む)年収900-1000万
ここでの「理系」とは、比較的仕事のエキスパートであることを意味する。
サラリーマンとはいえ、専門家に近いタイプの実務をしてきた人を指す。
一番イメージに近いのは、ノーベル賞をもらった「田中耕一」さんだろう。
ノーベル賞なるほどの研究者が、「主任」という肩書きだった
(ちなみにおそらく、そのときは「賃貸マンション」であろう(苦笑))
のだから、「理系」をイメージするのは簡単だろう。
「文系」とは、人のマネージメントをしてきたことになってる人を指す。
実質上、実務をしたことがないので、中身は知らない。
しかも、イメージが良く分からない。
「これっ」てのはないのだ。単に年を食って順回りしただけ。だから
特に特徴はない。
ちなみに一番イメージしやすいのは「ヒューザー」の「小嶋社長」である。
つまり単なるおっさんである。しかも
「私は法律の細かいことを知らない」
とほざきおった。
「知らない」なら「売らない」というのが「理系」の感覚である。
それが「文系」の人はまるで違うらしい。その代表格が私の言う、「えせ経営者」である。
問題の原因
この「東証事件」問題の原因は
(1)日本に「えせ経営者」しかいない (2)「ITプロ」なる存在もいない
ことに尽きると思います。
(1)「えせ経営者」しかいない
いままでの経営は、はっきりいえば「経営」をしているのではなく、「日本国の中で飲み歩いて
仕事を人脈から引っ張ってくる」、つまり「営業」だけをしていました。
これからは「グローバルスタンダード」がやってくるので、それは不可能です。
だから「えせ経営者」と名前付けをしています。
「私より無能なくせに社長なんてちやほやされやがって」
という嫉妬心だけでは「えせ経営者」とは言いません。嫉妬心がないとは言いませんが。
そもそも、今の日本にいる「えせ経営者」には「本来の経営自体が無理」と主張してます。
ということで。
「えせ経営者」の論理的帰結。
(1)「えせ経営者」及び、その候補らはたくさんいるが、結局実務は理解できず
コンピュータなど「難しい」ことは人任せだ。中身を理解できないのだから。
(2)なんだかんだいって、責任は取らない(人の責任にすることだけは得意だ)
しかし、実は「難しい」から敬遠しているのではない。コンピュータは
嘘を付けないので、実務をすると実力がばればれなのだ。そういう責任の取れ
なさそうなことは安い金を払って、誰かにリスクを負ってもらおうと「だけ」
考えるのがうまい。
だから、なるべく「ITエンジニアとやらのせい」や「イーホームズ」
とかのせいにする。
(3)「えせ経営者」は人にせいにしておいて逃げる。現象としては
「放置しておく」「なるべくそのままにしておく」。
(4)で、逃げ切って人生終了。高級マンションで余生を送る。
(5)ちなみに「理系」の人は「低級マンション」の中で、「責任」
だけを負わされ、いろいろやらされる。「低級マンション」にいるままで。
よって「経営者に責任がある」などと言っても、責任者は聞く耳を持たない。
というより、持つことが出来ない。理由は、
(1)そんな能力はない。責任転嫁の能力だけを磨いたから。 (2)聞かなくても余生は「高級マンション」。何かをしなくても問題なし。
だからだ。
どうせ「経営者を育てない環境が悪い」とか言い出すに決まってる。
きっとバリバリの社会主義国で育ったのだろう(皮肉)。本来なら、
経営者を育てるなんぞ必要ないのに(そもそも保護する必要がない)
「無能」だったらさっさとやめればいいのだ。
結局は、「えせ経営者は責任を取らない」どのみち、従業員に責任を押し付ける。