闇の友友その5だよ~

Last-modified: 2017-10-01 (日) 23:12:14

「正直に話してほしいな」
乃木園子は高嶋友奈を観察する。
滝のような汗にまみれ、荒い息を吐きながらも乃木園子の視線から目を逸らせない。頭上には山ほどの疑問符が踊り狂っている。
口元にはなんとかこの状況を切り抜けようと形作られた引き攣った笑みが張り付いていた。
無造作に壁際に追い詰められて抵抗を封じられた姿は、今まさに捕食されようとしている小動物を思わせた。
「早くゲロっちゃった方が楽になるわよ」
隣には似合わないサングラスを掛け玩具の警棒で手遊びする三好夏凜の姿もあった。
野外訓練後トイレに立ち寄った高嶋友奈を拉致し、園子が待つ個室へ引き込んだのも彼女の仕業だった。

結局のところ三好夏凜にしてみれば、尋問ごっこの成果が得られたとは言いづらかった。
様々な手段で問い詰めてみたが、結局のところ高嶋友奈は何も知らなかった。
ただ解放直前、二人がこれまでの非礼を詫びた時。彼女は気にしていないと笑ってみせた。
それどころか、自分が力になれるのなら積極的に協力するとまで申し出ていた。
本当に似た者同士だ。自身の口から思わずこぼれた笑みが、三好夏凜にとっての唯一の成果だった。
「それで。何が分かったの」
三好夏凜は缶コーヒーに口を付けながら、雇い主の出す結論を待つ事にした。
乃木園子はしばらく唸ってから、ぴんと人差し指を立てた。
「高奈ちゃんは二人いるんじゃないかな」
口から勢いよくコーヒーが噴き出す。咳込みながら、三好夏凜はここが体育館裏でよかったと心底安堵した。
「まぁまぁ話は最後まで聞いてよにぼっしー。私ね、寝たきりの頃に西暦時代の色んな人の日記を読んだ事あるんだー」
精霊の力を使って検閲を無力化した上でね、と前置きした乃木園子はほとんど黒塗りされていた日記の内容を語り始めた。
そこには己を奮い立たせる多くの決意が書かれていた。厳しい戦いの現実が書かれていた。多くの仲間の喪失が書かれていた。
そして、神樹に取り込まれた高嶋友奈の事が書かれていた。

「亡くなったとはどこにも書いてなかったしー。何百年経とうと、神樹様はずっと生き続けてるわけだよねー」
であるならば、もしも高嶋友奈の精神あるいは意識が神樹の一部として生き続けているのだとしたら。
神樹の内側にあるこの世界においては、西暦を生きた勇者としての高嶋友奈と、今も生き続けている神としての高嶋友奈が並行して存在しうるのではないか。
三好夏凜の脳裏にも乃木園子と同じ推測が浮かび上がる。吸収というキーワードから、うっすらとその目的も見え始めていた。
表情の変化から三好夏凛の得心を読み取った乃木園子はにっこりと笑った。
「うん、私もにぼっしーとおんなじ意見だよー。もうあんまり時間がないってところも」
「午後はサボり決定ね」
三好夏凜はこれから対峙する事になる相手の強大さを想った。たまにはねーと笑う乃木園子の余裕が、やけに頼もしく見えた。

「結城はいつも通り病欠だ。見舞いは私に預けてくれ、責任を持って届ける。東郷も体調が悪そうなら休ませてくれ。それと誰か銀と乃木を知らないか」
乃木若葉が誰に尋ねても、疑問の答えは返ってこなかった。
誰も知らないからではない。誰にでも分かり切っている事だからだ。
「銀は人助けで遅刻、乃木はどこかをほっつき歩いて遅刻か」
大赦の警備網ですら行方が追いきれない二人の遅刻癖は、鷲尾須美が咎めなくなってからというもの日に日に酷さを増している。
一度きつい灸を据えねばならない。乃木若葉は一際深いため息をついて放送席に座り、鷲尾須美から手渡されたカンニングペーパーの内容を読み上げた。
「午後は『護国綱引き』、『護国玉入れ』、『護国ぼたもち競争』から始まる競技を行う」
「システムのアップデートが終わるまでスマートフォンが手元に無いのは不安だとは思うが、この機会に楽しみながら基礎体力を鍛え直してほしい」
執拗に繰り返される護国の部分は聞き流してほしいと願いながら、乃木若葉は足早に放送席から離れていく。
カンニングペーパーを裏返すと、神託を受けた旨を示す小奇麗な文字と大の字で立ち塞がる棒人間が書かれていた。
午後の訓練を辞退する決心を固め、駆け出す足に迷いはなかった。

「結城ちゃん、とっても辛そうだね」
高嶋友奈は結城友奈を観察する。
いつもに比べれば体調も安定しているにも関わらず、その表情からは何の感情も読み取れない。
光を見失った瞳は昏く、斜め下に逸らされた視線は部屋の隅に投げ捨てられている。
こちらに縋り付きながらきつく胴を締める両腕は、心底自己に失望しきっているような冷たい諦めを纏っていた。
結城友奈は本来、極めて臆病で神経質な少女である。震える自己を他者の支えにする事によって地に根差し、何とか安定を保っていられた。
しかし神樹の中の世界では、勇者部には多くの支えがあった。必要とされる事が減った支えは独り中空に漂い、孤独に震えるのみだ。
高嶋友奈はそんな彼女の境遇に同情し、微笑みながら抱擁を返した。
震える結城友奈の背中を慰めるように数度撫でてから、密かに酒呑童子を回収する。
その後急激にリラックスして姿勢を崩し寝転んだ結城友奈と目線を合わせようと、同じように横になった。

「そうだ。気晴らしにいいものがあるんだ。大赦の人が開発してくれた最新のゲームなんだよ」
しばらく見つめ合っていた二人の静寂を打ち破ったのは高嶋友奈だった。
高嶋友奈の口からゲームという単語が出てくること自体、結城友奈には驚くべき事だった。
郡千景との交流の中で新しい趣味を開拓したのか。頭の中で空想した光景を一瞬で掻き消した。
高嶋友奈が自分以外の人間に微笑みを見せている。たとえ刹那の空想であっても、その光景は今の結城友奈には許しがたいものであった。
そしてそれを許しがたいと思ってしまう己の偏狭さこそが、最も許されざるものであろうとも思えた。
自己嫌悪を続けている内にいつの間にやら後ろに回り込んでいた高嶋友奈の手によって、結城友奈の視界が閉ざされる。
背中にぴったりとくっつく高嶋友奈の気配を感じられたおかげで、暗闇の中にあっても不思議と閉塞感はなかった。

「それじゃあ秘密の準備をします」
くすくす笑いながら耳元で囁く高嶋友奈の声。
視界を闇に覆われた今の結城友奈にはそれが外界の全てだった。
「これから結城ちゃんが嫌いなものが出てくるけど、それらは必ず倒せるから。勇者の力で、好きなだけやっつけちゃって」
いくよ、とカウントダウンを始めた高嶋友奈の声に合わせるように、結城友奈は変身の準備をする。
残り二秒。高嶋友奈は結城友奈の心にそっと七人御先を潜り込ませた。
先立って潜らせていた酒呑童子が暴れたおかげで、今や結城友奈の心の中はどんな精霊でも通れるほどの大空洞になっていた。

変身完了した結城友奈が目を開いた時、あたりの風景は一変していた。
無数の桜に囲まれた見た事も聞いたこともない場所だったが、どこか懐かしい匂いがした。
夜風に踊る桜の花が月の灯りで輝いていた。
「綺麗だね。ほら、結城ちゃんがいっぱい」
高嶋友奈が指差す方向には、同じ勇者装束に身を包んだ六人の結城友奈がいた。
震えている一人がいた。泣き出している一人がいた。
戦う前から怯え切った姿は、とても勇者には見えなかった。
怒っている一人がいた。嫉妬にまみれた一人がいた。
憎しみだけで動いているそれらは、とても勇者には見えなかった。
視線から隠れようとする一人がいた。自己顕示欲を隠そうともしない一人がいた。
他者からの評価のみを求めるそれらは、とても勇者には見えなかった。
結城友奈は自身の心の内に昏い炎が燃え盛っているのを感じた。確認の意味を込めて、振り返って高嶋友奈を見つめる。
「結城ちゃんがやりたいようにやればいいよ」
高嶋友奈は、いつものように微笑んでいた。

結城友奈は爆発的に加速して集団に突撃し、震えている一人の襟首を掴むと背負い投げの要領で背中から地面に叩きつけた。
急な衝撃が肺を襲い呼吸が出来なくなっている一人に馬乗りになり、両拳を交互に振り下ろす。
拳から伝わってきたのは現実そのものの感触だったが、どう見ても血は流れていなかった。透明な水のようなものが出ているだけだった。
結城友奈は狂熱に浮かされた頭で、最近はリアルなゲームがあるのだな、と思った。そうして、この面白さを理解し始めていた。
どれだけ技術を磨いても、どれほど力を込めても、拳は不幸そのものを打ち砕けない。孤独そのものを打ち砕けない。
同様に、己の弱さも打ち砕けない。結城友奈にはそれが何よりも歯がゆかった。
しかし今目の前には己の弱さが山と転がっており、それに向けて存分に拳足を振るう事が出来る。愉快だと思った。
殴られ続けていたものは段々と反応が鈍くなり、最後にはボフンと小気味良い音を出して消滅した。
胸の内が爽快感でいっぱいになった結城友奈は、残りの者達へ振り返った。
よく見れば一人増えている。両拳が歓喜に震え、足の筋肉が狂笑するのを感じた。

怒りに身を任せ飛び立してきた一人には、全力のカウンターで対応した。ヒットした瞬間、空気の詰まったビニール袋が弾けるような音がした。
泣き出している一人は気絶させ倒れ伏したところで足首を掴み、キャリーバッグを引き摺るようにして持ち歩いた。
武器代わりに振り回して普段と異なるリーチを愉しんでいると、そのうち消えた。
嫉妬にまみれた一人は抵抗力を奪ってから勇者装束を力尽くで全て剥ぎ取った。
「やめて」と訴え続けるそれを、道端の吸殻をもみ消すようにつま先で丹念に磨り潰した。
蹴って壊した。殴って壊した。頭突きで壊した。踵で壊した。締めて壊した。刺して壊した。斬って壊した。貫いて壊した。
勇気無くして勇者に非ず。勇者無くして友奈に非ず。結城友奈は勇者である。故に、勇者でなければ結城友奈であってはならない。
結城友奈は唯一絶対の慈悲無き原則を掲げ、まったく人間らしい感情をため込んだ己の弱い心を次々と打ち砕いていく。
尽きる事のない七人御先すら許容不可能な量の破壊を終えた結城友奈は、ついに求め続けていた心底からの勇者になりきっていた。
高嶋友奈は照る月の下で、いつものように微笑んでいた。
伸ばされたその右手が結城友奈の頬に触れ、吸収が始まった。