1991年のドラフトを前に、阪神タイガースからのアプローチを受けていた田口壮(当時関西学院大学)が入団拒否の姿勢を示すために発表した声明のこと(後に撤回)。
10ヶ条の内容
1.自分は野球選手である以上、常に勝利というものを目標として野球人生を送りたい。
2.自分の夢は日本シリーズで優勝する事であり、阪神が日本シリーズで優勝することは、夢にしても出来過ぎている。
3.中村監督*1が個人的にあまり好きな人種ではない。陰気臭いという感じがする。
4.球団がせこい。金儲けのことしか頭にないように見える。
5.フロントの二枚舌が酷いという。傍から見ていてもその信憑性は高いと感じられる。
6.ファンである川藤コーチが辞任した。他の阪神のユニホームを着た人間に打撃など教わりたくもない。
7.阪神ファンのマナーが悪すぎる。甲子園球場で野球観戦をしたことは何度もあるが、野球を見に来ているというよりも、騒ぎたいだけのバカの集まりのようにしか見えない。*2
8.これほどまでに勝てないのは育成部門が悪いのではないか。自分も潰されそうで恐ろしい。
9.阪神沿線が肌に合わない*3。
10.大物選手がロクな辞め方をしていない*4。選手を大事にしない球団には入りたいと思わない。
その内容があまりに辛辣かつ大半が的を射たものであったため、大きな話題を呼んだ。
当時の阪神の主力だった岡田彰布はこの発言に「阪神の待遇面は球界でも上位。本当の阪神を知らないなら軽率にものを言うべきではない」*5と怒りを露わにしたが、後に93年にフロントから一方的に自由契約を伝えられての退団となった為、田口の語ったフロントの二枚舌の格好の餌食となってしまった。*6
この会見に激怒した阪神は田口から怒りの撤退*7。田口は日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)とオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)にドラフト1位で指名され、抽選の末オリックスに入団した。一方田口から撤退した阪神はドラフト1位に萩原誠(大阪桐蔭高)を指名した。
後年になって田口は10ヶ条についてこう振り返っている。
「自分の中では当時も阪神が嫌いなどという思いはなく、若さゆえの至らなさが招いてしまったことです。オリックスの担当スカウトが大学の先輩だったこともあり、どうにかしてオリックスに行きたいという気持ちが強すぎました。そのときに発した自分の言葉がマスコミの方々に誇張されて伝わってしまったんです。今思えばなんにも言わなければ良かったのですが。当時は多くの方に迷惑をかけてしまいました。今でも申し訳なかったと思っています。」
https://www.excite.co.jp/news/article/E1440491331351/?p=4
その後
田口はオリックスでイチロー*8や本西厚博(のちに谷佳知)と共に鉄壁の外野陣を形成、名将・仰木彬監督の下で1995年のリーグ制覇と1996年の日本一に大きく貢献。さらに海を渡ると2006年カージナルス、2008年フィリーズでワールドチャンピオンに輝く。一方で田口が日米で現役だった1992~2012年の21年間で阪神が日本シリーズを制することはなかったので、結果的に田口の選択は正しかった事が証明された*9。
前年の90年ドラフトでは亜細亜大学の小池秀郎(元近鉄→中日→近鉄→楽天)がロッテから1位指名を受けたが入団拒否*10している。その前日の会見で小池は「特に行きたくない球団」としてロッテだけでなく阪神も挙げていた。*11もっとも暗黒時代の阪神はドラフト有力選手に水面下で門前払いを受けることが多かった*12とされ田口の件は氷山の一角とも考えられ、当時のドラフト戦略の酷さにも繋がっていた*13ともされる。