エプシロン(ストーリー)

Last-modified: 2018-09-29 (土) 21:16:46

エプシロン

「狩り」

エプシロンR1-0.png
エプシロンの眼前で、青年が必死の形相で何かを叫んでいた。
青年の顔は朧気で、どんな声色で喋っていたのか、自分に向かって何を叫んでいたのか、何も思い出せない。
だが、青年が纏う煙草の香り。自分とその青年で分け合ったその匂い。
それが、エプシロンがエプシロンとなる以前の、ただ一つの記憶だった。
 
灰と白と黒が混ざり合うゲートから、エプシロンは自身の主が、いる場所へと帰還した。
肩に背負った巨大な箱には、先程までゲートの向こう側で探索していた世界の物質や動物、知的生物の死骸が詰め込まれている。
目の前に見える巨大なゼリー状の物体が、主とエプシロンが拠点としている家屋だ。
手をかざすと、家屋の一部がぷるぷると震えて大きな穴を開ける。
躊躇うことなく穴の中に入ると、穴はやはり震えるようにして塞がった。
「……帰った」
一言呟けば薄暗い家屋に明かりが灯る。ぷよぷよとした軟体生物がエプシロンの帰還を察知し、必要な明かりを点灯させた。
ここでは用途に合わせて調整された軟体状の創造生物があくせくと働いており、家屋を汚れ一つ無い状態に維持している。
 
エプシロンは軟体生物達を一瞥すると、家屋の地下へと続く自動昇降機に乗る。
地下を示すボタンを押すと、微かな振動と共に昇降機は動き出した。
家屋の主でありエプシロンの創造主である存在は、家屋の地下にある研究室に籠もって、今日も自らの知的好奇心を満たすために何かを行っている。
「ウタウス族種超再生細胞の含有率によって軟体の寿命に及ぼす影響の――」
地下研究室の扉を開けると、水中にいるようなくぐもった独り言がエプシロンの耳に入る。
「戻った」
声を掛けるとぺたぺたという粘着質の足音がして、エプシロンに似た二足歩行型の軟体生物が姿を現した。
軟体生物ではあるが、この家屋で働く他の軟体生物と違い、頭頂部に球体が収まっている。
この球体こそが本体であり、エプシロンの主だ。自身を指して『技師』と称しており、エプシロンには理解不能な『研究』と称することを長い時間行っている。
「お帰り、我が子エプシロン。さあ、採取したものをそこに並べて」
技師に言われたとおり、エプシロンは巨大な箱から次々と採取物を取り出した。
金属質なのに触れれば容易く崩れ去る岩、暗い灰色をした金属でできた生命体の頭、そういった物を次々と大きな机の上に並べていく。
最後に、エプシロンと似た姿をした知的生物の死骸を置いた。この死骸は顔の造詣や体格こそ違うが、エプシロンに似通った姿をしている。
「同じ姿をしている知的生物に惹かれるものがあるの?本能かな?とても好ましいことだと思う」
技師はゼリー状の体を笑うように震わせた。エプシロンの行動が好ましいとでも言いたいかのようだ。
「……知的生物の死骸が必要といったのは主だ」
「確かに言った」
「それと、興味深いことがあった」
その言葉に、技師は体を震わせるのを停止した。
「それは気になるね。我が子、お前がそのような感想を抱くのは、今まで観測されたことがない」
「そうだったか?」
「そろそろ栄養摂取の時間だし、食事をしながら聞くことにしようか」
技師はそう言うと、手元のスイッチを押す。
粘着質の音と機械の音が響き、採取物を置いていた机が床に吸い込まれていく。
机が吸い込まれると同時に、天井から食卓と二脚の椅子が降りてきた。
食卓には湯気の出る青緑色の液体で満たされたボウルと、よく焼かれた何かの動物の肉が入った皿が置かれている。
「今日もよくできている。早速いただこう、我が子。そして話を聞かせて」
技師が椅子に座るのを見ると、エプシロンも席に着いた。
 
食事をしながら、エプシロンは採取してきた知的生命体との遭遇体験を語る。
エプシロンが訪れたのは、金属の巨大生命体が閣歩する金属の世界だった。その世界は全てが灰色と金属で構成されており、 一定以上に柔らかい生物ならば歩くこともままならない世界だった。
金属の巨大生命体が閣歩する中、堂々とエプシロンは素材を収集していく。
主である技師がエプシロンに取り付けた装置により、エプシロンはその世界で生きる生物として認識されるようになっている。
巨大生命体の目から見たとすれば、エプシロンは彼らの幼体か、この世界の取るに足らない生物か何かが歩いているように見えるだろう。
採取を続けていると、遠くから戦闘をしているような音が響いてきた。 何事かと思ったエプシロンは、巨大生命体の影に隠れてその音がする方に近付いていった。
そこでは、エプシロンと同じような姿をした二足歩行の生物が、金属の巨大生命体と戦いを繰り広げていた。
遠目ではあるが、彼らはかなりの武装を持っており、巨大生命体に対して一歩も引かぬ戦いを繰り広げている。
何より目を見張ったのが、その連携だった。
彼らは確実に巨大生命体を倒すために、各個がその行動に役割を持ち、頭領と思われる生命体の指示に完璧に応えていた。
巨大生命体は、その動きが緩慢である故に、小型の生物から連携をとって攻撃を受けると為す術がない。その巨体は無力な生物を慈悲なく踏み潰し、同じ生命体同士の戦いでこそ、力を十全に発揮する。がしかし、このような集団戦にはめっぽう弱い。
それくらいのことは、学習上の知識としてしか戦術を知らないエプシロンでも理解できた。
「関節を狙え! 撃ち続けるんだ!」
「コアの回収はまだか!?」
「あと十分です!」
技師に持たされた翻訳機――回収に値する知性を有した生物か否かを暫定的に判断するためのものだ――を通して聞こえてきたのは、怒声だった。
彼らが何処から来たのか、何を目的として金属の巨大生命体と戦っているかはわからない。しかし、彼らの戦闘状況にほんの少しながら既視感を覚えた。
遠目から見える連続した閃光や彼らの振るう剣のような武器 を、エプシロンはどこか懐かしい思いで見つめていた。
 
金属質の岩陰でその戦闘を眺めていたエプシロンの頭上を、巨大生命体と戦っていた一匹の知的生物が吹き飛ばされていく。
上半身と下半身を真っ二つにされて、臓物と血がエプシロンを濡らす。 「ふむ......」
この知的生物も素材として収集しておこう。先程の連携と言葉の複雑さから、エプシロンはそう判断した。
愛用の剣を取り出し、空間を切り裂く。その空間の亀裂に手を差し入れると、先程エプシロンの頭上を過ぎていった知的生物の残骸がある場所へと繋がった。知的生物の残骸を上半身下半身共に回収する。
惜しむらくは真っ二つにされた箇所が潰れており、あまり原型を留めていないことだった。とはいえ、貴重な情報が詰まった頭部が無事なら、技師も文句は言わないだろう。
岩陰で知的生物の鮮度保存作業を進めていると、背後からこの知的生物と同じ生物の怒声が聞こえてきた。
「くそっ!撃て!撃ち続けろ!」
「フリードリヒ!前に出すぎだ、下がれ!」
エプシロンの仕事は この知的生物に助力することではない。この知的生物を技師のための素材として持ち帰ることである。
作業を進めている内に戦闘は終了した。もう知的生物達の姿は無かった。 残された巨大生命体の頭を解体して回収し、エプシロンもその場を去った。
だが、エプシロンと似て非なる二足歩行の知的生物に向かって 呼び掛けられた「フリードリヒ」という言葉。それがやけに耳に残っていた。
 
「我が子よ、その言葉は何のことであると思う?」
意外にも技師は「フリードリヒ」という言葉に食いついた。
「おそらく名前だと思う」
「何故そう思ったの?」
「……わからない。だが、それが名前であるという確信がある」
「持ち帰った知的生物の記憶が読み取れれば、はっきりするかもしれないね」
殊の外興味を惹かれたのか、技師は食事を疎かにしてまでその言葉のことをエプシロンに深く尋ねる。
「そう、なのか?」
「これは仮説。我が子が採取してきたあの知的生物は、我が子の素材となった知的生物と共通点がある。あの生物の生物的類型が判明すれば、我が子。お前をよりよく改良できる」
「俺の素材……」
「そう。理知的且つ感情豊かで、輝かしい完璧な肉体を持つ生命の創造。我が悲願に辿り着くための礎である我が子。かのフリードリヒなる言葉、それを名であると認識せしめたその知性を更に高めるためにも、次からはあの知的生物を見つけ次第採取せよ」
技師は食事も他所にエプシロンに愛する者を前にしたような、 甘くとろけるような声色でそう命じた。
「生命活動の是非は?」
「武装し、抵抗するようなら死骸でも構わない。無抵抗なら生きていた方が好ましい、かな?」
「わかった。食事と睡眠が済み次第、新しい座標へと出発する」
「ああ、なんと素直な我が子。嬉しい、嬉しいよ」
技師はゼリー状の体をくねらせると、技師の感覚で言う愛情を注ぐために、エプシロンの体を撫で回した。
 
「―了―」

「生命体」

画像なし

ふと、意識が浮上する。エプシロンは目を覚ました。
柔らかな光が視界を覆う。エプシロンはゼリー状の物質で満たされたベッドから起き上がった。
「気分はどうかな? 我が子」
すぐに技師が状態を尋ねてくる。
「問題はない、……と思う」
ぼうっとしていたが、エプシロンは技師の質問に答える。
覚醒直後ではっきりとしていないが、気分の変化や体の不具合を感じることはない。
「よかった。論理的思考をより素早く、より高度に行えるよう、今回は頭脳に手を加えたからね」
「そうか」
「あと、神経系に軽い損傷が見つかったから交換したよ。この間採取した鉄の生命体の神経系だ。あれは素晴らしいね。なにせ頑丈だ。ああ、あとそれと――」
技師は一度説明を始めると、エプシロンが理解している、していないに関わらず話し続ける。
技師の説明を聞き流しながらエプシロンは体を起こし、適当に体を曲げ伸ばしする。
何か問題が見つかれば、技師が喋ることに満足した後か、尋ねられたときに伝えればいい。
技師が説明してくれた中で重要なのは頭脳の改造による変化だが、それがはっきりとわかるのは、きっと異界へ探索に赴いたときであろう。
 
技師は定期的にエプシロンの身体検査と改造を行う。
主な内容は、採取した生命体が備えている高度な能力を、エプ シロン用に調整して組み入れることだ。
その範囲は発達した神経系への交換から思考回路の強化にまで、多岐に渡る。
そうやってエプシロンに既存の生命体の良いところを継承させ、どんな環境でも、どんな世界でも生き残れる究極の生命体に仕上げる。それが技師の目的であった。
少し身体を慣らしてくるようにと技師から指示を受けたエプシロンは、家屋の中を歩き回る。
ふと思い立ち、技師が気に入った生命体を保管している部屋へと足を運んだ。
以前採取してきた、エプシロンの姿に似た生命体のことが気になったのだ。
あれから幾度か探索へ出たが、同じ生命体に遭遇することはなかった。
保管部屋には上半身と下半身に分割された知的生命体が、薄赤い液体に浸されて保管されている。
生命体の顔は技師が何かしらの処置を施したようで、眠っているような表情に整えられていた。
「……何も感じないな」
自分の基となった生命体に似た知的生命体。
もう一度直接目にすれば何かしらの感情を想起するかもしれないと思っての行動だった。
何故かはわからないが、技師はエプシロンが何かに興味を示したり、感情を表に出したりする行為を非常に喜ぶ。
そして想起した思いを技師に伝えると、技師は最大限の愛情表現と共に、適切であろう感情の名前をエプシロンに丁寧に説明するのだ。
しかし、目の前で保管されている生命体を見つめてみたものの、特段何かの感情を抱くことはなかった。
 
身体の慣らしが終わると、エプシロンは新たな生命体採取のために異界へと旅立った。
毒々しい色合いの苔に覆われた大地をエプシロンは歩く。
目に付いた苔と同じ色の植物を一つ千切る。
植物は生き物のようにうねり、エプシロンにまとわりつこうとした。
どうやらこの苔は、木や岩など周辺のものにまとわりついて繁殖する植物だと想定される。
不快な蠢きを見せる植物を小さな保管容器に密封すると、背負っている箱に放り込んだ。
ふいに、鋭く甲高い鳴き声のようなものが遠くから聞こえてきた。
その方向を見やると、四つの頭を持つ四足歩行の生命体がゆったりと闊歩しているのが見えた。
ひとまずその生命体のいる場所を目指すことにし、 目に付いた植物や鉱物、甲殻に覆われた小さな生命体などを採取しながら探索を続けた。
暫く移動を続けていると、木製の板で周囲を囲んだ場所が目の前に現れた。
木材を板に加工できているということは、高度な知性を有する生命体が群れとなって暮らしていることが推考される。
知性のないものよりも、知性のあるものを採取してくることを技師は望む。
エプシロンは四足歩行生命体の探索を取り止めると、板の周囲を見て回る。
すぐに出入り口らしき境目を見つけ、その傍らにあった岩の隙間に集音機を設置した。
そして、離れた場所にあった岩陰に身を隠し、この張り巡らされた板の内部にいる生命体が姿を現すのを待つことにした。
 
暫く待っていると、二つの頭部を持つ二足歩行の生命体が群れを成してやって来た。
遠目に見た四足歩行の生命体といい、この世界の生命体は多頭であることが標準なのだろうか。
そんなことを考えながら、エプシロンは二つ頭の生命体がどのような動きや喋りをするのかを注意深く伺う。
 
二つ頭の生命体の、鳴き声とも言葉ともつかない音が聞こえてくる。
ややあって、集音機が拾った音が翻訳機を通してエプシロンに理解できる言葉に変換されて聞こえてきた。
「珠を運んできた。急げ、奴らが来る」
「わかった」
翻訳機が翻訳できるということは、この二つ頭の生命体は体系化された言語をもっているということだ。
会話の内容から、この板で囲われた場所は、二つ頭の生命体にとって砦のようなものだと推測できた。
知的生命体に早くも遭遇できたことは喜ばしいが、『珠』『奴ら』等の気に掛かる言葉がいくつかある。
何かに追われているのだろうか。
エプシロンはさらに様子を伺うことにした。
二つ頭の生命体の言う『珠』を追って何かがやって来るとすれば、遠からず騒動が起きる。
その騒動に乗じて一体なりでも二つ頭の生命体を確保できれば、余計な騒ぎを起こさずに済むと考えた。
 
二つ頭の生命体が武器を持って板の向こうから出てきた。
「何としても球を守れ」
「守りを固めろ。絶対に侵入を許すな」
「もう、あとはないぞ」
「何としても守るんだ!」
二つ頭の生命体の会話が翻訳機越しに聞こえる。事態はかなり切迫しているようだ。
自分が隠れている場所も戦場になる恐れがあったが、いざとなれば次元を渡るだけである。
 
地平線の向こうから耳障りな駆動音が聞こえてきた。
空中に、一対の翼が生えた箱のようなものが飛んでいる。駆動音を鳴らしているのはあれなのだろう。
視線を地上の方に移すと、空飛ぶ箱のようなものの手前に、あの金属質の世界で遭遇して以来出会うことのなかった、自身の基となったらしい二足歩行生命体の姿が見えた。
あの生命体も、技師と同じように異世界を渡る技術を持っていたのか。
 
二つ頭の生命体が雄叫びを上げると、姿を現した二足歩行生命体に攻撃を開始した
程なくして、砦の周囲は戦場となる。
銃声、怒声、様々な音が響き渡る。やがて、それらは聞こえなくなった。
岩陰から身を乗り出して周囲の様子を伺うと、二つ頭と一つ頭の死骸がそこら一帯に転がっていた。
中には原型すらなく、炭となっている死骸さえあった。
「コアの回収に成功しました!」
「回収できる遺体は回収しろ! 周囲の警戒を怠るな!」
「アーセナルキャリアの撤退を確認したら、俺達も撤退だ!」
『コア』とは、二つ頭が運んできた『珠』のことだろう。
二つ頭にとって重要なものであるように、一つ頭にとっても重要なもののようだ。
是非とも珠を確保したかったが、それは難しそうだ。珠のことは諦めて、二つ頭と一つ頭の死骸を回収しなければ。
そう考え、岩陰に戻ろうとした瞬間、何かに見られているような感覚を覚えた。
咄嗟に身を屈めると、エプシロンの頭上を何かが通り過ぎていく。
何かが通り過ぎてから時間差で、鋭く痛い音が響いた。
「……外したな。敵性生物に見えたが、違ったか?」
何者かの声が翻訳機越しに聞こえてきた。
漸くそこで、あの武装した二足歩行生命体に攻撃されたことに気付く。
二足歩行生命体とは距離がある。こちらの位置を視認するのは難しい筈だ。
それでも、あの生命体は自分を攻撃してきた。この生命体は一体何なのだ。
是非とも採取したいが、珠を奪ってなお、相手には戦力に余裕があるようだ。
無理をすれば自分が採取される側になってしまう。迂闊なことはできなかった。
もし、更なる追撃があるようなら、次元を渡って逃げなければならない。
エプシロンは息を潜めて、二足歩行生命体が次の行動に移るのを待つ。
「どうした?アーチボルト、何かあったか?」
「敵性生物の生き残りに見えたが、どうやら違ったらしい」
「奴らの死骸を狙ってる別の生命体か?」
「それだったら平和なんだがな」
「ヘルムホルツ隊長、アーチボルト副長。アーセナルキャリアの撤退を確認しました。指示を!」
「わかった! 俺達も撤収するぞ!」
翻訳機の会話が遠ざかっていく。
完全に声が聞こえなくなったのを確認したエプシロンは、死骸を回収する作業に入るのだった。
 
「―了―」

「自意識」

画像なし

通信機から低い声が響く。
『コアを回収した!退路の確保はどうなっている』
「敵性生物の攻撃が激しく、確保が厳しい状況です!アーセナルキャリアの支援要請を!」
『わかった!アーセナルキャリアが到着するまで、何とか持ち堪えてくれ』
「了解!」
通信は途切れた。指示を聞いた自分は、迫る魔獣にライフルを向ける。
「ミリアン中隊長は何だって?!これ以上は厳しいぞ!」
「コアの回収は完了した!それと、アーセナルキャリアの支援を要請した。もうすぐ援軍が来る!」
「わかった!」
周囲で戦っていた者達が、俄に士気を取り戻したように見えた。
自分も含めここにいる全員が、終わりの見えない魔物への対処に疲弊していた。
しかし、支援が来るとなれば話は別だ。もうすぐ帰還できる。
その希望を胸に、迫り来る魔物に対してライフルを撃ち続ける。
 
エプシロンは目を覚ました。
「……またか」
いつの改造段階からだろうか、エプシロンは度々不思議な夢を見るようになっていた。
それは、先程まで見ていたような攻撃性の高い生命体と戦っている夢だったり、こことは異なる別の場所で、自分と同じ姿をした生命体と訓練を行っている夢だったりと、様々であった。
技師から「夢は記憶の整理によるものである」ということを聞かされていたため、夢を見るということ自体には理解が持てていた。
だから、戦闘の夢はまだ理解できる。しかし、同じような生命体との交流は『エプシロン』には無い記憶だ。
「ふむ。素体に使用した生命体の頭脳にある記憶の残滓が影響したのかも」
技師に夢のことを相談すると、そのような答えが返ってきた。
「我が子。お前のその頭脳は、素体となった生命体のものを基本として、そこから改造を加え続けているのは知っているね」
「ああ」
エプシロンは領く。そのことは、技師の言葉を理解できるようになって最初に聞かされていた。
「改造を加え続けているうちに、素体が持っていた記憶の一部が蘇った可能性がある」
「そんなことが起こり得るのか?」
「知的生命体の頭脳というのは複雑なんだよ。最近は思考や記憶関連の機構にも手を加えたからね。何かの拍子に素体が持っていた記憶の一部が表層化したのかもという仮説も、充分に成り立つんだ」
触腕がエプシロンの額を撫でる。技師の言葉はいつも以上に抽象的であった。
頭脳というのは複雑で、未だ全ての解明は難しいのだということだけは理解できた。
「どうする?残滓が不快なのであれば、もう一度検査をしよう。その上で、必要ならば改造を加えるよ?」
「大丈夫、の筈だ」
「そうかい」
「ああ、でも……いや、やめておく」
「うん?何だい?言ってみるといい」
「また夢のことを相談するかもしれない」
「ふふ、構わないよ。いつでも相談しなさい、我が子よ」
技師は嬉しそうにエプシロンの頭を触腕で撫でた。
 
技師に相談した以降も、エプシロンは不思議な夢を見続けた。
ある時見た夢では、旅支度を整えた自分が親しい誰かと言葉を交わしていた。
空はどこまでも青く、緑生い茂る草原は広く、とても世界が危機に瀕しているとは思えないような場所だった。
「行くのか?」
「こんな状況を変えられる手段があるのなら、俺は行くよ」
「気をつけろよ。俺も母さんの病気が落ち着いたら追い掛ける」
「なに言ってんだ。お前の分も俺がやってやるから、お前は連隊になんか来るんじゃねえよ。おばさんに心配を掛けちまうだろ」
「あのなあ……」
懐かしいと思えるような会話を重ねるうちに、エプシロンはいつの間にか目を覚ましていた。
これは素体が暮らしていた場所の夢だろうか。
そう考えると、エプシロンは心のどこかが落ち着かないような感覚に囚われた。
夢で見ただけの場所だが、そこはとても心地の良さそうなものに映った。
自分と同じ形をした生命体を見ても何も心には浮かばなかった。
なのに、いま見た夢の景色には心を動かされた。
「あの場所に行ってみたい……」
いつしかエプシロンは、自分を構成する生命体の故郷へ行きたいと願うようになっていた。
しかし問題はある。エプシロンは技師が作り上げた生命体であって、自分の意志で活動する生命体ではない。
技師の言葉が理解できるようになり、会話ができるようになってからもずっと、エプシロンは技師の指示に従って活動していた。
それを覆すことは、果たして『やっても良いこと』なのだろうか……。
 
「主、話がある」
ある日、ついにエプシロンは技師に話を切り出した。
胸の内の衝動は膨らむばかりで、エプシロンを悩ませ続けていた。
しかし、悩み続けていたところで結果が変わる筈もない。
技師に反対され、余計なことを考えないように頭脳を改造されるかもしれない。
そのことも覚悟して、エプシロンは行動を起こした。
「何だい、我が子よ」
「旅に出たい。この素体の故郷を探したい。いつまで掛かるかわからない。許してくれるだろうか?」
エプシロンは技師のように言葉を駆使することができない。
技師のように理論整然と物事を話すのは難しい。
だから、なるべく簡潔に、自分の意思が伝わりやすくなるように話した。
「……そう、か。ついに、そうか、そうなんだね」
技師は、たっぷりの沈黙の後、感極まったように身体を震わせた。
「主……?」
「ああ、エプシロン。可愛い我が子。お前はついに自意識を得たんだね」
素晴らしい、素晴らしいと、技師は何度も咳きながらエプシロンを触腕で撫で続ける。
「自らの意思で選択し、行動する。これこそが知的生命体に与えられた特権だ。ついに我が研究もそこに至ることができた。嬉しい、素晴らしいよ!」
技師はどこまでも嬉しそうだ。
エプシロンが自らの口で初めて『こうしたい』という意志を示したことが、心の底から嬉しくて堪らないといった様子だ。
「主。だが、いいのか?」
「どうして反対する必要がある?子はいずれ巣立つものだ。可愛い我が子、ついにその時が来ただけのことだよ」
技師は小刻みに身体を震わせる。その声は悲しみと喜びに満ちていると、エプシロンは漠然と感じ取ることができた。
いつの間にか、技師の声色から技師の発する感情を読み取れるようになっていた。そのことにエプシロンは驚愕していた。
「主……」
「いいんだよ。自意識の目覚めは素晴らしいものだ。そして、その選択を止めることは私にはできない。してよい筈がない」
「だが、主。あなたは……」
震える技師にエプシロンは手を伸ばそうとする。しかし、技師のゼリー状の触腕がそれを制止した。
「それ以上はいけない。私の決意が鈍るからね、我が子よ」
「すまない」
「謝る必要などない。さて、出立はいつにしようか?それまでに色々と用意をしておかねばならないからね」
技師は悲しみを振り払うように明るい声色を出すと、いそいそとエプシロンの旅立ちを支援するべく、準備を始めるのだった。
 
そして、旅立ちの日がやって来た。 技師は今日この日までに、エプシロンに異界で生活するためのあらゆる知恵を授けた。
そして、世界を渡るために必要な機材やエネルギーバッテリーなどを準備した。
結構な量であったが、長い旅に必要なものばかりだというのはエプシロンにも理解できた。
「我が子。いや、エプシロン。君に最後の指示を与えよう。君は二度と私の所へ戻ってきてはならない」
技師は感情を押し殺したような声でエプシロンに告げる。
「……わかった」
「戻ってきたが最後。私はどんな手を使ってでも、君をこの場所へ縛りつけるだろう」
「そうか……」
「でもね、私は常にお前の旅が良きものになるよう願っているよ」
技師はエプシロンの頭を撫でる。その触腕にはもう悲しみはなく、ただただ慈愛があるだけだった。
「ありがとう、主」
技師は務めて明るくエプシロンを激励し、見送った。
その視線を感じながらも、エプシロンは二度とここには戻らないという決意を胸にゲートをくぐり、果てのない旅へ出立したのだった。
 
「―了―」