バタビア共和国

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バタビア共和国
República de Batavia
1826年 - 現在
国旗国章
バタビア共和国国旗_1.PNGバタビア共和国国章_0.PNG
標語バタビア万歳目次
国歌バタビアの国歌
公用語スペイン語
首都ブエノスアイレス
大統領ラウル・マリドーナ
副大統領カルロス・ヒリョーネ
元老院議長カルロス・ビネム
代議院議長マーシェル・パベーリ
面積2,780,400㎢
人口3029万5000人
建国日1826年10月22日
通貨アウストラル
公式Twitterhttps://twitter.com/harusame_polan

概要

バタビア共和国(バタビアきょうわこく、スペイン語:República de Batavia)、通称バタビアは、南アメリカ大陸南部に位置する共和制国家である。首都はブエノスアイレス。

歴史

(独立以前~1900年ごろまでは全く考えてなかったので省略)
経済成長と混乱

  • 1903年 石炭・農作物の輸出強化により経済成長が始まる。
  • 1910年 自由党のミデロ・ラウルスが大統領に就任。選挙制度が秘密選挙方式、義務選挙へと変更。
  • 1916年 急進党のホセ・トミンゴが大統領に就任。
  • 1918年 石油事業が国有化される。
  • 1921年 急進党のマラデロ・アレタラールが大統領に就任。この年から経済成長が始まる
  • 1926年 急進党のホセ・トミンゴが大統領選挙で再選される。
  • 1929年 世界恐慌により大打撃を受け、国内経済は不景気に陥る。社会不安が広がった。
  • 1930年 アウグスト・ペデロ将軍がクーデターを起こし軍事政権を敷く。
  • 1932年
    • 8月 ペデロが暗殺され、国民労働党のミレドア・イルテルが大統領に就任。
    • 11月 「委任法」が制定される。
  • 1933年 国民警備隊*1が設立される。
  • 1935年
    • 3月 バタビア中央銀行が設立される。
    • 7月 チリ・アルゼンチン国境紛争が発生。
  • 1937年
    • 10月 「思想規制法」が制定される。
  • 1938年
    • 1月 メキシコ、コロンビアと三国条約を締結。
    • 12月 チリとのブエノスアイレス条約が締結される。
  • 1939年 反社会主義法が制定。反動・社会主義者狩りが行われる。
  • 1939年
    • 9月 第二次世界大戦が勃発。
  • 1940年
    • 5月 軍部のクーデター未遂事件が発生。
  • 1945年
    • 6月 軍事クーデターでイルテル政権が倒れる。ホセ・マリウス将軍が大統領に就任。
  • 1946年 労働党のフアン・カンポラ将軍が大統領に就任し、独裁体制を敷く。経済成長と他国からの経済独立を目指した第一次五カ年計画が始まる。
  • 1951年 第二次五カ年計画が始まる。
  • 1953年 政教分離を推し進めたことでカトリック協会との間に対立が起こる。
  • 1955年
    • 6月 「10月広場虐殺事件」が発生
    • 9月 カルロス・ラファエル将軍がクーデターにより大統領に就任。しかし旧体制派(フアン派)に便宜を図ったことで失脚。
    • 11月 エクトール・アルトロ将軍が大統領に就任。
  • 1959年 ホセ・アルダブル将軍が大統領に就任。「バタビア革命」を掲げた自由主義政策をとり、国有化された企業の民営化や規制緩和などの新自由主義政策を推進した。
  • 1962年 1946年以来の選挙で労働党のエドゥアルド・フレイが大統領に就任。
  • 1965年 労働党のエドゥアルド・レディスタが大統領に就任。1年後にクーデターで失脚。
    軍事独裁政権の誕生
  • 1966年 サルバドール・アレサンドリ将軍がクーデターを起こし独裁政権を敷く。アレサンドリ政権下で3万人以上が死亡する。
  • 1971年
    • 3月 エドゥアルド・ウガルテ将軍が大統領に就任。
    • 12月 ウガルテが失脚。ドミンゴ・エルメス将軍が大統領に就任。
  • 1981年 レオプルド・フレゴリ将軍がクーデターを起こし実権を掌握。
  • 1982年 イギリスとの戦争に敗北しフレゴリが失脚。同年中にラファエル・ヒビョーネが大統領に就任。
    民政移管後
  • 1983年 民政移管がされ、急進党のラウル・マリドーナが大統領に就任した。
  • 1985年 新通貨「アウストラル」を導入。

政治

バタビア共和国は大統領を国家元首とする連邦共和制国家であり、内閣、上下両院制の複数政党制議会を備える。

行政

大統領は国家元首であり、行政権を司る。大統領は5年任期(かつては7年)で直接選挙により選ばれ、3期連続で就任することはできない。就任後、大統領は国務大臣とともに内閣を組織する。
大統領は行政権の他に、バタビア軍の指揮権、議会の解散権、国務大臣の任免権などの権限を有する。
大統領が職務を全うできない場合、副大統領が代行、または大統領に昇格する。

立法

元老院(上院)と代議院(下院)からなる二院制であり、議会はデリシチに位置する。一般投票によって議員は選出され、上院の定員は63人(任期6年)。下院の定員は260人(任期3年)である。

司法

国民最高裁判所は、司法の最上位に位置する裁判所で、最高裁判所長官は大統領によって任命される。

政党

1874年に結成された自由党は、1916年までバタビアを率いたが、その後、急進党に取って代わられた。
1946年以降、フアン・カンポラ将軍が結成した労働党が大きな力を持ち、現在まで影響を残している。
以下は全国的に組織を持つ政党の一覧である。

政党名思想備考
労働党右派・左派
バタビア社会党中道左派
急進党中道右派
民主労働者党極左旧国民労働党
バタビア共産党左派
国民進歩同盟中道右派
民主党中道

外交

バタビア共和国では、国交を結びたい国を募集しています。結びたい方はこのページのコメント欄または公式TwitterのDMまで!
国名国交樹立日相手国のTwitter
インカラア連合王国1985年1月31日https://x.com/iukinkra01?s=21

大使館

国名大使館の正式名称設置日
インカラア連合王国在端院大使館1985年1月31日

地理

バタビアの国土は、南北に3,500キロ以上の長さに及ぶ、ブラジルについで南米で2番目に大きい国で、面積は全体で276万6,890㎢になり、陸地のみでは273万6,690㎢に、水域のみでは3万200㎢に及ぶ。
バタビアでもっとも標高が高いのはメンドーサ州のアコンカグア山(6,962メートル)であり、これは米州と西半球全体でもっとも高い山でもある。反対にもっとも標高が低いのはサンタ・クルス州のカルボン湖であり、海抜マイナス105メートルは南アメリカ大陸全体でももっとも低い。国土の中心はラ・パンパ州の南西である。
バタビアはイギリスが実効支配しているマルビナス諸島の領有権も主張している。

地理的な国土

バタビアは伝統的にいくつかの地理的な区分に分けられる。北は亜熱帯に属し、熱帯雨林が形成されている。西にアンデス山脈、東にはパンパと呼ばれる大草原が広がる。パンパは国土の約25%を占める。ウルグアイ川とパラナ川に挟まれた地方は、メソポタミア地方でパンパと同じく草原地帯である。南緯40度付近に位置するコロラド川以南をパタゴニア地方と呼び、荒涼たる砂漠が広がっている。

地形

国土西部を南北にアンデス山脈が貫き、バタビアの山地や国内最高峰のアコンカグアをはじめとする高山の多くはこの地域に集中する。コルドバ州の西部にもコルドバ山脈が存在するが、標高はあまり高くない。
バタビアの主要な河川はピルコマジョ川、パラグアイ川、ベルメホ川、コロラド川、ネグロ川、サラド川、ウルグアイ川などであり、国内最長の河川はブラジルから流れるパラナ川である。ウルグアイ川とパラナ川は大西洋に流れ出る前に合流し、ラ・プラタ川の河口を形成する。各地域ごとに重要な河川としてはアトゥエル川、メンドーサ州と同名のメンドーサ川、パタゴニアのチュブ川、フフイ州のリオ・グランデ川、サルタ州のサン・フランシスコ川などがある。
パタゴニアを中心にいくつかの大きな湖が存在する。アルヘンティーノ湖とビエドマ湖がサンタ・クルス州に、ナウエル・ウアピ湖がリオ・ネグロ州に、ファグナーノ湖がティエラ・デル・フエゴ州に、コルウエ・ウアピ湖とムステル湖がチュブ州に、ブエノスアイレス湖とサン・マルティン湖はチリとの国境を形成している。国内でもっとも大きい塩湖はマール・チキータである。バタビアの多数の貯水池がダムによって作られている。エントレ・リオス州にはテルマス・デ・リオ・オンドなど、水温は30℃から65℃の温泉があり、川を挟んで対岸のウルグアイ北部にも温泉がある。

沿岸部と海

バタビアは4,665キロの海岸線を有している。大陸の上陸可能地点は非常に広く、バタビアではこの広大な大西洋の浅瀬はバタビア海と呼ばれる。海中には多くの魚が住み、炭化水素エネルギー資源を保有していると予想されている。バタビアの沿岸は砂丘と崖に挟まれている。沿岸に影響を及ぼしている2つの海流のうち、暖流はブラジル海流であり、寒流はフォークランド海流(スペイン語では大西洋海流、もしくはマルビナス海流)である。沿岸の大地では不規則な形状のため、2つの海流は気候に対して相互に影響し、高緯度地方においても気温を下げさせない。ティエラ・デル・フエゴの南端はドレーク海峡の北岸を構成している。

気候

地域によって大きく異なるが、亜熱帯、温帯、乾燥帯、寒帯の4つに大別される。北部は非常に蒸し暑い夏と、穏やかで乾いた冬があり、周期的に旱魃に見舞われる。バタビア中部では雷を伴う大嵐(西部では世界でもっとも多くの雹が降る)のある暑い夏と、涼しい冬がある。南部は暖かい夏と、特に山岳地帯では豪雪に見舞われる寒い冬がある。すべての緯度の地域において、標高の高い地点では冷たい気候となる。

軍事

1985年現在のバタビア共和国軍は、陸軍・海軍・空軍の三軍と準軍事組織の国民憲兵隊からなり、大統領が統帥権を持つ。
バタビア陸軍は兵員12万2000人からなる。その他戦車200両、地対空ミサイル150発などを保有している。
バタビア海軍は兵員6万6000人(その内海兵隊約1万人)からなる。その他潜水艦6隻、駆逐艦20隻、巡洋艦14隻、軽空母3隻の合計43隻と、対艦ミサイル50発などを保有している。
バタビア空軍は兵員4万1000人からなる。その他作戦機280機、武装ヘリ20機などを保有している。
詳細はバタビア共和国軍を参照

地方行政区分

アルゼンチン地方行政区分.png
アルゼンチンは23の州(provincia)と1つの自治市(Ciudad Autónoma)からなる。
1.ブエノスアイレス自治市(Buenos Aires City)
2.ブエノスアイレス州 (Buenos Aires)
3.カタマルカ州の旗 カタマルカ州 (Catamarca)
4.チャコ州 (Chaco)
5.チュブ州 (Chubut)
6.コルドバ州 (Córdoba)
7.コリエンテス州 (Corrientes)
8.エントレ・リオス州 (Entre Ríos)
9.フォルモサ州 (Formosa)
10.フフイ州 (Jujuy)
11.ラ・パンパ州 (La Pampa)
12.ラ・リオハ州 (La Rioja)
13.メンドーサ州 (Mendoza)
14.ミシオネス州 (Misiones)
15.ネウケン州 (Neuquén)
16.リオネグロ州 (Río Negro)
17.サルタ州 (Salta)
18.サンフアン州 (San Juan)
19.サンルイス州 (San Luis)
20.サンタクルス州 (Santa Cruz)
21.サンタフェ州 (Santa Fe)
22.サンティアゴ・デル・エステロ州 (Santiago del Estero)
23.ティエラ・デル・フエゴ州(Tierra del Fuego)
24.トゥクマン州 (Tucumán)

経済

バタビアでは幅広い産業が行われている。農産物は、主要輸出品目は小麦、トウモロコシ、牛肉、ワインなどに加え、1960年代以降は大豆の生産も盛んになっている。1970年度時点で大豆の生産量がブラジル、リベリカに次いで3位の約13%を占めており、大豆輸出量世界第4位である。トウモロコシの生産量はリベリカ、中国、ブラジルに次いで4位。その他にも小麦、ヒマワリ油、グレーンソルガムなどがある。バタビアは牛肉の生産量が1970年度世界4位で、国内消費も肉類の中では最多である。ただし、同年、豚肉や鶏肉の消費量も増加傾向にある。1980年の1人当たり年間豚肉消費量は10年前と比較して77%増であった。バタビアは世界第8位の国土面積を持つ。その広大な土地を活かし、チリ近郊では鉱業が盛んである。鉱業生産は、パタゴニアの石油と、近年は天然ガスも有望視されている。しかし、水質汚染、先住民の人権侵害、開発に関する事前協議がないことなどの環境保護活動が活発なため、開発が不十分である。バタビア国内には他国資本の完成車メーカー10社が自動車を生産している。主に国内農業で使用されるピックアップトラックや多目的車が製造されている。
2度の世界大戦にいずれも直接関与せず、各国への農畜産品の輸出により大きな利益を得た20世紀半ばまでは、世界有数の富裕国であった。第二次世界大戦後、国民主義志向のフアン・カンポラ政権は、保護主義的な工業化偏重政策をとるが、産業構造の転換に成功せず、次第に経済が低迷した。カンポラ以降顕著になった、福祉のための放漫財政や、彼の残した労働組合(CGT)の強さにより、投資のしづらい国となり、1960年代以降の政変に加え、1982年のフォークランド戦争とその敗北、民政移管後も長年の放漫財政のツケや敗戦のショックの影響で混迷する経済状況に安易なポプリスモで対処したため、累積債務は雪だるま式に増えていった。特に1976年から1982年の間には3,000%というハイパーインフレーションを記録、物品の価値は1年間で30倍に跳ね上がり、ペソは紙屑同然と化し、経済は崩壊状態となった。結局、バタビアは1982年に対外債務のデフォルトを宣言した。この間の混迷による富裕層の没落、中産階級の海外流出が続くなど、経済は混迷の度を深めた。
その後、1983年から親米路線を掲げたラウル・マドリーナ政権の新自由主義路線により、年率9%にも達する経済成長を遂げるなど、奇跡的な回復を見せているが、バタビアは債務が不安定である為、いつデフォルトするかはわからない。

関連項目

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*1 秘密警察