小雨を寝かせてくるので、先に居間へ行っていてほしい。
そんな感じのことを昴に言われ、流は現在、屋敷の廊下を真っ直ぐに進んでいた。
いくら広い屋敷とは言え、流にとっては半年前までは頻繁に訪れており、それどころか、小雨に連れられて屋敷探検なるものをしたこともあるぐらいの場所だ。
勝手知ったる人の家。
今更、迷うことがあるはずも無かった。
「お邪魔します」
というわけで、何事もなく居間の前に到着した流は、そこへ続く扉を開いた。
「いえーいいらっしゃい流ちゃーんっ!」
何かいた。
とりあえず閉めた。
『ちょ!? 何で閉めっにゃぁっ!?』
そして屋敷中に衝撃音と奇声が響いた。
「うぅ……流ちゃん酷い……」
「あれは不可抗力でしょう……」
扉を開け、そこにいるはずのない人物がいて、さらにその人物が自分に飛びつこうとしているのだ。
防衛本能が働いて扉をしめちゃうのは仕方が無いことだと思う。
顔面からその扉へ突撃した小雨をソファーの上で介抱しながら、流はそう思った。
というか、何故つい先ほどまで熟睡していて昴に背負われていた小雨がここにいるんだろう。
「ついさっき起きて、流ちゃんが居間に行ったって昴が言ってたから……先回り……」
「隠し通路でもありますよねこの屋敷……」
「え、うん。三つぐらい」
「本当にあるんですか!?」
何だろう、そのちょっとしたカラクリ屋敷。
「え……普通じゃないの?」
「普通にある状況が分からないです!」
普通の屋敷とか家には無くて当たり前だ、そんなもの。
流の家にだって、無い。……探したわけじゃないけど、そのはずだ。
「おいおい……何だ、さっきの凄い音は――って、おや……?」
そんな馬鹿らしい会話をしていたからか、気が付かなかったらしい。
いつの間にか居間の扉が開き、そこにこの家の主であるサメが立っていたことに。
「……お久しぶりです。おじさま」
「あぁ……やっぱり流だったか。久しいな」
当然、初対面なわけがない。
実に半年振りの再会。
気が付けば、二人は自然と柔らかな微笑を浮かべていた。
「小雨も、お帰り」
「ただいまー、パパー」
何故小雨に介抱されているのか、いちいちサメは問わなかった。
おそらくは既に予想が付いているのだろう。
その顔に、若干の苦笑の色が見えるのがいい証拠だ。
「それで、どうしてここに? 確かに昴に呼んでくれるよう頼みはしたが、ぽんさんはまだ来てないはずだが」
丁度仕事が一段落したのだろうか。
流と小雨の向かいのソファーへと腰を下ろしながら、サメはそう問う。
「商店街の方で小雨ちゃん達と会いまして。そのまま招待をされたんです」
「あぁ、ぽんさん経由ではなく直接か。道理で」
それなら納得だ、というようにサメは頷きを一つ。
「ですが、父もそろそろ来ると思いますよ? 時間には基本的に早く動く人ですし」
「ふぇ、ぽんおじさん来るの?」
流の言葉に驚いてか、小雨は横たえていた身体を勢いよく起こした。
もちろん、それはマイナス感情の含まれたものではない。
小雨だって当然のように迷路とは面識があり、さらに言えば随分と懐いている方だ。
だからそれは、むしろ迷路が来ることに対する喜びが大きく含まれたものだった。
「何だ、知らなかったのか?」
「だって誰も教えてくれなかったもん」
来るならおめかししたのにぃ……、と小雨は項垂れる。
「おめかしってな……。そこまでのことか?」
「だってぽんおじさん、小雨のこと子供扱いするんだもんっ。半年振りなんだし、少しは大人っぽくなった私を見せてあげたかったんだよっ!」
「いまだ流にも並べないお前が何を言うか」
「ぱ、パパっ!? それは禁句ってやつなんだよ!?」
痛い所を見事に突かれ、涙目。
でも事実なので反論できない悲しい小雨である。
「禁句云々の前に、小雨お嬢さまはまず好き嫌いを無くすべきかと」
「あぁ、昴。お帰り」
「ただいま戻りました、ご主人様」
声は扉の方。
先ほどのサメ達と同じく、廊下へと続く扉に昴の姿はあった。
「す、好き嫌いは関係ないもん! 牛乳ちゃんと毎日飲んでるもんっ!!」
「カルシウムだけじゃ身長は伸びませんよ」
「うぅぅっ!」
居間へと入りながら、ばっさりと小雨の想いを切って捨てる昴。
相変わらず主従関係がはっきりしないメイドである。
「ところで昴、料理はいいのか? そろそろ作り始めないと間に合わないだろう」
時刻は既に十一時過ぎ。
これだけの人数の食事を作るとなると、そろそろ作り始めないと確かに時間が危うい感じだ。
「大丈夫ですよ。セバスチャンが買い物帰りだからと気を使ってくれまして、下ごしらえの方を引き受けてくれたんです」
「……道理で姿が見えないと思ったら、そういうことだったのか」
秋蘭とて、この屋敷に仕える者だ。
それなりの料理の腕は持っているために、そこに不安要素は無かった。
「秋蘭さん、お料理も出来たんですね」
「まぁ、あいつは基本何でもこなせるからな。どうしてここで執事をしているかが不思議なぐらいだ」
「ふふ、きっとおじさまにそうさせる魅力があるんですよ」
「私にか? さすがにそれは買い被りすぎだろう」
「そういう自覚が無い面も、ご主人様らしいですけどね」
「……こら、どういう意味だ、昴」
「いいえ、何でもありませんよ」
そうにっこりと笑顔で返されてしまい、何も言えなくなってしまう。
こういう時に追求すると、決まって痛い反撃を受けるのは目に見えているのだ。
しかもこのメイド、笑顔で毒舌を吐くことあるから、なおさらである。
「……まぁいい。それじゃあ秋蘭に甘えて、しばらくはここでゆっくりしているとしようか」
そう、昴が腰を深くソファーに深く沈めたときだ。
屋敷内に響いた、チャイムの音。
そして――。
『お邪魔するよ』
玄関からは、サメ達にとっては実に半年振りの声が聞こえてきた。
どうやら、迷路が到着したようである。