栄養費

Last-modified: 2024-04-08 (月) 01:54:49

一場靖弘(元楽天→ヤクルト)の蔑称。略称は「エヨヒ」「エヨ」。


概要

明治大学野球部時代の一場は野間口貴彦、那須野巧と共に『大社BIG3』と呼ばれ、2004年ドラフトでの注目人物であった。
しかし2004年8月、「栄養費」という名目で200万円もの金銭を読売ジャイアンツから授与されていたことが発覚し蔑称となる。


金銭授与発覚の影響

オーナー辞任

巨人だけでなく阪神タイガースと横浜ベイスターズも、一度は否定したが多額の金銭を渡していた事が後に発覚。巨人・渡邉恒雄、阪神・久万俊二郎、横浜・砂原幸雄の3オーナーの首が一気に飛ぶ事態となり、「プロ入り前に3アウトを奪った」などとネタにされた。
また、時期がちょうど近鉄とオリックスの合併に端を発する球界再編問題真っ只中であり、1リーグ制に前向きだった渡邉・久万の解任は再編問題の着地点を変えるきっかけともなった。


一場のその後

一場は明大野球部を退部して謹慎。一時は日本でのプロ入りを諦めかけるほど追い込まれたが、球界へ新規参入し戦力確保へと躍起になっていた東北楽天ゴールデンイーグルスから自由獲得枠で指名されプロ入りを果たす*1
だが入団した直後にデキ婚を発表*2したのをはじめプロ意識の薄さも目立ち、創設間もない楽天で成績が残せず*3、2009年にヤクルトにトレード移籍するも活躍できないまま2012年に引退した。

楽天のAAスレでの一場のキャラ付けも裏金事件と楽天入団後の発言によって「金にがめつく、ビッグマウスで横柄」というキャラが定着してしまい、AAスレの中でも異質な存在となってしまった。


一場回避後の自由枠

一場に金銭を渡していた3球団は一場の獲得を回避し、巨人は野間口と三木均、阪神は岡崎太一能見篤史、横浜は那須野と染田賢作を自由枠で獲得した。
だが能見以外はプロで結果を残したとは言い難く、スカウトの見る目の無さを露呈する結果となった。


事件の余波

一場(と那須野)を巡る騒動は、希望枠制度廃止のきっかけとなったと言われている*4
その恩恵を受けたのが広島東洋カープ。資金力や環境を理由に有望選手に逃げられるといった事態が無くなり、逆指名制度や自由枠や希望枠制度があれば獲得が困難といえた野村祐輔大瀬良大地らが広島のリーグ3連覇に大きく貢献した。
何より当の一場本人が上述の通り目立った活躍が出来なかったという事実も相まって、「一場は広島の救世主」と称えられることがある。

また「渡邉恒雄オーナーの首を飛ばしたのが一番の功績*5と言われることもあり、同じくトラブルメーカーぶりが顕著だった三山秀昭球団代表の辞任によって2000年代後半~2010年代中盤における巨人の黄金期形成に間接的に繋がっていくことになる。


一場に授与した金額

チーム金額
巨人2,000,000
横浜600,000円
阪神250,000円
広島2,000円

実は広島も交通費名目の2000円を渡していたが、交通費の実費にも満たない金額とも言われた*6こともあってか上記の3球団と違って問題にはならなかった*7。しかし文字通り他の3球団と比べて桁違いの額であったことから、当時の広島の資金力の無さを表すエピソードの一つとしてネタにされている。


関連項目


外部リンク



Tag: 楽天 ヤクルト ドラフト 蔑称


*1 どこも指名する気が無いなら下位指名でもいいのでは、と思われるかもしれないが、不祥事があったとはいえ大物選手を下位で指名してしまうとアマ側との関係が拗れてしまう可能性がある。またそもそもの指名ルールとして2巡目以降は重複指名ができないため、球団創設直後で即戦力候補の確保が最優先だったという意味でも自由枠を使うしかなかった。
*2 その夫人とは後に離婚。
*3 もっとも、入団2年目の2006年にリーグ最多の14敗と防御率4.37を記録しながら、エース・岩隈久志の故障離脱により1年間ローテーションを守らざるを得なかった事情や、30試合193.2イニングも投げた上でオフのウインターリーグへの参加を球団命令で参加させられた結果、翌年以降右肩の怪我に悩まされることになった事実も勘案すべきである。
*4 1993年ドラフトで逆指名制度が導入されて以来ドラフトでは何らかの形で希望枠が存在していたが、2007年春に発覚した西武の裏金事件にトドメを刺される形で同年のドラフトから希望枠は廃止となった。
*5 しかし、辞任から1年も経たない2005年6月に球団会長として復帰、さらに2014年6月には読売巨人軍取締役最高顧問となった。結局後の野球賭博事件で辞任するまで再び球団(および球界)の権力者として君臨することとなる。
*6 東京から広島までと考えれば交通費としては全く足りず、安価で長距離を移動する手段の代表とも言える『青春18きっぷ』でも1枚分(当時の価格で2,300円相当)にも満たない程度。また会談場所が首都圏であったとしても、経路や交通手段によっては片道分にもならない可能性が十二分にある。
*7 この当時は金品のやりとりが普通にあったため、2000円で問題になると他11球団もオーナーの首が飛ぶだけでは済まない事態になりえる事から、処分しなかった可能性もある。