小物

Last-modified: 2024-01-13 (土) 04:45:09

かつて中日、楽天、オリックスに所属した鉄平(土谷鉄平)のこと。


概要

2000年のドラフトで中日から5位指名*1を受けて大分・津久見高から内野手として入団。その後打撃を生かすため外野手にコンバート、2005年オフに中日から金銭トレード*2、2009年に首位打者を獲得するなどイーグルス創設初期の主力野手として活躍した。

一方で、楽天への移籍早々に平凡なセンターフライの打球判断を誤り派手に転倒したことで早くも「小物」と呼ばれるようになり、後の活躍にも関わらずあまりにも派手さがなく発言も天然*3、また打線スレができるほど「そう呼ばれるに相応しいネタに事欠かない」ため、次第に小物扱いが浸透していった。


「小物」エピソード


ZETT社員の土谷さん

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誤植

現役当時から何故か誤植に絡むことが多く、その多さのあまり打線が組めるほどである

鉄平の誤植だけで打順組んだ
1(右) 原作・伊坂氏として掲載された写真はプロ野球・楽天の鉄平選手の写真でした*7
2(二) Teppei Tohoku*8
3(三) ※実際の商品には山崎選手の直筆サインが入ります*9
4(中) ブリュワーズ公式サイト*10青木宣親の入団記事に鉄平の写真が掲載
5(一) TEPPI*11
6(左) 12年目のベラン
7(遊) Norichika Aoki, Hiroyuki Nakajima, Tsuyoshi Nishioka, Tsuchiya Teppei*12
8(捕) 銀次のプロ1号と同日に打った本塁打をプロ1号と書かれる*13
9(投) 一般人に間違われ楽天についての街頭インタビューを受ける(前述)

 

上記打線は現役時代に起こった誤植のみである
現役を引退した現在でも以下のような誤植が発生している。

  • 2016年に引退を表明した翌月に就任した楽天ジュニアコーチについても「銀次ジュニアコーチ」と誤植。
  • 2019年には二軍コーチに就任したが、沖縄キャンプ向けに用意された幟では背番号を誤植(誤:92→正:96)される。*14

また上記のように銀次*15を始めとして他人に間違われることがやたら多く、これらのエピソードのせいで本人とはまったく無関係の所で小物っぷりに拍車をかけている。


余談

  • 26-0の試合で活躍して以来「大物」と呼ばれるようになった西岡剛(当時ロッテ)との対比になっており、プロ野球板の選手スレでは双方ともVIP語が使用されていた。
    00年代後半には「西岡マジ大物wwwww」と、これの対比で「鉄平マジ小物wwwww」というスレが立てられていた。
    • なお阪神時代の西岡はロッテ時代に付けられた「大物」に対する「小物」が蔑称の一つになってしまった。
  • 2ch黎明期のアンチ巨人スレ発祥のスラングである「メシウマ」を表現したアスキーアートである「メシウマ状態」は鉄平がモチーフになっている。


外部リンク

小物伝説のまとめ(ニコニコ大百科)


関連項目


*1 1位は中里篤史、4位はゴム者こと岡本真也
*2 当時の落合博満監督「今の中日では出る場所がないが、ほかのチームだったらあるんじゃないか」という提案によるもの。
*3 同郷で同学年の内川聖一曰く、高校時代から不思議系だった模様。
*4 理由は「具が入ってるとややこしい」からとのこと。実際に球団公式で商品化されたこともある。
*5 2007年。「今年一番三振を取った選手は?」というクイズに「鉄平」と即答。
*6 しかも、そのインタビューのテーマは「楽天球団について」であった。
*7 2011年8月17日付スポーツ報知の伊坂幸太郎原作の映画「ポテチ」に関連する記事の見出しの顔写真が何故か鉄平だったことに関して、後日出されたお詫びより。当時楽天には井坂亮平という選手が在籍しており、名字が同じ読みのこちらが載るのならともかく、何故鉄平の写真が掲載されたのかは未だに謎。一応、井坂と鉄平は下の名前が「○平」という共通点がある。
*8 2006年の日米野球に選出された際の公式サイト上の誤記。
*9 楽天の公式ショップで販売された「楽天・鉄平 首位打者タイトル獲得記念直筆サイン入りフォト」の商品説明にて。
*10 正確にはブリュワーズ公式サイトではなく、アメリカの大手放送局NBCのスポーツデータサイト。
*11 楽天公式ショップで販売された「2009年A3アルミフレーム写真」の商品紹介。
*12 一見問題ないように見えるが、鉄平だけ名前と苗字の標記が逆
*13 「ベタラン」と同日。
*14 実は就任当初公式ホームページに92と記載されており、後に何事もなく96に訂正されていた。
*15 下の名前が登録名、アベレージタイプの左打者、顔立ちも地味、楽天入団年も2006年と同じであることが原因と見られる。なお2005年ドラフト指名当時の名前は宇部銀次だったが程なく赤見内姓に変更、野村克也監督の意向で楽天入団時に鉄平共々名前が登録名になった。
*16 「赤星の代わりに指名すべきだった」と活躍を唯一的中されるも、大成したのは野村監督就任後の楽天に移籍した後だった。