若葉先生とひなたさんだよ~

Last-modified: 2017-09-05 (火) 22:22:13

「先生さようならー!」
「ん、さようなら。気をつけて帰るんだぞ」
「はーい!」
小学生は元気で良い。溢れんばかりの笑顔を見ていると、自然とこちらまで笑顔になってくる。
この国の宝だな。
「……ん?ひなたはまだ帰らないのか?」
窓際に立って中庭を眺めているひなたに声をかける。
彼女は成績も素行も非常に優秀で、非の打ち所のないまさに優等生だ。
このクラスのまとめ役でもあり、どこか同じ学年の生徒と比べても達観している印象を受ける。
帰りの会が終わってからというもの、次々去っていく同級生にあいさつをしながらずっとそこから下を眺めていたらしい。
先ほど友奈が帰っていったので、とうとう一人きり、いや私とで二人きりになってしまった。
「……ええ。少し、わからないところがあって。先生に聞くところを他のみんなに見られたくないものでしたから」
「なるほど。その気持ちはなんとなくわかる」
ようはクラスのみんなに、弱点を知られたくなかったということだな。
皆の前では完璧でありたい、という表れなのだろう。

「それで、何がわからないんだ?私でよければ力になろう」
「若葉先生でなければいけないので、助かりますわ」
私でなければならない?一体何のことだろうか。小学校の先生なのだから、その範囲であればどの教科でも大丈夫なのだが……
すると彼女は振り向き、窓のカーテンを閉めながらとんでもないことを言い始めた。
「私でなければ?」
「はい。……私に、キスを教えてくれませんか?」
「は?……んなっ!?」
突然何を言い出すんだこの子は!
「お、おいひなた、何を言っているかわかって」
「ええ、存じ上げております。ですから、若葉先生でなければならないんです」
思わず顔が赤くなる。小学生相手に何を、と言いたいところだが、私には浮いた話はこれっぽっちもないし、耐性もない。
そのせいで同僚にも弄られる……って今はそんな自虐をしている場合ではない!
「な、なぜキ、キス……を教えてもらいたいんだ……?」
「それが、今日の昼休みにキスがどうとかという話題が出てきて、その時に私、それを経験したことがなくてなんだか恥ずかしくて……」
「い、いいんじゃないか?小学生だし、まだ早いような気もするんだが……」

「もうっ、先生?最近の小学生は進んでいるんですよ?」
それにしても進みすぎなような……
私が小学生の時は、男子と混ざってサッカーをしたり、鬼ごっこをしたり……
あれ……?昼休みに女子と会話した記憶がほとんどないぞ……?
「それに、悔しいじゃないですか。キスってどんな感じ?なんて問いに私が答えられないなんて」
「そ、そうなのか……?」
「ええ、そうなんです。だから、キスを教えてください。若葉先生」
「こ、困ったな……」
本当に困った。こんなとき、つまり小学生の女子に言い寄られたときには、どう対処すればいいんだ……
「そのために私、みんなが帰るのを待っていたんですから。ほら、お願いします」
そう言って人差し指をつんつんと自分の唇に当てる……待て!?
「ほっぺじゃないのか!?」
「当たり前です!そんなのではキスがわかりません!ちゃんと口と口でしないと」
「ちょ、ちょっと考えさせてくれ……」

そう言って教壇に項垂れる。どうしよう、本当に困ったぞ……
わざわざこの為に残っていた彼女には悪いと思うが……その提案を飲み込むのも教師として、いや大人として駄目ではないだろうか……
いや、それとも同性だからセーフなのか?確かにおふざけで同級生としていた友人も学生時代にはいたが……いやいや。
もし万が一、しているところが他の誰かに見られたら……
「あっ、先生」
「ん?どうし」
「ん……」
「んむっ!?」
あまりに唐突に声をかけるので思わず顔を上げてしまった。それが彼女の、ひなたの策略だったとは。
私が前を向くと同時に、私の口にとてもやわらかいものが触れた。目の前にははっきりと瞳を閉じたひなたの顔がある。
よくみると若干緊張しているようで、きれいな眉間には微かに皺が寄っている。
あの彼女でも緊張するんだな、と思うとなんだか落ち着くことができた。
嘘だ。私の方が緊張している。だって初めてだぞ!

「……ふぅ」
「な、な、な……」
「ふふ、ごちそうさまです」
「ひなたぁ!お前なぁ!」
「いいじゃないですか、減るものでもありませんし。小学生がやったことにそんな真剣にならないでください♪」
「そ、そうは言うがな……!私のファーストキスだったんだぞ……!」
「あら♪それはラッキーでしたね!」
「……ひなたはよかったのか?その……私で」
「もう、何度も言わせないで下さい。私は若葉先生がよかったんです」
「む、そうか……」
「ふふ、照れてる先生もとってもかわいいです。写真に撮りたいぐらい」
「も、もうやめてくれ……」
「では……続きはまた、教えてもらいますね?」
「は?続きって……おい!何のことだ!私は何をされるんだ!?」
「さぁ、なんでしょう~?さようなら~」

「……はぁ」
嵐が去って、ため息をつく。本当になんだったんだ……
いや、何が起きたかはわかる。キスをされたんだ。
よりにもよって教え子に。ひなたに。されたんだ……
「初めて、だったんだがな……」
唇に触れると、先ほどの感触を思い出してしまう。
小さく、驚くほど柔らかい唇。背伸びをして目をつぶるひなたの姿。
はぁ……
「はぁ……」
なんで私は、小学生にキスをされただけでこんなにうろたえているんだ……?
それに続きって何だ?深い奴か?いやいやそれはまだ早い!
……いや早いって何だ!?するつもりはない!
「……いや、しかし」
攻められたら、断りきれる気がしないのは何故だ……
「もういい。切り替えよう」
そうだ、私には仕事がある。いつものように業務を終わらせて、いつものように帰り、そしてまた学校へ赴くのだ。
「……忘れよう。今日のことは」

その次の日、ひなたに挨拶をされた私がその唇に見とれていたのは、少し先の話。