エースコック

Last-modified: 2021-12-15 (水) 12:57:44

安藤優也の現役時代の蔑称。
由来はカップ麺で有名な『エースコック』かつ安藤の体型。


概要

安藤は2001年ドラフトで1位指名(自由枠)を受け阪神に入団。入団2年目の2003年からセットアッパーとして頭角を現しクローザーのジェフ・ウィリアムスと共に2003年の阪神優勝に貢献。監督が星野仙一から岡田彰布に変わってからは藤川球児・ウィリアムス・久保田智之による所謂JFKシステムの確立もあって先発に再転向。井川慶が2006年オフにニューヨークヤンキースへ移籍すると消去法エース*1として活躍してきたが、能見篤史が台頭し始めた2009年頃を境に成績が右肩下がりとなり、2010年は体のキレを取り戻すために減量を行ったが、これが球威を落とす結果をもたらし、先発ローテーションすら守れない体たらくぶりを見せてしまった。

しかも、安藤が降板した直後やABCテレビ『虎バン』で安藤の特集が組まれた際にエースコックのCMが流れた等の経緯から「エースのような何か」といった意味合いでこの蔑称が定着した。

 

また安藤の体型とエースコックのロゴが「」であることから「エース+豚」という意味も込められているようである*2。その安藤が先述の通り2010年に減量を行い裏目に出たのは皮肉な結果ともいえる。

 

その後、2013年に中継ぎ再転向後は息を吹き返し勝ちパターンで重宝された。

関連項目


*1 星勘定は悪くないが、完投が少ない上ここ一番で弱く黒田博樹川上憲伸内海哲也ら当時の他球団エースと比べて見劣りした為「消去法エース」と呼ばれた。しかし井川退団後の阪神先発陣は、福原忍は怪我が多い上に常に負け先行で下柳剛も常にリリーフ投手登板を前提とした投球スタイルで年齢的に限界が見えており、次世代エース候補では岩田稔がようやく台頭した程度で上園啓史は活躍が続かず能見はまだ鳴かず飛ばずの時期であり、結果的に貯金の出来る安藤がエース扱いされていた。
*2 しばらくの間Wikipediaの記事に愛称として載っていたこともある。