田中将大(楽天)が2013年に挙げたシーズン成績。24-0-1S、24-0と表記される場合もある。
概要
田中将大は「マー君神の子、不思議な子」で知られた様に負けがつかない投手であったが、この年はそのピークであった(ただし、全試合QSは達成している)*1。
開幕から白星を積み重ね6月25日には無敗のまま10勝に到達、7月26日のロッテ戦では1点ビハインドの9回裏に嶋基宏がサヨナラ打を決めて14勝目が転がり込む強運を見せる。
そのまま連勝を続けると、チームが優勝マジック2で迎えた9月26日には1点リードの9回裏にリリーフ登板。ランナーを出しながら無失点で締めてセーブを挙げ、球団初の胴上げ投手になった。
最終成績は防御率1.27*2、24勝0敗1S*3、先発全試合QS達成、投手タイトルをほぼ総ナメ*4にして球団を初のリーグ優勝、日本一に導くという野球漫画でもボツにされそうなレベルの大活躍を遂げ、これを置き土産に翌年からニューヨーク・ヤンキースへ旅立った。また、1957年に稲尾和久(西鉄)が記録した20連勝(シーズンでは35勝6敗)を更新すると共に、下表にある間柴の15勝0敗のシーズン無敗記録*5も大幅に更新した。
投手のシーズン無敗記録
年度 | 投手 | 所属 | 勝敗 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1936年秋 | 景浦將 | 大阪(現:阪神) | 6勝0敗 | 最優秀防御率も獲得・野手でも規定打席。 |
1937年秋 | 御園生崇男 | 大阪 | 11勝0敗 | 優勝に貢献。 |
1981年 | 間柴茂有 | 日本ハム | 15勝0敗 | 2リーグ分裂後初・リーグ優勝に貢献。 |
2013年 | 田中将大 | 楽天 | 24勝0敗1S | リーグ優勝・日本一に貢献。最多勝・最優秀防御率も獲得。 |
最高勝率記録の条件を満たしたシーズン無敗は田中を含めてこの4人のみ。しかも、最初の2人はシーズンが春・秋に分かれていた時代で、試合数も少なかった(1936年秋は31試合、1937年秋は49試合)。
長期1シーズンで、24勝を挙げて無敗で終えた田中の成績は際立っている。
その後
- CSでも1勝1セーブ、日本シリーズ第2戦でも勝利投手になったが、第6戦は4失点で160球完投負け。だが翌日の第7戦、9回にリリーフ登板して2安打を打たれたものの無失点に抑え、再び胴上げ投手となった。
- 楽天へ復帰した2021年、NPB復帰初となる4月17日の日本ハム戦では5回3失点で敗戦投手となり連勝記録は途絶えた。
余談
- この24勝0敗1Sの話題になると「1S」の有無で議論になる場合が多い。1S肯定派の意見として「チーム総出で優勝を勝ち取った感がある」、否定派の意見として「ヌッスみたい」と言われる。
- この年1位の楽天の成績は82勝59敗1分(貯金23)で、最下位の日本ハムの成績は64勝78敗2分(借金14)。しかも田中は日本ハムと8回も対戦機会があったため、田中の活躍がなければ楽天は優勝どころか最下位もあり得た。
- 実際、田中が翌年ニューヨーク・ヤンキースに移籍すると楽天は最下位に転落し、星野仙一監督が責任を取って辞任している。
- 優勝を決める1Sが付いた西武戦は、1アウト2・3塁のピンチを招いたが、そこから8球すべてストレートで連続三振を奪ってセーブを挙げている。(田中の8球)
最後の打者は浅村栄斗で、テレビの特集などでも多く流れることがあったが、その浅村が2019年から楽天に移籍したことでその機会は減少している。 - 田中は自身の試合前と試合後にブログを更新することが多かったが、この年の記事タイトルは「明日投げます」「〇〇勝目」が延々と並ぶという異様なものになった。稀に違うタイトルが入る場合もあるが、それは「月間MVP」*7か、趣味のももクロ関連であった。
- この年、田中は最優秀選手賞を満票で受賞。満票でのシーズンMVPは36年ぶりのことであった*8。
- 岩隈久志は2008年にシーズン21勝という成績を挙げており、田中と併せて楽天のエースになるには異次元レベルの成績を残さなければならないという高すぎるハードルが作られ、エースの座を継いだ則本昂大が過小評価されてしまう一因となっている。