コンピュータ系特殊技術

Last-modified: 2006-08-27 (日) 12:44:35

コンピュータ系統の場合だけかもしれない技術。

「リーダシップへの温和な非協力」

リーダシップは主に二つの方法がある。

  • >「リスト(TODO)に基づいた命令群と進捗管理による決定」
  • >「簡単な命令を出し、議論によって決定」

どちらであっても結局は仕事をさせようとする方法が違うだけだ。重要なのは
「そのまま仕事をしてはいけない」

「さからってはいけない」
ということだ。どちらも最悪の結果を招く。

軍隊的命令群に大して、いろいろな疑問を提出するのは単に疲労が増すだけだ。
そもそも、部下の言うことなんて聞いていないスタイルなのだから。

また、フレンドリーな感じの、簡単な命令だけだす方法には、そもそも厳密なやるべきリストがでてくるはずもない。そんなものを求めるのは単に無駄なだけだ。つまりやったかやらないかで何も違わない。責任がとてもあいまいだ。それは人の力を引き出せずに終わることがほとんどとなる。引き出してがんばっても、誰も評価しないからだ。

ということで、仕事をしない技術としてはどちらかのリーダシップスタイルに、今属しているか、というのを自分なりに把握する。

把握する必要があるのは「自分からみてどういうリーダシップスタイルに見えるか」
である。そもそも「仕事をしない」ことを重視しているのだから、「本当」がどちらでもいいのだ。

そもそも完全などちら、というのは存在しない。というのも認識しておこう。

そして、完全にはさからわないこと。が重要である。また、そのまま乗ってしまわないこと。
どの程度乗るかは、自分の責任がなるべく少なくなる方向にいくようにするのが重要。
自分からぺらぺらしゃべるのは最悪だ。

「暗黙知は公開しない」

暗黙知とは。知っていても言葉には変換できない経験的、身体的なアナログの知
       思い(信念)、視点、熟練、ノウハウなど

  • >公開すると「不要な」責任が増える傾向にある。出来ることが増えたから
    責任だけが増えるのかもしれないが。
    「責任」は「権限」付きでない限り、すべて「不要」。ま、当然だけれども。
    でも、よくあるんだ、これが。
  • >なぜ?そういう会社の文化だから、と言ってしまえばそれまでだが。
  • >会社という「個人」が存在しないところの「暗黙知」とは、はっきり言えば「各個人」が不要だから公開しようと考えないだけで「暗黙」というのに含まれる「良い」意味が
    全くない為だと思う。
    つまり会社にあるのは「暗黙知」ではなく「沈黙知」である。沈黙知は形式知にすれば
    たんなる「ごみ」だ。よく見る「ごみ」はソフトウェア開発の場合「ISO9001プロセス」とかである。「標準開発プロセス」もそれにあたる。

「ソフトウェア開発」は「逆問題」(解答が先にあって問題が後にくる)問題である

ため、問いが0~無限大存在する。
そのためたくさん「逆問題を解く」をやりすぎると単に問いを増やすだけになる。

  • >「問い」を増やすのは、まあまあプラクティスだが、何がよいかは考慮の余地がある。->適切な責任管理が重要。

自分がコンピュータのように振舞う。

どのみち動作を行うのはコンピュータなのだから、「コンピュータ」だと
どうするか(どう回答するか)を考えつつ振舞う。

例えば「難問」、自分がプログラマだったとして、「願望」を述べられたとき
(「願望」とは、「設計」をされて{いない|できない}「要求」を指す。
(「設計」とはコンピュータ技術上、論理的処理手順を記述できることを指す)

「質問は何ですか?」と尋ねる。(もうすこしオブラートに包んで)
そもそも「コンピュータ」は「処理手順」を入力して、初めて動作する。願望を言うだけでは行動できないのだ。

え?それではコンピュータ並?残念ながら、それでも「従業員」としての給料としては十分だ。考えてみるといい。そもそも自然言語を解するコンピュータのレンタル料を。
月に30万円なわけはない。桁が二つほど違う。というよりレンタル出来ないだろう。

そんなやつであれば、「替わりは誰でもいる」それはそうだが、別に今に始まったことではない。そうであろうがなかろうが、もともと替わりは誰でもいる、従業員なのだから。

「専門家」ならば別だ。時給が普通に\10,000/時間。例えば弁護士とか。
それならば「願望」からでもちゃんとした「解答」をするのは正しいのかもしれない。

が、「従業員」には、ばかげている。給料にも反映されえないし、待っているのはうつ病だ。

電話を取らない。

コンピュータ関連だと、よく電話がかかってくる(分散職場だから)が、どこであろうが
とってはいけない。
なぜなら、理解できる業務範囲が広くなる、あるいは広くなったことを意味するからである。電話を取って誰かに引き継ぐ。それだけといえばそれだけだが、そもそもその場所にいる誰か、というのが理解できるようになったということだ。「仕事をしない技術」的には、それは問題があるのだ。

ということでなるべく電話は無視する。そもそも自分には何の関係もないのだから。

明確な「指示」「命令」以外は聞き流す

従業員は、あくまで「従」である。よって、自分から事を起こす責任は存在しない(それができたら起業家である)よって、すべてが「命令」によって作業を行う。明確でない、「明確」とは自分を基準にして、言っている意味がわかる場合を指すが、そうでない場合は、別に何かを行う必要はない。また、その命令を明確にしてあげる必要もない。

「フィードバック」は行わない。

ソフトウェア開発は一度だけ行う実験を繰り返しているようなものだ。その「実験」に
結果を与えると、仕事が進んでしまう。だから、基本的には「言われたこと」内容そのものを「最小限」にうけとり、その結果については「尋ねられてから」解答する。

もし「終わったら、結果を言え」と言われたら。その通りにする。つまり「尋ねられるまで終了したことに気づかない。」ということである。

つまり自分からは、仕事に関するフィードバックを行わない。

「~と言ってましたよね。」に関しては「言ったかどうか覚えていない」と返す。

普通の人間は「言ったこと」ではなく、「自分の聞きたいこと」を覚えているものだ。
あいまいな記憶の元に、何かを約束する必要は、ひとかけらもない。
ということで「~と言ってましたよね」といわれたら「覚えていませんが」と返すのが正しい。だいたいの人間は何を言ったかなんて覚えていない。

口先だけの確認なんて、何の役にも立たない。

そもそもコンピュータ技術者なのだから、コンピュータの情報を確認すればいいのだ。なんも口先に頼る必要はない。

責任「範囲」の縮小方法

自分が戦って勝ち取るのがもともとおかしいのだ。段々増えるほうがそもそもおかしい。

れすぽんしびりてぃ

ひらがなが書いてみた。英語では「返答」責任。
これも重要である。正確に言えば、どのようにに無視するかが。

そのまーま「返答しない」と、まんま「返答」責任を逃れていることになってしまう。
だから、これを最低限にする技術が「仕事をしない技術」となる。

責任が最小になるべく
・結論があいまいな回答をする。

のは当然として、違うアプローチとして

・技術的回答ではなく、「意味不明内容的回答」を返す

という技がある。本来は技術的内容を返すことが「できる」質問だったとする。
それをわかってて、あえて「字面や、名前が無理っぽいから無理」とか
「内容が良く分からない」とか
技術的で「ない」回答を返すのも有効かもしれないと考えた。

技術的でない回答が帰ってきたら、本来は技術的内容に戻して議論しなければならない。「名前」のつけ方の好き嫌いがどうであろうが、無理っぽかろうが、関係ないのだ

が、どうせ他人は技術なんて知ってるわけは無い。「怠け者よこんにちは」
にあるように、周りは無能ばかりだ。

しかも日本の場合、そもそもソフトウェア開発技術に投資なんてしない。
技術が在ろうが無かろうが、全く関係ない。全部自己満足の世界だ。

問題解決は「仕事をしない技術」ではない。

言うまでもなく、問題は解決してはいけない。
そのままほおって置くのが筋である。

ただし、「問題解決」にも質がある。

  • (1)問題の本質を解決する
  • (2)問題「だけ」を解決しようとする

明らかに(2)は無駄である。が、「仕事をしない技術」的には(1)は都合が悪い。
ということで(2)を推進する方向に持っていく。

「方向に持っていく」という言い方自体が責任を取らない言い方である

「問題」は常に起こっている。いろいろのレベルであるだろう。
が、本質的に問題を解決できる人間は、実は限られている

  • (1)問題の「本質」をとらえ
  • (2)中身が分かる

の二つが必須である。その上経営者であればなおよいが、実は不要である。
「経営」および「予算」権限なら、単に持ってくればいいからである。
「人」はそもそも「経営者」というだけで動かないだろう。

両方兼ね備えるのは、日ごろの鍛錬が必要だと私は思う。
「言うだけ」は簡単。「分かるだけ」なら簡単。

両方できるのが重要なのだ。

どっちも「できはしない」

ということで、上ができないのだから、下はさらにできない。
だんだん「問題」を「うわっつら」だけで解決したことにして済ますことになるだろう。

うわっつらだけを「解決」したことにする方法として「仕事をしない技術」が役立つ。
「解決」したことにすれば、自分には厄祭は降りかからない。

くわばらくわばら。。。。

「聞かない」技術

「仕事」をちゃんとやる人は、技術的に難しいと思うことでも、「ちゃんと」やるのであろう。
まぁ、ほとんど時代遅れであるが。
その場合に重要なのは「聞く技術」である。相手の言うことをじっくり聞いて、真の内容を
理解するのだ。

ということで、「仕事をしない技術」の場合、当然逆なので「聞かない技術」が重要になる。
基本としては、ほんとに知ってようが知らなかろうが「知らない」ということにしておく。
いいんだよ、ほんとに分からないんだから。

「ある」条件が存在し、かつその前提を明らかに出来れば、「分かる」 かもしれないけど、
「ある」条件だけで「分かれ」言われても「分からない」 としか言いようが無い。

というのが基本である。「責任の分散」を「ある」条件(もちろん明かさない)
か、あるいは「その前提」(もちろんさらに自分からは明かさない)に負担させるのだ。

「作業に注目」

また、行動しない技術としては「作業」に注目する手法もある。

よくわからない内容を作業命令とされた場合に良く使う方法だが
「どのように作業をすればいいですか?」
と尋ねる。

1H2W

ちなみに5W1Hは「仕事をしない技術」の中心でもある。

「どのように」how
「なにを」what
「なぜ」why
「いつまでに」when
「どこで」where
「誰が」who

は、どのようにして責任を狭めるかに、使用できる。たいていは あいまいなままに
するために使うけれども。

特に、「どのように」「なにを」「なぜ」はよく使用する。「いつまでに」はあまり使わない。
「温和な非協力」には、期限を定めないほうがいいからだ。

また「どこで」「だれが」はさらに使わない。コンピュータ系だから「どこ」も何もない。
「だれが」は自分しかいない。

ということで「仕事をしない技術」では1H2Wである。

責任の分散方法は多種

「責任の分散」は、方法はいくらでもある。が、問題は適用方法だ。大抵の場合、
相手は責任を負わせたくてしょうがないので、「責任の分散」をさせないようにがんばるのが普通だ。