意義

Last-modified: 2006-08-27 (日) 13:02:43

リスク社会では賃金が変わらない

賃金が変わらずに、仕事量だけが増える。
これに対処するには二つやり方があって

  • 仕事をこなすようにがんばる
  • 仕事を「こなさない」ようにする

が大まかには存在する。

仕事をこなすようにがんばるのは、ここの話では、もちろんない。

「擬態」として

「『擬態』せざるを得ない若手社員たち」のリポートとして「擬態社員」
を紹介している。

p151 引用。

「今の時点で正面きって本音をぶつけて既存の組織を変えようなどと
思っているわけがない」

だれも既存の組織を変えようなんて思ってない。
私の経験では、優秀であればあるほどそう考えている。

「擬態」技術をまとめる。

既に先の見えてしまった環境におかれれば、素直に適応してはいられない
やや屈折した適応のしかたをすることになる

その「擬態社員」の一例として「仕事をしない技術」は新しいライフスタイルとなる
可能性はあると考えている。

それらを具体化すると「仕事をしない技術」になるのかもしれない。

ということで少数ではあるが、指摘している人も既に存在する以上
その「技術」をまとてめおく意義があると思う

『擬態』すら許されなくなる

「擬態」では無理

でも、現実は、さらにハイパーだ。というのも、現代のそういう中にも
まじめに人生を考えている者はいる。そういう人たちにすべての責任を
押し付けてしまう「えせ経営者」「えせ経営管理者」がほとんどだ。

正確に言うと、もともと日本に「経営者」「経営管理者」なる
「人」「者」「状態」がまったくないことが明らかになったというべきか。

本来は、いわゆる「グローバルスタンダード」な経営をせざる得ないのであれば
、即効で一掃orリストラすべき存在だった。世界を相手にするなら、必然的に
経営は難しくなるからだ。なぜなら、

  • 考慮すべき要点が増える(いわゆるITとか)
  • 考慮できる範囲が拡大する(元来は経営は少ない情報ですぐに決断すべき
    職業だった。が、いまは膨大な情報がすぐに手に入る。リアルタイムで、
    各部署の売り上げ傾向が分かってしまうような時代だ。当然経営方法は
    異なるべきとなる)

にもかかわらず、低脳だけを「くび」にした結果、本当に「リストラ」、
(再構築という意味で。一応経営者なので、ある程度有能であり、くびにする
必要はない。)すべき人たちがそのまま残ってしまった。

その結果、「えせ経営者」が出来ないことを下の人に押し付ける結果になった。
それが激増するうつ病だ。

さらなる「責任」委譲

ということで「擬態」だけでは、乗り切れないことが、だんだん明らかになる
と思う。また、本来「リストラ」されるべき「えせ経営者」は絶対に「くび」
になったりはしない。でも「えせ経営者」も何とかしなければならないような
気になることだろう。世間とやらの圧力で。

私が予想するにその場合には、「さらなる責任の委譲」が起こる。
「権限」ではなく、「責任」だけを委譲するだろう。どのみち責任を取ろうとは
思っていないのだから。

というより「えせ経営者」には取れないことすら分からない、というべきか。

なので「責任」委譲に対抗するための「技術」はさらに必要になると考える。

参考文献:
岩間 夏樹 新卒ゼロ社会―増殖する「擬態社員」 角川書店

「社内うつ」とコーピング

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/report/87/index.html?cd=sjm

「社内うつ」という考え方があります。

要するに会社内でぐちってる人々だと思えばいいでしょう。「仕事をしない技術」的には
「対象」が少し違う気がしますが。というのも「愚痴」は「仕事をしない技術」
には出てこないからです。

どちらかというと、「愚痴」は会社側の考えと少し違うから出てくると考えています。
「仕事をしない技術」は根本が会社の考えとは相反しますので「違う」と考えてます。

「事業部制」 + 「ベンチャー」型 要するに悪いところの組み合わせ

あと、この記事では、会社の業務形態をに「ITベンチャー型」「事業部制」とで分けています。

がコンピュータ開発ではライン業務(など存在しないのだが)は「事業部制」、ようするに
部長、課長がいる部分とプロジェクト業務、何らかの開発をしている部分とが重なってるのが
普通だと思います。

コンピュータ開発系ではプロジェクトしかありえないでしょう。もちろん「事業部制」と
しての何らかの役割もします。

つまり

ストレス的には悪いところの組み合わせ

が、いわゆるIT系の特徴です。

会社では、原理的に「努力」は認められない

「努力―報酬不均説」というのが記事にあります。「仕事をしない技術」の核にある考え方なのです。以下引用。

この説によれば、努力と報酬の関係が不均衡になって、努力に見合った報酬が得られなくなるとストレッ
サーが蓄積されて、さまざまな疾患をもたらす可能性が高まるという。

で、現在の「本質的デフレ」では、明らかに報酬は得られない。

この説が正しいとすれば、報酬も増えないのに仕事をしても、単にうつ病になるだけ
なのは明らかなわけです。

「コーピング」としての「仕事をしない技術」

で、「社内うつ」にならない方法としては、「予防」==「コーピング」をあげています。

ただし、私から言わせれば、蒸気の記事に書いてある「コーピング」方法では
意味がないと思います。というより空文を見ている気分です。

そもそも「仕事に見合った報酬がない」ことが問題なわけですから、うまく行ってる人
(そもそもいるの?)の行動を真似ても、その人に合わないことが分かるだけなのでは。と思います。

今までは「仕事量」を「報酬」にあわせようとしてきました。でもそれは無理があります。

それよりは、「仕事をしない」ということで
「報酬」側の変化に応じて「仕事量」を自由にあわせる

ことのできる「仕事をしない技術」の方が優れていると思います。

「株投資」の「空売り」と同じリバレッジ

参考文献:
ニッポン不公正社会

まず、日本の状態に

(1)「正社員」
(2)「契約社員」
(3)「派遣社員」
(4)「パート、アルバイト」

という階級社会になってる、ということにはもちろん同意します。

日本の階級社会で「働く下の人」

日本はすでに階級社会になってるのは間違いないと思います(実感としては)

ただ、「下」がちゃんと働くのはなぜか、という、ある意味日本独特の
構造は「日本人だけ」なのか、それとも「環境だけ」なのかは議論の余地があると思います。

今の日本の政府は格差がついても(もうすでについてるわけですが)ちゃんと働くのを前提
だと思っているようです。若い人もある程度働いているようだ。(ニートというのが話題になるぐらい、「その他」はちゃんと働いているわけだ。でなければ「ニート」なんてのは目立たなくて
ニュースにすらならない)

それはなぜだろうと。

私は、「日本だけ」というのを限定つきで支持します。どの限定かというと

「アメリカ軍」が日本国内にいるから

ということになると思います。つまり、個人、あるいは小さい集団が、なにをしようが、
せいぜいが「こぜりあい」ぐらいにしかならないのは明らかだからです。
そもそも日本の中で内戦を起こそうとも自衛隊にすら負けるのは明白です。

だから「えせ経営者」はたかをくくって、何も改善しようとしない。なにせ自分の
身は何もしなくても安泰だから。

どうするかという回答

ということで「日本」では明らかに外部に向かうのは無意味だから「内部」に向かいましょう。
と提案しているつもりです。

それがこの「仕事をしない技術」だと思っています。

「格差」がついたこの社会で「まじめ」に働いても、まったくの無駄なのは明らかです。
でも、「デモ」も「テロ」も、ましてや「選挙」もばかげてる。

この状態でとれる「真っ当な手段」は「仕事をしない技術」ぐらいだと思っています。

「空売り」と同じリバレッジ

「投資」は「考え方」です。いわゆる「空売り」、株が下がっても儲かる手段として知られて
ますがこの「仕事をしない技術」は「空売り」と同じようなポジションをとる手段として
使用できます。

「下」のポジションしかありえない人には、有効な技術、しかも

「人生としての投資技術」

だと確信しています。

こなさない方法として

ちょうどいいところを目指す。
全部サボるのであればいらない。