雪にぼその5だよ~

Last-modified: 2017-07-30 (日) 00:40:03

「あら雪花ちゃんもう学校終わったの」
「うん、今さっき終わった。おばさん何か残ってる?」
「鱈なら残ってるけど」
鱈、鱈か。ごめん、ちょっと待ってねと言い置いて懐から変身用の端末を取り出すと
画面を指でなぞって、表れたキーボードを軽く叩く。勇者に配られた変身用の端末は
勿論バーテックスの襲来に際して勇者として戦う為に用いられるが、普段使いの携帯としての機能も備えていた。
一時の待機時間があって、ディスプレイに鱈のグラム当たりの栄養素が箇条書きに示される。
ふーん。そう、なるほどね。これがあれって事は、あれをそうしてこうやって。ついでにああしたら…
画面に目を落としうなりながら独り言を漏らす事数分。やがて満足いく答えに至った雪花は顔を上げた。顔に満足そうな笑みが浮かんでいる。
「じゃあ、おばさん。その鱈頂戴」
放課後の下校途中、今晩の食事を作る為に制服姿の雪花が居るのは小さな商店街の中だった。
小さな商店を回っては、必要な物を買い揃えていく。その度毎に小ぶりな袋が両手に増えていく。
通学路からは少し外れた所にあるこの商店街を雪花は気に入っていた。
値段の事もあるが、何より店主と距離が近いのが特徴で、食材の調理について率直に聞ける気軽さが便利だった。
それに人当たりのいい人間ばかりで、何度か通う内に今では顔なじみになってしまった。

 

「そう言う訳で以上の献立になりました」
「了解。もう少ししたら帰るけど何か手伝う事は有る?」
「や、いいよ。後はやっとくからゆっくり帰っておいで」

 

一通りの買い物をし終えて、何を作るかの連絡を入れる。電話口の夏凛の声は少し息が弾んでいて
ああ、訓練中だったかと少し申し訳なくなり、訓練中なのにすぐに電話を取ってくれる事が少し嬉しくもあった。
そうして私はその日の食材と共に部屋へと向かう。これが目下の所の秋原雪花にとっての日常だった。

何で料理を作る事になったかの切っ掛けはほんの些細な物で。
たまたま夏凛の帰りが遅くなる日が有って、荷物の受け取りを頼まれた。それだけ。
インターホンが鳴って何気なく封筒に入ったサプリメントの代金と印鑑を持って玄関に出た私は、渡された箱の重さを腰に受けてふらついて
告げられた代金の額を聞いてもう一度よろめきそうになった。
「――円になります」
「えっ、マジで?」
本当に?really?recently?あっ違う。
思わず口をついて出た言葉はそのまま私の内心をそのまま表し過ぎた物で。
宅配物を届けただけの相手にしてみればそれこそ知った事じゃない。
けれどお前にサプリの価値について何が分かるんだと返されないで曖昧な苦笑を浮かべられたのは
配達員の人も心のどこかで私と同じ事を思ったんだろうか、なんて。
ごめんなさい代金預かってるんです。慌てて預かった封筒をひっくり返してみると、夏凛らしい几帳面さでもって金額分きっちり入ってた。
それにしても神世紀の知らない紙幣から覗く過去の偉人の顔・顔・顔。誰もかれも真面目くさった顔をしているもんだから圧迫面接感が半端無い。
そんな物を持って居るのは気が引けて仕方がないので、早々に配達員の方に手渡してしまって
後の細々した署名やらの手続きをしながら私の頭の一部分はどうでもいい事を考えていた。
夏凛ったらあれで案外ブルジョワジー?いやでもそんな感じしないな。親戚?は何かの時に大赦仮面やってるって言ってたっけ。
給料いいのかな、大赦仮面。一回聞いてみようか。
『大赦仮面さん達は月のお給料幾ら貰ってるんですか。ちなみに私は無給で勇者やってました秋原雪花です』
嫌味か。何と言うか、日頃湯水の様に消費されているサプリメントの意外な価格を知ってちょっと動揺。
どこかで軽く見ていたのに、意外過ぎる高給取りだったなんて。
何かすみません正直あなたの事レンズ越しに見てました。でもどうかこの眼鏡だけは勘弁してください。
大きな段ボール箱をもう一度腰に重力を受けながら部屋の良さそうな所に運び込んで
一息入れながらつくづくサプリと言う物について考える。今まで何気なく夏凛が受け取っている所を見て来たサプリ。意外な高級品だったサプリ。
一回の支払金額があれだとしたら、結構頻繁に届く事を考えて割と月で考えると大変な額になるんじゃないだろうか。
凄く余計な事なんだけど、小市民の私にはとても重要な事に思えた。
そう考えたのが多分全ての始まりだったのだ。何となくの流れでふとその晩夏凛と話し合いを持った。
普通の食事で補える物に関しては置き換えたらいいんじゃないかな?良ければ私が作るけど。ほら、部屋代替わりに。
サプリ愛に厚い夏凛の事だから、サプリでいいと言う可能性は多分にあって、それならこの話はそれで終わっていたんだけど。
雪花がいいなら、お願いするけど。無理はしないでよと意外にあっさり、拍子抜けする位の簡単さで任されて。
それから食事は私の担当。

 

まな板の上の物を刻んで、煮物の味をちょっとみて、湯銭に掛けた里芋の様子を覗きこむ。
菜箸で表面を軽くつつくと少し時間が有りそうだったので使い終わった鍋をさっと洗う。
今ではもう慣れてしまったのだけど大変かそうじゃないかと言われれば、結構大変で
栄養管理に関しては結構以上に緊張もする。
何せ体調の不良がそのまま死に直結する勇者の仕事が日常だから。
もしその日の食事にあれが欠乏していなければ、故人は今日も元気にしていたかもしれないなんて笑えない。
初めはそれこそ念の為にサプリ飲んどく?って日和ってはジト目でそれじゃ意味ないでしょなんて言われたり。
続いたのは、この作業が嫌いじゃないからだ。
私は夏凛さんの生活を支えてこれだけの栄養を提供できますよって澄ました顔してるサプリを失業させてやる為に色々読み漁ったり、苦労したりするのが。
後は、好きだから。棚に増えていく食器であるとか、取り寄せる頻度が減ったサプリだとか、後は食事をする際の相手の反応だとかが。
今はそれで十分。何故好きかなんて理由を考えるのは、きっと当分先の事。