相川の放出が最大の補強

Last-modified: 2023-09-28 (木) 13:45:04

2008年オフ、相川亮二がヤクルトにFA移籍した際、横浜ファン(やる大矢スレの住民とされる)が言ったとされる発言。


概要・経緯

当時の横浜は投手陣が壊滅状態で、誰が投げても打たれるといった状況だった上に、正捕手の前任者であった谷繁元信*1が移籍先の中日で活躍していたことから、後任の相川にファンの怒りの矛先が向き「相川のせいで打たれた」などといった批判が出ることも多かった。
そんな中、相川がFAでヤクルトへ移籍*2。元々“正捕手不在”という懸念事項を抱えていたヤクルト*3にとっては眼鏡に適った補強とされていた一方、2chの横浜ファンの間では「相川がいなくなって投壊から脱出できる」「相川の放出が最大の補強」などの意見も出ていた。

しかし翌年のヤクルトは、相川が期待通りに正捕手として定着した事もあり、前半戦を2位で折り返すなど健闘、最終的には負け越しではあるものの3位で球団史上初のCS進出を決めた。
一方の横浜はFAで獲得した野口寿浩*4、ルーキーの細山田武史、既存戦力の武山真吾・新沼慎二らを起用したものの、結局は相川と鶴岡一成*5の穴を埋められず、シーズン終了まで捕手を固定できないまま最下位でシーズンを終えた。

なお相川はヤクルト移籍後の初の春季キャンプでブルペンを見るやいなや「ヤクルトにはいいピッチャーがたくさんいますね!」と野球少年のように目を輝かせ、ブルペンで球を受けると「構えたところにボールが来る」と感想を漏らしたという。


派生形

現在ではこの単語に便乗して、野球以外でも特定の人物に去られてしまったり盛大にやらかしたりした団体や人物に対して自虐や皮肉を込めて「○○の放出が最大の補強(略して「○放最補」)」という言葉が使われやすい。
近年では選手以外にも似たような表現(「○○の○○が最大の補強」)が用いられる事がある。


その後

ヤクルトへ移籍した相川だがヤクルト在籍中にセ・リーグ制覇は出来ず、更には中村悠平の台頭などもあり、出場機会を求めて2014年オフに2度目のFA宣言で巨人へ移籍。前年度リーグ制覇の球団への移籍とあって、移籍会見での相川は嬉々として優勝への意気込みを語っていた。
しかしシーズンが始まると、ヤクルトは14年ぶりのリーグ制覇。一方の巨人は2位に終わった。「相川の放出が最大の補強」は7年の時を経て、ある意味ヤクルトに当てはまったとも言える。

また、2022年からは古巣・DeNAのバッテリーコーチに就任。現役当時は一部で厄介者扱いを受けてしまっていた相川だが、OBとして「横浜に戻る喜び」を体現した一人となった。


関連項目


*1 谷繁がFA移籍した要因として、当時の監督である森祇晶が功名心ありきで相川を重用しだしたため、居たたまれなくなったとされる。
*2 ちなみにヤクルトにとっては、これが球団史上初めて獲得したFA選手となった。なお相川の補償については金銭補償が選択されている。
*3 当時は主に2008年盗塁阻止率リーグ1位を記録する事になる福川将和と打撃好調だった川本良平が併用される形で起用されていたものの、両者とも守備面に難があったため正捕手の座を掴むまでには至らなかった。相川の加入後は完全に控えに甘んじるようになり、福川は2012年オフに戦力外通告を受け引退、川本は2013年3月に田中雅彦とのトレードでロッテへ移籍。
*4 ヤクルト、日本ハムを経由し当時矢野燿大が正捕手についていたことで出番が激減していた阪神から獲得。しかし入団直後のキャンプ終盤に右肩の腱を断裂し、自身の責任感からそれを隠したままシーズンに臨んだことが災いし全くといっていいほど活躍できず、翌2010年に戦力外通告を受け引退した。
*5 真田裕貴との交換トレードで2008年シーズン途中に巨人に移籍。相川のFA移籍は元々噂されており、後任の1番手とされていたにもかかわらず放出。出先である巨人初年度で優勝を経験したことで、TBS時代の横浜フロントの戦略の無さ、無能さを象徴する出来事として引き合いに出される。ちなみに2011年に鶴岡がFA宣言して横浜への復帰が決まった際にトレード相手だった真田も巨人に復帰している。