闇の友友その7だよ~

Last-modified: 2017-10-01 (日) 23:17:10

「嬉しそうだね」
高嶋友奈は結城友奈を観察する。
あらゆるものを阻む光の壁の内側で、結城友奈の体は光の粒子に包まれていた。
口元には高嶋友奈と同じ微笑みを浮かべ、静かに目を閉じて神成る時を待ち続けている。
彼女の体に人間性は残っていない。血液と人間らしい感覚は全て高嶋友奈が取り去った。
彼女の精神に人間性は残っていない。勇者に相応しからぬ弱い心は全て、己の手が打ち砕いた。
あらゆる工程を踏み倒し、高速で存在が神へと書き換えられていく。
最初から真相を告げていれば、あるいはもっと早くこうする事が出来たのかもしれない。
だがそれを結城友奈の友人たちは許さないだろう。命を賭してでも阻みに来るだろう。
世界の寿命を延ばすために勇者の戦力を失ったのでは本末転倒だ。
だから、これでよかった。だから、これしかなかった。選択肢なんて、どこにもなかった。
結城友奈の頬を撫でる高嶋友奈はいつも通りの微笑みを浮かべていた。

狙撃地点では、二つの影が互いに向き合っていた。
「神樹様からの神託なんです。邪魔しないでください」
「それがどうしたの」
鷲尾須美は友防仮面を近づけまいと矢の雨を降らせる。
その全ては侵入を拒むための威嚇射撃だった。だが、友防仮面は足を止めるそぶりすら見せずに突き進んでいく。
矢の雨が降っている事は、彼女にとって足を止める理由にはならなかったから。
「友奈さんにしか出来ない特別なお役目なんです」
「だからどうしたの」
鷲尾須美はいよいよ弓を水平に構え、直接友防仮面を狙って矢を射かける。
身体間近を飛び去る矢が掠り当たる度に、友防仮面の体の節々から血が噴き出した。
友防仮面は痛みに足を止めるそぶりすら見せずに突き進んでいく。
掠り傷の痛みは、彼女にとって足を止める理由にはならなかったから。
「神樹様の寿命は近づいているんです。もう世界には時間がないんです!」
「だからそれが一体なんだって言うの!!!!」
叫ぶ友防仮面に向けて反射的に放たれた一矢の軌道は狂い、友防仮面の右肩に直撃した。
弾けるように右腕が後方へ跳ねる。しかし尚も、歯を食いしばって友防仮面は突き進んでいく。
腕の一本や二本は、彼女にとって足を止める理由にはならなかったから。

「鷲尾須美!あなたは……あなた自身は!!どうしたいの!!!」
至近距離まで接近して声を張り上げる友防仮面。胸倉を掴みあげられた鷲尾須美は小さな悲鳴を上げた。
痛みはまったく感じていない。ただ心から溢れ出す怯えが、彼女の体を震わせていた。
生身のままで立ち向かい、数多の矢を受けておきながら全く意に介さず、あまつさえ気迫だけで勇者を圧倒する。
どれほどの覚悟があれば人がここまで強く成れるのか、鷲尾須美には見当もつかなかった。
無意識のうちに両目から涙が溢れ出し、もう次の矢を番える事はできなかった。
勇者でありながらお役目を果たせず、人間でありながら仲間を救おうとしなかった自分への失望が、大粒の雫となって地面に落ちる。
友防仮面は血塗れのまま、泣きじゃくる鷲尾須美を優しく抱きしめる。
「あなた自身が為すべきと思った事を為しなさい。どれだけの過ちを犯しても、生きている限り、出来る事はあるわ」
バトンを託し終えた友防仮面は、力なくその場に倒れ伏した。身体は当の昔に限界を超えていた。
次の未来を選択する権利は、この場において鷲尾須美ただ一人に委ねられていた。

三好夏凜、乃木園子と乃木若葉の戦闘は続いていた。
三好夏凜は完成型勇者である。血のにじむような訓練の中には対勇者戦を想定したものも含まれていた。
その中から無数の有効らしき戦闘法を拾い上げ、順番と組み合わせを変化させてほとんど無限に近い戦術を構築し即座に実践する。
乃木園子もその天才性をいかんなく発揮し、変化し続ける三好夏凜の戦術に即応して攻防に最適なサポートを行った。
対人の訓練を続けてきた二人の間に割って入る程の技量がないと判断しての立ち位置だった。
実際、彼女がいなければもう何度か敗北していただろう。三好夏凜は戦闘する自分を俯瞰しながら、並び立つ仲間を頼もしく思った。
対する乃木若葉の手札も潤沢だった。元々居合道を修めていた彼女は、何人相手であろうとあらゆる妨害をくぐり抜けて一閃を決める戦闘パターンを習得していた。
対策への対策を交互に繰り返す、終わりのないババ抜き。傍から見れば達人同士の演武にしか思えない戦いは、いよいよ苛烈極まっていた。
三好夏凜は両手の斧を全力で投擲した。乃木若葉はそれを難なく弾くと、丸腰の三好夏凜を打倒さんと急襲する。
突進を阻もうと広域を薙ぐ乃木園子の槍を跳躍して躱し、中空で鞘に手をかけた。
「終わりだ」
全身が斬撃圏内に収まった三好夏凜に、不可避の刃が襲い掛かる。

「取っ……たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
必勝の刃は、咆哮する三好夏凛の眼前で動きを止めていた。赤い装束に彩られた両掌が、あらん限りの力で刃を押し留めている。
「真剣白刃取りか。生で見たのは、初めてだ」
乃木若葉は一人の剣士として、その神業に心底感服した。同時に、戦いの終わりを強く予感していた。
眼前に乃木園子の槍が突き付けられる。
乃木若葉は剣の柄から手を放し、後ろ向きに倒れ込んで降参のジェスチャーを示す。もう一歩も動けなかった。
三好夏凜もほぼ同時に、極度の疲労から地面に倒れ伏した。
「不思議だな。技量では、私の方が僅かに上回っていると感じていたのだが」
「仲間と、運と、気迫の差よ。そもそも若葉は悪役に向いてないのよ。今度はサシで模擬戦でもやりましょ」
全部終わったらね、と笑う三好夏凜を見て、乃木若葉もまた呆れたように笑った。
「二人はあの光の壁の内側にいる。間に合うかは分からないが」
「私もう限界。後は任せたわよ、園子」
ヒラヒラと手を振る三好夏凜から託された信頼を受け取った乃木園子は一度だけ微笑み返し、一直線に光の壁へと走り出した。

乃木園子は光の壁の前で思考する。
何度か槍を打ち付けてみたものの、無造作に弾かれる。触れ続ける事すら出来なかった。
この壁が神樹の意思そのものであれば、単純な力では突破する事はできないのだろう。
別のアプローチを構築する必要があった。穴を掘る、空を飛ぶ、内と外の空間を無理やり接続する。
あらゆる手段を脳内で試行し続けたが、どれも効果は薄い。
そもそも敵対者の侵入を阻む壁を突破する、という目的そのものが正確ではないのかも知れない。
乃木園子は更に思考を高速回転させ、やがて一つの結論を導き出した。

友防仮面の応急処置を終えた鷲尾須美のスマートフォンが唐突に鳴った。
『もしもしわっしー。落ち着いたかーい』
受話器から聞こえてくる乃木園子の声。安心感から再び溢れそうになる涙を堪え、鷲尾須美は乃木園子に訴えかけた。
「私は、友奈さんを助けたい。お願いそのっち、私に出来る事を教えて」
『もちもちオッケーだよー。わっしーにしかお願いできない事があるからねー』
全ての指示を聞き終えた鷲尾須美は、呼吸を落ち着けて弓を構えた。
矢を番え、ゆっくりと弓を引く。一矢必中を求められる過酷な状況においても、心持は静寂そのものだった。
気絶している友防仮面に視線を移す。決して力に屈する事なく、心だけで勇気のなんたるかを示して見せた人。
いつか、こんな人になりたい。憧れが自分を奮い立たせるのを感じた。
「…………大誓願」
あらゆる敵意を排除して放たれた渾身の一矢は中空で際限なく輝きを増し、一条の銀流星となって飛翔していく。
それを見届けた鷲尾須美は、もう一つの仕事を果たすためにその場を後にした。

「おー、きたきた。さっすがわっしー、ナイスコントロール」
呑気に語る乃木園子をすり抜けて、光の壁に銀流星が着弾した。
巫女である鷲尾須美が放った誓願の一矢には、神樹との対話を望む心だけが宿っていた。だからこそ弾かれる事なく、壁に刺さり続けている。
想定通りだった。乃木園子は矢頭を手に取り、ゆっくりと語り掛けた。
「ゆーゆ。ずっと辛かったのに、一緒に居てあげられなくてごめんね」
返事はない。
「高奈ちゃん。ずっと一人だったのに、気付けなくてごめんね」
返事はない。
「それでも私は、私達は、誰か一人の犠牲の上で成り立つ幸せな世界で生きたいとは思えないんよ」
返事はない。
しかし乃木園子は決して諦める事なく、伝わるまで語り掛け続ける。
「辛くても苦しくても悲しくても、ゆーゆと一緒に過ごしていたいんだよ。神樹の内側でだけじゃない。
 バーテックスを倒して、勇者のお役目を終えて外の世界に戻ったら、ゆーゆと一緒に行きたいところ、いっぱいある。
 ゆーゆと一緒にやりたい事、いっぱいあるんだよ。皆、ゆーゆにいつもまでも一人で世界を救う勇者をやってほしいなんて思ってない。
 ただ、強い所も弱い所もそのまんまのゆーゆと一緒に生きていたいんよ。そのために、必死で頑張ってるんだよ」

「あっちに、行きたいんだね」
高嶋友奈は結城友奈を観察する。
安らかに閉じていた目は見開き、大粒の涙を流している。
穏やかだった微笑みは崩れ、誰もが目を背けたくなるような悲痛極まる表情がそこにはあった。
あれほど徹底的に排除したはずの弱い心が、結城友奈の胸の奥底から産声を上げて溢れ出していた。
酒呑童子が跡形もなく破壊した精神構造すら瞬く間に回復していく。
矢尻から伝わってくる想いが、人間としての結城友奈を呼び戻していた。
高嶋友奈はそれを当然のことだと感じた。結局のところ、この試みが失敗して最も安堵しているのは高嶋友奈本人だった。
結城友奈の人間性が、人と人との絆が、たかが一柱の策略程度に砕かれる訳もない。
「高嶋ちゃん」
でも、と続けようとした結城友奈の口に人差し指を当て、高嶋友奈はいつものように微笑んだ。
「行ってあげて。皆待ってるよ」
光の壁に亀裂が走り、一部分が割れた。外へと向かう強い風が、二人の友奈に吹きつけていた。

「一緒に行こう」
自らに向けて伸ばされた手を、高嶋友奈は握る事が出来なかった。
「ありがとう。でも私は大丈夫。ここにいるよ」
「駄目だよ」
高嶋友奈は驚愕した。永く一緒に居たが、結城友奈に自らの発言を否定されたのは初めての経験だった。
「高嶋ちゃんも一緒に出なきゃ意味がない!」
言うが早いか、結城友奈は高嶋友奈を抱きかかえて大きく息を吸った。光の壁の穴は随分と小さくなっている。
「勇者部五箇条、ひとつ!為せば大抵、なんとかなぁぁぁぁぁぁぁぁぁるっ!!!!!」
確かな決意と共に、結城友奈は壁の外へと飛び出していった。

「ゆーゆ!神様高奈ちゃん!」
「園ちゃん!」
弾き出された結城友奈を受け止めた乃木園子は、にっこりと笑ってみせた。
後ろで心配しながら事の成り行きを見つめていた鷲尾須美の顔にも、ようやく笑顔が戻る。
結城友奈に抱きかかえられたままの高嶋友奈は頬を赤らめ、所在なさ気に視線を泳がせている。
「さーて神様高奈ちゃんはー、ゆーゆに何か言う事があるんじゃないのかなー」
意地悪そうに笑う乃木園子。長い長い沈黙。
結城友奈から目を逸らしながら指を弄る事に限界を感じた高嶋友奈はついに決心し、地面にしっかりと直立して腰から上体を九十度に曲げた。
「本当に、ごめんなさいっ」
一番の被害者である結城友奈が満開の笑顔で彼女を許したのは、言うまでもない事だった。

それからしばらくして、勇者部ミーティングが行われた。
議題は三つあった。一つは三ヶ月以内に状況を打開するという新たな目標の共有。
二つ目は、そのために勇者部全員を一か所の寮に集める大がかりな合宿を敢行する事。
最後の議題である寮の管理人を乃木若葉が発表すると、部室の扉が開き、保母のようなピンクのエプロンに身を包んだ少女が現れた。
表舞台に出る事に慣れていないのだろう。誰もがそう感じ取れる程に、少女は緊張していた。
その姿を見て驚く者、微笑む者、二十四時間一緒に居られると内心で狂喜する■、反応は様々だ。
だが最終的には全会一致で、彼女は勇者寮の管理人として受け入れられる事になる。
「勇者寮の管理人に任命されました!た、高嶋友奈!314歳です!勇者ではありませんが、皆さんを精一杯サポートしていきたいと思います。どうか、よろしくお願いしますっ!」