ブレイズ

Last-modified: 2019-03-05 (火) 14:35:47

ブレイズ
【正体】かつての戦友達を粛正する審問官で元聖騎士。妹メリアの延命のためその手を汚し続けたが・・・。
【死因】
【関連キャラ】グリュンワルド(元戦友)、メリア(妹)、ウォーケン(メリア制作者)、マックス(同僚)、マルセウス(新たな雇い主)

3393年 「蒼穹」

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「説明をしていただけますか?」
慇懃な態度で協定監視局の技官はブレイズに問い掛けた。
その口元には固まったままの笑みが浮かんでいる。
このパンデモニウムの監視局は、地上の条約違反者や汚染者を探し出して『除去』することを目的としている。
その審問官《インクジター》としてブレイズは生きている。
「No-22458とNo-18673は既に死んでいました」
ブレイズは答えた。
「管理記録は目視していない、と表示されていますが。どう確認したのです?」
まだ笑みを崩していない。直属の上司でもあるこの男の態度はブレイズを苛つかせていた。
「確実です。彼らの住居からセプターを回収しました。置いてどこかに行く筈もありません。埋葬記録もありました」
「墓を掘り返さなかったのは何故ですか?」
「必要が無かったからです」
「それを判断したのは?」
「私です」
「なるほど」
一拍置いて手元のコンソールを叩く。カシャリ、カシャリと機械音が暗い管理局構成技官の部屋に響く。
光は技官の机と壁際のライトしかない。
外への窓はなく、中央の技官の机の他には大きめの長椅子とテーブルのみが置かれている。
部屋も家具も細部はパンデモニウムの街独特の装飾が施され豪奢だったが、配置によって人間味のない印象の部屋となっていた。
「では、この件は注釈つきで解決としましょう」
勿体ぶった笑みはここでも崩れていない。
「あなたは素晴らしい結果を残してきています。これからも瑕疵のない作業を心得てください」
作業、か。こいつらの言葉選びはいつも的確だが不快だ、とブレイズは思った。
「このまま順調に行けば、妹さんも必ず元気になるでしょう」
「次の作業が確定するまで少し時間があります。会っていくといいでしょう」
脅迫さえも丁寧に語るこの男にブレイズは怒りを感じた。
しかし感情を出してもまた無意味だと思い、黙って部屋を出た。
ブレイズは管理局の建物を出て、都市部の中心区にある病院施設へ向かった。
二頭立ての機械馬車は快晴の空の下、パンデモニウムの中心街を進む。
奇怪な彫塑によって飾られた石造りの高層建築と青い空が、奇妙なコントラストをなしていた。
天高く浮かぶパンデモニウムは常に快晴だ。エンジニアの作り出した空飛ぶ楽園とも言える。
街を進む人々の姿は清潔で落ちついているが、地上のような活気はなかった。
しかしブレイズはこの街が嫌いではなかった。とにかく青い空の美しさに惹かれていた。
中心区の公園のそばにある中層階の建物が、妹のいる病院だった。
ブレイズの妹はベッドに横たわったまま動かない。ずっと仮死状態のまま三年もの歳月が過ぎていた。
ベッドは透明なシートで覆われていた。
抵抗力が極端に落ちているための隔離措置だという。
病室の閉じられた窓の向こうには、眩しく輝く空があった。
そっと、シート越しに彼女の手を握った。。
暖かみが伝わり、ブレイズの心に微かな喜びがひろがった。
この檻から彼女を出すためならばどんなことでもしようと、改めて心に誓った。
この世界にはもう彼女しかいないのだ。
病院を出て再び馬車に乗ると、中に仮面の男が座っていた。

 

月の光は城に陰鬱な影を投げかけていた。
風は冷たさを増し、夜の空気は緊張を孕んでいた。
パンデモニウムから飛び立ったこの飛行船は、誰にも悟られずに二人の男を城近くの高台に降ろした。
遠目にはぼろを纏った修道僧に見える外套を羽織った男達は、月の光が作る影をゆっくりと引き摺りながら城を目指した。

 

ブレイズと仮面の男は城の中に入った。彼らの姿を隠す光学装置は、月夜では十分役に立った。
影から影に進み、広間に出る。高い位置にある窓からは月が見えている。
その光の落ちる位置に一人の男が立っていた。黒太子と呼ばれた男だった。
王子は剣を抜き構えた。ブレイズがよく知った構えだった。
ブレイズも剣を抜く。マスクの男は数歩下がり、壁沿いに立つと再び闇に消えた。
きらりと刃が光り、ブレイズの体を王子の剣が捉える。切っ先は頭部を切り裂いた。
刹那、光りの残像を残してブレイズの位置は一瞬で黒太子に回り込む。
鋭い突きが今度はブレイズから放たれる。胴を捉えようとしたその剣を、王子はすんでで払い除ける。
一瞬の攻防だった。再び間を取って二人は対峙した。
ブレイズの剣から光が放たれる。その光は球状になって王子を包んだ。
光が引くと、王子の手から剣が叩き落とされていた。膝を落とす王子の前にブレイズが立っていた。
その剣先は王子の眼前にある。
「グリュンワルド、腕を落としたな」
「殺すがいい、ブレイズ。他の仲間にやったように」
「私を裏切り者と言いたいようだが、そんなものは些細なことだ、この歴史の中では。私には私の正義がある」
「何人殺した?」
「始末するまでもない。殆どが自滅していた。己の力に飲み込まれてな。結局『汚染者』は長くは生きられない」
ブレイズは嘘をついていなかった。彼が探し出した多くの仲間は、平和な世界では持て余した力との間で自滅していった。ある者は薬物や酒に溺れ、ある者は自ら死を選んだ。
「抵抗する者は少ない。今のお前のようにな」
剣先はグリュンワルドの首元に当てられた。
「死に場所を失った戦士が生き続けるのは難しいらしい」
「お前だってそうだろう、ブレイズ」
「私には生きる必要がある。まだな」
「立てグリュンワルド。今宵はお前を殺しに来たわけではない」
ブレイズは剣を収め、グリュンワルドに手を貸して立たせた。
「パンデモニウムの暮らしは悪くない。あの都市はあれでいいところがある。奇怪な街だが」
グリュンワルドは広間の端にある、上階へと続く階段に座っていた。
その背に立ったブレイズはグリュンワルドに向かって話を続ける。
「あの頃は単純だった。レジメントの聖騎士として戦い、死ぬ。そして永遠に戦史に刻まれる。そう思っていた」
ブレイズ自身も過去ではそう思っていた。
「もう世界は変わった。元には戻らない」
力なく階段に座ったグリュンワルドは無言のままだ。
「何かを得ようと思えば何を代償にしなくてはならない。それを決めるのは自分だ」
「私はそれをもう決めている。お前はどうだ?グリュンワルド」
問いかけにも反応はなかった。しばらくすると暗闇からマスクの男が現れた。
「仕事が済んだようだ。帰らせてもらおう」
グリュンワルドの肩に手をかけ、ブレイズは語りかけた
「私は知っている、お前の剣先が何を望んでいるか。覚悟を決めることだ。お前の苦しみは誰も肩代わりできない」
ブレイズはマスクの男と共に城を去ろうとする。
「お前の仕事はうまくいったようだな、マックス」
マックスの手には銀色の筒が握られていた。
「記録を残したければ残すがいい。王子を始末しなかった、とな」
マックスからの答えをブレイズは期待してはいなかった。
ブレイズはつぶやくように言った。
「いずれ決着は付く」

 

「―了―」

3393年 「枷」

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「報告は以上です」
ブレイズはパンデモニウムに帰還し任務の報告をしていた。
「事前の情報ではロンズブラウには汚染者も居たはずです。そちらの処置はどうなったのでしょうか」
ブレイズの上司が柔らかく、鋭い口調で問い質す。
どうやらマックスは仔細を報告していないらしい。
束の間思案し、こう答えた。
「所在の確認だけは行えました。間違いありません」
「確認しただけで戻ってきたのですか?」
「今回は例の物の回収が最優先でしてたので無用なリスクは控えたまでです」
 
ブレイズの返答に笑みを絶やすことのない上司が若干顔を曇らせる。
「……わかりました。 そういうことにしておきましょう」
会話の最中なり続けていたコンソールを叩くが止んだ。一応は納得したようだ。
「ご苦労様でした。この後は妹さんと面会ですか?」
「なんでも先日、ついに目を覚まされたとか」
「一日でも全快されるとよいですね」
上司の顔は再び見慣れた、ブレイズを苛つかせる笑みに戻っていた。
「……ありがとうございます。では失礼します」
「これを持って行きなさい。回復祝いです」
 
上司がブレイズへ小袋を渡す。ずっしりと重い。
「そのまま妹君へ渡されても、換金して何かの購入資金へさせても構いません」
ブレイズは深く礼をして、その場を離れる。
袋の中身は貴金属だった。けっして少量ではない。ブレイズは上司の意外な厚意に戸惑いつつも感謝した。
 
ブレイズははやる気持ちを抑え、妹の居る病院へと向かう。
目を覚ましたという連絡は受け取れたものの、任務で地上で居た為に会うのは今日が初めてだった。
 
パンデモニウムの病院施設でも三年以上回復の兆しが無かった。命が繋がっている、それだけでいいと半ば諦めかけいる時でもあった。
ブレイズは病室の前に付き、一呼吸したのち扉を開く。もうそこに居るのは透明なシートで覆われ物言わぬ妹ではない。
「メリア」
妹の名を呼ぶ声がどうしても震えてしまう。
「……兄さん」
か細く、力ない声だったがはっきりと彼女は声を発した。
「私のせいで色々と苦労かけてるみたいで……ごめんなさい」
「いいんだ。こうしてお前と再び話すことができただけで私は幸せ者だよ」
 
妹の手を握りしめる。今までは、こちらから力を加えるだけだった。しかし今ではか弱いながらも握り返してくれる。
「私、治ったらお家に帰れる?二人で帰りたいな……」
「ああ、必ず帰ろう。また昔と同じように」
ブレイズは、妹の手を強く握った。
「ずっと、一人にして済まなかった。これからはずっと一緒にいられるよ」
「よかった」
妹の目からは涙が溢れ続けている。ブレイズはそれを拭いながら答える。
「父さん母さん達と暮らしたあの家、どうなってるのかな……」
 
三年前病が進行して、生死をさまよっている時に彼女はここに移ってきた。
「帰ったら兄さんに料理作ってあげるね。母さんには負けるだろうけど」
はにかみながら語ったそれは、ブレイズが数年振りに見た妹の笑顔だった。
 
「また来るよ」
エンジニア達の手足となり働き続けることに、葛藤がなかったわけではなかった。
しかしそんなことは彼女の笑顔にくらべれば、些細なことだった。
「うん」
 
あっというまに面会終了時間になり後ろ髪を引かれる思いで病室を去った。
 
病院の外にでても、まだ夕暮れまでには時間がある。ブレイズ歩きながら、今後の事を思案した。
 
妹が回復に向かっている事で改めて今後を考える必要を感じていた。
確かに妹は回復したが、本当はその気になればいつでもできたのはないか。
再び仮死状態に戻すことも奴等には造作もない事なのかもしれない。
 
彼女を自分への枷としてエンジニア達は利用しているのは分かっている。
このままエンジニア達の下でインジクターとして過ごしていくべきべきなのか。
いや、そもそも自分はインジクターを続けられるのかブレイズは自問する。
 
私達が暮らした家に戻りたいと彼女は言った。彼女の望みは自分の望みだ。
昔の生活を出来るだけ取り戻してやりたい。このままインジクターでいれば、それは叶わない可能性が高い。
彼ら汚染者もまた私と同じ元レジメント生き残りであり特殊な力を持っている。
 
今後は私も無事では済まない事とてあるだろう。
任務中に私が倒れたら妹はどうなる。
奴らが治療を続けるとは思えない。
私が倒れれば妹の命も絶たれてしまう可能性が高い。
それだけは、それだけは避けなくてはならない。
 
汚染者の処置が終了したら、エンジニアは私をどうするだろうか。
私とて汚染者の一人なのだ。
地上に戻れるとは思えない。良くてここでの軟禁生活、悪ければにべもなく『処理』されてしまうだろう。
 
パンデモニウムは嫌いではなかった。しかし、それは妹の治療が行われ、彼女にとって安全な場所であるからだった。
 
ここに彼女と自分の居場所があるのか?
どうしてもそうは思えなかった。自分は使い捨ての駒だ。汚染者の始末を汚染者にやらせているだけだ。
なにか手を打たなければ行けない。このパンデモニウムから逃れるための方法を。
 
緑あふれる公園を歩きながら思案しているブレイズの頭上には、今日も変わらない青空が広がっていた。
いつもなら不安を打ち消してくれるようなすがすがしさを感じるところだ。
しかし今日は、自分と彼女に広がる未来を押しつぶそうとする重く青い天蓋のように感じられた。

「―了―」

3393年 「故郷」

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ブレイズはベッドに横たわる男に向かって抑揚のない声で言った。
「お久しぶりです、ヤントさん」
みすぼらしい安宿の部屋にはブレイズと男、二人しかいない。ヤントと呼ばれた男はゆっくりと声のした方向に顔を動かす。
「ブレイズか…。生きていたのか」
土気色の顔とかすれきったその声は男の健康状態が芳しくないと判断するには充分なものだった。
「同窓会の誘いというなら悪いが断るよ。ご覧のとおり自由に動き回れる状態じゃないんでね」
「……」
 
男の軽口にブレイズは何も答えない。代わりに腰の剣に手を伸ばす。
「お前は昔から冗談の通じない奴だったな。其の出で立ち…私も知らないわけではない」
ため息をつきながら男はゆっくりと起きあがる。
「場所を変えないか。部屋を汚してしまっては宿の主人に申し訳ないんでね」
鞄を一つとり、のろのろと支度を終える。
「ついてきな」
男の歩みは老人のように遅く、これから起こる事を少しでも先延ばしにしようとしているようにも感じられた。
 
しかし、逃げだそうという気配や殺気は感じられない。
その場で切り捨てることもできたが、無用な騒ぎを起こすことはブレイズとて本意ではない。
レジメントでは先輩だった男への敬意もあった。ブレイズはだまって男の後ろを歩いた。
宿を出て、市街地を離れ、城壁を越え、辿り着いた先は人気のない川原だった。日は既に傾き始めていた。
「ここらでいいだろう」
男は手に持っていた鞄を開くとセプターを取り出した。俄かにブレイズの緊張が高まるが、それは杞憂だった。
「私のセプターだ。素人に使われても困るからな。そっちで処理しておいてくれ」
ひょい、とブレイズの元へ放り投げると川べりに座り込んだ。
 
「私で何人目だ?」
審問官として、裏切り者としての責を問いているのか。ブレイズは押し黙る。
「前に、お前以外の審問官ともあったことがある。おなじレジメント出身でね」
ヤントは瞑目している。
「お前も一人目ではないってことだ」
ブレイズの表情が一瞬曇る。
「ブレイズ、覚悟と準備はしておくといい」
エンジニア達が信用しきれない事などわかっている。ただ妹の命を繋ぐ為には他の選択肢が無かったというだけだ。
「他に何か言い残す言葉は?」
 
「無いね」
剣が振り下ろされ男の頭部とそれ以外が切り離される。
頭部は川の中へ飛び込むように入っていき、やや遅れてバランスを失った肉体も川の中へ倒れこむ。
それらが川の色を変化させていく。
「覚悟と準備、か」
今なお、妹の命が握られた状態で何ができるというのか。ブレイズは陰鬱な気持ちで帰路についた。
 
「本当!?」
明るく弾んだ少女の声が病室に響く。ついに妹の一時退院が決まったのだ。
 
「ええ。但し一泊だけですよ。それと何か異常があった場合すぐに戻ってくる事。いいですね?」
妹の無邪気に喜ぶ姿をブレイズは素直によろこんだ。
 
一時退院日当日、ブレイズはクリッパーとも呼ばれている小型の飛行艇を起動させ、妹の待つ病院へ向かった。
任務以外での使用は原則禁止とされているが、パンデモニウムの周辺を少しばかり飛び回るだけだ。大きな問題にはならないだろう。
ここパンデモニウムが宙に浮く都市であるということを口頭では説明していたが、病院にこもりきりだった為、今までは見る機会がなかった。
 
都市の端や展望台から見るだけはでは面白さに欠ける。そう考えたブレイズは飛行艇を使った遊覧飛行を思いついたのだ。
回復傾向にあるとはいえ、次がいつになるのかは分からない。妹にはできる限りの事をしてやりたかった。
飛行艇を使いで迎えに来たブレイズに妹だけでなく医師達までも驚かされていた。
「我々は何も見なかった事にしますが、くれぐれも無茶はなさらぬよに」
「承知しています」
医師達に別れを告げると、ブレイズは妹と共に病院から飛び去った。
 
「すごい!本当に飛んでるのね!あの街も!私も!」
ブレイズははしゃぐ妹を横目で確認しながらパンデモニウム周辺の遊覧飛行をゆったりと続ける。
そろそろ戻るぞ、と言おうとした時だった。
「このまま私達の家にも行けたらな……」
行けないわけではない。
しかし、ある程度の遠出になることに加え、パンデモニウムへの背信行為であることには違いなく、今後のことを考えると妹の頼みといえど、それの実現は憚られた。
過ぎた願いを口走ってしまったことに気づいたのか、俯き、悔いている妹の姿を見て考えを改めた。
「何かあったらすぐ引き返すからな」
「ありがとう!」
妹の顔に笑顔が戻る。せっかくの一時退院だ。妹の暗い顔をしている時間は一秒でも減らしてやりたい。今はそれだけがブレイズの願いだった。
 
生家に到着するや否や料理を作り始めた妹の後姿をブレイズは眺めていた。
何も今でなくて良いという制止にはまったく聞く耳を持たず、何かに取り憑かれたかのように黙々と調理を進めていた。
やがて完成した料理がテーブルの上に運ばれ、そっとフォークをのばす。
「どう?」
口に入る前から感想を聞いてくるせっかちな妹に半ば呆れつつ、料理を味わう。
「旨いよ。母さん以上だ」
 
夜が更けたころブレイズは独り家を出た。妹は自分の部屋深い眠りについてる。昼間の疲れが出たのだろう。
冷えた空気が心を落ち着かせる。見慣れた小道をまわり懐かしい風景を楽しんだ。
不思議な感覚だった。まるでパンデモニウムでの日々が夢だったかのようだ。
何も変わっていない日々が明日もずっとここで続くのではないか、そんな錯覚を覚えた。
 
ここから見る夜空もパンデモニウムで見る夜空も変わりはない。しかし、いま自分たちの頭上のどこかにはパンデモニウムはいるのだ。
地上を超空から睥睨し、支配する都市。自分もその軛からは逃れることは出来ない。
あらためてこれからのことを考えた。もし、妹が完治するのであれば、彼女の身を守る必要がある。
自分がたとえ「処理」されることになろうとも。どこか地上の親族に預けるかパンデモニウムの市民権を得られるように取引をするか。
どちらにしろ、今の身一つではどうにもならない現実だった。自分が今も持っている「力」だけだった。
出来る限り、妹のそばにいなかればならない。生きて守らなければ未来はない。あらためてブレイズは考えた。
 
朝が来た。今日中にはパンデモニウムへ戻らなくてはならない。
「メリア、今日の午後にはここを発つぞ」
小声で言ったつもりはなかったが部屋にいる妹からの返事はない。
妹はベッドに顔を伏して泣いていた。
「ずっとここにいたいな。もう身体は悪くないよ」
ここに来たのは間違いだったかもしれないとブレイズは思った
「なにがあるかは分からない、一度戻ろう。完治すれば戻ってこれるさ」
「もう平気だよ。病院には戻りたくない」
 
思い詰めた妹の表情をみてブレイズは考えを変えた。
「わかった、もう少しだけここにいよう。ただし、何か異常があればすぐに戻るからな」
「ありがとう。兄さん」
メリアはブレイズに抱きついた。
 
「審問官《インクジター》が一人、許可証無しでパンデモニウムから離脱後一週間経過していますが、帰還していません」
ある技官が制限派高官に報告をする。
「ふぅむ、与えた飴が少し甘すぎたようだ」
報告を受けた制限派交換は何かの資料に目を通す作業を中断し顔を上げた。
「マックスを向かわせましょうか」
顎に手をやり、技官の提案に対し束の間思案を行う。
「いえ、結構。彼はまだ失うに惜しい人材です」
「ではどうしますか?」
「まずは例のドクターを呼んでください」
高官はそう言うとすぐに次の資料に目を移した。

「―了―」

3393年 「人形」

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「ねえ、買い物に行ってもいい?」
妹のメリアが、ねだるようにブレイズに言った。
「無理するな。街に出るのはまだ早いだろう」
ブレイズはパンデモニウムから離れてずっと、戻るべきかそれとも二人で逃げるか逡巡していた。
「そんなことない、今日で十日目よ。 病院いるよりずっと調子がいいわ」
日々の小さな幸せが、却ってブレイズを迷わせた。
「代わりに私が行こう。何が欲しいんだ?」
「兄さんの好きな物をつくってみたいの。母さんがよくつくってくれたスープよ」
 
楽しそうにしているメリアを見ていると、まるでパンデモニウムでの日々が幻のように感じる。
レジメントから帰還して家族として暮らした、短かったが幸せだった日々が帰ってきたかのようだった。
 
食事を終えてしばらくすると、ノックの音が響いた。しかし、誰にも自分達がここに帰ってきたことを知らせていない。
メリアに寝室に行くよう合図を送り、ブレイズは戸口へ向かった。
「誰だ」
「私です、ブレイズ」
誰何に答えた声は、協定監視局の技官だった。
 
「心配はありません、一人です。入ってもいいかな?」
ブレイズはドアを開け、上司である技官を招き入れた。
「なかなか良いところですね。地上にしては清潔で」
帽子を脱ぎ、技官は部屋を眺めて言った。
「妹さんは元気なようですね」
「ずっと監視していたのか?」
「あなたは我々にとって重要な人材ですから」
慇懃な態度は変わっていない。
「いつ戻るのですか? 仕事がかなり溜まっていましてね」
「必ず戻る。もう少し休ませてくれないか」
 
ブレイズの言葉を聞いて、技官は口元に薄ら笑いを浮かべた。
ブレイズは怒りを感じていたが、ここでその怒りをぶつけても、何も解決しないことも理解していた。
「ふうむ。しかし口約束だけというのもよくありません。そうだ、妹さんと話をさせてもらえませんか?」
「妹は関係ない」
ブレイズの語気が強くなる。
「いや、大いに関係があるのです。力尽くであなたを働かせるのは難しい、というのはよくわかっていますから。話し合いをしたいだけです」
「妹に手を出すというのなら、私はお前を生かしておかない」
「誤解しないでいただきたい。誰があなたの妹さんを治療したのですか?」
技官は薄ら笑いをまだ浮かべている。
「まあいいでしょう。では、妹さんを見てきた方がいい。私を近付けたくない気持ちはわかります。ですが、もしもがあるといけない」
ブレイズは男の態度の不遜さに嫌悪と脅威を感じ、メリアのいる部屋に急いだ。
「兄さん、苦しい」
メリアはベッドの上で苦しんでいた。激しく胸を押さえ、のたうつように身を捻って苦しんでいる。
「どうした!」
 
ブレイズはメリアの手を握り、落ち着かせようとする。
「……助けて、兄さん……」
そう言って、メリアの手から力が抜けた。
「メリア!」
抱きかかえるようにしてブレイズはメリアに声を掛けるが、メリアはもう反応しなかった。
意識を失い、人形のように力なく横になっているだけだった。
「もしもがあると言ったでしょう。 病状が安定していないのです」
「何をした、貴様!」
ブレイズはメリアをベッドに降ろすと、技官に掴み掛かった。壁に押し付けて締め上げる形になった。
 
「私を殺せば、あなたの妹さんは永遠に戻ってこない。子供でもわかる道理です」
「とっとと戻すんだ」
ブレイズの手に力が籠もる。壁との間に挟まれた技官の顔が紅潮する。
「話し合いに来たと言ったでしょう。手を離しなさい。妹さんの意識が永遠に戻らなくなりますよ」
技官の首からブレイズは手を離した。怒りを感じていたが、同時に無力さも感じていた。メリアはまだ相手の手中にあるのだ。
「我々としては、あなたに業務を果たしてもらいたいだけなのです」
 
首をさすりながら技官は言った。
「私はいい。だが、妹をおもちゃにするな」
「あなたが逃げなければ、こんなことにはならなかった。よく考えてみるのです」
「私が戻れば、妹を自由にするか?」
「あなたの働き次第だ」
「汚い奴らだ」
「逃げずに働けばいいのです。そうすれば、いつかここで再び暮らせるようになる」
技官の口元には、あの薄ら笑いが戻っていた。
 
ブレイズとメリアはパンデモニウムに戻った。メリアは再び病院に収容された。しかし、意識はまだ戻っていなかった。
「ドクター、手間を取らせました」
眠るメリアの傍らで、技官はドクターと呼ばれる男に何か小さな装置を返した。
「つまらん道具だ。この精巧な作品に瑕疵をつけるようなものだ」
受け取った装置をしまい、呟くようにドクターは言った。
「しかし、あなたの作品は素晴らしい。家族が一緒に暮らしていても気付かれないのだから」
「オリジナルの状態が良ければ問題無い。マックスを経たおかげで、格段に精緻になった」
 
「さすがだ。まったく、この技術は脅威ですよ」
技官の関心は世辞ではなかった。
「しかし、なぜ今になって動かしたのだ?」
ドクターは眠る少女を眺めながら、技官に質問した。死んだ少女の代理となるオートマタの作成を頼まれて以降、実際に動かすまで随分と間があったのだ。
「人間に詳しいドクターにこんなことを言うのは、失礼に当たるかもしれませんがね。人の心は一定ではない。一つところには留まってはいられないのです」
技官の語りは、己の陰謀に満足している風でもあった。
「希望を与えなければ、あの男も役に立たなくなる。 操り人形の糸はきちんと緊張していなければならないのです」
 
ドクターは男の感想には関心を示さず、自分の作品たるオートマタの頬を指先で撫でると、その場から立ち去った。

「―了―」

3393年 「蝶」

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メリアが再び目を覚ましたとの知らせを受けたのは、彼女が倒れてから二週間後のことだった。
あんな出来事の後であり、それはブレイズに取ってそれは望外の知らせだった。
「にい、さん…」
目を覚ます前と同じ透明なシートに覆われたメリアを見て、強い哀れみをブレイズは感じた。
「兄さん、どこ?」
弱々しい目の動きでメリアはブレイズを探している。
「ここにいる、ここにいるよ、メリア」
自分を見つめる彼女の瞳の光を見てブレイズの心に喜びが広がった。
「兄さん、私、もうすぐ死ぬんでしょう?だからこんなに、苦しいのね」
苦しみに歪んだ顔のメリアはそう呟いた。
「そんなことはない。私が必ず助ける。だから……」
ブレイズの言葉に、メリアは目をそらし何も答えなかった。

 

ある日、ブレイズはメリアと共に病院の敷地内にある庭を訪れていた。一時的に調子が上向くことがあり、そんなときはこんな風に時間を過ごすことがゆるされていた。
規則正しく植林された庭には、病院の敷地内で飼育され、放し飼いにされている鳥や蝶が何匹かいた。造られ、演出された庭ではあったが、病院の敷地外には出られなくったメリアには、良い気分転換になるはずだった。
「ねえ兄さん、見て」
メリアの膝の上に、小さなちょうが止まっていた。
「蝶か。綺麗だな」
メリアはじっと蝶を見ていたが、突然、掌で捕まえると、無造作に握り潰してしまった。
「メリア!?どうした?……」
「いつかみんな死ぬんですもの。今ここで私が殺しても一緒。ねえ、そうでしょう?」
「メリア……」
ブレイズはメリアの奇矯な行動にひどく衝撃を受けた。だが、それを表に出さないまま、慰めるようにメリアを抱き寄せた。
「大丈夫だ、メリア。そんな風に思うことなどない」
メリアはブレイズの胸の中でも握り潰した蝶の感触を確かめていた。

 

その日以来、メリアの言動はより不可解なものとなった。ほとんど寝たきりで苦痛に苦しんでいたかと思えば、突然庭を歩き回り奇妙な行動を取る。ブレイズは医者に聞いても曖昧な言葉しか帰ってこないことに失望した。
「みて兄さん。やっと殺せた。ずっとここから見て不快だったのよ。あの鳥」
血まみれの手には黄色い小鳥が握られていた。
「薬入りのえさ、喜んで食べたの。馬鹿ね」
メリアの表情は微笑みで一杯だった。
「もう、休むんだメリア。薬は飲んでいるのか?」
メリアの手から死骸を取り上げ、ブレイズは見えないところへ投げ捨てた。そして彼女の血で汚れた手を握った。
「薬なんて、ただ眠くなるだけ。調子の良い日くらい、こうしていたいわ」
「ここには来ない方が良い。病室にいる方がいい」
メリアはブレイズの言葉を無視して続けた。
「兄さんも殺すの?誰かが言ってたわ。人を殺すのはどんな気持ち?」
メリアは当てつけや皮肉ではなく、ただ楽しみや趣味を共に共有してみたいという調子で言った。
「人を殺めることなどしない方がいいに決まっている」
「どうして、どうせ皆死ぬんだから、意味なんて無いじゃない。だったら、殺しても一緒よ」
「そんな風に言うな。人の生には意味がある。それぞれ……」
「嘘、私なにも出来ずにこのもの死ぬのよ。意味なんて無かった」
ブレイズは言葉が続けられなくなった。
「私だけ意味なく死ぬなんて。そんなの、ずるいわ」
「メリア。戻ろう、休むんだ」
ブレイズはメリアの手を引いて連れ出そうとするが、彼女はその手を払った。
「兄さん、私はまだ平気よ。私だけこんな目にあうのは、もう嫌!」

 

メリアが壊れていくにつれ、ブレイズには心には言いようのない絶望が広がっていった。己のすべてだった妹が生きたまま壊れていく。優しい思い出も、愛も全てが灰色の廃墟のように変わっていくように感じられた。
全てを打ち捨てて、仲間を殺すという業を背負ってでも守りたかったメリアの生が内側から壊れていってしまった。
医者に説明をしてメリアを再び眠りにつかせるとブレイズは病院を去った。

 

後日、再び原因を説明させようとするが、医者からの答えからはぼやけたものしか得られなかった。
眠っているメリアの前にブレイズは座っていた。眠っている彼女の顔は昔のままだった。
幼い頃から共に生きてきたつもりだった。全てを捧げたつもりだった。それが壊れていく。
妹が言った生きる意味。
彼女がないと言い切ったその意味を自分も失っていたことに気付いていた。
ブレイズは隠し持っていた短剣を出した。
そしてメリアの胸に突き当てた。
「終わりにしよう。私も行く」
メリアの眼が突然にひらいた。
「にい、さ…」
ブレイズはその瞳から眼をそらし、当てた短剣に強く力を込めた。深く短剣が入っていく。
だが、人体とは異なる感触に、ブレイズの手が止まった。
そして、メリアの胸元からは緑色の液体が広がっていった。それは、メリアが人ならざるものであることを示していた。
妹を模した何かは、空を掴むように藻掻いていた。ブレイズはベッドから離れ呆然とその姿を見つめていた。
メリアだったモノは何度も上半身をくねらせたかと思うと、口から沢山の体液を吐いて動きを止めた。
ブレイズは拘束されていた。病室で短剣を持ったまま自らを失っていたブレイズを保安部員が取り押さえる形になった。
ただ、彼は抵抗せず捕縛され椅子に座らされていた。
「ひどい結末だ」
男の声でブレイズは声を上げた。そこには呆れた表情を浮かべた管理局の技官がいた。
「メリアは、メリアはどうなった……」
ブレイズが呟くように問うた。
「あなたが働くとならばと、人形を覚醒させたのは間違いだったのかもしれませんね」
技官は淡々とそう口にした。
「妹を、本物のメリアをどこへ連れて行った!?」
「妹さんはずっとここにいましたよ」
「違う!あれはメリアじゃない」
メリアだったものはまだベッドにあった。
「生身の彼女は三年前にすでに死亡しています。そこにあるのは、妹さんの姿を模した自動人形。ですが、妹さんの記憶を元に人格を再現してありますので、同じものといってもいい。あなたもそう感じたでしょう」
「違う……」
「受け手がそう感じているなら、それは同じものです。林檎の形をして林檎の味がするならそれは林檎です。あなたは彼女をメリアだと認め、そう接してきたのだから、同じものなのです」
「違う、メリアはこんな風に狂ったりはしない」
ブレイズは声を荒らげた。
「彼女の感情の不具合についてですが、その原因が元の人格に起因するのか、それとも機械にあるのかそれは調査しないと分からないことです」
「違う……」
「そこの議論はやめましょう。無駄です。ただ、貴方は自分で妹さんを殺した。それは変わらない」
「私は……」
ブレイズは言葉を告げられずにいた。
「まあ、自分で始末をつけたのは良いことかもしれません。考え方によっては」
技官の口元には笑みが戻っていた。

 

グランデレニア帝國帝都の片隅にある小さな宿屋で、ブレイズはぼんやりとランプの明かりを見つめていた。
メリアを模した自動人形を、自らの手で破壊してから、随分と時間が経っていた。
ブレイズは失意の中、技官に言われるがままに生きてきた。支えを失ったが故に、ただ与えられた作業を機械のように仕事をこなしてきた。ただ、妹を殺したという事実、罪の意識だけが重く心を覆っていた。

 

ふと、宿泊している部屋の前に人の気配がすることに気が付いた。それを認識するが早いか、音もなく扉が開く。
現れたのは、別行動をとっているはずのマックスと、不思議な形の仮面をつけた人物だった。
「何者だ?」
「我々はカストード。永久皇帝の代理者だ」
「グランデレニアの皇帝の使いが何の用だ」
ブレイズは己の長剣に手をかけた。マックスと共に現れたとはいえ、本当にそのような地位の人間が、自分を訪ねてくるとは思えなかった。
「マックスをなぜ連れている」
戦闘のために作られた自動機械であるマックスがこの男と共にいるのはあり得ないことだった。
「彼とは旧友でね。君を紹介してもらうことにした」
「機械と旧友とは奇妙な話だ」
「そうかね。機械の妹のために仲間を殺した男もいるそうだが」
カストードの表情はマスクのため分からない。
「貴様、何が言いたい」
ブレイズは剣にかけた手に力を込めた。
「世界の秘密はすべて皇帝の元に集まる。我々は君の力になりたいのだ」
その鷹揚な声の響きは不思議な魅力があった。
「誰の助けも求めていない」
ブレイズは呟くように答えた。
「罪の意識だけ抱えて、パンデモニウムの奴隷として生きることで満足なのか?」
「お前には関係のない話だ」
「妹を取り戻す術があるとしたら?どうする?」
剣にかけた手から力が抜けた。
「あの自動人形、いや、メリアは未だ彼女のまま存在する」
動揺するブレイズに、カストードはゆったりとした声色で囁いた。
「私が手を回せば、再び起動させることが出来る」
「また、メリアと一緒に暮らせるのか?」
ブレイズは望外の提案に思わず聞き返した。
「そうだ。お前が望むものを、我々は与えることが出来る」
「なにが保証だ?」
「不死皇帝の名に誓って」
ブレイズの心によぎっていたのは、故郷で見たメリアの微笑みだった。彼女へと感じる優しさや感情を取り戻せるためならば何でもしようと、すでに決意していた。

 

「―了―」