中島裕之(西武→米マイナー→オリックス→巨人→中日)の西武時代の蔑称。
経緯
埼玉西武ライオンズ時代の2011年オフ、かねてからの希望であったポスティングでのメジャー挑戦を表明したが、落札球団であるニューヨーク・ヤンキースの提示条件は「年俸80万ドル*1・1年契約・球団側に6年間の保有権」という飼い殺し契約であった*2ため交渉がまとまらず怒りの撤退、結局は西武に残留した。
中島は以前からメジャー挑戦の夢を語っていた事からメジャー流出不可避と周囲は見ており、ファンフェスで胴上げされたりチームメイトの寄せ書きユニフォームが送られるなどして惜別ムードがあふれていた。
それら全てを覆しての残留劇で、チームメイトである中村剛也の愛称「おかわり君」にかけてこう揶揄されるようになった。
また、他の選手でも上記のようなパターンやメジャーリーグで結果を残せずあっさり日本に帰ってくる選手に対しても同様に扱われる場合がある。
その後
翌2012年にはFA権を行使。
前年ポスティング時に比べて好条件を提示したオークランド・アスレチックスと契約を合意。2年連続でおかえり君化せず、晴れてメジャー挑戦に至った。
なおケガや低迷ぶりから在籍2年間でメジャーに昇格する事は一度もなく、2014年にアスレチックスがオプションを破棄しFA、オリックスへ移籍。無事日本球界におかえり君した模様。