ロッソ(ストーリー)

Last-modified: 2018-09-28 (金) 21:52:15

ロッソ
【死因】
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3382年 「会議」

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レジメント戦略部の会議が始まる時間だったが、肝心のD中隊付きエンジニアであるロッソがまだ現れていなかった。
次の作戦でD中隊が担当する、攻略可能な渦に関する重要なブリーフィングだった。
「あの跳ね返りめ、またか」
戦略部の部長であるテクノクラート・ブランが、手に持った地図を机に叩き付けて憤った。
部屋には戦略部の専任技官や調査部の技官などエンジニアと、レジメントからD中隊長のミリアンの他、連隊長代行までが揃っていた。
「私が探しに行ってきます」
同じD中隊付きエンジニアのファルケンが、気まずい空気の中、部屋を飛び出していった。
 
ファルケンは、技官宿舎の自室でソファに寝転がりながら本を読んでいたロッソに声を掛けた。
「ロッソ技官、会議の時間ですよ。何しているんです!」
堆く雑多な物で埋まったロッソの自室は、立つ場所に気をつけないと、今にも荷物が崩れ落ちそうだった。
「ああ、今行く。どうせ最初はお決まりの話だろ。肝心なとこには顔を出すさ」
ロッソは本を眺めたまま、顔も向けずに語る。
「まずいです、今日は連隊長代行まで来ているんです。ブラン部長もかなり苛々していますよ。なんでも新任の作戦技官が着任するとかで……」
「あいつらの都合まで知るか。お前が聞いておけ」
「それはできません。専任技官のあなたが責任者です」
ファルケンはロッソより若輩だったが、きっぱりと言い放った。
「クソが、行きゃいいんだろ」
片手に本を持ったまま渋々ソファから降りると、ファルケンと共に会議に向かった。
 
戦略部で行われている会議は中盤に差し掛かっていた。候補に挙がっている渦は絞り込まれ、いよいよ実際に担当となるD中隊付きエンジニアの意見を聞く段になっていた。
「戦略部の作戦効果評定だと、このQ022が最も優先順位の高い渦ということですが、分析班が出した脅威度には問題があります」
ロッソは立ち上がって、モニターに映された分析表の前に立った。
「このパターンは過去の例で言うと、N型でなくD型生物が存在する可能性が高いと思われます。そして、D型生物の代謝系は我々を上回る効率であり、さらに、文明度も高いことが知られています。現在の部隊編成であるD中隊だけでは、おそらくコアに辿り着くのは困難であると思われます」
「君は分析班に見落としがあると言うのかね」
ブランが苦々しい顔で言った。
「これは実際の経験と、私が蓄えている過去のデータからの意見です」
 
渦が他の平行世界と呼ばれる次元への扉、ということはわかっていた。
その平行世界に存在する暴走したケイオシウムを回収することによって、初めて渦と現行世界との繋がりが消える。それを命懸けで行うのが彼らレジメントだ。
今までケイオシウム回収のために「渡った」異世界については、土着生物の知能レベルや文明度、大気の組成など全てが細かく分析、分類されていた。
もし、この観測から求められる脅威の予測に失敗すれば、レジメントは渦の中に入ったとたんに全滅する。過去にそういった悲劇が数えきれぬ程あった。
「分析班は失敗してもどうってこと無いかもしれませんが、実際あっちに出向く自分達は死ぬわけで。まあ、慎重になるってだけです。もう少し長生きしたいんで」
「ミリアン、中隊長としての意見は?」
ブランはミリアンに話を向けた
「少なくともこの連隊ではロッソの能力は証明されています。傾聴に値すると思います」
 
ロッソは以前に平行世界に辿り着いた際、できる限りの物を持ち帰っていた。大気に始まり、土、植物、敵性生物の死骸など、目に付くものは全て回収していた。
もちろん作戦義務違反だったが、全く意に介していなかった。
回収専用の巨大なアタッシュケースを、エンジニアが乗るアーセナル・キャリアにわざわざ載せている程だった。
持ち帰った土、ガス、生物の死体を研究分類することに熱中した。平行世界が培った別の可能性は、ロッソにとって天国からの贈り物だった。
 
多くのエンジニアは、生命の危険が伴うレジメント付きエンジニアなどにはならない。地上に降りることさえも嫌う者が多いぐらいである。
ロッソは権威あるバリオン研究所出身で、ゆくゆくは高級テクノクラートとしてパンデモニウムの指導者層となるエリートだった。
ただ、その予め定められた道筋を進むことをロッソは求めなかった。その才気は、パンデモニウムに収まるものではなかった。
持ち帰った研究物資は彼の居室に収まらず、両隣の部屋まで倉庫にしていた。
こういった行いが黙認されているのは、レジメントという組織の独立性とロッソの有能さによって担保されていたからだ。
また平行世界から持ち込まれた物資による汚染、などというものは、『渦』の脅威に比べれば全くの些事だということを、渦と実際に対峙するレジメントの構成員達はよく知っていた。
 
会議が終わると、一人の男がロッソに声を掛けてきた。
「『偶然の本質』。古典だが異端だ。珍しい本を読んでいるな」
男はロッソが手にしている本の題名を差す。
「アンタは?」
「作戦技官のラームだ。今日パンデモニウムから着任した。君の新しい上司になる。よろしく」
ラームはロッソに握手を求めた。ロッソは訝しむ様な表情を一瞬した後、黙って応じた。
「君は、連隊の中でずいぶんと自由にやっているようだが」
「自由にやらせてもらえるだけのことをしてるつもりなんでね」
ロッソは警戒心を隠そうともせず、突き放すような口調で言った。
「私は君のやり方が嫌いじゃない。少し話がしたいんだが、いいかな?」
「それは命令?読書の途中でね」
「命令じゃない。ただロッソ、私のする話は決して君にとって悪い話じゃない」
「それはアンタが決める事じゃないと思うぜ」
「ふはは。噂通り面白い男だ、君は。まあいい、次の作戦の前には時間を作ってもらうぞ」
ラームはロッソとの会話を諦めると、他の高級技官と共に去っていった。
「どうしました?さっきの作戦技官ですよね」
ファルケンがロッソに声を掛けた。
「別に」
ロッソはファルケンと別れると、あの異世界の物資で埋まった部屋に戻っていった。
「─了─」

3382年「協力者」

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「ロッソ技官、ラーム作戦技官が探してましたよ」
自分の研究室に籠もってコア生物を調査しているロッソに、同僚技官のファルケンが声をかけた。
「ラームが?」
「はい。自分の部屋まで来てほしい、と言っていましたが……」
「取り込み中だ。用があるならそっちが来いと言っておけ」
ロッソは振り返ることもせず、面倒くさそうに答えた。
「そんなこと上官に言えるわけないでしょう。……伝えましたからね、僕は。ったく」
ファルケンはそう言うと、部屋の扉を閉めた。まったく伝言の意を介さず、ロッソの意識は再びコア生物の調査へと向けられた。
コア生物は渦から発生する異界の生物たちの総称だが、いまロッソが研究しているのは、その中でもコア近くにいた、レジメントと直接対峙した生物だった。
複数の渦から持ち帰った資料と見比べ、ロッソなりのある仮説を証明しようとしていた。
そして数時間が経過した。ロッソは時間のことなど忘れたように研究に没頭していた。高く昇っていた太陽は西へと下り、研究室の床を長く伸びた木の影が覆っている。
コンコン。 
研究室の扉を誰かがノックした。が、ロッソは答えない。
「………………」
コンコン。
コンコン。
コンコン。
「……誰だ、うるさいぞ!」
執拗に繰り返されるノックの音に、ロッソは根負けして返事をした。
「私だよ、ロッソ。ラームだ」
「……待ってろ」
面倒だが、やって来てしまったのなら相手をしなければならない。ロッソは立ち上がり、渋々研究室の扉を開いた。
「やあ、ロッソ。調子はどうだね」
ロッソの不機嫌そうな顔とは裏腹に、ラームは笑顔を浮かべていた。散々待たされた挙句、自分から足を運ぶ羽目になっても気にしていない様子だった。その笑顔を見て、ロッソは眉間の皺をますます深くした。
「……良かったさ。あんたが来るまではね」
殊更に大きな音を立てて、椅子に座り直す。そして、再びコア生物の研究に没頭した。
「見ての通り忙しい。何か用があるなら、手短にしてくれ」
「まあ、そう邪険にしないでくれ。実は、君に会わせたい人がいてね」
「……今日は駄目だ。明日なら会おう」
相手が上官でも言いたいことは言わせてもらう。そんな気持ちが滲み出るようなロッソの返答だった。
「わかった。それじゃあ、明日の昼に私の部屋に来てくれ」
苦笑しながら、仕方ないという風にラームは言った。
「そっちが来ないのは、どういう理由だ?」
「会わせたい人がいる、と言っただろう。あまり人気のある場所で遭わせるべき人ではないんでね」
「……わかった」
上司にそこまで言われてしまっては、ロッソといえども撥ね除ける訳にはいかない。それを聞いたラームはにっこり笑って、部屋を出て行った。
 
次の日、ロッソは眠い頭を振りながらラームの執務室へ向かった。昨晩は研究に没頭しすぎて、気が付いた時にはもう夜が明けていた。
これまで、ラームはロッソの非礼に対して命令や怒りで反応したことがなかった。その奇妙な態度に、ロッソは却って不気味な印象を覚えていた。
部外者ということは、パンデモニウムの人間を連れてくるのだろうか。ラームがおそらく隠しているであろう真意に考えを巡らしてみたが、答えは出ない。
あまり他人に興味のないロッソでも、ラームが自分に対して何かしらの執着をもっていることは理解できている。
「面倒な話はごめんだぜ。ラームのおっさん」
そう呟くと、ラームの部屋の前に立った。
 
扉を開けると、そこにはラームと見知らぬ一人の女性が立っていた。
「やあロッソ、来たか」
ラームは相変わらずの笑顔を浮かべていた。隣の女性はロッソの方を向いて小さく礼をした。傍には小型のドローンが浮かんでいる。パンデモニウムの一部のエンジニアには、自身のライフログやサポートのために連れて回る者もいるが、地上で見るのは初めてだった。
「会わせたい人、というのはこちらの人だ。名前はマルグリッド。我々の『同志』だ」
「マルグリッドよ。よろしくね、ロッソ」
「同志……」
それはまた胡散臭い言葉が出てきたな。差し出された手を握り返しながら、ロッソは眉を顰めた。
「それでは、メンバーも揃ったことだし、話を始めようか。座ってくれ」
ラームはロッソに席を勧め、自分も横に座った。マルグリッドと呼ばれた女は、ラームから少し離れた場所に立ったままだ。
「さて、まずロッソ。君のこれまでの経歴、および功績を見せてもらった。素晴らしい成果だ」
「……そりゃどうも」
「そして未知なる物への探求心。成果はもちろんだが、こちらのほうが、より評価できるな」
「………………」
「ロッソ。君は世界の真実を知りたくはないかね。人類が新たな進化を遂げるために」
「……一体、何が言いたい?」
ラームの持って回った言い方に、ロッソは声を荒げた。
「我々はケイオシウムの力を解明したいと考えている。そこのマルグリッドは、その賛同者だ」
「ケイオシウムだと……」
「昨日、君はコア生物を解析していたね。それはコアに秘められた力を研究していたのだろう?」
ラームの目に妖しい光が宿る。
「ああ、そうだ」
「それこそ我々の為すべきことだ。君ならケイオシウムをその手でコントロールすることができる」
正確に言えば、コア生物の研究は渦が引き起こす現象を理解し、レジメントの活動に役立てるためのものだった。
しかし、コアとそれを成り立たせているケイオシウムの力に惹かれていたのも事実だった。
「あなたは素晴らしい技術を持っている、と聞いているわ」
マルグリッドが美しい顔に笑みを浮かべながら、声を掛ける。
「どうかしら、私達に協力してもらえない?」
魅力的な女だが、どこか人間らしさが無い。
「話はわかった」
姿勢を大きくそらし、ロッソはさも飽き飽きした風に話し出した。
「だが、自分のメリットがない。研究は一人でやってきた。別に困っている訳じゃない」
「もっともだ」
ラームは余裕を崩していない。
「今日連れてきた彼女は、まさしくケイオシウムの可能性を体現した人物なのだ、ロッソ」
再び、紹介するかのようにラームはマルグリッドの方へ振り返った。
「説明が足りないな。あんまり回りくどい真似をされるのは好きじゃない」
するとマルグリッドの姿が、まるで電灯の光が消えるように、一瞬にして消えた。
「ドローンで投射していたのか。どうりで突っ立ったままでいる訳だ。だが、画像投影の技術なんざ珍しくもない」
「よく見たまえ。ドローンから投射しているのではない」
すっと再びマルグリッドは姿を現し、机の上にあったコップを手に取った。そして、ロッソ達の座っている席の反対側に椅子を引いて座った。
「……たしかに投射している訳じゃあないようだ。くだらん手品じゃないだろうな」
「タネはある。彼女は生けるコアとなったのだ。そのドローンは今や彼女の『本体』なのだよ」
「どういう意味だ?」
自分でも気が付かない内に、ロッソは身を乗り出していた。
「彼女は不幸な事故で、研究中にケイオシウムのコアと融合してしまったのだ。信じられないことだが。そして体や記憶の一部を失ったが、こうしてエンジニアとしてこの世界に実存し続けている」
「私は生まれ変わったの。一度死んでね。そして、このコアが作る多元世界を行き来できるようになった。この世界での実体を失う代わりに」
マルグリッドは不敵な笑みを絶やさないまま、机の上に手を組んで顎をのせた。
「それが事実なら、確かに興味深い……」
「こんな御伽噺みたいなことは信じられんかね?」
ラームは真剣な表情でロッソに聞いた。
「俺が知っている渦の中じゃあ、どんなことがあっても不思議は無い。多元世界はこの目と耳で経験してる」
「さすがだ、ロッソ」
「マルグリッドっていったな、あんたに興味がでてきたぜ」
「ありがとう」
マルグリッドは微笑みながら答えた。
「少しの間、一緒に研究をしてみてはどうかな。人前に姿を現す訳にはいかんが」
ラームが言った。
「あんたは気にくわないが、研究としてはおもしろい話だ」
「私のことはどうでもいい、研究の前進こそ、我々の望みだ」
ラームの差し出した右手を、ロッソは握り返した。
 
「―了―」

3382年 「導師」

ロッソ00.PNG
ロッソはラームから手に入れた、封印された研究資料を眺めていた。
「マルグリッド、ひとつ質問がある」
誰もいない部屋で、端末に顔を向けたまま声を発した。すると背後に女性が現れた。ドローンから投射された映像でしかないマルグリッドだ。
「なに?そのケイオシウムの臨界量の話?」
マルグリッドは端末に向かっているロッソの肩に手を掛けながら答えた。映像でしかない筈のマルグリッドだが、手の感触が肩に伝わる。まるで実在するかのように。
「ああ。この資料の知見と、この時代の再調査の値が食い違ってる。どっちが正しいんだ?」
端末をペンで指差して、マルグリッドに確認を求めた。
「それはこちらの再調査の方ね。基準となる環境の違いを考慮に入れれば、こちらの値が正しいわ」
「なるほどな」
資料は全て、秘密裏にケイオシウムの研究を行っていたラーム達が集めた物だった。パンデモニウムでは、ケイオシウムの研究は全て原則禁止とされていた。特に統治機能が強化されて大規模な摘発が行われて以降は、より厳しく規制されるようになっていた。
 
その資料を眺めている内に、ロッソはマルグリッドの過去も知ることとなった。
彼女はいわゆる協定違反者として処罰され、死亡したことになっていた。自分の子供をケイオシウムの研究に使い、実験中に治安部隊に射殺された、という記録を読んだ。
ロッソはまた暫く、端末からデータを取り出すことに腐心していた。呼び出されたマルグリッドはそのままソファーに座り、ロッソの書架にある本を読み始めた。
しばらくするとロッソは立ち上がり、少しのびをした。
「お茶でも飲む?」
マルグリッドが本を置いてロッソに聞いた。
「あんたには必要ないだろう。自分でやる」
ポットからコップに水を汲み、ロッソはマルグリッドの座るソファーの隣に座った。
「邪魔だったら消えるけど」
「消えるったって、あんたの画像が俺に見えなくなるだけだろ。それともドローンの裏にはスイッチでもあって、切れるのか?」
彼女の本体ともいえるドローンは、まるでちょっとした飾りであるかのように、書架の上に置かれていた。
「ずいぶんと邪険にするのね」
少し呆れた感じで薄く笑いながら、マルグリッドは言った。
「なに、他人と研究を共有するのが苦手でね。 苛つく場合が多いからな」
「そう。でも知識は一人では作れない。人と共有するから知識になる」
「そんなことはわかってる。だが、真に新しい知識は一人でしか得られない。周りの人間は俺の後を付いて来ればいい」
マルグリッドは苦笑した。しかしどこか優しげな表情に見える。
「自信家ね。そのあなたの知見をぜひ聞かせて欲しいわ。私達の研究の感想でもいい」
「あんたの研究も含めて、ケイオシウムと人間原理の関係は理解できた。そして、このレジメントまでが一種の実験装置だ、というのも興味深い」
ロッソはコップの水を飲み干した。
「確かに、ここの連中の中には『騎士』と呼ばれる、不可思議な能力を持つ者がいる」
「それがケイオシウムの真の影響なの。ケイオシウムの可能性が人の意志と結びついたとき、世界を変えることができる」
「それはわかった。だが、ケイオシウムは渦と惨禍をもたらした」
「だからパンデモニウムの統治機構は、ケイオシウムの惨禍を二度と起こさないために、ケイオシウムの研究、渦の研究自体を葬ろうとしてる」
「だろうな」
「最後の作戦、ジ・アイの攻略が終われば、おそらくこの連中は全て始末されるわ」
「それは俺達エンジニアも含めてか?」
「もちろん。たとえ渦を消滅させるための研究であっても、例外なくね」
「いまや敵はパンデモニウムというわけか」
「そう。あなたは私達の仲間になるしかなかったの」
「一つ疑問がある、渦の成り立ちだ。 最初の渦、俺達にとっては最後の渦、ジ・アイがなぜ現れたかだ。もちろんパンデモニウムの正史から抹消されているのはわかる。で、あんた達ケイオシウムの開放派は何か知っているのか?」
「ええ、知っているわ。なぜ渦がこの世界に現れたのか。誰が作ったのかもね」
マルグリッドは脚を組み直した。
「その情報は、俺にはいつ貰える?」
「ラームがきっと教えてくれるわ。 きちんと我々の一員となる信用を得られた時にね」
「他人の信用か。くだらんな」
「私はもう、信用してる」
マルグリッドはロッソへ身体を向け直した。そして、乗り掛かるようにロッソの顔に唇を寄せた。きちんと生身の感触があった。
「旦那がいる、って書いてあったぜ」
ロッソの表情に変化は無い。
「そんな記憶、体と一緒に消えてしまったわ」
マルグリッドは微笑み、腕をロッソの首筋に絡ませた。
「悪いが、映像とする趣味はないんだ」
「生身よりずっと楽しいことができるのに?」
「見解の相違だな」
ロッソはマルグリッドの腕を解いた。
「機械となっても欲望があるとは、奇妙な話だ」
「欲望が人を形作るのよ」
「かもしれん」
そう言ってロッソは、初めて彼女の前で笑った。
 
ラームの部屋にロッソは呼び出された。マルグリッドのドローンが横に置かれている。
「さて、研究の進捗はどうだね?」
ラームはいつも柔らかい印象を崩していない。
「大体把握した。ケイオシウムの本質、仮説については理解できたつもりだ」
「そうか。よかった」
「で、俺に何をさせたい?」
ロッソは相変わらず突き放した調子で話す。
「マルグリッドは君に何か話したか?」
彼女が空中から現れた。
「いいえ、まだしていないわ。 彼から直接話をした方がいいと思って」
「そうだな、直接聞いた方が早い」
「なんの話だ?」
ロッソは話の中身を訝しんだ。
「我々の導師《グールー》と会ってもらう」
「グールーとは大層な呼び名だな。どこにいる?」
「ここにはいない。いや、どこにもいない、と言った方がいいか」
「つまらん謎掛けはやめろ、って言っておいたはずだが?」
ロッソは苛立ちを隠さずに言った。
「焦らないでもいいわ。見せてあげる」
マルグリッドの姿が掻き消えると、ぼやけた映像で年老いた男が現れた。小柄で、まるで少年がそのまま老人になったような不気味な姿だ。ロッソはマルグリッドの誘惑を思い出し、思わず苦笑した。
「我らが導師、メルキオールだ。彼にこちらを見ることはできない。彼のいる場所からはこれが限界なのだ。マルグリッドを介して、辛うじて情報を交わすことができる」
「大層なお話しみたいだが、どこが導師なんだ? ただの爺さんにしか見えないぜ」
『メリディアンの日までに、我々は船を作るのだ』
ぼやけた映像の老人は、呟くように語っている。
「何の話をしているんだ?」
『航海士を探せ』
焦点を結ばない目で、呟くように老人は話し続けている。
「意味はいずれわかる。君には導師を救い出して欲しいのだ。マルグリッドと君にしかできん」
「人捜しが得意って、自己紹介したことがあったか?」
ロッソの挑発的な態度を無視して、ラームは続けた。
「導師はジ・アイの零地点にいる。最初の渦が作られた場所だ。その場所に行けるのは君しかいない」
「導師とやらが渦の原因、てわけか」
「因果の点ではそうだ。だが、崇高な目的のための必要な通過点でもある」
「話が見えづらいぜ」
「いずれわかる。君も導師の真の意思を知れば、その思想に帰依することになるだろう。それだけ偉大な話だ」
「あんたの勿体ぶった態度には飽き飽きしてるが、零地点の話は研究材料としては悪くない。作戦を聞かせてもらおう」
「そう、よかった。 私達、楽しくやれそうね」
ロッソの決断に同意するマルグリッドの声だけが、部屋に響いた。
 
「―了―」

3387年 「二つのコア」

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ロッソはポータブルコンソールを携えてラームの研究室を訪れていた。
秘密の協力関係を結んだ後、ロッソは彼の手引きでジ・アイのコア解析を専任することになった。
新たに手入れたケイオシウムの知識と今までの経験、それらに基づいた仮説を理論化し、研究に没頭した。
「君から訪ねてくるとはね。 嬉しいよ」
ラームは相好を崩してそう言った。
「ジ・アイのコアについて、ようやく絶対的な攻略方法が見つかった」
「絶対的、か。 君らしい言葉だ。 頼もしい」
おべっかはどうでもいい。 説明する」
ロッソは持ってきたコンソールを叩くと、壁にデータを表示した。
「E中隊全滅時に回収された僅かなデータと、その後の観測班からのデータを分析したところ、ある種の揺らぎを見つけた」
ロッソの操作によってデータが次々と投射されていく。
「この揺らぎは二重コアが作り出した一種の確率状態だ。 二つのコアは相補関係にあって、一つのように振る舞う。この確率状態を通してな」
「ふーむ」
ラームはロッソの説明に唸った。
「つまり、単純にコアを一つずつ収束させようとしても、この相補関係によって必ずコアは再暴走するというわけだ」
「なるほど」
「これがE中隊絶滅の理由であり、最初に暴走したコアによって作られた渦の構造だ」
「全く別の世界のコアが、なぜ互いを補い合う?」
ラームが質問を口にした。
「単純な例え話で言えば、このジ・アイは布の裂け目みたいなものだ。周りの渦など裂けた時に飛び散った糸屑だと言ってもいい。だが裂け目であるこの場所では、めちゃくちゃになった世界が奇妙な形で癒着してしまった」
「そしてこれは、本来安定し正しく並んでいた平行世界を、あんたらの導師とやらが引き裂いてばらばらにしたせいだ。 あり得ないケイオシウムの暴走によってね」
ロッソは『導師』の存在に興味が湧いてきていた。世界を破壊した男だが、その独創性と実行力がロッソを惹き付けていた。
「導師について、何かマルグリッドに聞いたのか?」
ラームは柔和な表情のまま言った。
「ふん。まあヒントを貰ったお陰で、大体のことは察しがついてきた」
ロッソは対照的に、ラームを睨むように見つめて喋る。
「なぜ『導師』とやらはこんなことをしたんだ?」
「最初の意志については導師に直接聞くのがいい。 それが君の運命なのだよ」
「まあ、確かに。 あんたの口から聞くより、本人から聞くのがいいかもしれん」
ロッソはラームを追及するのをやめた。導師とやらをこちらの世界に連れてくるまでが計画なのだ。
「で、絶対的な攻略方法とは何だね?」
「それはこっちだ」
ロッソは別のデータを表示させた。そこには複雑な数式やグラフと共に、ある機械の設計図が表示されていた。
「なるほど、量子テレポート技術を応用した同期装置か」
ラームは表示を見て呟いた。
「そう、この方法ならば平行世界でも情報の伝達が可能だからな。ただ、大した情報量を送ることはできない。あくまで同期のみだ。そしてこれをコア回収装置と接続することで、世界軸の違う二つのコアを同時に回収することができる」
「すばらしい! これで導師をお迎えできる」
ラームは感嘆の声を上げた。
「コアの暴走を止めた後に吹き飛ばされた零地点が復活する筈だが、本当に導師とやらは生きているのか?」
「声は聞いただろう」
「あんなもの、いくらでもフェイクは作れる」
「ロッソ、君を騙すのは無理だ。 マルグリッドは確かに導師と向こう側で会っているのだ。 信じてくれ」
「まあ、この目で確かめさせてもらおう」
ロッソはラームの心を探るように観察していたが、導師への帰依は本当のように見えた。
「さて、君の装置と作戦が上層部に認められれば、ジ・アイ攻略作戦はすぐに開始されることになる。 装置の開発に必要な物は遠慮無く言ってくれ」
ラームはそう言って立ち上がると、ロッソに握手を求めた。


「あなたのコア攻略理論を見せてもらったわ。 とてもよくできている」
マルグリッドは気まぐれにロッソの研究室に姿を現していた。
時折ドローンが無くなるところを見ると、次元を渡って移動しているのだろう。
「理論はな。 だが実際に作るとなると、まだまだ問題が山積している」
「でしょうね」
「気楽なもんだな。 あんたは」
マルグリッドは微笑みを返すだけだった。
「で、零地点へはどうやって行く? 確実に導師がいる場所はわかっているのか?」
「そうね、ちゃんと考えているわ。だから、あなたのコア同期装置をよく調べさせてもらったの」
「それで?」
「一つだけ改良してほしい点があるの」
マルグリッドの映像は、笑いながらロッソにそう言った。


ロッソが上層部に発表した『量子通信を応用した世界軸間でのコア回収同期装置』が実用に値すると認められ、ジ・アイ攻略作戦の凍結が解除された。
半年以上を費やして綿密な作戦プログラムが完成し、シミュレーションが開始された。
ロッソはD中隊付きのエンジニアとして、そして同期装置の開発責任者としてシミュレーションに参加していた。
「B中隊、D中隊、共にコア周辺域への突入を確認」
「了解。同期装置を作動させる」
ロッソは同期制御装置のパネルを操作した。ロッソが担当する装置とB中隊側の同期装置が起動する。
同期装置は操作に手違いが起こらないよう全てロッソが管理し、モニタリングを行っていた。
B中隊にある子機にも、運搬と不測の事態に備えて選任技官が一人就いていたが、全ての操作はロッソが行うため、単なる運搬係に過ぎない。
同期装置が起動し、量子通信が作動する。しかし、すぐにB中隊側の同期装置が停止した。次いで量子通信の不備を感知したロッソ側の同期装置も停止してしまった。
シミュレーション・ゾーン内にけたたましいアラートが響き渡る。それに続いて作戦失敗のアナウンスが流れた。
「ちっ……」
ロッソは小さく舌打ちすると、すぐに同期装置のエラー解析を始めた。
誰かが子機の同期装置の内部構造を調べようとした形跡があった。
「制御装置の整備をした奴は誰だ!」
ロッソは待機ゾーンに戻ってくると、堪らずに叫んだ。
同期装置にはマルグリッドの協力によって取り付けた装置があった。それは誰にも触らせたくなかった。
簡単な偽装も施してはいるが、詳細に調べれば装置が取り付けられていることはわかってしまう。
そのため、ロッソ以外の誰かが整備以外の操作を行った状態で起動させた場合、すぐに動作を停止するような仕掛けを施してあった。
今回の失敗は、それが原因で起きたものだった。
データ上では『同期装置に使われる量子通信装置の整備不良による失敗』と記録される。
「わ、私、です……」
「貴様、テストせずに同期装置をいじったな!」
おずおずと申し出たC.C. の首元を締め上げながら、ロッソは怒鳴った。
「すみません」
「俺を殺す気か! 手順を守れ!」
C.C.を乱暴に突き放すと、マスクを叩き付けてハンガーに戻っていった。


「くそっ、どいつもこいつも」
ロッソは目に見えて苛立っていた。
何度となく繰り返されるシミュレーションの結果が芳しくないこともそうだが、勝手に同期装置の中を弄り回されたことで更に拍車が掛かっていた。
技官達には再三、同期装置の取り扱い時には自分の許可を得ろと伝えておいた筈だったが、それを守らない者がいた。
作戦の成功率自体はもとより高くない。その上で、新たな知見を得るべく行動を起こそうというのだ。
そうまでしてロッソを突き動かすものは、尽きることのない知識欲と未知の世界への好奇心だった。
導師と会うことすらも、その一部分に過ぎなかった。
「苛立っているな。あまり急くと仕損じるぞ」
「ふん、シミュレーションの成功率を上げてから言うんだな」
ハンガーで苛立ちを隠すことなく歩き回っているロッソに、ミリアンが声を掛ける。
ミリアンはラームが新たに引き入れた『同志』の一人であった。
ジ・アイ攻略作戦では陣頭指揮を執る傍ら、ロッソの行動をスムーズに行わせるための斥候のような役目を担当している。
しかしながら、その姿勢はロッソよりもマルグリッドに近いものがあり、ロッソ以上にラームに協力的であった。
「隊員達の錬度は上昇傾向にあるが、それでもコアを二時間以内に同時に確保することは難しい」
「それを何とかするのがあんたの仕事だ。俺は愚図共に付き合う気はないぞ」
「善処しよう」
ロッソはミリアンの言葉に対して睨むことで返事の代わりとし、ハンガーを出てそのままラームの元へと向かった。
「面倒事を増やしやがって……」
C.C.という女性技官を同期装置の整備から遠ざける必要があると説明するためだ。
どのような意図をもってかはわからないが、明らかに内部構造を詳しく解析しようという痕跡が見て取れた。ただ、短時間では解析しきれず、あの秘密に接続した装置――それはマルグリッド本体であるドローンだった――の存在は判明していないようだった。
ロッソは新たな知識を手に入れるために命を懸けている。 そのための不安要素となるものは、完璧に排除しておかねばならないと考えていた。
「―了―」

3395年 「選択」

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人気の無い通りに、ロッソは立っていた。
「出てきたか、ネズミが」
「殺りたいのは俺達だけだろう。つまらん真似をするな」
いまのアベルはロッソが知っているレジメント時代のアベルではなかった。そこにいたのは熟達した戦士であった。
「オレに指図すんのは千年はやいぜ。『地獄の鐘』の音を聞かせてやるよ」
ロッソはトランクに手を掛ける。それと同時に、アベルが一気に距離を詰めてきた。
「掛かったな」
ロッソは笑みを浮かべる。トランクに手を掛ければアベルの意識がそちらに向かうことは自明の理であった。そしてその一瞬の隙こそが、ロッソが狙っていたものであった。
アベルの視線がロッソに向かう。その時、ロッソの脳裏に一抹の不安がよぎった。視界が揺らぎ、自分の右腕が切り落とされる未来を見た。
背筋に冷たいものが走るのを感じながらも、ロッソはトランクを蹴り飛ばして手刀を振り抜く。同時に、アベルもロッソの右腕めがけて剣を振り抜いていた。
ロッソの右腕がアベルの剣により切り落とされる。しかし同時にアベルの目の前でトランクが割れ、中に詰まった薬液がアベルに降り注いだ。
「な!?」
「馬鹿め!腕を切り落とせばそれで終わりとでも思ったか!」
猛毒を直に浴びたアベルは動きを止めた。その隙を逃さずにロッソは左腕を振るうが、毒を浴びてなお、アベルはロッソの空間切断を見切った。
ロッソは思わず口笛を鳴らす。猛毒を浴び、あとは何もしなくても死へと向かうしかない中でも、アベルの目にまだ光があった。
最期まで敵を死に至らしめんとするその姿。アベルはまさに生粋の戦士であった。
「こで……で終わ……りだ……!」
「ふっ、ふふっ、終わりだと?いいや、ここから始まるのさ」
アベルの最後の一撃はロッソに届くことなく空を切る。ロッソの手刀はアベルを捕らえた。
アベルは上半身と下半身が辛うじて繋がっているだけだった。
あれ程の闘志に満ちた目も、もはやただ虚空を凝視するかのように見開いたままであった。


ロッソは静かになったスラムの路地を見回す。路地を吹き抜ける風の音しか聞こえなかった。
切断された右腕に応急措置を施してから、ミリアン達を探す。
戦闘音が聞こえないということは、ミリアンやマルグリッドの方も片が付いたのだろう。


まずロッソはミリアンの遺骸を見つけた。その胸にはレーザーで焼かれた様な跡があった。その反対側には、アーチボルトが同じように胸を貫かれて絶命していた。
マルグリッドの姿は見えない。注意深く周囲を探ると、気絶したジェッドと完全に壊れたドローンを発見した。
それを見たロッソの口元が歪む。
「ふ、ふふ。ははははは、ひぁははははははは!!」
ロッソは笑い狂った。静かなスラムの通りにロッソの笑い声だけが響く。
「……長かった」
ひとしきり笑い終えたロッソは、この因果を決定させるための過程に少しだけ思いを馳せた。 
 
コアから発していた光が収まると、ロッソは何もない空間に一人いた。《渦》のような様々な淡い光が混ざり合う不思議な場所だった。
地に足を着けている感覚こそあるが、地面も何もない空間において、それはとても奇妙なものに感じられた。
ロッソの目の前にはコア回収装置があった。回収装置の中を調べると、コアは結晶体となって鎮座していた。
遠近感の掴めない空間だったが、遠目にミリアンがいるのが見えた。だが、それだけだった。
「お前達は導かれた。世界を作り替える、その使者として」
声が聞こえた。以前、マルグリッドに見せられた導師の映像の声と酷似していた。
「世界を作り替える?どういうことだ」
ロッソは訝しげに問う。以前映像を見せられた時にも感じたことだが、この老人の言う事は同じ研究者という人種とは思えない程に明確性を欠いていた。
「世界の『自由』を私は作った。航海士を探せ、お前達が求める本当の意味の自由はそこにある」
老人の声は聞こえなくなった。
「言うだけ言って消えるとは、無責任な導師様だな」
悪態をつくと、ロッソは結晶体となったコアを抜き出して懐にしまいこみ、一歩を踏み出した。


ロッソはマルグリッドやミリアンと離れて行動していた。
二人は共に何かを探しているようだが、特に気には留めなかった。
不思議な空間は、所持していたケイオシウムのコアと共鳴するかの如く、ロッソに様々な世界を見せた。
それらはロッソの知的好奇心や研究欲を大いに刺激した。永遠にこの空間に留まっていたいとすら思う。やはりマルグリッドの提案に乗ったのは正解だった。
そこでロッソは、導師が研究と称して弄繰り回した挙句に放り出した形跡のある世界を見つけた。
「おもしろい」
ひとまずその世界の観察と研究をすることにした。時間はもはやロッソにはどうでもいい事象となっていた。
ロッソが発見した世界は、導師の研究が余すところなく記されていた世界だった。ロッソは導師の研究に魅了され、その研究を引き継ぐように解析を重ねていた。
 
そして、とうとう選択の日がやって来た。
いつの間にか、ミリアンとマルグリッドが傍らにいた。
随分と久しぶりに会うような気がしたが、ずっと共に計画を進行していたような気もあった。この空間は時間の流れや感覚を曖昧にさせていた。
数十年もこの場所でコアの研究をしていたような気もしたし、たった数時間の休憩を取っただけのような気もする。
「準備はいいか、ロッソ」
「ああ、問題ない」
「手筈は整っているわ。ラームが私達を現世界へ導いてくれる」
マルグリッドが冷たく微笑んだ。ロッソはポケットに忍ばせていた小箱を握り締める。
《渦》のような光が揺らめいた。視界を光が覆う。
「お前は何を選ぶ?」
老人のような、少女のような、不思議な声が響く。
ロッソはコアを握り締めると、強く願った。己が望む未来を思い描いていた。
「選択は成された」


ロッソは大きな溜め息を一つ吐いてから倒れているジェッドに近付き、迷うことなく薬を打ち込んだ。
導師の研究の搾り滓からロッソが作り出したこの薬は、脳神経に働きかけて自由意志を抑制するものだった。
コアの選択により因果は確定しているが、相手は航海士である。念には念を入れての行動だ。
ロッソはジェッドから反抗の意志が無くなったことを確認すると、レオンが運んできた装置を左腕だけで組み立てる。
これを使い、ジェッドを伴ってリンボへ戻る。あとはジェッドを己の都合のいいように利用するだけだった。
「……あんたも、思うがままになる未来が欲しいのかい?」
ジェッドが虚ろな目でロッソを見上げた。
「誰も知らない、見たことがない世界。オレが求めるのは未知だ。オレが生きているということだけが確定していればいい」
目的はずっと変わらない。ロッソは未知の世界を探求するという確かな意志を持ち続けていた。
禁忌とされてきたケイオシウムも、異世界にある未知の物質も、ロッソにとっては等しく研究の対象であった。ただ己の知識欲を満たすために、それだけのために今まで行動を起こしていた。
 
レオンが運んできた装置ー―擬似的な渦を作り出す装置――を設置し、起動させる。
三角錐に組まれたボールの内側で、様々な世界が不思議な光を纏いながら映っては消えていく。
この装置はマルグリッドを通じてラームが作り上げたものだ。
《渦》の無くなったこの世界からリンボへ戻るためには、この装置が不可欠であった。
ジェッドを左腕で引き摺りながら装置の中へと進んでいく。
思った以上に重いジェッドに辟易し始めた頃、ふと左腕が軽くなった。
「小僧、足掻いても無駄だ!」
ジェッドの方を振り返ったロッソの視界に、銀色の煌めきがよぎった。
その煌めきの中に見えたのは、残された力を振り絞って剣を投げたアベルの目と、そして鮮血を噴出しながら飛ぶ己の左腕だった。
「馬鹿な……。成功した筈、だ……」
アベルの投げた剣は、ジェッドを守るようにロッソの前に突き立っていた。
失血によってふらついたロッソの胸元から、ケイオシウムコアを納めた小箱が装置の中に転がり落ちる。ロッソは必死になってその小箱に噛み付こうと、装置の中へと倒れ込んだ。コアが自分から離れれば何が起きるかわからない。
 
視界が揺らぐと、ロッソは真っ暗な何も無い空間に放り出されていた。
身体の感覚は殆ど感じられなかったが、小箱を噛み締めている感覚だけは確かにあった。
口の力を抜くと、小箱が目の前に現れた。『開け』と念じると小箱は開き、中ならケイオシウムの結晶が現れた。
「こんな結末など認めんぞ!」
ロッソの怒りに呼応するようにケイオシウムの結晶が輝く。しかし、結晶は輝いただけで、ロッソの意志に応えることはなかった。
このコアを利用して、ロッソは自分だけが選ばれた未来を選択しようとした。だが、コアはただ輝くだけだった。
結晶の中で様々な世界が揺らめいては消えていく。結晶は段々と輝きを増していき、ロッソの意識を白く焼いた。


「見つけた」
白に染まる世界で、女の声がロッソの頭上から聞こえてきた。
「なんだ、貴様」
黒いドレス姿の女がそこにいた。白い世界にただ一点だけ存在する黒は、ロッソの目に鮮烈に映る。
「お前の因果は、聖なる騎士と御使いの力によって正される」
ロッソの目の前で、ケイオシウムの結晶が砕け散った。
「事象は収束し、お前の因果はこれで終わる」
もう一つの声が聞こえた。ロッソが背後と認識する場所に、同じ黒い服を着た女がいた。
「認めん……。認めんぞ、そのような……」
忌々しげに呟くロッソの目に、アベルと対峙したあの空が映った。
憎らしい程良く晴れた空。その青さが、ロッソの意識の全てを塗り潰していく。
 
人気の無い通りに、ロッソは立っていた。
 
「―了―」