那須野巧(元横浜→ロッテ)が2004年のドラフトで横浜ベイスターズに入団した際の実際の契約金のこと。転じて那須野自身の蔑称としても使われる。
経緯
当時、ドラフトによる新規入団選手は「契約金1億円+出来高5000万円・年俸1500万円」が上限と申し合わせられていた*1。しかし2007年、那須野の入団時の契約金が5億3000万だったこと*2、さらに入団1年目の年俸も3000万だったことが発覚。同期入団の一場靖弘*3が関わったいわゆる一場事件の件もあり、球界全体を巻き込んで非常に大きな問題となった。
特に横浜は一場にも金銭を与えていたほか、この2人と前後して獲得したスティーブ・コックス、若田部健一、佐々木主浩といった高年俸選手たちがまったく戦力にならなかったことや、その代償として主力選手であるタイロン・ウッズやドミンゴ・グスマンが中日へ流出、ハマスタの契約などもありさらなるチームの弱体化や経営悪化を招きTBSがベイスターズを手放す一因になった。
本人の反応
この件に対し、那須野本人は説明を求められた際には「謝罪会見もした。僕が矢面に立ったと思う」と、どこか他人事のようなコメントを残している。(ソース)
この発言は、下記のような那須野の意識の低さから出たものだとされている。
- 故・大島康徳氏(元中日→日本ハム)によると、東京・駒場学園高時代には「那須野ロード」と呼ばれるインチキ手抜き走りこみコースがあり、さらには練習をサボるための「秘密基地」があった*4、とされているほどの練習嫌いだったという。(ソース)
- ロッテ移籍時には「1年目ぐらいのフレッシュな気持ちでやりたい。今まで適当だった。髪は黒く染めて短く切りたい」とコメントするなど、横浜時代はプロとしてあるまじき姿勢だった事が伺える発言もあった(ソース)が簡単に練習嫌いは直らず故障などもあって球界を去ることになった。
これらのエピソードから「損五億」「5億円の焼茄子*5」といった蔑称も存在する。
記事
2007年04月12日
高額契約金 横浜「獲得へ仕方ない」 - 朝日新聞
http://www.asahi.com/special/070313/TKY200704120131.html
2020年1月10日
元横浜の那須野 巧さんが今だから明かす、契約金騒動の舞台裏
https://www.walkerplus.com/trend/matome/article/217132/amp/
余談
同年のドラフトで指名された投手には、
と後の沢村賞投手が3人もおり、その他にも
と各球団のエース級投手またはローテ投手がいたため*6、那須野・一場・野間口貴彦(創価大中退→シダックス→巨人自由枠)の「大社BIG3」が誰一人としてプロで大成しなかったという残念な結果が際立ってしまった。しかも那須野だけではなく一場、野間口も裏金問題が発覚してしまったという共通点がある*7。