UZR連邦

Last-modified: 2023-08-29 (火) 12:18:30

統計

人口
内外総人口:1億6381万人
内地人口:4381万人
外地人口:1億2000万人

面積
本島面積:36099㎢
外地面積:11520000㎢

国営事業所労働者数
総労働者数:560万人
内地従業者数:147万人
外地従業者数:413万人
(民営事業従業者数は含めず)

インフラ
総道路距離:286076㎞
敷設道路:171645㎞

軍事力(2024年現在)

兵力
兵総数:約1億4500万人
歩兵:約4000万
空軍兵:約2000万
海兵:約7500万
その他(工兵、修理兵、特殊部隊など):約1000万

陸軍
戦車
軽戦車:3万7千両
現代戦車(中戦車):約7000両
装甲車4000両

海軍
輸送船:7856隻
海防艦:1000隻
駆逐級:700隻
フリゲート艦:25隻
空母15隻
戦艦3隻
潜水艦26隻

空軍
ステルス戦闘機:20機
旧式ジェット機:1万4500機
爆撃機:3万3000機

地理的視点
広範囲に渡って二島に分離されていて、U字型の宇島、そのU字型島に囲まれる形で本島がある。
元々

歴史

民族時代
1834年~1904年:国名の由来でもあるUZR島は、この長い間、アメリカ政府によって植民地化されていた。その環境は劣悪で、治安はアジア一悪いと言われ、テロや暴動がたびたび起きた。
革命の時代
1903年2月、首都長師の労働者約5万人が、労働環境の改善を掲げて傀儡政府前に集まった。これに対し、UZR共和国政府はアメリカに対し治安管理隊の派兵を要請。だが連日続くストライキや暴動に、アメリカ軍もこれ以上の利害は生まれないとして、治安管理隊の派兵を見送り。共和国政府は、即席で輸入した銃を片手に自力での制圧を決意。政府軍2万人とクーデター隊5万人の非常に激しい戦いとなった。これを大日本帝国政府は好機とみて、歩兵装備のレンドリースと交換条件に、日本にある程度友好的関係(準従属国)になることを要求。これを革命派リーダー国後打公は、少々受け入れがたい要求ではあるものの、同じく従属している沖縄や北海道の民族の現状を見て日本を信じて交渉を成立させた。
一年に渡る長い戦いの末、何とか独立政府の樹立に成功。日本側の陣営に入った。
しかし1947年、大東亜共栄圏は大健闘するも連合国に敗北。ドイツ帝国に支援を受けながら皇道派と裕仁天皇はUZR公国首都曵帝に亡命。枢軸国の主要国では初の降伏だった。
しかし1950年、長い戦闘の末、ナチスドイツはイギリスの首都ベルリンを陥落させました。これによりイギリスは降伏。ロイヤルネイビーほか、多数の装備が鹵獲されたことによりやっと敗退続きのソビエト連邦赤軍に十分な数の装備が行き渡り、ソ連の大量の人的資源の有効活用に成功。満州や中国などの戦線を一気に押し上げ、満州国は解放され、中国は貴州まで進攻される。中国国民政府は縮小化し、中華統一戦線は解体された。一方、従属国の満州が解放されたことによって大日本帝国の再建が始まる。既に多数の赤軍が北海道から東京まで南下してきている。多くの日本人が祖国の復帰に喜んだ。
イギリスが降伏したことを受け、アメリカは枢軸陣営と講和。ハワイ諸島とフィリピンの傀儡化とUZR公国の独立等が認められた。
UZR公国はアジアの独立した共同体として、イギリスの後ろ盾がなくなったニュージーランドに迫り、半ば強引にUZR公国連邦の設立を発表。
改革の歴史
UZR公国及びUZR連邦は、大日本帝国憲法を手本にUZR憲法の草書を基準に政治をしていた。殆ど日本憲法のコピーだが、UZR連邦には天皇的な地位を持った者はいない。そこで政府はソビエト連邦に倣い共和制を選択。名称はあくまで公国だが、中身は共和国だったのである。
第一元首になったのは天皇だったが、独立が認められてからは8年に一回の選挙による国家元首を取り決め、様々な指導者が多種多様な改革を進めていった。
第二元首となった国後は