超ドイツ帝国の歴史

Last-modified: 2024-03-30 (土) 17:45:15

はじめに

解説の概要

基本的には超ドイツ帝国を中心とした歴史の解説。
ただし時には超ドイツから離れて日本とかメルアとかになる。

この世界について

この超ドイツ帝国が存在する星は、普通の地球とは違い、どこか別のもう一つの地球と呼べる星にある。また、この世界での地球は惑星アースと呼ばれている。そして、桜の世界(ワールドオブチェリーブロッサム)という、とある星がある。その星は惑星アースと惑星同盟を結んでおり、桜の世界の帝国軍(後の共和国軍)と、ある人の軍隊が駐留している。ついでに超ドイツ帝国にもその軍隊が駐留している。桜の世界や惑星アースなどの詳しいことは、ぜひ桜の世界か、私のTwitterのDMからご参照ください。
現在の超ドイツ帝国についてはこちらから
ちなみに超ドイツ帝国は桜の世界と同盟関係にある。
桜の世界についてはこちらから
※ちなみに超ドイツ帝国の歴史に桜の世界が登場するのは桜暦4000年以降です。建国から1000年先のこと。
※たまによくわかんないのが入りますが大体Hoi4の真似とかTNOのスーパーイベントをパクってるだけです。

建国~第一次独伊戦争

1000年以上続く帝国の歴史の始まり

桜暦にしてちょうど3000年の時、ドイツ=プロイセン王国の国王が皇帝に戴冠、国名を超ドイツ帝国とし、周辺諸国、主にバラドリア帝国、ロスタ帝国、イタルト王国、イグルサ帝国、フラソード帝国(第二帝政)、カンダリー王国の承諾を経て超ドイツ帝国が成立した。これは超ドイツ成立に関する条約として、現在まで語り継がれているそうな。しかし、超ドイツ帝国は周辺と比べてとても貧弱であり、周辺諸国もとある戦争や事件によってボロボロだったため、この先400年の間は国内の安定化や軍備増強などをすることになった。実際、この先欧州では400年間特に何も起きなかったそうな。
→『世界に冠たる超ドイツよ、永遠なれ』

欧州じゃないところにて

とある古文書より引用。
『ーここはアジア、いわゆる中国大陸といったところか。
ここでは未だに原始的な農業などを営んでいる。
栄えているのは北京と上海、それと南京や重慶、天津など。
国の隣には朝鮮がある。朝鮮は中国にとって一番仲の良い国だ。
朝鮮の下の方には、島がある。恐らく、これも一つの国家だろう。
現在の中国は明王朝。モンゴルを追い払った最強の国家といえよう。』
『ーこの日、明王朝を含むアジアの国家は災難に見舞われた。まず、南方からやってきた台風。この台風によって、アジア各国の農業に被害が及んだ。次に、北方からやってきた遊牧民達。恐らくモンゴルの遊牧民だが、台風の影響で明軍は壊滅状態、朝鮮は軍備が整っていない、下の方の島国とは連絡すらつかない。だが、そもそも蒙古自体台風にやられているはず。だが、甘く見すぎていた。台風はモンゴルに直撃したが、遊牧民たちは地下で農業を営んでいたらしい。さらに、地下への影響があったとしても、それも誤差といえよう。蒙古軍は一気に攻め入り、明と朝鮮はすぐに支配された。』
日本の古事記及び日記より引用。
『ー日本列島全土が壊滅。未曾有の大災害発生。』
『元の軍隊が再度九州に攻め入る。幕府の武士たち大苦戦。』
『第三次元寇、琉球とアイヌの手助けで勝利。』
『ーここは日本列島、下総の地。今日も平和だ。下総の武人は優しい人ばかりで、昨日も助けてもらった。だが、上総とはいつも喧嘩をしている。なぜ上総の人々は優しくないのだろう。そういえば、幕府の人たちもこんな感じだとか言ってたっけ…。』
『ー今日は都へ出かけた。都はどんな町なのだろう、とてもわくわくした。でも、すぐに帰った。都は誰もいなく、天気も悪かった。今思うと、帰ってきたのは正解だったかもしれない。帰ってくる途中で聞いた話だが、九州から台風が来ていたらしい。帰っていなければ、台風に襲われていた。危うく死ぬところだった。』
アフラーカに領土を持っていたパラテゴルの古書より引用。
『ーアフラーカで飢饉発生。黒人が集団で白人を襲う。』
『アフラーカ諸国の内戦。パラテゴルは自国植民地を援助する。』
『パラテゴル植民地勝利。北西のアフラーカ全土併合。』
『アフラーカ大飢饉終結。』
北西メルア植民地の石碑より引用。
『ーアナキズムを名乗る民族が攻めてきた。』
『メルア・インディアン民族統一戦線が結成された。アナキズムは鎮圧されたが、海に出てどこかへ消えてしまった。』
アナキズムの一員の日記より引用。
『ーメルアでの作戦は失敗した。いつの日か復讐してやる。』
『今は日本で潜伏中。日本人はちょろい。みんな優しくしてくれる。さっさとここも占領したいところだ。』
『上の者が日本の占領計画を破棄しやがった。何を考えてんだ一体。』
『上の者は中国へ向かうと言っている。中国大陸は広いってのに、絶対無理だぜ。さっさと日本を占領した方が…』日記はここで途切れている。
どうやら、アジア(特に日本と中国と朝鮮)、アフラーカ、メルアでは大変なことが起きていたようだ。
情報提供・各国の文化財団

平和の終わり? ベルナード・ノーザ事件

超ドイツ帝国の周りは小さな国が沢山ある。そのうちのベルナード共和国とノーザ国が、桜暦3451年の時に揃って超ドイツ帝国に攻めてきた。これは平和条約を無視したものであり、各国はベルナードとノーザを非難した。超ドイツは苦戦するも、なんとかして戦争に勝利した。これら一連の騒動はベルナード・ノーザ事件と呼ばれている。その後、ベルナード共和国とノーザ国は併合、ベルナード・ノーザ協定が結ばれた。その後、周辺諸国は平和の維持をするために再度条約を結んだ。今度は全世界で、約300年間ほど何も起きることなく平和になっていた。

平和を謳歌する全世界の人々

とある日記より引用。
『ー今日も平和だ。人々は皆仲良く過ごしている。ああ、こんな時間を楽しまずにはいられない。あぁ、友人が外で待っている。早く行かなくては…。』
『ー海外では日本のことをどう思っているのだろうか?気になるが、そもそも海外に行くなんて無理な話。僕たちは飛ぶことができない。でも、いつか将来空を飛べたらいいな…。なんて、妄想にふけてても仕方あるまい。しっかり勉強して、平和に過ごそう。』
このほかにも、様々な人が日記を書いており、どれも『平和である』というような文言がなっている。あの条約すげぇな。
…だが、永久な平和は訪れない。この条約は、単なる前座であり、欧州諸国の軍備増強期間、アジア諸国の鎖国開始、アフラーカの分割戦の始まりであったといえる。
→『不安だな…』

ロスタ帝国とイグルサ帝国の条約延長拒否

半永久平和条約は、未だに続いていた。だが、この条約の効力延長を、ロスタ帝国とイグルサ帝国が拒否した。イタルト王国、フラソード帝国、超ドイツ帝国など、様々な国家が非難した。それでも、ロスタとイグルサは引かない。どうやっても、これ以上は無理だ。
せめて自分たちは平和でいよう、そう決心した超ドイツ、イタルト、フラソードは三国間で同盟を結んだ。だが、その同盟をイグルサとラスタが非難。両国の政府は、『我ら優秀な人種である白色人種は、劣等人種である有色人種などと平和にいられるものか。我ら白色人種による世界秩序の形成。これこそが、神が我らに与えた使命なのだ。』そう、宣言し、平和条約は破棄された。
そして、この世界でもまた、欧州諸国による世界各地の植民地化が始まることとなる…。
→『やはり白人至上主義が台頭するのか?』

平和の終わりと帝国主義の広がり

イグルサとロスタは、早速領土拡大に勤しんだ。その頃、超ドイツ、イタルト、フラソードはというと、やはり平和を維持し続けていた。だが、とある過激派の軍団が3カ国でクーデターを工作、イタルトとフラソードの政府が転覆し、イグルサ、ロスタと同じように帝国主義を始めた。超ドイツではそのクーデターが失敗し、政府は転覆しなかった。だが、周辺諸国が帝国主義に侵されているのを見た超ドイツは、せめて自分だけでも理性を保とうと、帝国主義からの解放を秘密裏に宣言。周辺諸国と同じように、外交関係を帝国主義の国家であるように振る舞って行った…。
これが、超ドイツ帝国の、現在まで続くことになる、長く、苦しい戦いの、始まりであった…。
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ヴュディンヴェルング独立戦争

各地で帝国主義が広まる中、唯一理性を保っている(はずの)超ドイツがフラソード国内のヴュディンヴェルング共和国の独立運動に加担して戦争を起こす。この戦争でフラソードは大敗を喫し、帝政が崩壊。翌年の桜暦3746年にヴュディンヴェルング条約が締結され、超ドイツ帝国はヴュディンヴェルング共和国を併合、フラソードは三度目の共和政へ移行した。それから100年間、超ドイツ帝国やイグルサ帝国、イタルト王国などはアフラーカやアジアに進出することになった。
→『大国の血が流れる』

ホロードバン帝国との戦争

桜暦3840年、超ドイツ帝国はアフラーカのホロードバン帝国と戦争をし、東地域を獲得した。俗に言う東ホロードバン条約が締結された。このころになって、超ドイツ帝国は本格的に帝国主義への道へ乗り出していく。だが、それも周辺諸国の解放のため…そう、心に誓っていた。
→『本当に解放できるのか?』

最強にして孤独の国家・メルア合衆国

時は遡り、桜暦3770年。イグルサは窮地に陥っていた!!
フラソードとの戦争で異常に金が消滅した(?)イグルサ(なお戦争には敗北している、敗北者じゃけぇ)。しょうがないからとかいうクソみたいな理由で植民地(主に新大陸の植民地)に課税。そしてさらに課税、追い打ちで課税、もう一つおまけに課税…と、課税しまくっていた。しかし3年後、バストンだかヴェストンだかなんかメルアのどっかの港でイグルサの製品がめっちゃ海に捨てられた!*1もちろんイグルサは大激怒!さらに課税!そしてついにブチギレたメルア民達は「ジョージ・ワシントン」をリーダーに独立戦争を吹っ掛けた!さぁ大変!イグルサは金がない、メルア独立戦争、フラソードに敗北、植民地やばい、3C政策(時代違う)やばい、ア◯ン中国に売りつけて大儲け(やめろ)などと、大量に問題を抱えている(いくつか時代が違うのあったが)!メルアの独立…?植民地風情がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
 ーーーーーーーーーフラソード参戦ーーーーーーーーーー
あっ
…とまぁ、茶番は置いといて。
メルアはフラソード*2の支援を受けてイグルサから独立を果たした。元は13の州だけであったが、フラソードが独立を祝して元々植民地だった地域*3をメルアに売り渡した。その後、南の方にあったエスパノ風味の国*4をボッコボコにして領土を獲得(ついでに西海岸の太平洋に辿り着いた)、ロスタからイレスキを購入、ハワイ王国を転覆させて併合などなど、めっちゃ領土を拡大していった。ついでに工業力もめっちゃ増えて、ほぼ世界最強になったメルア合衆国だったが、当時のメルアは帝国主義ではなく楽観自由主義というイデオロギーを掲げていた。この思想は、全民族が平等でパラダイスみてぇな思想らしい*5。ちゃんと政府はあるけど、政府の人たちも楽観的で、後先を考えないらしい。大丈夫かこの国。だが意外と平和で暴動は起きないし、みんな平等、公民権法が最初からあるから黒人差別なんて起きないし、女性参政権もついてるから女性も政治に色々言える。めっちゃ自由だな。ただ工業力と軍事力に関しては恐ろしく、物凄く強い。どれぐらい強いかというと、ロスタ帝国と戦っても余裕で勝てるほどらしい。当時のロスタ帝国はとんでもなく強いのだが、それを遥かに上回っているという。恐ろしい。ただ、そんな強いメルアは他国との国交を結んでいない。というのも、メルアは楽観自由主義の他にモンロー主義なるものを掲げており、これはメルアが他国に干渉せず孤独に発展を遂げるというものとかいわれている。要は他国が戦争してても俺らには関係ねぇって感じらしい。なお後にモンロー主義は一時的に撤廃されるらしい*6
→『やはり孤独になるのが米国だな。』

日本の開国と日独関係の始まり

桜暦3853年、前述したメルア合衆国が日本に来訪、開国を要求した。翌年に再度来訪し、日本は中国が負けたことを知っていたので普通に開国を受け入れた。弱腰幕府がヨォ…。そしてそれからブリタニエン(イグルサ)とかルスラント(ロスタ)とかニーダーランテ(オランダ)とかその他多数が日本と国交を結んだ。もちろん超ドイツも。
それから何年かしたあと、日本は内戦に突入、幕府vs新政府の戊辰戦争が始まった。とりあえずそれすっ飛ばして、新政府が勝利。色々あって富国強兵していった。これを機に超ドイツ帝国は日本に急接近。日本と対等な条約を結んだ。めっちゃ日本と仲良くなった。その理由とは、帝国主義に侵されていない強国だと確信したから。現に、日本は不平等条約撤廃に勤しんでいるし、列強諸国との関係もよくなってきている。その為、超ドイツの勢力に加えれば良い仲間ができると確信したのだ。ちなみに日本は何もわかっていなかったらしいが、「超ドイツの女性たち可愛すぎだろ!」ってなってたらしい(は?)。そういえば、日本の皇太子様のご兄弟がドイツの女性に恋をしたとか言ってるらしい。ちょっとやばいんじゃないのこれ。なお、日本は憲法を定めたことによって国号を大日本帝国というものに変更した。
→『天皇陛下万歳!万歳!万歳!』

ソロ・ラーンバスタ公国

日本の開国から2年後の桜暦3856年、フラソード国内のソロ・ラーンバスタ公国で独立運動が多発、フラソードはソロ・ラーンバスタに侵攻、超ドイツ帝国はソロ・ラーンバスタを支援し、フラソードと二度目の戦争が起きた。約5ヶ月の戦闘の末、ドイツ側が勝利、ソロ・ラーンバスタ協約が結ばれ、ソロ・ラーンバスタ公国は独立することになった。だが、フラソードはこの戦争に敗北したことで大幅に弱体化することになり、国内では超ドイツ帝国と一緒になった方がいい的な運動が多発することになった(フラソード合併運動)。

フラソードの併合と仏領北アフラーカ諸国

ソロ・ラーンバスタ独立から4年後の桜暦3860年、ついにフラソード共和国政府は折れ、超ドイツ帝国に併合されることを受け入れた。超ドイツ帝国の国民はなにも考えていなかったそうな。フラソード併合に関する条約が締結された。一部の反対派は仏領の南西アフラーカ植民地に亡命して徹底抗戦を唱えているらしい*7この時、フラソードは帝国主義から解放された。超ドイツ帝国に編入されたことで、フラソードの要人たちにかつての帝国主義からの解放を教え、フラソードを救ったのだ。
桜暦3861年、前年のフラソード併合に伴う仏領北アフラーカ諸国をどうするかという感じで会議が開かれた。帝国主義を振る舞わなければならない超ドイツは、植民地の受け入れを提案した。結果的に北アフラーカ諸国は超ドイツ領となり、北アフラーカ条約が締結された(なお後にフラソードが独立するのだが、植民地はそのまま超ドイツのものとなっているそう)。
→『他の仏領アフラーカ植民地はどうしたんだ?』*8

トルバーン帝国の運命

フラソード併合から4年後の桜暦3864年。超ドイツ帝国は周辺からの反感を買わないために帝国主義を振る舞っていた。この頃はアフラーカへの進出を図っている時期。はじめに目を付けたのはトルバーン帝国。まずトルバーンに対し不平等条約を突きつけた。トルバーン帝国は反対したが、強大な超ドイツ軍をちらつかせると条約を結ぶと言った。結果トルバーン帝国は超ドイツ帝国の保護国となった。南の方で条約が結ばれたため、南トルバーン条約とされている。条約が結ばれた3年後、トルバーン帝国の東地域で事件が起きる。南トルバーン条約に反発した集団が駐留していた超ドイツ軍を攻撃し、戦争が起きた。約一年ほどの戦闘の末、反発した集団は降伏。桜暦3868年にザウルス条約が締結され、東トルバーンは併合されることになった。なお、後に全土が併合されることになる。ただし、全土が併合されようと、植民地での政策は平和なものになっている。全ては帝国主義からの解放のため…。
→『帝国主義は、時に大敗を決する』

トラーンド王国の分割

トラーンド王国は、アフラーカの中でも相当な強さを誇っていた。だが、産業革命を終えて、軍事面が強くなったイグルサに負けてしまい、北の部分を併合された。それから1年後の桜暦3869年、超ドイツ帝国が南トラーンドに侵攻、3870年にトラーンドは降伏。トレインダ条約が結ばれ、トラーンドはドイツとイグルサに分割されることとなった。だが、やはりドイツ側は平和になっており、イグルサ側は帝国主義に飲まれ、搾取されている。

国名変更と戦時教育法の改正

トラーンドを併合した翌年、超ドイツ帝国は国名を変更した。その名称が、『超ドイツてーこく』。一体日本語をいつ学んだのだろうか、それは置いておこう。これは当時の皇帝だけが知っている秘密事項らしいので。この年に即位した皇帝が、「帝国や皇帝など、クールさが出るものはある。だが、なんとなく堅苦しく、国民の反乱などを考え、変更することにした。」と言う(クソ)理由で、国名を変更した。ちなみに国民は『こく民』となり、皇帝は『こーてい』となり、政府は『せーふ』となった。ちなみにドイツ語では特に変わんないらしい。この四年後、戦時教育法の改正を行なった。この改正により、元々は25歳以上の男性のみであった『臨時戦闘体制』への移行できるようにする修行の対象が、中学校を卒業した全てのこく民となった。
※国名を変更しましたが、本項では、全て超ドイツ帝国と表記させていただきます。

1度目の独伊戦争とロスタ帝国

イタルト王国は、桜暦2987年ごろに統一され、成立した国家。ただ、内戦が起きたり政権が大幅に変わったりしているため、この時代のイタルト王国は桜暦3860年ごろに成立したものとなっている。これは内戦が終結して成立した、いわゆる大イタルト主義政府の政権となっている。だが、政権が変わったところで帝国主義政策は変わっておらず、超ドイツは危険視していた。なおこの政権は、超ドイツを併合しようと目論んでおり、超ドイツ政府も、今までとは違ってこの政権には最も悪いイメージを持っていた。
超ドイツとイタルトの国際緊張が高まる中、ドイツの隣国・ロスタ帝国ではイタルトを支援する運動が多発していた。だが政府の人や皇帝はドイツを支援している。国民が本格的にブチギレて革命が起きる…そう思っていた矢先のことだった。
桜暦3875年12月8日、イタルト王国は宣戦布告なしに超ドイツ帝国へ奇襲攻撃を開始した(ザルツェン・ラーモ作戦)。超ドイツ帝国は混乱に陥り、翌年の5月まで戦線の維持が困難な状況にあった。
桜暦3876年5月15日、イタルト王国はランドローバー作戦により超ドイツ帝国の首都・ヴュディンヴェルング州に迫っていた。だが、超ドイツ帝国の国民がヴュディンヴェルング州に集結しており、臨戦体制に入っていた。さらにその強さは凄まじく、イタルト王国は一時撤退を余儀なくされた。そこでイタルト王国は、目標を辺境の都市に変えた。ドイツのこく民や軍がいない場所から敵の本拠地を攻めることとなった。
桜暦3876年12月4日、ここで突如、イタルトの補給が途切れてしまう。何と、地中海に派遣されていた超ドイツの艦隊がイタルトの港を占領し、そこから補給ルートを遮断したのだ。これにより、超ドイツ軍は反撃を開始、ゲイザー・ヴェディング作戦によってイタルト軍を殲滅した。
桜暦3877年2月、超ドイツとイタルトは膠着状態に陥る。国力も限界に達しており、軍隊も疲弊し切っていた。その時、ロスタ帝国が仲介に入って、超ドイツとイタルトが停戦をすることになった。
最終的に講和条約が結ばれて、超ドイツとイタルトの戦争は終結することになった。講和条約はロスタ帝国の首都、シュンケタプトロベルクで結ばれた。条約の内容的には、とりあえず引き分けという感じだが、若干イタルトが不利な条約となっている。なお、帝国主義からの解放については、話し始めた途端にイタルトの要人が狂いそうになったため、断念した。その後、イタルトではまた政権が変わり、イタルト大国政府が政権を獲得した。
ー超ドイツ帝国政府
→『勝利が必ず解放に繋がるわけではないのか』

領土の拡大~アナキズムの鎮圧

オーバーシンアク州の設立

バラドリア帝国は、バルカン半島を統治している国家であり、アシミノ帝国と共にロスタ帝国と対峙していた。だが、桜暦3860年ごろから始まった財政難によってボロボロだった。そのため、桜暦3867年からカンダリーと共に、二重帝国として財政を復活させていった。そんな中、桜暦3884年にバラドリアは超ドイツに自国の構成国であるオーバーシンアク共和国の全土を譲渡した。超ドイツはバラドリアの提案を了承し、オーバーシンアク州を設置、もう一つの首都とした。なお、バラドリア帝国は帝国主義というには軍事力が乏しく、かといって民主的な国家かと言われると、若干圧政を敷いてるように思える。なんともどっちつかずな国家。そのため、超ドイツの帝国主義解放国リストにバラドリアは入っていない。

三帝同盟の成立とトラーンド植民地の非武装化

超ドイツ帝国とバラドリア=カンダリー帝国は、民族間的にも仲の良い国家であり、更にロスタ帝国も国際環境から見て仲の良い国家であった。そのため、三国間で同盟を締結、桜暦3889年にバラドリア=カンダリー帝国内のマジュガロンで三帝同盟が結ばれた。なお、超ドイツは帝国主義からの解放を条約締結時の演説で隠語にして語っており、ロスタは気づいてなさそうであった。
三帝同盟が締結される前から、超ドイツ植民地のトラーンドでは反乱が頻発していた。超ドイツ軍が何度も鎮圧するが、中々完全に鎮圧することができていない。痺れを切らした超ドイツ政府は、桜暦3894年にトラーンドの完全非武装命令を出した。これによってトラーンドの反乱は鎮圧、トラーンドに平和が訪れたのであった。
なお、この頃日本は中国との戦争に大勝利していた。

日清戦争・眠れる獅子に迫る列強

前述した日本と中国の戦争について解説。
日本は開国後、国内の発展や外交関係を良くして行った。その中で、朝鮮を武力で開国させ、不平等条約を押し付けた。清とは対等な関係を持つように働きかけていた。だが、朝鮮問題が発生。清国は朝鮮を自国の保護国としていたが、日本は独立国としていた。両者の意見が食い違い、朝鮮国内でもどちらにつくかで対立が起きていた。一度は南北で和平的に分割する案もあったが、結局破棄。両国の緊張は最大まで高まっており、戦争まですぐかと思われていた。そして、朝鮮で農民が政府に対して反乱を起こすと、政府は清国に助けを求めた。これに乗じて清国は朝鮮へ侵攻したが、日本も朝鮮へ出兵し、日清の両軍は戦闘になった。これにより、日清戦争が始まった。朝鮮半島で両軍の陸軍が戦闘を続ける中、半島西岸の豊島沖にて日清の海軍が遭遇。両軍は撤退困難に陥り、本国に増援を要請したため、海戦が勃発した。こうして両軍は戦争に突入していった…。世界は、この戦争に注目していた。新興国の日本が勝利するか、200年も続いた強国の清が勝利するか。
だが、この戦争はほぼ日本の思うがままに進んで行った。
豊島沖海戦で清国の海軍を破り、日本軍はそのまま進んで行った。朝鮮半島ではすでに釜山やソウルを制圧し、平壌に迫っていた。
だが、黄海・鴨緑江で日本海軍に危機が迫る。清国の北洋艦隊が日本の聯合艦隊と接敵。黄海海戦が始まった。今まで日本の流れだったこの戦争にも、遂に清国有利な戦闘が始まった。北洋艦隊はイグルサなどの列強国の海岸をもとに作られた近代的な艦隊であり、完全に近代化していない日本海軍にとって厄介だった。だが、日本軍はこの危機を巧みな戦術で奪回し、北洋艦隊を撃滅した。
その後、平壌が陥落、旅順口、威海衛を制圧し、清国は降伏した。
戦後、日本の下関において講和会議が開かれた。この会議で日本は清に対して2億テールの賠償金と、遼東半島、澎湖列島、台湾の割譲を要求した。清政府はこの要求を受諾し、下関条約が締結されて日清戦争は終結した。だが、ロスタ帝国、イタルト王国、バラドリア帝国が日本に迫り、遼東半島の返還を要求した。いわゆる三国干渉である。日本国内では戦争に躍起になっており、この三国とも戦争しようとしていたが、日清戦争での疲弊なども相まって要求を受諾した。だが、その要求はいつしか強大な憎悪となって、ロスタ帝国を脅かすことになるのであった…。
→『いつか必ず…!』
敗北した清国は、列強によって分割されていた。威海衛はイグルサに、広州湾・膠州湾を超ドイツに、天津をイタルトに租借された。また、満洲での利権をロスタに奪われ、朝鮮での権益も日本とロスタに奪われた。さらに、上海ではア◯ン戦争以来続いていたイグルサの租界に加え、超ドイツ、イタルト、ロスタ、メルア、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、バラドリア、パラテゴル、エスパノ、オランダ、そして日本による共同租界地となった。
このように、日本と中国というアジアの二大国は、列強のアジア侵略によって大幅に変わり、日本は発展を遂げ、中国は列強に分割されるという状況となった。
→『中国は列強のパイなのか?』

バラドリア=カンダリー帝国とナミベスト区

三帝同盟を結んだ超ドイツ・バラドリアであったが、桜暦3895年に第二次オーバーシンアク条約を結んでさらに友好関係を築き上げ、周辺諸国からも一番仲の良い国と呼ばれていた。しかし、これによってイタルトでは反独感情が湧くようになった。
※この時のイタルトの政権はイタルト人民主義政府。
なおロスタ帝国との三帝同盟はロスタ帝国が同盟の更新を却下したため解消されたらしい。
超ドイツ帝国の首都、オーバーシンアク州の中には、とある国が独立していた。それは、ナミベスト共和国という国。本来ならオーバーシンアクを併合した際にナミベストも併合される筈だったが、手違いによりずっと独立していた。超ドイツ政府も最近になってようやく気づいたそう。これによってナミベスト共和国が併合され、オーバーシンアク州にナミベスト区が設置された。

義和団事件・中国全土で発生した大反乱

桜暦3899年、世紀末。世も末だな(?)。
場所は中国・清王朝。5年前に日本と戦争してボロクソに敗北した清だったが、今度こそは列強に勝利する、そう胸に誓ったらしい(権力者達だけが)。50年ほど前、イグルサと戦争(例のア◯ン戦争)して敗北。いつもの南京条約という名の不平等条約を結んで例の物の貿易をした。それから10年後には内乱(太平洋天国ノ乱?とかいうやつ、実際は知らん)が発生、そして今度はイグルサとイタルトが共同で宣戦布告、全部敗北(内乱も敗北したが、革命自体は失敗に終わった模様)する。さらにアラー戦争(第二次ア◯ン戦争*9)の講和条約の際、なぜかメルアとロスタにも不平等条約を結ばされた。俗に言う天津・北京条約。で前述した日清(カップラーメン)戦争(遊ぶな)で今度は近代化したからいけるやろってはずだったのに日本の方が圧倒的に近代化してて負けたから下関条約やって2億テール払った。あと台湾と遼東半島(のちに返還)とか持ってかれた。
散々ではあるのだが、なんとか平和を維持している中国君だった。…あの事件が起きるまでは…。
6月、突如として大清帝国が列強諸国(イグルサ、メルア、バラドリア=カンダリー、ロスタ、超ドイツ、イタルト、アシミノ*10、日本)に宣戦布告、大戦争が始まった。急に始まった戦争に、列強諸国はすこし怯んだが、即座に軍隊を派遣(ほとんど日本軍がメインだが)、清国に攻め入った。
この事件の発端は、清国内におけるキリスト教弾圧運動、いわゆる仇教運動によるもの。仇教運動は、各地にいるとされる拳法集団が行なっているもの。特に過激派なのは、少林寺拳法から派生した義和拳を扱う義和団の者達。3899年1月、各地で暴れる義和団に痺れを切らした時の元帥袁世凱は義和団を弾圧。義和団は各省を巡り、5月、ついに北京に辿り着いた。ここで、それまで義和団に反対していた、時の清国女帝*11西太后が義和団と協力し、列強を追い払うことを決意。義和団は扶清滅洋を掲げ、列強諸国に宣戦布告した…というのが、この事件の発端である。
義和団は各国の大使館を占拠し、破壊活動を行いながら列強の8カ国連合軍と戦闘を繰り広げた。…だが、結果は散々だった。
義和拳を神の拳と信じ、最強無敵だとしている義和団は圧倒的に馬鹿だった。敵は銃を持っているのに、こっちはサーベルや鍬など、そして神の拳(?)だけ。無理なことはわかるはずだろう。
なお正規の清軍はそれなりに戦えていたらしい。
結局この事件は、列強諸国が1ヶ月も経たないうちに鎮圧。清は即効で降伏した。これにはフラn…フラソードもびっくり(?)。だが、義和団はなかなか降伏しない。既に正規の清軍は降伏して講和を開いているらしいが、義和団は隠し持っていた銃を使ってゲリラ戦を展開、連合軍を苦しめた。
一向に降伏しない義和団に、列強諸国は怒りを募らせていた。これ以上軍の消費をすることはできないとして、ついにイグルサとロスタは撤退を開始してしまった。そして次にメルアとイタルト、その次にバラドリア=カンダリーと超ドイツ、アシミノ。残りは日本だけになったが、日本も日本で撤退をしない。列強諸国は撤退を促す一方で、日本に軍事物資を提供している。日本以外の国は既に講和を結んでいた。
桜暦3901年、遂に日本も撤退を開始すると宣言した。だが、突如日本軍が中国大陸の空に飛来、爆弾を投下した。
これは、航空爆撃機という超最新鋭の兵器*12で、当時はメルアのとある兄弟が空を飛ぶことに成功したばかりであった。この技術を日本はすぐに研究し、自分たちでも使えるように改良を施した。そして、軍事目的での使用も考え、このような航空機を生産したという。まだ完璧ではないため、いくつかの軍機はロスタやモンゴルに堕ちたらしいが、元々ロスタには航空機のことを話していたため、パイロット達は全員救出され、日本に送還された。
これは人類史上初の航空戦術であり、第一次中華大陸大爆撃と呼ばれるようになった。…第一次中華大陸大爆撃?
その後、日本は完全に撤退した。焦土と化した中国は、西太后が自力で復活させ、義和団は空爆で全て焼き尽くされたとされている。

鎮圧された反乱と北京及び上海議定書

武装蜂起した義和団たちは何をしたかったのか、それは終戦後もわからなかった。
先に撤退した列強諸国は、清国に不平等条約を押し付けた。以下、条約の概要。
1.清国は各租借地の期限を99年間延長すること
2.清国は各国に対し4000万両の賠償をすること(計5億6000両)
3.清国はアシミノ帝国にウイグル地域の権益を譲渡すること
4.日本国及びロスタ国は満洲・朝鮮での権益を強化すること
5.清国皇帝は各国に謝罪の意を表すこと
以上で北京議定書が調印されたが、義和団の代表はこの会議に出席せず、調印もされなかったため、これに反発した諸国が日本を支援して空襲を行わせた。その後、上海で清国が義和団の代わりにもう一度会議を行い、上海議定書が調印。義和団の乱は完全に収束したのだった。
だが、この事件後にロスタが満洲に居座ったことから、日本と超ドイツ帝国は撤退を要求した。だが、ロスタは要求に対して「日本は南朝鮮までいていい」と進言した。もちろん日本は要求を受け入れなかった。ロスタとの戦争になった場合、南朝鮮だけでは守り通せない。しかも、朝鮮全土を保有していたとしても不可能とされる。本土を守り倒すためにも、朝鮮、そして満洲を保有していなければならない、日本の軍部はそう感じ取っていた。
→『大陸へ進出せねば…』

ドイツ・ロスタ戦争の始まり

義和団事件も終結し、各国に案内が訪れたと思われる中、ロスタ帝国が突如超ドイツ帝国に宣戦布告、ドイツ・ロスタ戦争が始まった。ロスタ帝国は、当時世界最強の陸軍を保有しており、さらに義和団事件も相まって超ドイツは苦戦していた。海の方では若干優勢であるものの、バルチック艦隊が出動されたら敗北は確定となってしまう。それまで耐えることは…まぁ、可能であろう。
ロスタはニコラエフスク作戦によって超ドイツとの国境を突破し、超ドイツ支配下にあるパーレンダのワルシャワに迫っていた。超ドイツ的にはこの都市は特に存在意義がないとしていたため、防衛を放棄していた。その後、ワルシャワ陥落の一報が軍部に伝えられると、超ドイツはファウストシュラーク作戦を発動し、南部の都市からロスタへ進軍していった。さしものロスタ帝国も南部からの侵攻は予想できていなかったようで、進撃に成功した。さらに一部の部隊は北部へ移動し、そこからワルシャワ方面へ向かって包囲、ロスタの支配から解放した。このような戦闘が多発し、戦線は膠着状態に陥った。だが、いずれの戦線でも超ドイツ側が有利であり、ロスタはこの状況をどう打開するかの会議に躍起になっていた。
→『…少し落ち着こう。』

第一次タンネンベルクの戦いとヴェルト海海戦

パータメシの講話と屈辱のロスタ帝国

なお、後に日本にも敗北することになる。(後述)

三国干渉の憎悪・日本の対ロスタ宣戦布告

日本海海戦と旅順要塞攻略戦

血の日曜日事件・ロスタ革命と皇帝の没落

流石にキツイ日本国内・メルアの仲介

賠償金が取れない!?日比谷焼き討ち事件

バリキスト独立紛争

超ドイツ帝国内にあるバリキスト州。この州は最初からある州で、ドイツ=プロイセン王国の時にも存在していた。だが、最近は内政干渉ができなくなっており、なんらかの事情があるのだと、超ドイツ政府は感じていた。しかし、桜暦3904年に突如バリキストが独立戦争を起こす。超ドイツ政府はもしものときを考えてバリキスト周辺に軍を派遣していたので、すぐに戦闘体制に入れた。だが、思っていたよりも強く、紛争が長引いた。最終的に完全鎮圧に成功し、バリキスト州の要人とともにヴェルナードで条約を結んで紛争は完全に終結した。その後、バリキストは自治州となった。
→『突然だったな…』

アナキズムの反乱とウクレイル県

アナキズム、無政府主義。かつてアジアとメルアで猛威を奮っていた軍勢。現在、その勢力は残っていないが、最近ロスタ帝国のウクレイル県にアナキズムが復活しているのでは、と噂されている。
桜暦3905年10月20日。突如、ウクレイル県にてアナキズムを名乗る勢力が、ロスタ帝国、イグルサ帝国、超ドイツ帝国、イタルト王国、バラドリア=カンダリー帝国に宣戦布告、勢力拡大を図って侵攻していった。宣戦布告を受けた国々は連合国を組んで鎮圧に向かった。また、イグルサはメルア合衆国に、ロスタ帝国は大日本帝国にも参戦要請をかけた。要請を受けたメルアと日本も、この反乱の鎮圧へ向かった。約2ヶ月に渡る戦闘の末、反乱の鎮圧に成功した。連合諸国とウクレイル県の要人、ヴェルト県の要人がウクレイルに集まって条約を結び、ロスタ帝国が連合諸国に賠償金を支払うことになった。ウクレイルでは今後このような事が起きないように、ロスタによる支配が強化されることとなった。
この時、超ドイツ帝国の皇帝はこう語った。
『ー欧州諸国は、未だに帝国主義から脱却せずにいる。だが、今回の事件では、関与した国全てが団結し合い、民衆や軍人の保護をしていた。我々の目指す帝国主義からの解放とは、まさにあの時と同じである。近々欧州、いや全世界を巻き込んだ大戦が起きると思う。我々が勝利を収めれば、帝国主義からの解放はすぐに実行されよう。さすれば本件の時と同じように、欧州諸国の民族は団結し、協力し、助け合いのできる、自由民主主義の時代が再度訪れるであろう。』
こう日記に記した皇帝は、翌年自ら退位した。
帝国主義からの解放の時は近い…。
→『すべては帝国主義からの解放のために』

各国の軍備増強~第一次世界大戦

ヴィネット公国の併合とロスタ帝国

以前のアナキズム大反乱で大いに活躍した超ドイツ帝国は、ウクレイル条約の時にロスタと秘密条約を結んでいた。それは、ヴィネットの併合に関する条約。ヴィネット公国は、ロスタにとっても重要な地域であった。だが、超ドイツ帝国は条約をのませ、桜暦3910年にヴィネットの併合をした。

フロンソードで締結された平和協約

フロンソードとは、分割されていくアフラーカ諸国のなかで、唯一独立を保った国。元はイタルトの植民地になると思われといたが、フラソードがフロンソードを手伝った*13ことでイタルトを殲滅。その結果、独立を維持できた。桜暦3911年3月、超ドイツ帝国、大日本帝国、メルア合衆国、イグルサ帝国、ロスタ帝国、イタルト王国、超ドイツ領フラソード共和国の首脳がフロンソードに集まり、貿易の自由、人種差別撤廃*14など、平和協約を締結した。
…しかし、協約を締結した各国は、自国の軍備拡張に勤しんでいる。今にも、ヨーロッパで何かが爆発しそうだ。*15

南米諸国のサッカー布教運動*16

Over there!?That one explodes!?

桜暦3911年10月10日、大清帝国の大使館から、各国へとある電報が入った。その内容は…
『中国において、武昌その他で政府に対する反乱が発生』
い や お 前 が 爆 発 す る ん か い !*17
…電報を受け取った大使のほとんどがこう口にしたそうな。
孫文を主導者とした辛亥革命は全土に広がり、3912年1月1日に中華民国の建国が宣言、2月には皇帝が退位した。この時の皇帝は僅か6歳程度であった。その後もいざこざが起きて内戦だの列強の干渉だのが起きたそうな。ちなみにこの時の列強は中国権益に目を向けており、他の列強とは何も干渉しなくなっていた。
→『切り分けたパイに導線でも付いていたのか?』

トラーンドの再武装とヴェネル・ノードの併合

桜暦3912年、以前に武装解除をしていたトラーンド植民地は、超ドイツ政府によって再武装を命じられる。だが、反乱は起こさないようにと、教え込まれている。
フラソードの南側には、元々フラソードの一部だったであろう国が残っている。それは、ヴェネル・ノード公国。元々超ドイツの人々が住んでおり、両政府は超ドイツに併合をすることで合致した。

バラドリアとの同盟

バラドリア=カンダリー帝国とは、以前よりさまざまな条約を結んでいた。どれも親善の為であったり、国家にとって有益なものであったが、軍事同盟は三帝同盟解消後から一切結んでいなかった。そこで、超ドイツとバラドリアは同盟を締結。独薔同盟が締結された。なお、イタルトはバラドリアに勧誘されており、一応同盟には加盟してくれた。だが、領土問題に関しては依然として不穏な関係である。

大戦の始まりと帝国の参戦

桜暦3914年6月28日。バラドリアカンダリーのとある都市で、それは起きてしまった。
バラドリアの下の方には、とある国が存在する。その名はスレブイ王国。ロスタと同じ民族がおり、ロスタとは仲の良い国家である。この国のとある青年が、シェロウェダという都市にいたバラドリアカンダリーの皇太子を銃で暗殺した。政府はすぐさまスレブイ王国に青年の身柄引き渡しを要求したが、拒否されてしまった。その後も様々なやり取りがあったが、スレブイはできる限り受け入れていた。しかし、バラドリアの最後通牒が拒否されたことで、バラドリアはスレブイ王国に宣戦布告。これに呼応する形でロスタ帝国や超ドイツ帝国、イグルサなどが参戦し、ヨーロッパで大戦が始まった。
バラドリアがスレブイに宣戦布告したのは、桜暦3914年7月28日。言うなれば、西暦1914年7月28日だろう。…奇しくも、史実で大戦が始まった日と同じ日にそれは始まってしまったのだ。
バラドリアカンダリーがスレブイに宣戦布告したのち、超ドイツ帝国も参戦。それに反発したロスタ帝国が超ドイツとバラドリアに宣戦布告、またロスタ帝国に恨みを持っていたアシミノ帝国がロスタへ宣戦布告した。さらに、イグルサがフラソードの独立を狙って超ドイツに宣戦布告、大日本帝国がアジアにある超ドイツの利権を獲得するために超ドイツへ宣戦布告、以前スレブイに敗北して恨みがあったボラグルアがスレブイに宣戦布告、翌年の3915年にバラドリアと領土問題を抱えていたイタルトが同盟国を裏切って連合国側で宣戦布告*18、過去にイグルサと永久同盟を結んでいたパラテゴル王国もイグルサ側で参戦するなど、多くの大国が戦争を始めて行った。
→『奴らは我々を破滅させるだろう!』
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広がる戦禍と総力戦の始まり

桜暦3914年10月になると、戦禍はますます拡大していき、国力のほとんどを戦争に費やすようになっていった。総力戦の始まりだ。12月のクリスマスには東部戦線で一時的な停戦が起きたそうな。
3915年、前述の通りバラドリアと領土問題を抱えていたイタルトが参戦。当初は軟弱なバラドリア軍など余裕と思っていたが、超ドイツ軍が加勢に入り戦線は膠着状態に。バラドリアは既にバルカン半島の殆どを制圧しており、ボラグルア、アシミノと共にスレブイを下すところであった。
3916年、各戦線は膠着状態に陥った。
東部戦線、独露の戦いでは、以前より近代化されて強力になったロスタ陸軍と、強力なこく民を動員した超ドイツ陸軍の戦闘が激化していたが、塹壕戦へ突入した。
西部戦線、つまるところの大西洋戦線といったところか。ここでは、イグルサと超ドイツの海軍が壮烈な戦いを繰り広げていた。
太平洋戦線、いわゆる日独戦争では、意外にも強力だった日本軍に苦戦を強いられていた。しかし、アジアでの権益を目論む日本は内戦中の中国とも敵対していたため、不利な状況であった。
バルカン戦線、大戦が始まった場所では、既にスレブイが壊滅的な状況にあった。バルカン半島に残っている連合国陣営はスレブイとグレスャだけであり、スレブイはバラドリアとアシミノ、そしてボラグルアに分割されるところであった。

中華戦線からバルカン戦線へ

前述した通り中国では孫文が大清帝国を倒し、中華民国の建国を宣言しており、その後袁世凱が実権を握っていたのだが、その袁世凱の政策が失敗したことにより、軍閥が各地で群雄割拠するようになった。桜暦3914年3月に、袁世凱は失意の状態でこの世を去ったとされる。袁世凱の死後、軍閥は中華統一を掲げて紛争を繰り返した。そんな最中、第一次世界大戦が始まり、日本がドイツに宣戦布告、中国にあるドイツの権益を奪取するために攻めてきた。更に、3914年11月頃に孫文が中国に戻り、『打倒ドイツ』を目的にさせたことで軍閥は孫文指導のもとに団結、第一次中華民族統一戦線が築きあげられた。これにより、中華内線が一時的に終結した。…第一次中華民族統一戦線?
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*19
内戦終結後、中国は敵対していた日本と和解して連合軍を組んだ。そひてすぐにその連合軍は超ドイツの中国租借地へ侵攻した。しかし、中国軍が向かった方面での超ドイツ軍はまるでこちらの行動をわかっているかのような動きで中国軍を迎撃している。だが、日本と超ドイツが戦闘している地域では普通に戦っている。何かがおかしい…そんな気がしていたが、結局超ドイツ政府はアジア方面での戦闘を停止させた。桜暦3916年9月、日本、中国、超ドイツ・アジア植民地政府は、一時的に講和条約を結んだ。これは東京条約と呼ばれ、超ドイツ・アジア植民地政府は大戦が終結次第即時撤退を要求された。また、日本と中国は友好関係を築くこととした。
11月、中国海軍が大西洋へたどり着いた。大西洋海戦で熾烈な争いを繰り広げる超ドイツ・バラドリア海軍とイグルサ海軍を横目に、中国の海軍はバルカン半島へ到達した。以後、エーゲ海で中国軍と同盟軍が争いを繰り広げることとなる。
その頃、日本軍はアフラーカで同盟国軍と戦っていた。砂漠の多いアフラーカでの戦闘を経験させようとする軍部の狙いがあったらしいが、補給のままならない日本軍はジリジリと敗退していった。まるで史実のインパール作戦のようだ。*20

ロスタ帝国の革命とサヴォール政権

桜暦3917年2月。突如、ロスタ帝国の民衆が首都のプトラグラードに集まって大規模な反戦デモを起こした。しかしそれは徐々に肥大化し、革命へと発展した。これにより政府が転覆し、臨時政府が樹立された。しかし、革命を起こした一部の勢力が『サヴォール政権の樹立』を掲げたことで政権が二極化し、臨時政府とサヴォール政権の二重権力状態が生じた。
この二月革命に伴って、サヴォールの原型であり、一時的に超ドイツへ亡命していたボリシェヴィキ党の党首、『ウラジーミル・レーニン』がロスタに帰還、革命の遂行を宣言した。
臨時政府は戦争の継続をしており、国民は不満を抱いていた。そのため、戦争からの離脱を目的とするサヴォールは力を増していた。
3917年10月、プトラグラードで再度革命が発生する。これは十月革命と呼ばれた。この革命によって臨時政府が完全に打倒され、サヴォール政権が権力を掌握、レーニンが最高指導者となった。ロスタで二度目の革命が起きると、超ドイツとバラドリア軍はすぐさまロスタへ大規模攻勢を実施、ウクレイル、ヴェルト、白ロスタなどを制圧した。レーニンはこれに伴って超ドイツとブレスト=リトフスク条約を結び、第一次世界大戦から離脱した。
ロスタ内戦が始まると連合国はサヴォールへ宣戦布告をした。ロスタ白軍へ連合国が加勢しにいくが、サヴォール赤軍は圧倒的な力と性能で連合軍を蹴散らした。なお、日中が予めロスタとの国境地帯に軍を配備していたため、極東では若干苦戦を強いられていた。
大戦終結後も内戦が続いたが、シベリア出兵軍最後の軍隊、日本軍が撤退したことにより、赤軍は白軍を全て打倒、『ロスタ・サヴォール』『ウクレイル・サヴォール』『白ロスタ(ベラロース)・サヴォール』『ザカフカース・サヴォール』が集結して、『サヴォール社会主義共和国連邦』を成立させた。
もっと知りたい同志はここから?見てくれェェェェェェェェェェェン

メルア合衆国の参戦とフラソード独立戦争

時はロスタ2月革命の時まで遡り、メルア合衆国。メルアの民衆は、大戦には特に興味を持っていなかった。参戦なんて尚更。勿論、政府も何もしていなかった。だが、超ドイツ帝国軍の『海軍無制限潜水艦作戦』の実施によって、メルアの船が多数撃沈されると、国内で反独感情が湧き上がった。そして、メルア合衆国最大の旅客船、『ルシタニア号』が撃沈され、更にツィンメルマン電報によって超ドイツがメキシコと共にメルアを攻撃しそうになっていることがわかると、メルアは第一次世界大戦への参戦を決めた。国民も参戦を決め、遂に最強のメルア軍が大戦に参戦した。
なお、この頃イグルサと永久同盟を結んでいたパラテゴル王国も参戦していた。
メルア合衆国は超ドイツ帝国やバラドリア=カンダリー帝国など、同盟国側へ宣戦布告したのだが、位置関係や軍の状況などから、本格的な参戦が遅れた。だが、メルア軍の一部がフラソードへ渡り、フラソード国内で独立の機運を高めさせた。
10月、二度目のロスタ革命が起きると、3918年に超ドイツとバラドリアはロスタを下した。これにより、西部戦線やバルカン戦線へ軍を大幅に回せることになった。
3918年2月。超ドイツの軍部は、忌々しきイグルサ海軍を下すため、大規模な攻勢作戦を考えていた。そこへ、一通の電報が届く。その内容とは、『フラソードの独立宣言』。軍部も、政府も、皇帝も、国民も、ましてやフラソードの超ドイツ植民地政府でさえ予想していなかったことに驚いた。この独立宣言は、植民地政府とは別にあったフラソード政府が出したものであった。
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突如始まった独立戦争に、超ドイツ軍は混乱状態に陥っていた。フラソードの民衆は独立に湧き上がっており、フラソードの軍隊も各地で反乱を起こしている。超ドイツ軍はなんとしてでも独立を止めようと、バラドリアの戦線から軍隊を全て引き揚げ、フラソードへ向かわせた。だが翌月の3月、独立戦争が起きている中で遂にメルア合衆国が本格的に参戦し、フラソードへ上陸してきた。超ドイツ軍は更に混乱に陥り、軍部の統制も効かなくなっていた。
バルカン戦線にもメルア軍が迫っており、超ドイツ軍がいなくなったバラドリア軍は大幅に弱体化していた。
8月、超ドイツの政府は遂に限界を超えた。もう無理だ。メルア合衆国を相手に勝つことなどできない。皇帝もそう言って、フラソードから超ドイツ軍を撤退させ、連合国に降伏したのだった。
10月、バラドリアが降伏した。帝国は崩壊し、帝国を構成していた諸国が独立を宣言した。
11月、最後まで連合国に抵抗していた、アシミノ帝国とボラグルア王国が降伏した。アシミノ帝国では革命が起こり、青年トリカ人共和国臨時政府が樹立された。ボラグルアでも革命が勃発し、王政から民主共和政へと移行した。こうして、欧州で起きた大戦は、アジア、中東、メルアなどを巻き込んで終結した。
戦勝国・メルア合衆国、イグルサ帝国、フラソード共和国、大日本帝国、中華民国、イタルト王国、その他諸々*21
敗戦国・バラドリア=カンダリー帝国、アシミノ帝国、ボラグルア王国、ロスタ帝国、スレブイ王国*22*23
超ドイツ帝国は、準敗戦国の扱いとなっている。

ヴェルサイユ・レニングラード・東京講話条約

大戦の終結後、各国の要人はフラソードのヴェルサイユへ集まり、講和会議を開いた。この会議では、以下のことが決められた。
1.バラドリア=カンダリー帝国の解体
バラドリア=カンダリー帝国は正式に解体が宣言され、バラドリア共和国、カンダリー共和国、西ウクレイル人民共和国、チェス・ラバキ共和国、パーレンダ共和国、ローミネア王国、イルベヌイ公国*24の七カ国が成立した。
2.フラソード共和国の独立
超ドイツ帝国の支配下にあったフラソードが独立し、各国はそれを承認した。
3.イタルトへの領土返還
未回収のイタルト地域の一部がイタルトに返還された。しかし、イタルト政府はこれに若干の不満を抱いている。
4.スレブ・カリオータ・サリヴァーン王国の成立
敗戦したスレブイ王国と、バラドリア=カンダリー解体後に成立した国家が集結して成立した。なお、後にヨーグシロヴァ王国に改名する。
5.戦争の諸責任について
戦争の賠償責任などは、バラドリア共和国、アシミノ帝国(後にトリカ共和国が継承)、スレブイ王国(後にヨーグシロヴァ王国が継承)の3カ国が受けた。
3919年6月28日に条約が締結され、大戦は完全に終結した。
なお、超ドイツ帝国は戦争責任を問われなかった。扱い的には敗戦国だったが、連合国なども特にテコ入れをしなかった。
アシミノ帝国はのちに青年トリカ人共和国臨時政府によって滅ぼされ、トリカ政府はグレスャ王国との戦争に勝利し、トリカ共和国を成立させた。
3920年、超ドイツの要人と中華民国の要人が東京に集まり、日独戦争の講和会議を開いた。この会議では、以下のことが決められた。
1.中国の超ドイツ権益を日本へ譲渡すること
2.日中同盟の解消及びそれに伴う連合軍の解散
3.日中及び日独の国交正常化
4.独中の国交正常化及び中独合作の成立
5.日本軍は占領下の太平洋諸島から撤退すること
6.太平洋諸島は超ドイツの委任統治領になること
7.太平洋諸島は10年後に独立をすること
以上で東京条約が締結された。
だが、この日独戦争では妙なことがあった。
日本軍は超ドイツ軍と中国軍の動きを全て分かり切っており、超ドイツ軍も日本軍の動きを分かり切っていた。そういえば、日本と超ドイツが開戦前に首脳会談を開いていた…まさか…。
なお、中華民國は後に北伐という名の中華完全統一を開始し、ヴェルサイユ条約と東京条約を一時的に脱退することとなる。
3923年に、超ドイツ帝国とサヴォール連邦は、レニングラードで再度条約を結んだ。これによって超ドイツとサヴォールの国交が正常化された。(史実のラパッロ条約ポジ、多分)

番外編・帝国主義からの解放について

『超ドイツ帝国は第一次世界大戦で敗北を喫してしまった。これでは、帝国主義からの解放ができない。だが妙だ。講和会議では民主的な話し合いの場となっていた。まさか、既に帝国主義から解放されていると言うのか?いや、そんなはずがない。未だに植民地で圧政を続けるイタルトに、皇帝の権力がとても強いイグルサ、さらに、自由な国・平和な国とは裏腹に帝国主義的な一面を見せているメルアと日本。帝国主義からの解放は終わっていないのだ。ロスタは解放どころの問題じゃなくなったが、そんなことはどうでも良い。真の帝国主義からの解放とは、全世界の諸国と諸国民、諸民族が団結し、協力し、助け合える平和な世界を作り上げることだ。全世界を帝国主義から解放せねば…。恐らく、二度目の大戦が起きるだろう。その時は、侵略などではなく、解放を…』
これは、とある人物が書き残した日記である。
確かに、帝国主義からの解放はなされなかった。
ここで折れては仕方がない。早く解放せねば…。
そう、語っている。だが、この時からだろう。超ドイツ帝国が大戦に敗北してから、帝国主義からの解放という理念が、根本から変わってしまったのは…。

番外編2・日独戦争での真実について

日独戦争の真相。それは、大戦から300年ほど経ってようやく明かされた。あの時、東洋の大日本帝国と西洋の超ドイツ帝国は何を話していたのか?
事の始まりは、日本が開国した時まで遡る。当時、帝国主義勢力に対して孤軍奮闘していた超ドイツ帝国は、東洋の日本に目をつけた。メルアが開国させたこの国家は、何か超ドイツと同じ雰囲気を感じる…当時の政治家はそう言っていた。そして超ドイツ帝国も日本と条約を結ぶ。その時はまだ不平等条約であったが、日本が内戦に突入し、新政府軍が勝利すると不平等条約を自ら撤廃し、日本と対等な関係であるという条約を結んだ。

平和への道・国際連盟の創設

大戦終結後、戦勝国のイグルサ、フラソード、日本、イタルト、中国が常任理事国となって国際連盟が発足した。中国はすぐに統一戦争を始めたため一時的に連盟を脱退することになったが、大陸の統一後は連盟に復帰した。
連盟創設のきっかけとなったのは、メルア合衆国大統領・ウッドロウ・ウィルソンの提案によるもの。だが、当時のメルアでは孤立主義、いわゆるモンロー主義が蔓延っていたため、連盟には参加しなかった。

第二次独伊戦争~欧州の改革運動

講和条約の締結とイタルト王国

時は少し遡り、ヴェルサイユ条約の締結後。
イタルト王国は条約に基づいてロストボーンズ諸地域などを獲得した。この地域には、元よりイタルト人が多く住んでおり、未回収のイタルト地域であった。未回収のイタルトとは、イタルト王国が主張した領土のうち、イタルト統一戦争後もバラドリアやドイツ=プロイセン領内にあった地域のこと。基本的に旧ヴェネツィア共和国の領土であった。このロストボーンズもその一つで、歴史を辿ると、一番古い王政ラーモ時代からイタルトの領土であったとされている。だが、さらに歴史を辿ると、この地にはドイツ系の民族が住んでいたとされており、この地に住んでいたイタルト人や超ドイツ人もイタルトに併合されることを望んでいなかった。メルア合衆国の首相が提唱した「民族自決」の理念に基けば、この併合は良くないとされる。そのため、国際連盟で返還するかどうかが話し合われていた。もちろん、イタルトは拒否し続けていたのだが、国際社会は返還するほうが良いのでは、となっているらしい。
…その裏では、イタルト植民地への侵攻や、イタルト本土への植民計画が企てられていた。あの裏切り国家は制裁されるべきだ…と。

第二次独伊戦争の開戦

ロストボーンズ問題があらわになる中、桜暦3922年にイタルトで軍事衝突が発生。黒シャツ党が政府のラーモへ進軍し、神聖イタルト政府を打倒、イタルト国粋主義政府を打ち立てた。
桜暦3924年、遂に高まりきった独伊の緊張が爆発し、第二次独伊戦争が開戦した。国際社会の不安が高まる中、超ドイツは帝国主義打倒のため動き出す。
まず初めに攻勢に出たのはイタルト軍。5月21日の第二次ザルツェン・ラーモ作戦によって超ドイツとの国境を越境した。超ドイツ軍はこれに対応するべく、こく民大動員令を発動し、全こく民に臨時戦闘体制への移行を促した。6月22日、超ドイツは反転攻勢に出る。シュヴァルツ作戦が発動され、国境線を押し戻した。
その頃、国際連盟ではこの戦争についての議論がなされていた。これはイタルトの侵略戦争なのか、それとも超ドイツの侵略戦争なのか、または正当な理由があっての戦争なのか…と。国連の常任理事国であるイタルトは侵略戦争ではないと言い張っているが、超ドイツやその他の常任理事国は侵略戦争だと思っている。
翌年の1月7日、超ドイツは国境線を元の位置まで押し戻した。その後、停戦の手続きをしようとしていたのだが、何故か国際連盟は超ドイツにそのままイタルト本土への侵攻を命じた。超ドイツの政府や軍部は、帝国主義からの解放を名目にイタルト本土を南下し始めた。超ドイツ軍は破竹の勢いで進軍し、イタルト首都ラーモを包囲、ヴュディンヴェルング作戦によってラーモを陥落させた。
イタルト政府陣はサルデーニャ島へ逃亡し、抗戦を続ける覚悟であったが、どう足掻いても勝てないことがわかっていた。イタルト本土へ雪崩れ込む超ドイツ軍。遂に、イタルト半島の最南端へ辿り着き、半島を全て占領した。そしてサルデーニャ島上陸、瞬く間に制圧した。桜暦3926年、イタルト政府は遂に無条件降伏をした。
→『これでイタルトも解放されるだろう』

ラーモ条約と北イタルト

国際連盟常任理事国・イグルサとフラソード仲介の元、ラーモ県で第二次独伊戦争の講和条約が開かれた。この戦争は、イタルトが先に宣戦布告をしたとされており、イタルトによる侵略戦争と位置付けられた。イタルトは抗議したが、どちらにしろ戦争を始めたことは事実であったため、渋々侵略戦争だったということを受け入れた。この講和条約で決められたことは以下の通り。
1.ロストボーンズ諸地域を超ドイツに譲渡すること
2.イタルトの政権をイタルト国家民主政府へ移行すること
3.四年後に北部イタルトは超ドイツへ併合すること
4.イタルトは超ドイツに10億ドルの賠償金を支払うこと
5.フラソードはイグルサに北部地域を譲ること(???)
以上でラーモ条約が締結された。
→『英仏は何がしたかったんだ?』
条約締結後、イタルト国粋主義政府の首脳陣はアフラーカ植民地へ亡命した。*25
4年後の3930年、予定通り北イタルトが超ドイツに併合され、イタルト王国は南イタルト王国へと国名を変更した。併合された北イタルトには、超ドイツてーこくによる北イタルト帝国解放地域が設置され、北イタルトの人たちに恒例の帝国主義からの解放を唱えた。南イタルト王国は、南イタルト人民政府が政権を奪取、人民民主化を唱えた。これでやっと世界に完全な平和が訪れる…。そう、誰もが思っていた。
→『南の方も解放されると良いが…』

ヒント

※勘の良い人ならわかるかもしれないけど、欧州大戦に第一次とついてる時点で第二次が起きるっていうことだヨ。
→『あまり触れないようにしておこう』

終わりを告げた平和の時代・世界恐慌

時は桜暦3920年代後半、メルア合衆国。
この国は大戦のおかげで大幅に国力が増加していた。国民の殆どが富豪になり、各地の企業で株の売買をしていた。国民はドライブや映画鑑賞などなど、豪遊を繰り返している。国際社会から見てもメルアの楽観っぷりは圧倒的なもので、敗戦国や貧乏な国は嫌悪していた。ちなみにメルアはその国々にも資金を分け与えていた。
だが、盛者必衰の理は覆せず、メルアにも不幸が訪れる。
メルアのとある株式市場で、株価の大暴落が始まった。株式を買っていた国民は次々に金を失い、それに支えられていた企業も倒産、失業者が溢れ出した。これに追随して、メルアが支援していた国々も金がなくなり、失業者が溢れ出した。世界恐慌の始まりだ。
最初に被害を受けたのは欧州諸国。敗戦国の旧バラドリア=カンダリー諸国は、賠償金をメルアから借りており、そこから国の発展や賠償金支払い、メルアへの借金支払いに充てていた。だが、メルアからの金がなくなったことによって賠償金が支払えなくなり、借金返済や国の発展もできなくなってしまった。また、イグルサやフラソードも大戦で疲弊し切っており、完全に復活するのは困難であった。だが、イグルサは自国の植民地だけを使って他国の通貨を流入しないようにし、自国と植民地の関係を強化する、所謂ブロック経済を取り入れた。これによりイグルサはなんとか経済を維持していた。また、フラソードもアジアに植民地を保有していたため、イグルサより狭い範囲にはなるがブロック経済を成功させていた。超ドイツ帝国は、メルアからの支援をあまり受けていなかったり、国民が復興に協力的だったりしたこともあってか、この時代はまだ余裕であった。だが、独伊戦争に敗北した南イタルト王国は悲惨なことになっていた。植民地とのブロック経済をしようにも、植民地が少なすぎる、なら超ドイツや北イタルトから支援を受けようとするも、そもそも賠償金を支払っている最中と、誰も助けてくれない状況であった*26。結果、イタルトの経済は崩壊し、イタルトの失業率は80%を超えた。結果、イタルト政府は瓦解し、国王は新たな指導者を待っていた。また、アジアでも日本と中国が被害を受けた。中国では大陸全土でブロック経済を行って経済を回復させようとしているが、そこに日本が介入し、日中による円ブロックをしようとした。中国は猛反対し、日本との国交を断絶した。日本ではこのあと経済を復活できなかった政府に不満を抱いた国民の念を受け、軍部が台頭することとなる。一方、社会主義国家であるサヴォール社会主義共和国連邦は、社会的システムが根本から違うため、この恐慌の被害を一切受けなかった。そして、共産党書記長で最高指導者のヨシフ・スターリン*27と、後を継いだヴァシフ・ステラーブルク*28による五カ年計画大躍進・経済促進政策によって大発展を遂げ、共産主義の勝利をアピールした。これには世界からも絶賛され、各国の共産党勢力が力を増したとされている。
恐慌の張本人メルアでは、当初政府は何も干渉せずに放置しており、経済の回復を図っていた。だが、経済は回復するどころかかえって悪化し、大統領は失脚、新たにヘルコリス・ローズヴァスタが大統領となった。ローズヴァスタはニューディール政策を実施、政府が失業者に仕事を与え、経済の復活を期待した。結果、政策は成功し、たちまち失業者は減っていった。
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全体主義政策の導入とイベリア革命

世界恐慌によって世界が混沌とする中、超ドイツ帝国で一つの政党が成立した。イタルトの国粋主義政府に魅せられたであろう政党。その名は、国家社会主義超ドイツ労働者民主党。えっと…これ大丈夫か?例のあの政党と似てるからさ…。
…まぁ、2年後に併合されるんだけどさ。とまぁそれは置いといて、桜暦3933年に例のあの党が成立した時、超ドイツはサヴォールととある条約を締結した。それは、全体主義政策の導入に関する二国間の協約と呼ばれるもの。いわゆるモスクワ条約である。この条約によって、超ドイツとサヴォールは全体主義、いわゆる国家独裁体制へと国家体制を変えることとなる(ただし、両国とも条約締結前から一党独裁体制であった)。
→『その内サヴォールも解放したいな』
超ドイツとサヴォールで条約が締結される中、イベリア半島のエスパノ共和国パラテゴル共和国でほぼ同時に革命が起こる。エスパノではフランシスコ・フランコ将軍が、パラテゴルではアントニオ・サラザールが革命の指導者となっていた。双方共に超ドイツやサヴォールと同様の国家独裁体制への変革をしようとしていた。だが、双方共に内戦が始まると、共産主義者無政府主義者*29、さらには虚無主義者*30が台頭し、内戦は混戦状態に陥り、3年にも及ぶ泥沼の戦いとなった。超ドイツやイグルサはこの内戦に干渉したが、最終的には国家独裁主義者のフランコとサラザールが率いる国粋勢力が内戦に勝利し、国を統一した。二人の指導者は、『国境線をなくしたい』というよくわからん動機でイベリア連合の復古を宣言した。だが、二人の指導者がそれぞれで若干意見の食い違いがあったことから、再度内戦状態に陥った。なんでだよ。
→『イベリアは複雑だな』
…結局、二次大戦が始まった後でも内戦が続いていたため、呆れられたどっかのてーこくに占領されてしまった。

欧州諸国の民主化…?

恐慌の混乱も大分おさまってきた3934年、超ドイツとイグルサはとある協定を結んだ。この協定は、国家安全保障に関する協定と呼ばれ、3937年まで二国間で安全上の保障をすることとなっている。この協定により、一次大戦以来関係が薄れていた二国の国交が回復、平和が訪れた。
翌年の3935年、欧州の諸国(超ドイツ、サヴォール、イグルサ、南イタルト、バラドリア、カンダリー)が超ドイツ帝国のヴュディンヴェルング州に集まり、民主化の促進を行った。これにより、欧州の諸国は民主体制を確立した。だが、社会主義国のサヴォールでは社会主義を更に促進していった。
欧州の民主化により、世界に自由がもたらされると考えた国際連盟の国々だったが、その民主化とは裏腹に、各国はひっそりと軍拡を進めて行った。それはまるで、一次大戦が始まる前にフロンソードで平和協約が結ばれた時と同じように…。
→『歴史は繰り返す…』

阻まれた資本主義と無戦勝の共産主義

世界恐慌によって秩序が混乱する中、国際情勢は共産主義寄りになっていっていた。
資本主義国の殆どは経済が破綻、失業者で溢れかえり、政府は混乱していた。だが、共産主義国のサヴォールでは経済が破綻せず、さらに国力を蓄えていった。これにより、サヴォールの一強体制が確立され始めた。これが共産主義の強さだ、と言わんばかりの国力には、世界の共産主義者達を活気付かせたという。
ちなみに超ドイツ帝国も経済が破綻したのだが、他の資本主義国などとは違い、そこまで崩壊していなかった。
しかし、超ドイツや日本、イタルトなど、持たざる国と称された3カ国はだんだんと独裁的になり、メルアやフラソード、イグルサなどの持つ国は平和を追求した。世界の二極化が進んでいく…。
→『スイスとかに亡命した方がいいのかな』

番外編・二次大戦開戦前のサヴォ連邦加盟国

桜暦3938年ごろの加盟国
ロスタ・サヴォール連邦社会主義共和国
(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)
ウクレイル・サヴォール社会主義共和国
(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国)
白ロスタ(ベラロース)・サヴォール社会主義共和国
(白ロシア(ベラルーシ)・ソビエト社会主義共和国)
イゼルヴィージャン・サヴォール社会主義共和国
(アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国)
イルメヌア・サヴォール社会主義共和国
(アルメニア・ソビエト社会主義共和国)
ガリゼア・サヴォール社会主義共和国
(グルジア・ソビエト社会主義共和国)
テルカムン・サヴォール社会主義共和国
(トルクメン・ソビエト社会主義共和国)
クリガス・サヴォール社会主義共和国
(キルギス・ソビエト社会主義共和国)
ティズィク・サヴォール社会主義共和国
(タジク・ソビエト社会主義共和国)
クジフ・サヴォール社会主義共和国
(カザフ・ソビエト社会主義共和国)
ウィズベ・サヴォール社会主義共和国
(ウズベク・ソビエト社会主義共和国)
以上、11カ国によって成立している。

崩壊した経済・日本の二十年戦争

日本は世界恐慌以前に、大戦終結後の金融恐慌や、関東大震災など、既に経済がボロボロであり、そこに追い討ちをかけるように世界恐慌の波が到来してしまったので経済云々の話ではなくなるほどボロボロになってしまった。これに良い対処ができなかった政府に、国民の不満が増大、さらに軍部の台頭を許してしまった。
結果的に、中国への進出、南方への拡大、米英の駆逐などを目標に地獄の戦争へと突入することになった…。

歪んだ政治・超ドイツ恐怖の独裁体制

史実では経済が崩壊し、独裁政権を樹立させ大戦を始めたドイツであったが、この世界線でもまた、独裁政権の権力を強めていった。史実で二度目の大戦が始まった1939年らそれに通ずるであろう桜暦3939年。時がそれに近づくにつれ、独裁政治は勢力を増していっている。3938年、パラドリアを併合。3939年初頭、チェス・ラバキからズデートナーを割譲、翌月に完全併合。アジアでもまた、3937年に支那事変・日中全面戦争が開戦。南イタルトはフロンソードへ侵攻、サヴォールはフィンランドやヴェルトへの政治的圧力をかけるなど、複数の国家が大戦への道を進み始めている。
もし史実と同じはじまり方なら、超ドイツがパーレンダに侵攻するだろう。だが、パーレンダは既にカンダリー王国の支配下にあり、それよりも超ドイツはフラソードの再併合を目的としている。だが、どちらにしろドイツが大戦を始めることに変わりはないと思われる。そして、日独伊の枢軸国vs米英中などの連合国という構図になることが予想される。
ーこの大戦によって、世界の秩序は全て変わるだろう。

戦間期の終焉~第二次世界大戦

詳細はこちらから。

冷戦の始まり~ギーバン危機

真なる解放の始まりと国際連合の創設

民主主義と社会主義の対立・冷たい戦争

皇帝の象徴化と天皇陛下

日本の擬似的民主化運動

超ドイツとメルアの和平

核兵器の根絶と冷戦の雪解け

ギーバン危機とメルア・サヴォール

核戦争の回避とギーバン協定

番外編・冷戦期のサヴォ連邦加盟国

桜暦3938年ごろの加盟国に加え、第二次世界大戦中に併合した国が連邦に加盟している。
レトエヌア・サヴォール社会主義共和国
(リトアニア・ソビエト社会主義共和国)
アシュトヌア・サヴォール社会主義共和国
(エストニア・ソビエト社会主義共和国)
レトカルヴァ・サヴォール社会主義共和国
(ラトビア・ソビエト社会主義共和国)
(上記三国はヴェルト(バルト)三国と呼ばれている)
マルディヴィア・サヴォール社会主義共和国
(モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国)
(上記のマルディヴィア(モルダヴィア)共和国、元々はローミネア王国の地域であったが、サヴォール連邦がローミネアに侵攻したことでマルディヴィア地域が独立、結果サヴォールに併合されることになった)
以上、11+4カ国、計15カ国が連邦に加盟している。

ギーバンの和平~共栄圏の民主化

ギーバン協定の追加和平条約

大統領暗殺・メルア暴走への道

東京オリンピック事件

再び巻き起こった日本の民主化運動

ヴェルナード独立紛争

※桜暦3451年に併合したベルナード共和国とは異なります。ベルナードは共和国であり、ノーザ国と共に超ドイツへ侵攻した独立国でした。また、ヴェルナードは大公国であり、元はイタルト王国の支配下にあった国でした。

共栄圏の実態とロームシャ

第五回大東亜会議・共栄圏民主化宣言

アフラーカ独立戦争~帝国主義終焉の兆し

詳細はこちらから。

第三次独伊戦争~第二次世界恐慌

詳細はこちらから。

平和の祭典~メルアの公民権闘争

ノーザオリンピックの平和協定

トリカ共和国と旧アシミノ帝国

バラドリア=カンダリーの再興とバルカン半島

メルア合衆国の暴走・公民権闘争

→『武器が使われなければいいが…』

激化する闘争と全人種無差別議会の結成

中東戦争の勃発~赤く染まる黒い黄金

詳細はこちらから。
→『油田と火薬がセットだから燃えやすいな』

日本闘争とサヴォールの崩壊

東京大阪大闘争・血みどろの旭日

共産党の出撃と反動する新左翼

高まる革命の予兆と天皇陛下の心情

無血革命による民本主義の復古

欧州連合と崩壊の予兆高まるサヴォ連邦

終焉を迎えたサヴォール連邦

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サヴォールは我々の心の中で永遠に…

かつてロスタ帝国を打ち破り、連合国などの干渉や、独立した国との内戦に勝利し、強大なパワーを手にして成立したサヴォール社会主義共和国連邦。第二次世界大戦では日独両軍に挟まれながらも勝利し、冷戦でもその威厳を保っていた、世界初の共産主義国家は、その69年の歴史に幕を閉じた。第三次独伊戦争での敗北、内政の不安定化、連邦加盟諸国の独立運動激化、財政危機など、崩壊する前には既にボロボロだった。だが、サヴォールの政治家や書記長などは必死にサヴォールの安定を保っていた。最終的に書記長が辞任し、加盟していた各国の独立が確定したため、サヴォールは崩壊することになった。しかし、我々がサヴォールを思う気持ちがあれば、我々の心の中で、偉大なる国は生き続けるであろう…。
偉大なるサヴォール連邦、建国の父同志レーニン万歳。
※文言提供・世界各地の共産趣味者達
*31

番外編・崩壊直前のサヴォール連邦加盟国

第三次独伊戦争にイタルト側で参戦したものの、圧倒的な超ドイツ軍と究極の日本軍に大敗を喫し、多くの構成国を失うことになったサヴォール連邦。最終的に残った構成国は、
ロスタ・サヴォール連邦社会主義共和国
中央アジアウクレイル・サヴォール社会主義共和国
(元々のウクレイル地域はドイツに併合されてしまったのだが、一部のウクレイル人や白ロスタ人、ヴェルト三国の人々などは団結してクジフ共和国やイゼルヴィージャン共和国などに逃げ込んで臨時ウクレイル政府を樹立、戦後にそのままクジフなどと合体し、中央アジアウクレイル共和国となった)

サヴォールの継承~メルアと超ドイツの戦争

ロスタ国の復活とサヴォールの継承

日本植民地終焉宣言・朝鮮その他独立

[添付]

ヨーグシロヴァ内戦と赤い国の敗北

勝利した資本主義及び帝国・民本主義陣営

怒りの民衆と爆発した思想

詳細はこちらから。
→『国民の怒りを制御できないとは、メルアも衰退したな。』

番外編1サヴォール崩壊後に成立した国

サヴォール崩壊後は、ロスタを中心とした緩やかな共同体が設立された。以下、成立国の一覧。
・ロスタ民主共和国
(ロシア民主共和国)
・中央アジアウクレイル共和国
(中央アジアウクライナ共和国)
*32

番外編2ヨーグシロヴァ崩壊後のバルカン半島

桜暦3992年から始まったヨーグシロヴァ内戦では、バラドリア=カンダリー連邦が超ドイツ帝国の支持を受けて内戦に干渉、全土を併合するに至った。なお、スレブイは内戦を引き起こしたことや、過去にヨーグシロヴァで勝手な主導権を握っていたことなどから東西南北に4分割された。以下、その過程で成立した国の一覧。
3992年~3995年
ヨーグシロヴァ連邦共和国
(ユーゴスラビア連邦共和国)
・スレブイ共和国
(セルビア共和国)
・マンタノグレ共和国
(モンテネグロ共和国)
・マケデヌア共和国
(マケドニア共和国)
独立国
・サルヴェ共和国
(スロヴェニア共和国)
戦争状態
・バスネア・フィルツィグベン共和国(バラドリア介入まで)
(ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国)
・クレアート共和国(バラドリア介入まで)
(クロアチア共和国)
・コソボ共和国
バラドリア=カンダリーの介入後(3995~)
・北スレブイ共和国*33
(北セルビア共和国)
・南スレブイ民主主義人民共和国
(南セルビア民主主義人民共和国)
・西スレブイ国*34
(西セルビア国)
・東スレブイ=カリオータ=南サリヴァーン共和国*35
(東セルブ=クロアート=南スロヴェーヌ共和国)
・マンタノグレ公国
(モンテネグロ公国)
・イルベヌイ共和国
(アルバニア共和国)
・バスネア・フィルツィグベン共和国
(ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国)
・マケデヌア・コソボ連合共和国
(マケドニア・コソボ連合共和国)
上記の国家は全てバラドリア=カンダリー連邦(オーストリア=ハンガリー連邦)の統治下となる。
なお、連邦の全構成国は以下の通り。
・前述した8カ国
・バラドリア民主共和国
(オーストリア民主共和国)
・カンダリー王国
(ハンガリー王国)
・ローミネア人民共和国
(ルーマニア人民共和国)
・チェス民主共和国
(チェコ民主共和国)
・ラバキ共和国
(スロバキア共和国)
・王領パーレンダ自治共和国
(王領ポーランド自治共和国)
以上の15カ国に加え、前述した通り4つの国家弁務官区(現在は自治共和国)を保有している。
※超ドイツ帝国とバラドリア=カンダリーは民族的に同じ国家であるため、『現在は分裂している状態』だと言い張る研究者もおり、一部では超ドイツ側を「大ゲルマン帝国」、バラドリア=カンダリー側を「大ドイツ人民王国」と呼んでいる。
※2サルヴェ共和国(スロヴェニア共和国)は戦争をせずに独立したことから、バルカン半島で唯一超ドイツやバラドリア=カンダリー(オーストリア=ハンガリー)の影響を受けずに独立している。

世界は帝国主義の呪縛から解き放たれた

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桜の世界と超ドイツ帝国の邂逅

桜の世界の侵攻~現代

桜舞い散る帝国の光

詳細はこちらから。

現代・大日本帝国と震災

現代・皇帝の存在についての議論

ちなみに超ドイツはこの頃ロスタにシュンケタプトロベルク地域一帯を返還した。めちゃめちゃ飛地になってるが、まぁいいっしょ。

現代・欧州とアジアの独立戦争

詳細はこちらから。
→『あの2国はずっと戦争してるな…』

現代・桜花人と桜華民族の移住

現代・遂に実現した異世界との同盟

超ドイツ帝国/超ドイツてーこく

我らがドイツ帝国は、今なお続く立憲君主・一党独裁制の国家だ。一党独裁といえど、単純に政党が一つなだけ。
過去、フラソードやサヴォールに事実上の敗北を経験。
さらに桜の世界との戦争で国家の存亡が危うくなっていた。
しかし、国民や政府、かつての皇帝、同盟を結んでいた諸国などの応援があり、今もこの国は存在している。
これから先のことは、私にもまだわからない。だからこそ、今を生き続け、生涯悔いのない生活を送る。私は、そう決心した。
超ドイツ自治共和連邦、欧州大連合、超大東亜共栄圏、メルア・イグルサ・キネダ合衆陣、アフラーカ独立共同国、サヴォール独立国家共同体など、様々な陣営が跋扈している。だが、全世界全民族の民主楽土、大繁栄共存の世界を掲げる諸国なら、今も平和でいるだろう。
ー超ドイツ帝国皇帝陛下の日記より引用。

終わりに

超ドイツ帝国の歴史は、現在進行形で続いている。千年以上続いた帝国は、かつての使命を果たし、今ここに存在する。
第二次世界大戦、第三次独伊戦争、桜の世界との惑星戦争など…これらの戦争で奮闘した人々によって形成された現在の世界秩序は、平和を維持し続けている。この平和が崩壊した時、それは全ての終わりを示唆するだろう。
だが、その終わりを始めてはならない。今もなお続く帝国は、世界の中心的存在。この帝国が存在する限り、平和は保たれるだろう…。*36

追加設定

超ドイツ桜華同盟の消滅と桜の世界の夢

story of夜桜第四十三章

帝国世界の超団結

帝国連合軍最期の突撃

閉じた時空間ゲートと記憶の消滅

全ては無かったことにされる

追加設定2

闇の帝国から歴史は再起動する

超ドイツ帝国の歴史の再起動

最終決戦秘奥義・滅斬

桜とドイツはこの地で再び繋がった

帰還

超ドイツ帝国のサイトに戻る


*1 みんなはやっちゃダメだよ
*2 その他反ブリカス諸国
*3 ロイゾナーだかルイジアナだかなんかその辺
*4 多分メキシコ帝国
*5 圧倒的ぴよぴーよ共産主義感
*6 他国との国交も結んだ
*7 そんな事初めて聞いたぞby現代の超ドイツ皇帝
*8 イグルサとイタルトに漁夫の利されました
*9 ちなみにこのアラーはアラー号のことでド◯ルドのことではないしイスラム教の神様でもないよ
*10 この世界ではまだバルカン半島で強力な権威を持っていたのと、他の列強との関係もよくなっていたため清国政府はアシミノも列強の一国としていたが、実際にはイグルサやロスタの経済的植民地となっている。
*11 実際は光緒帝が皇帝だが、殆どの権力を奪われている。
*12 なんでこの時代に航空機があってしかも爆撃できるようになってんだってとこは触れないでクレメンス
*13 ソードソードうるさいなこれ
*14 全くされてないんだが?by各国の民族主義者達
*15 これをよーく覚えておいてください
*16 HUEHUEHUE
*17 そこはヨーロッパが爆発するところやろ
*18 クソパスタ野郎が
*19 孫中山先生=孫文氏………多分。
*20 インパール作戦の方が酷い
*21 アメリカ合衆国、イギリス帝国、フランス共和国、大日本帝国、中華民国、イタリア王国、その他諸々
*22 スレブイは正式な降伏宣言こそしていないが、バラカン降伏後も領土は戻らずそのままヨーグシロヴァに発展したため敗戦判定となった。
*23 オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国、ロシア帝国、セルビア王国
*24 大戦中に一回バラカンに支配されてその後スレブイが勝手に亡命政府打ち立てて占領して色々あって消滅したけど大戦終わって独立を再度勝ち取った。
*25 イグルサがフラソードの北部を獲得したことについては未だに不明であり、そもそもイグルサは戦争に参加していない。一番有力な説として、第一次世界大戦の時に占領していたフラソードの一部を獲得できなかった事に不満を持って、講話でも話が流されてしまった為に、今回の講和会議でその話題を待ち込み、フラソードに要求を飲ませたというもの。マジでわけわかめ。
*26 ちなみに超ドイツは賠償金の支払い期限を20年先に引き延ばしてくれている
*27 在位中に交通事故を起こして死去
*28 結構スターリンを崇拝していたらしく、スターリンはステラーブルクを後継に指名していたらしい
*29 なんでアナーキスト復活してんの?byサヴォールの人
*30 新勢力台頭しないでもろてbyフラソード大統領
*31 左に偏ってんなぁ…
*32 あれ、これだけ?
*33 後にベオグラード・スレブイ懲罰領(ベオグラード・セルビア懲罰領)に編入され、超ドイツの管轄となる
*34 後に南スレブイ民主以下略と南西合併で消滅、スレブイ統一国(セルビア統一人民国)となる。
*35 後にクレアート(クロアチア)は一つの構成国として独立、南サリヴァーン(南スロヴェニア)はサルヴェ(スロヴェニア)に返還、東スレブイ(東セルビア)は統一国に合併される。
*36 ちなみに、ここまででようやくstory of夜桜で炎の戦士達の旅立ちが始まる直前になりました。だからそれまでのやつはどれもこれもぜーんぶ前座。こっからが本番なんやで!…ハハっ…