杏ぐん四丁目誕生日だよ~

Last-modified: 2017-09-17 (日) 00:00:30

「……」
少ないながらも、しかし私にとっては大金である小銭を手に持って、私はある場所を目指して歩いている。
放課後、ランドセルを背負って商店街を歩いている。
「あった……」
目の前には、色とりどりの甘くておいしそうな三角形がたくさん。ケーキ屋さんだ。
「いらっしゃいませー」
やわらかい笑顔の店員さんだ。思わず安心してしまう。
私はぺこりと小さく会釈をすると、早速ショーケースに並んだケーキを眺めた。
ショートケーキ、チョコレート、モンブラン、チーズケーキ、他にもたくさん。見たことのないケーキも一杯ある。
以前は欲しくても買えなくて、買ってもらえなくて、でも、今日は違う。
「どれにしよう……」
でも、私が食べるわけじゃないから、どうしても迷ってしまう。こんなことならあの人に何のケーキが好きか聞いておくべきだった。
「何かお探しですか?」
「えっ……と」
どうしよう、話しかけられてしまった。
……以前だったら、ここで黙り込んでしまったかもしれない。でも、もう今は怖くない。
「大切な人の……お誕生日に、ケーキを贈りたくて」
言えた、言えた!
私は心の中でガッツポーズをする。
「あら、素敵ですね!では、少々ベタですがこちらなんていかがでしょう?」
笑顔の店員さんはそう言って、二段目の三角形を指す。ベタが何なのかはわからないけど、それはイチゴが乗ったショートケーキだった。
……うん、これならあの人も嫌いではないはずだ。と言うか、みんな好きなんじゃないかしら。
私はそう頷くと、喜ぶ彼女の顔を思い浮かべる。……思わず頬が緩んでしまう。
「……うん、それにします」
「はい、少々お待ちください」
店員さんは慣れた手つきでトングを手に取ると、ふと店内を見渡した。
私も釣られて見渡すけど、誰も居ない。このお店のお客は私ひとり。
すると、さっきまで笑顔だった店員さんが急に悪巧みをするような顔になって、私を手招きした。
「せっかくですし、ちょっと付け足しましょう。こちらへどうぞ」
「……?」
言われるがままに、レジの横を通って店員さん側に歩く。ショーケース、裏から見たらこうなってたんだ。
「かわいいお客さんにサービスです♪」
―――――――――――――
「ふう、ただいま」
窮屈な靴を脱いで、ぱたぱたと廊下を歩く。今日も一日疲れたなぁ。一緒に買ったソファーが恋しい。あと千景さんも恋しい。
あれ、そういえば今日は千景さん出迎えに来てくれなかったな。いつもは「おかえりなさい」って言って鞄持ってくれるのに。
……なんてあつかましい私。すっかり生活の一部になって、それが当たり前になっていた。いざなくなると悲しい。
まだ帰ってないのかな、なんて思ったけどそんなはずはない。可愛い靴もあったし、テレビだってほら、音量控えめで起動している。
「千景さ~ん?」
「……あ!おかえりなさい!」
私の可愛い同居人は、ソファーに座って本を読んでいた。あわてたように顔を上げて、私に答えてくれる。
はぁぁ。あわてる姿も可愛いんだから、もうなにをしても可愛いんじゃないかな?
「はい、ただいま」
そんな邪な思いをおくびにも出さず、爽やかな笑顔を見せる。……できてるよね?
「とりあえず、ご飯にしよっか」
「……うん」
ふむ、少し緊張しているように見える。肩がなぜかガチガチだ。私何かしたかなぁ。
―――――――――――――
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
二人で手を合わせる。今日もおいしくできた。
食器を一旦片付けて一息ついてると、我が家のお姫様がそわそわと立ち上がった。
そういえば、さっき夕飯を食べているときもどこかそわそわしていたなぁと思い出す。
「どうしたの?」
「……ちょっと、待ってて」
彼女はそう言って深呼吸すると、冷蔵庫を開けて小さな箱を取り出した。
あれ、あんなの買ったっけ?料理をしているときには目に入らなかったから、隠してあったのかな。
千景さんはその謎の箱を大切そうにゆっくり運ぶと、私の前のテーブルにすっと差し出した。
「……開けてみて」
「?なんだろう?」
言われるがままに箱の封を切ると、生クリームの甘い匂いが私の鼻をくすぐった。
もしかして、これ……
私は彼女が見守る中、恐る恐る箱を開ける。中にあったのは、ショートケーキだった。
拙いながらも、チョコレートの上にチョコソースで「いつもありがとう」と書かれている。
それが何を意味するのかを頭の中で理解したとき、私はお姫様に飛びついていた。
「先生、誕生日おめでっ」
「ちかげさぁぁん!!」

その数刻前。
「……よし、上出来でしょ!」
「はい。すばらしい出来です。きっとお喜びになるでしょう」
「ありがとう、先生。東郷さん」
出来上がったマフラーを見る。黄色にちょっと歪な花柄を少しだけあしらった毛糸のマフラーだ。
「いやー、飲み込みが早いから教え甲斐があったよ」
「初めてにしては、よくできています」
「二人が教えてくれたから。私は言われたとおりやっただけで……」
「それが難しいんだにゃあ~」
伊予島先生にプレゼントがしたくて、何か残るものを贈りたくて、そう悩んでいたら東郷さんが声をかけてくれたのが始まりだった。
同じ学年とは思えないほど落ち着き払った彼女が、「毛糸の襟巻きなんてどうでしょう?」と提案してくれたのだ。
最初は襟巻きがわからなかったけど、知らないうちに隣に居た秋原先生が「ああ、マフラーね」と補足してくれた。
どうせ残るものなら、使ってくれるものがいいと思っていた私はそれを作ることに決めた。
二人は手先がとても器用で、東郷さんは基本的な編み方や、細かい修正を、秋原先生は難しい花柄を監督してくれた。
「私も友奈ちゃんに作ってあげようかしら」と東郷さんも作り始め、放課後残って一緒にちくちく編んでいった。
普段滅多に話すことがない東郷さんだったけど、これが機会になって学校でも話すようになった。友達になれた……のかな。
「きっと先生、びっくりすると思いますよ」
「うんうん、驚く顔が目に浮かぶねー」
「……ほんとうに、ありがとう」
黄色いマフラーを抱きしめる。これは、私にとっても宝物だった。初めて友達と一緒になって作った、大切な宝物だ。
――――――――――――――
「ぢがげざぁぁぁん」
「せ、先生、くるし……」
ケーキを見た先生は、何者かが乗り移ったのかという勢いで私に抱きつくと、わんわんと泣き始めた。
こんな先生は見たことがない。
「あ"り"か"と"う"~」
大丈夫かしら……
でも、そんな先生を見ていると私も嬉しくなった。こんなに喜んでくれているんだ。
ケーキ屋さんで買ったケーキには、普通のショートケーキには無いチョコレートが乗っていた。
店員さんがサービスと言って、私にプレゼントしてくれたのだ。店員さんの手を借りながら、チョコソースで文字も書いた。
少しはみ出たり、上手くなかったりするけど、私はとても満足だった。
「伊予島先生、いつもありがとう。私を助けてくれて、ありがとう」
「あ"あ"あ"あ"~」
……私の声が聞こえているのかもわからない。でも、そんな先生に畳み掛けるように、私はランドセルの中からマフラーを取り出した。
友達と作った、大切なマフラーだ。
「これから、寒くなっていくと思うから。よかったら、使ってくれるとうれしい……」
それを見た伊予島先生は、更に声を大きくして飛びついてきた。
「あ"あ"あ"あ"!」
そんなに泣かれると、私の方は冷静になってしまう。
ケーキをそっちのけで私に抱きついてくる伊予島先生を撫でながら、ふとそんなことを思った。

「……先生、もう大丈夫?」
「う"ん"」
ちーんと先生が鼻を噛む。あれから泣き止むまでにそれなりに時間がかかっていた。薄くした化粧も台無しだ。
「……まさか、こんなに喜んでくれるなんて」
「喜ぶよ!当たり前でしょ!?絶対大切にするから!」
そう言ってマフラーを抱きしめる先生を見て、ああ、作ってよかったと思う。
「……でも、そのケーキはどうしたの?お金は?」
少し落ち着いた先生がそう尋ねてきた。マフラーは手編みでも納得できるけど、ケーキは難しい。
買うにしても、小学生になって間もない私には400円弱だって大金だ。でも、私には貯めることができた。
「……がんばって貯めたの。先生のお陰」
「……まさか」
思い当たる節があったみたいだ。
私は先生と暮らし始めたとき、住まわせてもらうのだから当然だと思って家事の手伝いを申し出た。
でも、先生は私がやるから大丈夫と言って聞いてくれなかった。それでも私がしつこく手伝いたいと言うと、どうしてもと言うならと折れてくれた。
だけど先生はお駄賃と言って、それぞれの家事手伝いに値段を付けた。お風呂掃除20円、洗濯20円……とか。私は断ったけど、先生はお願いだからと押し切った。
そうやってちまちま貯めたお金で、毛糸やケーキを買った。私のがま口の小さなお財布は、いつしか10円玉で一杯になっていた。
私が思い出していると、目の前の先生の目元がまた更に赤くなっていった。
「……先生、ありがとう。これからも……」
……あれ?
「先生……!」
気づけば、そんな先生に私は抱きついていた。
耳から聞こえてくる私の声は、微かに震えていた。
「だいすき……です、いよじま、せんせい……!」
「うん……うん……!」
私の大好きな先生は、震える私をやさしく強く抱きしめてくれた。もう離さないと言わんばかりに。
そのうち、先生も震えて、でもしっかりとした口調で、
「ありがとう、千景さん……私も、大好きだよ」

私の頬をつたっていった涙は、去年までの暗く冷たいものではなくなっていた。
やさしさに、嬉しさに溢れた、私の心を強くする、とても温かい涙だった。

「あしたからも……よろしく、おねがい、します……!」
「うん……うん……!私も、よろしくね……!」

胸に広がる幸せは、この忘れられない大切な思い出は、これからも続いていく。
二人が在るかぎり、どこまでも。