小さな来訪者だよ~

Last-modified: 2017-08-05 (土) 00:30:45

平和な昼下がり、突如としてその子はやって来た。
「つぎはいつきちゃんがおにね!うわーにっげろー!!」
「ま、まってみんなぁ~…!はやいよぉ…あれ?…ぬいぐるみ?」
お庭でみんなと鬼ごっこをして遊んでいた樹は、見慣れた風景の中に見慣れないモノがあるのを見つけた。
青い体毛、短い後ろ脚にくらべ太く長い前脚、犬と似ているけれど決定的に違うまんまるな体躯。
「この子…ぬいぐるみじゃない…いきてる!」
暑さにやられたのだろうか、口を開け舌を出し荒い呼吸を繰り返すその子を樹は抱き上げた。
「み…みんなぁ!たいへん…ちょっとてつだって~!」
「なんだいつき、そのようなさくをこうじてよびよせたところをねらうきか…だがこのわたしにはそのような…」
「ちがうの!いいからはやく~!」
いつもとは様子が違う樹の呼び声に、異変を感じた小さな勇者達は続々と集まってくる。
「なんだこいつ…いぬか?」
「くるしそう…あついのかな?」
「とにかくこかげにつれていってやすませよう!」
「わたしおみずくんでくる!」
こうなった時のちびっ子勇者達の判断は早い。心配性の某先生が、園児にはおおよそ不要と思われるような緊急時の対応について語って聞かせた経験が生きる。
子供達の甲斐甲斐しい世話によってその子は落ち着きを取り戻し、よほど疲れていたのだろうか、抱えられた格好のまま小さな寝息を立てて眠りについた。

 

「…で?この子をここで飼いたい…と」
「おねがいおねえちゃ…ふうせんせい!」
年の離れた私のかわいいかわいい妹が、犬のような…犬?この子は犬なの?
とにかく犬のような生き物を連れて来て、飼いたいと申し出てきた。
さすが我が妹!優しい!健気!可愛すぎる!
…しかしながら、自分は首を縦に振るわけにはいかない。生き物を飼うということはとても大変なことなのだ。
「樹…残念だけどここで飼うことは出来ないわ。生き物のお世話をするのはとても大変な事だし、ここには犬…?が怖い子だっているの。」
「そ…そんなぁ…おねえちゃん…じゃあいぬがみはどうなっちゃうの…」
「ここにいるときは先生って呼びなさい。名前までつけちゃって…安心しなさい樹、飼うのは無理だけどそのまま返してこいなんていうつもりもないわ。みんなで飼い主を探してみましょう?とにかくこの子は一度私が預かるから。」
でもと食い下がる樹の腕の中から、犬のような子…犬神を抱え上げ、風はその場を後にした。うう…突き刺さる視線が痛い!

 

「それで風先生…その子どうするおつもりですか?」
「どうもこうも、やっぱりここでは飼えないわ…けど…」
職員室に戻った風は、犬神に餌(ドッグフードなんて常備していないので三好先生のおやつのにぼしで代用)を与えながら、今後の事を同僚の東郷先生と話し合っていた。
奥で私のにぼし!!っと叫んでる人がいるが気にしている場合ではない。二人の先生は目の前の問題にどう対処すべきか計りかねていた。
「あの…風先生?その…この子…浮いてるんですけど…」
「そうねー…浮いてるわねー…え~…これどうしよ…やっぱりこの子犬じゃないのか…」
犬っぽい生き物が宙に浮いている。脚力を利用した大ジャンプでも、鳥のように羽ばたくわけでもなく。
「これ…一般のご家庭で飼えるようなものなの…?」
「さ、さあ…?」
「あー…頭痛くなってきた」
この事件の対処には私の女子力を総動員してもすごく骨が折れそうだ。
頭を抱えて唸っていると、ふよふよと浮いていた犬神が風の肩に着陸し頬を舐めてきた。元気づけているつもりだろうか?
「君はいい奴だなぁ…けど、ごめんね」
やはりどう考えても飼うわけにはいかない。風は犬神を抱え上げると、段ボールに毛布をしいた簡易ベットに犬神を降ろす。
とりあえず子供達に説明をして、他の先生にも相談して…。今後の対応を思案する風の元に直談判の交渉隊が到着したのはその直後だった。

 

「ふうせんせー!とーごーせんせー!いぬがみちゃんかってくれるひといないの…!?」
「うぐ…ヒック…ふつうのおうちじゃかえないって…うううううっ!」
しまった、廊下まで会話が漏れ聞こえていたか。職員室に飛び込んできた小さな勇者達は、皆一様に両目に目一杯涙を溜めて抗議の声を上げる。
「みんな落ち着いて!そうと決まったわけじゃ…」
「けど…いぬがみちゃんはいぬじゃないからむりだって…!とーごーせんせー…いぬがみちゃんをたすけてあげて…?」
犬神を抱え上げた友奈が、上目遣いで東郷を見上げる。潤んだ二対の瞳から放たれる訴えが真っ直ぐに東郷の顔を捉えて…あ…これはまずい…
「ゆ…友奈ちゃん…!風先生!貴方には人の心がないんですか!?」
「ええい!!案の定惑わされてるんじゃないわよ東郷!!」
このままでは四面楚歌だ、どこかに味方になってくれる人は…!
「なあひなたせんせい…わたしからもおねがいだ…いぬがみかってくれたらちゃんということきくから…」
「若葉ちゃん…!!なんて健気…!」
「あんず?あんずはタマたちのみかただよな…?いぬがみたすけてくれたらこのあいだのふりふりすかーとはいて「本当に!?」あっやっぱいまのなし…」
「たかしま…せんせい…わたし…おせわがんばるから…っ」
「…っ!!ぐんちゃん…!」
だめだ、ここに味方はいない…!場所を変えねばこちらがやられる!
脱出経路を見定めるため周囲を見渡した風は、そこで違和感に気がついた。
「樹がいない…?犬神も…」
大混乱の職員室のどこを探しても樹と犬神が居ない。まさか…
嫌な想像が頭を巡り、風は職員室を飛び出した。

 

「ひどいよおねえちゃん…なんとかしてくれるっていったのに…」
樹は犬神を抱えて一人裏山を歩きながら独りごちる。樹の出した結論はシンプルだった。幼稚園では飼えない、犬神の里親探しも難しそう、ならば自分で飼う他ない。
飼い主の見つからない動物がどうなるかを以前聞いたことがある。犬神がそうなったら…そう思うと居ても立っても居られなかった。
とりあえず、あのままあそこに置いておく訳には行かない。裏山には以前みんなで探検した時に見つけたほら穴が有ったはず。
ひとまずはそこで飼おう。餌は自分が毎日届けて…そんな考え事をしていたからだろうか、樹は目の前の急斜面に気付くのが遅れてしまった。
あっ!!と声を上げた時にはもう遅く、足を滑らせた樹は山肌を転がり落ちていく。
張り出した木の根に引っかかって運良く止まることが出来たが、身体中があちこち痛んで立ち上がることもできない。
「…どうしよう、わたし…おねえちゃん…っ」
このままここから動けなかったら。誰にも見つけてもらえなかったら。痛みと共に湧き上がる不安に押しつぶされそうになる。
そんな時、腕の中に抱えて庇っていた犬神が這い出し、樹の頬をひと舐めするとジッと樹を見つめてきた。
言葉を交わすことはできないけれど、その瞳は自分がなんとかする、大丈夫だと語りかけてきているような気がした。

 

「樹ー!!どこなの樹ー!!居たら返事しなさーい!!」
職員室を飛び出した風は園内を駆け回る、しかし一向に探し人は見つからない。
自分の嫌な想像がどんどん大きくなるのを感じながら、その想像を振り切るように走る。
そんな時、裏山の方から飛来する丸っこい生き物が目に止まった。
「犬神!?無事だったのね…!樹は?樹は一緒じゃないの!?」
話しかけても返事がある訳じゃないのに。自分でも分からないくらい気が動転してしまっているようだ。頭の中でどこか冷静にそんなことを考えていると、犬神が風の袖をぐいぐいと引っ張って来た。
「アンタ…まさか樹がどこにいるかわかるの…?」
一縷の望みをかけてそんな事を口にすると、まるで人語を解しているかのように此方を一瞥し、飛んで来た方角へ戻っていく。
「本当に分かるのね…!?案内おねがい!」
風の願いに、犬神はうなづいて応える。
程なくして風は樹のいる場所へ辿り着き、無事救助することに成功。
助け出された樹は、大人でも難儀するような斜面を転がり落ちたはずなのに身体には奇跡的に傷一つ付いていないといった奇妙な点もあったが、無事みんなの所へ帰ることができた。

 

「それじゃあみんな、決めたからには必ず最後まで全員でお世話をするのよ!約束を破った子はおやつ抜きにしますからね!」
「「「はーい!!!」」」
後日。風が安芸園長に拝み倒して説得をしたお陰で、晴れて犬神を園内で飼育することが決まり、この小さな来訪者の起こした事件はひとまず決着することとなった。
「よかったねいぬがみちゃん!これからよろしくね!」
「おまえはきょうからタマのしゃていだ!いくぞふぇんりる!」
「いぬがみちゃんはいぬがみちゃんだよー?へんななまえつけちゃだめー!」
これからどうなるかは分からないけれど、みんながこれだけ楽しそうなら結果オーライかもしれない。きっとこれからこの子を飼う事を通じて、子供達はいろんな事を学ぶだろう…
うーん、さすが私!名采配!!

 

「とーごーせんせー、ふうせんせー…あのね、おにわにこのこがたおれてて…うしみたいだからぎゅうきってなまえつけたんだけど…」
どうやら私に安息の時間が訪れるのはまだ先のようだ…