タリスマン(ネネム・ステイシア)

Last-modified: 2018-09-22 (土) 11:48:46

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「水辺の夢」

王子のような衣装を身に纏ったカエルの化け物が、無残な姿で地に伏している。
「もうおしまい?つまんないの」
テイシアは足元に転がってきた王冠を無造作に蹴り飛ばした。勢いのついた王冠は、カエルの化け物が飛び出してきた湖に転がり落ちていった。
「わあ、おようふくがすごいことになってますよぉ」
人形を連れ、ネネムが傍に駆け寄ってきた。戦闘の途中で交代したため、ネネムの体は大きくなっている。
言われてみれば、ステイシアの体はカエルの化け物の体液によって酷く汚れてしまっている。
ステイシアの嗅覚を司る機構にアラートが走る。だが、異臭の成分には、特に人体や自動人形に悪影響を及ぼすものは含まれていなかった。
それでも、その強烈な臭いだけで、アラートを出すには十分であった。
「そういうママも、ひっどい臭い」
ステイシアがカエルの化け物を潰した余波で、飛び散った体液がネネムの服を汚していた。
「おようふくは、あらわないとだめですねぇ」
「そこの湖で洗えるんじゃない? さっきのカエルが出てきたところだけど」
ステイシアは王冠が沈んでいった湖を指差した。湖の水は透き通っており、とても綺麗な水のように思えた。
「……またあいつがでてこないといいんですけどねぇ」


服を洗うネネムの傍ら、ステイシアは服を着たまま湖に飛び込んだ。
べとつく体液が完全に落ちたのを確認すると、ステイシアは岸ヘ上がった。
神経質そうに服を洗うネネムと、その様子をぼんやりと眺める人形とを、じっと凝視する。
不意に、メモリーを制御するチップに一瞬だけ映像が浮かび上がった。
大きなプール、その中で水と戯れる自分、心配そうに見つめる髪の長い女性。
高度なチップで制御されている筈なのに、曖昧になってしまったメモリーの奥深く、兆大な記録の片隅にそれはあった。


空に浮かぶ導都パンデモニウム。太陽に近いが故か、その日は光が強く照りつけていた。
通常はドーム状のフィルターに取り付けられた気温操作機構により、パンデモニウム内部の温度は快適に保たれている。だが、何がしかの理由で、パンデモニウム内の気温はさながら常夏の国のような暑さになっていた。
メモリーと共に保存されている温度観測値には、そう記録されていた。
「わーい!ママ、冷たくて気持ちいいね!」
水深は浅いが大きなプールだった。水の冷たさは、熱された外気と相まって、とても心地良いものだった。
「こらー!あんまりはしゃぐと――」
誰かに呼ばれたような気がして振り向いた。その瞬間、プールの中で足を滑らせてしまう。
そこで、メモリーは途絶えていた。


あれはいつのことだったのか。
詳細に思い出そうとすればするほど、メモリーはぼやけて精細さを失ってゆく。
継ぎ接ぎだらけのこの世界に来てからというもの、このような調子が続いていた。
いや、元からこんなものだったのかもしれない。


不鮮明な記録を正常化すべく、このメモリーの復元処理を行ってみることにした。
幾度かのエラーを吐き出した後、一部分だけ、復元に成功した。
復元されたメモリーの再生が始まる。
自分は泣き叫んでいた。それを髪の長い女性が自分の頭を撫でながら慰めているようだった。
女性の顔は不鮮明だ。『泣く』という感情に支配された記録のせいだろうか。
何とかして女性の顔を鮮明にしようと、映像の解像度を上げる処理を施した。モザイクがかかったように不鮮明だった女性の顔が、多少ではあるが輪郭を取り戻す。
その顔は、ミルクを飲んで大きくなったネネムにそっくりだった。
このメモリーを見て、やはりネネムは『ママ』で間違いないのだと、ステイシアは思った。
それにしても、このメモリーは酷く滑稽だ。
暑い、寒い、熱い、冷たい、痛い、辛い、悲しい。そんなものに左右される筈のない体。 それなのに、このメモリーにはそんな感情めいたものまで克明に記録されていた。
「どうかしましたかぁ?」
ネネムに服の裾を引っ張られ、意識をそちらに向ける。
「なんでもないよ、ママ」
「だからー、ママじゃないですよぉ。なんどいえばわかるんですかぁ!」
ぷくう、と頬を膨らませて否定するネネムだった。


この曖昧なメモリーも、全てを取り戻せばはっきりするのだろうか。
それとも、はっきりしないままなのだろうか。
ステイシアにとって、それはどちらでも良いことだった。
自分が何の目的で作られていようと、予測の付かないこの世界を楽しめれば、それで良かった。
その中で己の記憶が取り戻せたら、もう言うことは無い。ただ、それだけだった。

「―了―」