チームへの貢献度が特に高いベテラン選手のこと。老害の対義語。
活躍すると「なんだこのおっさん…」とレスされる*1。
元祖老益・山本昌
元中日ドラゴンズ・山本昌は、2006年に左腕投手では世界最年長となる41歳1ヶ月でのノーヒットノーランを達成すると、2008年にはNPB史上最年長での通算200勝を達成。その後も数々の最年長レコードを打ち立て、2015年にはNPB史上初となる満50歳での出場を達成、同年オフに惜しまれつつも現役を引退した。
これらの功績からメディアで「中年の星*2」と呼ばれるようになり、野球chでも「老益」としばしば評価されていた。これが老益のはしりである。
定着のきっかけとなった老益・宮本慎也
元東京ヤクルトスワローズ・宮本慎也は満41歳を迎える2011年シーズン時点で2000本安打まで残り170本であったことから、強行出場による聖域化が懸念されていた。
ところが、
- 月間打率.400で4月の月間MVPを受賞*3
- トータルでも133試合出場・打率.302*4
- 規定打席到達者で最少の37三振
- 失策1・守備率.997で三塁手守備率の日本プロ野球記録を更新、加えてゴールデングラブ賞とベストナインを受賞*5
など、チームに貢献した上で様々な最年長記録を打ち立てたことなどから「老益」と評される。同年のシーズン安打数も143本を稼ぎ、無事翌2012年シーズンには2000本安打を達成することができた。
オジンガン打線
上記の宮本が32歳だった2003年シーズンのヤクルト打線は岩村明憲(当時23歳)が故障で離脱した結果、レギュラーの選手ほぼ全員が30歳以上(最年少かつ唯一30歳未満だったアレックス・ラミレスですら29歳)という打線になり、マシンガン打線ならぬ「オジンガン打線」と呼ばれた。しかし、破壊力は侮れぬものがあり、ヤクルトのAクラス入りの原動力になった事などからまさに「老益打線」とも言えるものだった。
打順 | ポジション | 名前 | 年齢*6 |
---|---|---|---|
1 | 右翼 | 稲葉篤紀 | 31 |
2 | 遊撃 | 宮本慎也 | 32 |
3 | 一塁 | トッド・ベッツ | 30 |
4 | 左翼 | アレックス・ラミレス | 29 |
5 | 三塁 | 鈴木健 | 33 |
6 | 捕手 | 古田敦也 | 38 |
7 | 中堅 | 真中満 | 32 |
8 | 二塁 | 城石憲之 | 30 |
9 | 投手 |
ちなみに当時のラミレスは年齢不詳で有名であり、真中満(1971年生まれ*7)が「絶対にオレより年上」と証言していた、というエピソードがある。
その他の老益
- 斎藤隆(元大洋/横浜→MLB→楽天)
36歳の時にメジャー挑戦を表明し、自由契約で渡米。マイナー契約から這い上がりいきなり72試合に登板したのもさることながら、MAX148km/h程度だった球速がこの歳で急成長し、MLB2年目の2007年には37歳にして自己最速、さらに当時の日本人選手歴代最速である99mph(約159km/h)*8を記録。40歳を超えてなおその球威は衰えず、平均91.8mph(約148km/h)、MAX95mph(約153km/h)を記録する豪腕ぶりを見せつける。
メジャー6番目の高齢である41歳で迎えた2011年シーズンは(前半に故障があったとはいえ)30試合4勝2敗10H・防御率2.03・WHIP1.13と安定した成績でミルウォーキー・ブルワーズの地区優勝に貢献。さらにプレーオフでも計6試合に登板し無失点、現役最強打者の誉れ高いアルバート・プホルスをも完璧に抑え込み、いろんな意味で気持ち悪い大活躍を見せた。
MLB通算338試合の華々しい実績を土産に2013年に日本球界復帰、出身地の球団である東北楽天ゴールデンイーグルスに入団すると、30試合3勝4S4H・防御率2.36・WHIP1.36をマークして球団初の日本一に貢献した。
- 山崎武司(元中日→オリックス→楽天→中日)
山崎は中日で1度本塁打王を取ったが、36歳で楽天に入るまでは目立った活躍は少なかった。しかし入団後に田尾安志監督から受けた打撃指導が実を結び、2005年はチームトップの25本塁打を記録*9。戦力外から一気にチームの主力選手となる。
2006年には新監督の野村克也の影響で配球を読む術をマスターし、38歳で迎えた2007年はいずれもキャリアハイの43本塁打、108打点で二冠を獲得する大活躍*10*11。
2009年も39本塁打・107打点といういずれもリーグ2位の好成績を収め、打線の軸としてチームを初のクライマックスシリーズに導いた。
45歳で引退したが、プロ生活27年(実働25年)で通算403本塁打、内楽天の7年間で191本塁打という成績を残し、名誉生え抜きの扱いを受けている。なお、現在でも38歳の時に記録したシーズン本塁打数・打点数、および通算191本塁打は楽天の球団記録である。
- 黒田博樹(元広島→MLB→広島)
33歳で渡米すると日本時代から投球スタイルをガラリと変えて先発ローテーションに定着、米日通算7年連続で2桁勝利を挙げた。
2015年は広島に電撃復帰、40代に入ってからもローテーションの座を守り続けて2年連続で規定投球回に到達。防御率も2.55、3.09と良好で、2016年は25年ぶりとなるリーグ優勝に大きく貢献し、日本シリーズ第3戦の登板を最後に現役を引退。その功績に敬意を表し、黒田が着用していた背番号15は新たに広島の永久欠番となった。
他にも老益扱いされやすい人物
名球会入りは太字で記載。
- OB
- 現役
例外
- 金本知憲(元広島→阪神)
2009年(41歳)までは老益認定出来る成績だが、2010年に右肩を故障してからのプレーの印象の方が強烈でそちらがネタにされやすいため、(名誉外様扱いもされないが)老益扱いされることは滅多にない。
- 和田一浩(元西武→中日)
打者として覚醒、初めて規定打席に到達した年齢が30歳とかなり遅く、違反球時代を除いた晩年まで安定した成績を残したため「超大器晩成型」の代表格として挙げられることが多く、なんJでは和田が30歳のシーズンを迎える時点での通算安打数(149本)から始まる成績コピペが存在するほど。
- 能見篤史(元阪神→オリックス)
こちらも覚醒したのが入団5年目の30歳(阪神入団は満25歳の2004年オフ)とかなり遅く、同じく左投げで同い年かつチームメイトだった井川慶*15と比較されたりする。
また、チームへの貢献度は高いものの、阪神時代は藤川の貢献度がずば抜けており、選手兼任コーチとして在籍したオリックス時代は主にコーチとしての功績が語られることが多く*16、さらにその若々しい端正な見た目*17もあってネタにされることはあまりない。
- 福留孝介(元中日→MLB→阪神→中日)
2013年に日本球界に復帰後、約1年半は打撃面で不調で聖域扱いされていたが、2014年後半から本来の打撃を思い出すと、翌年には打率.280・20本塁打・76打点とチーム三冠王になるなど完全復活。
2016年にはサイクルヒット、2019年まで5年連続で2桁本塁打を記録するなど頼れるベテランとして貢献。2017年からの2シーズンは40代ながらキャプテンも務め名誉生え抜き扱いされていた。
しかし、2020年は極度の不振もあり阪神を戦力外。復帰した中日では序盤こそある程度活躍するも、その後不振に陥り、それでも代打要員として起用され続けたことから老益扱いされなくなった。また阪神退団後の動画などでの言動から一転して名誉外様扱いされることもあったが、引退時には阪神球団およびファンへの感謝を述べたり、引退後も阪神関連の番組に出演するなどしており多少は許されつつある。
- 門田博光(元南海→オリックス→ダイエー)
1988年に40歳で打率.311・44本塁打・125打点という驚異的な成績を残してMVP・本塁打王・打点王に輝いている*18。山本昌が老益扱いされる前の記録であるため「老益」扱いというよりも、40歳を意味する不惑という単語を使って「不惑の大砲」と称される事が多い。