ヴィットマン
将軍
| 将軍の情報 | ||||
|---|---|---|---|---|
![]() | コスト | 課金 | 解放条件 | ショップのランダム出現 |
| 階級 | 少将 | HP | 143% | |
| 歩兵 | ★☆★★★★ | 火砲 | ★★☆☆★★ | |
| 装甲 | ★★★★★★ | 海軍 | ☆★★★★★ | |
| 空軍 | ★★★★★★ | 行軍 | ★★★☆★★ | |
| スキル | 効果 | |||
| エース戦車Lv5 | 装甲ユニットを指揮して攻撃する時、敵部隊の防御を100%無視する | |||
| 装甲指揮官Lv3 | 装甲ユニットを指揮する時に、24%の確率で会心の一撃を与える | |||
| 電撃戦Lv3 | 戦車ユニットを指揮する時に、36%の確率で敵を反撃不能にする | |||
| 装甲突撃Lv2 | 装甲ユニットを指揮する時に、与ダメージが+12% | |||
| 鋼鉄の洪水Lv2 | 装甲ユニットの受けたダメージがHPの半分以上を超えた場合、敵に与えるダメージ+10 | |||
概要
「今こそ我らの反撃の番だ!イギリス海峡は敵の墓場となるだろう!」
アップデートで追加された課金将軍。不定期でショップに現れる。
ドイツの有名なエース戦車兵「ミヒャエル・ヴィットマン」その人であり、また世界の覇者4初の実装された武装SS所属の人物でもある。(ゲームだと少将だが、史実の最終階級は大尉)。
防御無視の固有スキルエース戦車を持つ戦車将軍である。
性能
装甲将軍に必須の装甲突撃に装甲指揮官、電撃戦を所持している。固有スキルのエース戦車は全ての敵の防御が輸送船と同じ0状態になるものである。
敵の防御力を無視してそのままの火力を届けるエース戦車により硬い敵*1に対してトップクラスの火力が出る。相手の防御力を無視して攻撃を叩き込めることから精鋭部隊等の防御が高い硬い敵にも火力指数をそのままダメージとして与える事が出来るため、テロリストやキングタイガー等の硬い敵にも安定した高火力を出すことが可能。
ただし、都市耐久はもちろん、防御のリボンや堅守などの被ダメ軽減スキルの影響を受ける。将軍部隊に思ったように火力が出ないとしたら、この減少分が計算に入っていないことが原因である。
運用
全ての敵へのダメージが等しくなるのが特徴。
一般の歩兵ユニット等へのダメージは高くないが、敵の防御が上がると逆転する。挑戦征服の精鋭部隊はすべて防御値が大きいため、マンシュタインよりも高い火力を出すことができる。
また専属称号や寡戦等の制約がないため、イベントの初期ユニットに乗せても活躍できる点がメリットとして挙げられる。エース戦車は常時恩恵を受けることができるスキルであり、使い勝手がいい。
スキルが固定のため、流言や爆破が使えないのが数少ない欠点。征服のスピードクリアに使用したい場合はグデーリアン達とは異なる運用が必要となる。
育成
装甲突撃を強化すればもう一線級の性能になる。指揮官や電撃戦のレベルも上げたい。
小ネタ
覇者3や栄光3でも追加課金装甲将軍として実装された。覇者3では名前がミケーレ・ワイトマンになっていたが、アップデートでミハイル・ヴィットマンに修正された。栄光3ではウェイトマンであり、覇者4でもver1.8でウィットマンからヴィットマンに修正される等表記ゆれが多い。
栄光3では正に最強の将軍であり、彼と装甲元帥バッジを組み合わせることで作品のゲームバランスは崩壊してしまった。
また、覇者3と違い戦車兵服と軍帽は黒から若干青の混じったドイツ空軍風の配色に変わり、「SS」の文字が入った場所は階級章に、軍帽も本来の髑髏マークから国防軍のものに置き換えられている。
騎士鉄十字に刻印された逆鉤十字(よく見ると卍)は健在している。
1943挑戦征服ではNPCドイツがベルリンから生産する...が、ソ連の赤い波にのまれ下手すれば1ターンで瀕死かお陀仏になっている..
最強クラスの彼一人でも太刀打ちできない、物量に任せたソ連の攻撃の恐ろしさがわかる。
歴史回覧のトータライズ作戦(困難)で、砦からキングタイガーに乗った彼が湧く。実際に彼はこの戦いに参加して戦死しているので史実再現だが、ミッションのシモンズ護衛の難易度を跳ね上げている。
史実での最終階級が大尉なのに対してゲームでの初期階級は遥か上の少将、まさかの5階級特進である。
史実
ミハエル・ヴィットマン(Michael Wittmann、1914年4月22日 - 1944年8月8日)は、第二次世界大戦中のナチ・ドイツ親衛隊員。武装親衛隊の第1SS装甲師団(LSSAH) に所属した戦車兵。最終階級はSS大尉。撃破数は戦車138両、対戦車砲132門(諸説あり)
最も多くの敵戦車を撃破した戦車兵の一人である。
最期はシャーマン・ファイアフライの直撃弾を受けて搭乗していたティーガー007号車が大破炎上、搭乗員と共に1944年8月8日、戦死。享年30歳。ヴィットマンと仲間の遺体は、撃破された付近に仮埋葬されたままになっていたが、1983年の道路拡張工事中に遺骨が発見され、現在はラ・カンプのドイツ軍戦没者墓地に埋葬されている。
エピソード
日本ではその主人公チックな経歴と発言、その後の悲劇的な最期などから創作作品や小話で頻繁に取り上げられ、ナチス・ドイツの戦車エースの中でも層を問わず特段に知名度が高い。
パウル・カレルが著した『彼らは来た』に登場する、ヴォルの「ふん、もう勝ったと思ってるな」に対する「そうらしい。では教育してやるか」というヴィットマンの返答がよく知られている。なお、この会話は原著ではそれぞれJa, glauben die denn, sie haben den Krieg gewonnenおよびOffenbar, aber sie sollen sich irren.であり、直訳すると「彼らは既に戦闘に勝ったと思っているのでしょうか?」「そうらしい、だがそれは間違いだ」程度の意味である。したがって、日本でよく知られている「教育してやるか」という表現は、日本語版訳者である松谷健二の意訳に依る部分が大きいことには留意を要する。
そんなヴィットマンの性格は穏やかな人柄であった。また、自分の戦功を褒められるのが苦手な照れ屋であり、酒宴は性に合わず早々で退散するが、決して非社交的という訳ではなかった。会話になると聞き役に回るタイプと他の人物から評されている。また、客観主義に基づいた公正さはいつも部下からの尊敬を受けていた。
当時第12SS装甲師団長であったクルト・マイヤーは彼の戦死を聞いて涙を流したという逸話がある。かつて彼の砲手であり、親友であったロルフ・シャンプは人間性、指揮官としての素質どころか、彼の筆跡までを褒め称えている記録があり、そんな彼は「ヴィットマンが生きていれば、彼との友情はずっと続いたはずだ。」という言葉を遺している。
ヴィットマンは米英の空襲についてこう語っている。「あの紳士がたは、我々がこの憎悪の念を戦いに必要な強さとエネルギーに変えるのを見ることになるでしょう。私の部下たちの願いはただ一つ、最後にはトミー(イギリス人)とアメリカ兵を、自分の砲の正面に捉えることです。我々の唯一の合言葉、それは"報復"です。」

英雄の勲章入ってるパック買って、ロコソフ、パットン、グデに付ける方がいいかも -- 2025-11-13 (木) 18:45:45