ノイクローム

Last-modified: 2018-09-21 (金) 19:50:59

ノイクローム

「相違」

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三三九八年。シドール将軍率いる拡大派は、グランデレニア帝國の軍部を掌握しつつあった。
シドール将軍は『皇帝陛下の内意』という大義名分を振り翳し、拡大派の若き精鋭であるヴァルツ大佐や美しい女将軍ベリンダを率いて、我が物顔で軍部を操っている。
 
帝國軍中尉であるジーンは、浮遊戦艦ガレオンの底部に位置する部屋の扉を叩く。
「本日付でガレオンに配属されました、ジーン・フルエフル中尉です」
ややあって、扉の向こうから女性の声が聞こえる。
「鍵は開いている、入るといい」
言われた通りに扉を開ける。部屋は何の用途に使うのか不明な機械で溢れており、その余剰スペースに押し込まれる形で机と椅子が配置されていた。
「初めまして、ノイクローム技官」
「フルエフル中尉、私のことは聞いているかね?」
女性らしからぬ口調にジーンはやや面食らう。パンデモニウムの住民は抑制的であるとは聞いていたが、ジーンにはひどく奇妙なもののように思えた。
「はい。パンデモニウムの規則で、地上ではガレオン内部での活動のみを許可されていると」
「そうだ。そのため、私にはあなたのような伝令係が必要不可欠なのだ。よろしく」
「私は……。いえ、何でもありません」
『伝令』、その言葉を聞いてジーンは嘆息した。しかし、初対面の人間に対して何か異を唱えるわけにもいかない。ジーンは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
 
ジーンの出身は代々帝國を支えてきた政治家一族であった。当人も優秀な人物であり、帝國を守るという理想を掲げて従軍した。家柄と理想に恥じぬ行動と優秀さから、将来は帝國軍と政治局の橋渡しを担う人物として、特に統制派から将来を嘱望されていた。
しかし、祖父と父が突如失踪した事により状況は一変する。統制派の瓦解を狙う拡大派の仕業であると思われたが、痕跡や証拠が見つからず、事件は闇に葬り去られた。
この事件によって統制派の権威は失墜し、以降、統制派に関わりがある政治家や軍人は、軒並み閑職や僻地へと追い遣られていった。
ジーンも一族が統制派であったことから出世の道を外されてしまい、武勲を立てることも叶わない立場となった。
 
ノイクロームと作業員達の間を取り持つようになって、ひと月が過ぎていた。
朝にノイクロームのいる部屋へ行き、紙媒体に印刷した書類を集める。昼に一度、作業員や士官達から渡された書類をノイクロームのところへ届ける。それがジーンの主な職務だった。
「中尉に尋ねたいことがある」
昼を過ぎた頃、書類を届けた際にノイクロームが珍しく問い掛けてきた。
「あなたはこの職務に満足しているのか?」
あまりに唐突すぎる問い掛けに、ジーンは目を丸くした。
「そう言われましても。上からの命令ですので」
「歪だな。あなたの経歴を見れば、とうに昇進している筈だ」
ノイクロームはジーンに目線を合わせる。無表情だが強い口調にジーンは気を呑まれた。
「軍において命令は絶対ですので」
ジーンは諦めにも似た境地で現状に甘んじていた。自分一人が騒ぎ立てたところで何が動く筈もない。そう思っていた。
「そのような不当を、あなたは看過するのかね?」
「今は罷り通ります。少なくとも、シドール将軍が軍部を掌握している間は」
しまった。ジーンはそんな風に思った。ガレオンの担当技官にこのような話をしてしまうなど、あってはならない事だった。
「感情で軍や政を動かすから、このような歪みが生じるのだな」
「やめましょう。こんな話をエンジニアとしていることが拡大派の耳に入れば、私はここにすらいられなくなる」
ジーンはノイクロームの言葉を遮って、部屋から出ようと扉を開ける。
「歪んだ軍政はすべからく破綻する。シドールが軍を掌握していられるのも、あと僅かだろう」
ノイクロームの言葉にジーンは答えなかった。どこで誰が聞いているかわからない。不用意な一言は自らの破滅を招きかねなかった。
 
翌日、突然命じられた夜間待機から解放されてすぐに、ジーンはローゼンブルグ航空基地の司令室に呼び出されていた。
「昨日の昼から夜にかけて、何処にいた?」
詰問するような態度の司令官と周囲に控える上位の軍人達は、殺気立った雰囲気を纏っていた。
「昼はガレオンのノイクローム技官に書類を届けに。その後は飛行場のデスクで書類の整理を行っておりました。それと作業員の深夜作業があったので夜間待機を――」
「嘘は一切許さん。もう一度聞く、昨日の昼から夜にかけて、何をしていた?」
「一体何があったのですか?私は自分の職務以外何もしておりません」
ジーンは司令官に説明を求めたが、司令官は同じ言葉を繰り返すだけで埒が明かなかった。だが統制派に関わる者を呼び出したのだ。拡大派にとって何か不都合な事が起こったのだろう。
何度同じやり取りをしたのか。いい加減ジーンがうんざりし始めた頃、通信兵が司令官に耳打ちする。
渋い顔をした司令官が通信兵に何事かを告げると、通信兵が装備している通信機からノイクロームの声が聞こえてきた。
「フルエフル中尉がそちらに伺っているだろう。こちらの業務が滞っている、早く用件を終わらせてくれ」
「それは承服できかねます」
「理由の提示を求める。事の次第によっては導都の勅命を妨害したものとみなし、技術提供の打ち切りを指導者に提言する」
「……昨夜、シドール将軍が何者かによって襲撃を受けた。我々はこれを統制派の人間の仕業であるとみなし、統制派に属していた者に尋問を行っている」
ノイクロームの強硬な態度に、司令官は苦虫を噛み潰したような顔をして言った。
ジーンはその言葉にこの場に呼び出された理由を納得したが、無表情でいることに努めた。
「フルエフル中尉にその嫌疑がかけられていると?中尉なら昨夜は私の命で飛行場に待機してもらっていた。深夜の作業があったのでね」
「本当か?」
何度も言っているじゃないか。ジーンはそう思ったが、口には出さず肯定する。
「わかった。もう下がっていい。ノイクローム技官、フルエフル中尉、くれぐれもこの事は口外しないように」
司令官は脂汗を拭いながらそう告げ、ジーンを解放した。
 
指令室から解放されて、ジーンはすぐにガレオンへ赴く。
部屋に入ると、溜まった書類をゆったりと指で叩いているノイクロームに迎えられた。
「ありがとうございます、ノイクローム技官。お陰で理不尽な処分を下されずに済みました」
「私は他者によって作業が妨害されることを最も嫌悪する。作業を滞りなく進めるために行っただけにすぎない」
相変わらずノイクロームの顔に表情は無かった。
「統制派がシドール将軍の暗殺にしくじっていなければ、こんな事にはならなかったかもしれませんね」
ジーンは追い詰められた統制派が以前にシドール将軍の暗殺を試みた事を思い出す。結局それは他の拡大派の妨害に遭い、失敗に終わっていた。
「その結果が錯誤的な軍閥の台頭を許したわけか。だが昨夜の件を考えれば、シドールが間違った存在であることは確定的だ」
「シドール将軍が死んだとしても、拡大派は別の優秀な人間を首魁とするだけでしょう。勢力はそう簡単には変わりません」
「それでも過ちは正すべきだとは思わんのかね?あなたも彼らの間違った行いに相当苦しめられている筈だ」
ノイクロームの言葉に、無念の内に殺されたであろう祖父と父の姿や、その事で心を病んで夭逝した母の姿が思い浮かんだ。
「私とて拡大派には苦しめられました。ですが、これ以上はどうしようもないのです」
ジーンは家族の幻像を振り払う。今の状況では行動する事自体に無理があると考えていた。
「諦念も時には必要だろう。だが、今はその時ではない」
ノイクロームはそれだけを言うと、デスクに向かった。
 
それから暫くして、いつものようにノイクロームの作業室に赴くと、作業員に渡す書類以外に一枚のメモを渡された。
「帝國軍政治局マーシュ補佐官の連絡先だ。使うといい」
マーシュ補佐官は帝國軍政治局に長く勤める人物で、常に帝國臣民の安全を考えて行動する人格者と知られている。
カンドゥン長官亡き後、拡大派の横暴から統制派の人間を守ろうと尽力していると漏れ聞いていた。
「どうやってこれを?」
「帝國各地にいる技官に尋ねただけだ。どう使うかはあなた次第と言っておこう」
それだけを言うと、ノイクロームはジーンを作業室から追いやった。
 
ジーンはメモと通信機を交互に見やりながら思案していた。頭の中にはノイクロームの「どう使うかはあなた次第」という言葉がずっと響いている。
いつか、そのうち、そんな余裕はないのだ。この機会を逃せば家族の無念を晴らすことなく軍に使い潰されるのは目に見えていた。
ジーンは意を決すると、ノイクロームのメモを頼りにマーシュに連絡を取った。
連絡先は本物だった。マーシュの言葉から、散り散りになった統制派の人間が立ち上がりつつある事や、シドール将軍が拡大派の中でも邪魔な存在になっている事を知らされた。
ジーンはマーシュに協力を申し出た。シドール将軍の力の象徴であるガレオンの傍にいる立場を利用したいと考えたからだった。
マーシュに連絡を取った次の日、作業室に赴くと満足そうに微笑むノイクロームに出迎えられた。
「何か良いことでもありましたか?」
「ああ、正しき行いにより因果は動き出す。これは私の最後の助けだ」
不思議な言い回しと共に、ノイクロームはひとつの招待状をジーンに見せる。
「……これは?」
「約二ヶ月後、ローゼンブルグ航空基地でガレオン搭乗員に対する慰労の晩餐会が開かれる」
「そのような事は一言も聞かされていませんね」
ジーンは拳を握り締めた。派閥争いに敗れた者は栄光在る帝國軍人とみなされないことに、改めて怒りを覚えた。
「宴にはシドールも参加するそうだ。さあ、あなたはどう行動する?」
ノイクロームは微笑みを湛えたまま、ジーンの目を真っ直ぐ射抜くように見つめていた。
 
晩餐会の存在を知ったジーンはすぐさまマーシュに連絡を取った。他の統制派とも密に話し合い、ローゼンブルグの地理を生かしてシドール将軍の暗殺を狙う事が決まった。
ジーンはその実行者として名乗りを上げた。家族の無念を自らの手で晴らそうと決意したからだった。
 
二ヶ月後、ローゼンブルグの航空基地で、多大な戦果を挙げるガレオンの搭乗員を慰労するための盛大な宴が開かれた。
ジーンはシドール将軍が乗ってきた馬車の従者に睡眠薬入りの酒を振る舞って昏睡させると、彼等の衣服を奪った。昏睡した従者達はマーシュが極秘裏に手を回した軍人が回収し、航空基地の倉庫に監禁した。
こうして馬車の乗っ取りが完了した。後はシドール将軍が乗り込むのを待つだけだ。
暫くしてほろ酔い状態のシドール将軍が馬車に戻ってきた。シドール将軍は従者の顔をよく確認もせずに馬車に乗り込んだ。
随分といい気持ちで酔っ払っているようにも見えた。馬車の扉が閉まり、シドール将軍が出発の合図を出す。
ジーンは馬車を出発させると、ローゼンブルグの階層を隔てる隔壁へと走らせた。
 
階層隔壁付近でジーンは馬車を止める。この付近は、普通ならば誰も近寄る事はない。
「どうした?何があった?」
急に止まった馬車に不審を覚えたのか、シドール将軍が緊張したような声を出す。ジーンはそれに答えずに馬車の扉を開け放つと、シドール将軍に銃を突きつける。
「なんだ貴様は!?」
「政治局のフルエフル議員を覚えているか?」
狼狽するシドール将軍の言葉を無視し、ジーンは尋ねた。
「フルエフルだと?そうか、さては貴様、統制派だな!この期に及んで悪あがき――が!!」
ジーンは言葉の途中でシドール将軍の足に一発、銃を放った。家族の失踪事件にシドール将軍が直接関わっているか、それだけは知りたかったのだ。
「答えろ!フルエフル議員を覚えているか?」
「お、覚えているさ。ご、強情な奴だった、儂の言葉を素直に聞いていれば死なずに済んだものを!」
「貴様!!」
ジーンは怒りに任せてシドール将軍に銃を何発も落ち込んだ。ジーンの荒い息遣いだけが馬車の中に響く。
 
少しして我に帰ったジーンは、シドール将軍が身に付けていた装飾品や金目の物を剥ぎ取った。
シドール将軍は慰労会の帰りに階層隔壁付近で犯罪組織に襲われ、強殺された。これが用意されたシナリオだった。装飾品や金品を袋に詰め、あとはその袋を隔壁間に流れる堀へ投げ入れれば、全ての仕事は完了する。
その時、背後から声が聞こえた。
「ご苦労だった。これで世界の流れは正される」
振り返ると、そこにはノイクロームがいた。ガレオンから出られない筈の彼女が何故ここにいるのか、ジーンは緊張に疲れた頭で考えていた。
「何を言っているのですか?」
「この世界の因果は収束する。違えた世界は消滅する」
ノイクロームがシドール将軍の遺体に手を当てると、シドール将軍の体が泥のように溶けて球体へと収束する。
目の前で起きる事象にジーンは付いていけない。ただそれを眺めているしかできなかった。
「案ずる必要はない。この者の死により、世界は正しい因果へと導かれる」
そう言い終わるが早いか、球体が汚泥のような色から真珠のように煌めく白に変貌した。球体は輝きを増し。世界を白く染め上げる。
「因果を正した者よ。お前のその偉業、いずれ正しき因果にて素晴らしい幸福をもたらすことになるだろう」
それが、ジーンの耳に届いた最期の言葉であった。
 
「―了―」

「決断」

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三三九四年。女王アウグステの急逝により、新女王として王位継承第一位のアレキサンドリアナが新女王に即位した。
アレキサンドリアナはオーロール隊に所属する腕利きの戦士、フロレンス・ブラフォードを護衛騎士として、政の世界へ足を踏み入れた。
 
とはいえ、若干12歳の新女王に国の運命を全て託すことはできない。執政は周りのの有力公家が行い、現在はあくまでも奉られるだけ。
それでも、アレキサンドリアナはただ奉られるだけをよしとはせず、執政を行う公家や貴族に師事し、女王として相応しい知性と力を備えようと奮闘していた。
 
そんな中、執政を行う大臣の一人が、アレキサンドリアナに相談役を置くことを勧めてきた。
「相談役、ですか?」
「はい。我が家系の者でございますが、特に政治的知識に秀でた女子がおります。この者であれば陛下と年齢も近く、よき話し相手にもなろうかと」
「フロレンス、どう思いますか?」
「私に助言できることは何もありません。陛下の御心のままにお決めください」
「……そう」
フロレンスは腕利きの戦士であり、国への忠誠心も人一倍強い。女王を守護する護衛騎士としての実力は申し分ない。しかし、女王の護衛騎士としての職務を全うしようとするフロレンスに、アレキサンドリアナは少しだけ物寂しさを感じていた。今のアレキサンドリアナには長年の信頼や絆を持った家臣がいない。その身には大きすぎる玉座を、兄弟姉妹のように親身に支えてくれる者が欲しかった。
「では、その者と会ってみましょう」
「畏まりました。随伴させておりますので、しばしお待ちください」
 
程なくして、大臣は白髪に白皙の美貌を持つ女性を伴って現れた。
「ノイクロームと申します。女王陛下、お目にかかれて光栄です」
「女王として至らぬ私ですが、何卒よろしくお願いしますね」
「陛下に忠義を尽くします」
ノイクロームと名乗った女性は、アレキサンドリアナに傅いた。
ノイクロームは大臣が大きな自信を持って推薦した女性なだけあり、非常に優れた知見を持っていた。通常ならば返答に困るようなアレキサンドリアナの質問にも、様々な視点の解釈を交えて答え、女王の政治的観点が偏ったものにならないように導いた。
こうして、執政を行う公家の手を煩わせることなく、アレキサンドリアナは国政について更に深く学んでいくこととなった。
 
「この字は……」
政務の最中、見覚えのある筆跡の承認書類が目に留まった。
「陛下?書類に何か不備でもありましたか?」
承認書類を眺めたまま手が止まってしまっているアレキサンドリアナ。そんな彼女を不思議に思ったノイクロームが声を掛けた。
「あ……ごめんなさい、懐かしい字が見えたのです」
「文字だけで弁別されるとは。余程親しい方なのですね」
「エイダ……、いえ、今はラクラン卿と呼ばねばなりませんね。ラクラン卿はフロレンスの前に私の護衛騎士を務めていた者です」
随分と久しぶりにその名を口にした気がした。アレキサンドリアナは懐かしい名前を噛み締めながら目を伏せた。
エイダはつい一年ほど前までアレキサンドリアナの護衛騎士を務めていた人物だ。アレキサンドリアナが幼い頃から護衛として、そして良き話し相手として傍に仕えていた。
だが、エイダの父であるラクラン卿が急死したことを受け、父親の跡を継ぐために護衛騎士を辞していた。現在は執政補佐官として実務に携わっていると聞いていた。
「ラクラン卿は元気にしているでしょうか」
「あの方でしたら、同年代の中でも出世頭として有名です。今は地盤固めに奔走されておられるようですが、早ければあと十年少々で国議会員としての姿が見られるだろうと、もっぱらの噂ですよ」
「そう。私もそれまでには、きちんと国を動かせるようになっていなければなりませんね。エイダに恥ずかしい姿は見せられません」
「陛下は誰よりも勤勉でいらっしゃる。そう遠くないうちに実現できるでしょう」
「そうだとよいのですが……」
「自信を持ちください。陛下が胸を張らなければ、国民も不安に思います」
「その通りね。ごめんなさい」
 
それから数ヶ月後、ルビオナ連合軍がトレイド永久要塞にて大敗を喫したとの緊急連絡が舞い込んできた。
トレイド永久要塞にはオーロ-ル隊も戦列に加えられており、防衛体制は完璧だと考えられていた。そのトレイドでの敗報である。王宮は揺れた。
生還したフロレンスや兵士の報告によれば、グランデレニア帝國は不気味な技術を使い、死者の軍勢を生み出してトレイドを死で染め上げたのだという。
『死者の軍勢』と言う不気味なものの存在に、ルビオナは恐れ戦いた。
 
トレイドでの敗北により、ルビオナ王国軍は再編を余儀なくされた。
特に王宮、王族を守護するオーロ-ル隊を完全な形に再編することは急務であった。
トレイドから唯一帰還したフロレンス・ブラフォードを隊長に据えての再編が順当にあると思われたが、ここで大きな問題が発生した。
「確かに彼女はブラフォード卿のご息女であるのは間違いない。しかしだ、彼女は少数民族の出身であり、そういった出自の者を王宮守護部隊の隊長とした前例はない」
ルビオナ王国の貴族達は非常に保守的であった。フロレンスはその出自のみが問題視された形となった。
「他に適任はいない。オーロール隊の隊員はあの者を除いて全員が戦死したのだからな」
「陛下の護衛騎士でもあったし、順当だろう」
「あれは執政補佐官のエイダ・ラクラン卿の推薦があったればこそだ」
「いや、待て。ならばそのラクラン卿を復隊させるべきなのでは?」
「退役した者を軍に呼び戻すのか?」
「適任者がいないのだ。彼女はラクラン卿の立場を引き継いでからまだ間もない。軍へ呼び戻すのであれば今しかない」
「だが、退役軍人を復帰させることのリスクは無視できん」
軍再編の会議は、オーロール隊の隊長を誰に任せるかに終始した。
アレキサンドリアナもその会議に参加していたが、その時は黙って聞いていることしか出来なかった。
アレキサンドリアナは政務の間も、オーロール隊の件について悩んでいた。
「お顔の色が優れませんね、陛下。何か悩み事がおありですか?」
「ノイクロームは何でもお見通しなのですね……」
「何なりと私にお話し下さい。私はそのためにいるのです」
ノイクロームの言葉にアレキサンドリアナは一度ゆっくりと深呼吸する。
「……エイダは強い意思でお父上の跡を継ぐと決めました。それを我々が捻じ曲げてよいとは、到底思えません」
「議会に異議を申し立てるおつもりですか?」
「私はなるべく犠牲を少なくしたいのです。エイダの選んだ道が閉ざされるように、講和を含めて、一刻も早い戦争の終結を望むべきではないかと考えています」
「それは無理でしょう。トレイドが陥落した今、帝國は勢いづいています。その状況で戦争の終結を望むということは、この連合国が敗北することと同義です」
「説得や講和の余地すら無いのですか……」
「はい、ございません。そして敗北することで、民は苦難を強いられることとなります。陛下はルビオナ連合国の全てをその危険に曝せるのですか?」
いつに無く彼女の口調は厳しいものだった。甘い考えは捨てるべき、そのような心情が言葉の端々から伺える。
「陛下の家臣を思い遣るそのお心は美徳です。ですが、今はお捨てになるべきです。今は帝國の野望を食い止め、如何にして逆転し、勝利するか。それらを考えるべき時だと存じます」
ノイクロームは言い切った。彼女の言う通り、今の戦況に予断は許されない。
議会に反発されない者がエイダ以外にいないのであれば、彼女を軍へ復帰させるしかない。それしか道はないのである。
「甘えたことを言ってごめんなさい。私も覚悟を決めなければなりませんでした」
アレキサンドリアナはノイクロームの目を見つめて頷いた。
 
「エイダ・ラクラン卿をルビオナ王国軍オーロール隊へ復帰させましょう」
翌日、再度開かれた再編会議で、アレキサンドリアナは静かにそう告げた。
新女王が執政へ意見したのは、これが初めてであった。
 
アレキサンドリアナの招聘により、エイダ・ラクランのオーロール隊への復帰が確定した。
全てが解決したその三日後、新生オーロール隊の配属式が執り行われた。一年ぶりに見たエイダの姿は、以前にも増して凛々しく見えた。
「この身の全てを捧げる所存です」
「オーロール隊の活躍を、期待しています」
エイダを隊長、フロレンスを副隊長とした新生オーロール隊は、長い隊史上最も若い隊長と副隊長の就任をもって、ここに結成された。
 
その瞬間だった。
「ここに、因果の歪みは正された」
ノイクロームの言葉と共に、周囲の空間が歪んでいく。
アレキサンドリアナも、エイダも、フロレンスも、時が止まったかのように動かない。
歪んだ空間はノイクロームの掌に白い球体となって収束していく。
「女王陛下の選択、お見事でした。陛下の意思が正しき因果を手繰り寄せたのです」
ノイクロームは芝居がかった口調で、アレキサンドリアナに向かい優雅に一礼する。
「では、陛下。いずれ訪れる正しき因果での再会を楽しみにしております」
アレキサンドリアナの全てが白く包まれる。
それはどこか、上等な羽毛に包まれるかのような、優しい柔らかさがあった。
 
「―了―」