幽玄の艶衣

Last-modified: 2018-09-22 (土) 11:55:10

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「冷たい思い出」

導き手の示すままに踏み入れた土地は、暑さと湿った空気が支配していた。
暑さに負けじと進む中、ひらりと赤い衣ようなものが空を舞う。
「あれ、なんだろう?」
最初にそれに気がついたのは先頭を歩いていたヴォランドだった。
「赤い……」
「布?いや、違うな」
ヴォランドの視線の方向をイヴリンとラウルが追う。
彼らの視線が捉えたのは、丸い体躯の空飛ぶ魚だった。背には女性型の魔物が乗っている。
何より特徴的なのはその尾ひれ。尾ひれがドレスの裾のようにひらひらと優雅に広がり舞っていて、その様子はとても幻想的だ。
 
「きれい……」
「まって、何か……」
尾びれが舞ったその後ろに何かが揺らめく。一つ、二つ。最終的に三つの揺らめきが表れた。
最初は揺らめく光のようなものだったが、ヴォランドたちに近づくにつれ、正体がはっきりとしていく。
「鬼火だ!」
ラウルが警戒するように声を上げる。
その言葉に、ヴォランドは戦闘態勢にはいり、ラウルとイヴリンは導き手を守るように一歩後ろへと下がった。
 
ヴォランドとセレスシャルの連携により、鬼火の群れはあっさりと倒された。
「よし。これで大丈夫かな」
危なげなく鬼火を倒したヴォランドは三人を振り返る。
「いや、まだだ」
「ラウルさん?敵はもう倒したよ?」
「見ろ」
「さっきの魚、まだいるのね……」
イヴリンとラウルの言葉に、ヴォランドは二人の視線を追う。
先ほどの魚がやや遠くに見える。ゆったりと旋回しながらつかず離れずの距離を保っている姿は、まるでヴォランドたちの行動を監視しているようにも見えた。
「どうする、お嬢さん」
ラウルは導き手に尋ねる。今回の探索は年長者のラウルが自然とまとめ役になっているが、どのように行動するか判断を下すのは導き手だ。
「あれは、試練です。倒しましょう」
今までだんまりだった導き手が、ラウルの問いかけに静かに答える。
「追うしかなさそうだね」
「ああ。二人ともいけるな」
こうして三人はあの空中を泳ぐように浮遊する魚を追うこととなった。
 
道中はいつも探索しているのとさほど変わらず、魔物がヴォランドたちを襲う回数もそれほど多くはない。
だが、行く手を阻む魔物たちの後ろでは、赤い尾をひらめかせる魚と女性型の魔物がじっとヴォランドたちを見ている様子は、気味の悪いものがある。
しばらく魚の後を追うように進み、布のような魔物を倒したところで、ラウルから声がかかった。
「少し休憩したほうがいいな。自分はあの魚を見張っているから、二人はお嬢さんと一緒にいてくれ」
ラウルは二人と導き手に言い、領いたのを確認すると、ヴォランドたちを空を旋回する魚が視界に入らない場所に誘導する。
二人と導き手が思い思いに座ったのを確認すると、ラウルは一人あの魚が見えるところへ向かった。
 
静かな時間が訪れた。
濁った橙色の草がゆれ、これまた濁った紫色の雲が水面のように煌く空を過ぎるという、いつまでも見慣れない光景が広がっている以外は。
「ねえ、イヴリン、覚えてる?」
休憩の最中、ヴォランドはふと思い立ちイヴリンに話しかけた。
「何を、かしら……?」
「あの時も、こんな風に暑いときだったんだよ」
首を小さくかしげるイヴリンに、ヴォランドは語り始める。
 
その日は、暑い日だった。他の土地に比べて、寒暖の差がさほど激しくないローゼンブルグだが、この日ばかりは夜の街を昼間に溜め込んだ熱が包んでいた。
ヴォランドはその日も犯罪組織の一つを壊滅させ、家に帰っている最中であった。
「あ!セレスシャル、降りよう!」
通りかかった公園に、見知った少女を見つけたヴォランドはセレスシャルに命令し、公園に降り立つ。
ベンチに座っていたのは、ここでよく出会う少女イヴリンだった。
「やあ、イヴリン」
「こんばんは……」
イヴリンはぼんやりとヴォランドを見やる。
いつもこんな様子のイヴリンだが、今日は暑いせいか特にその傾向が強いような気がした。
「大丈夫?」
「平気。いつものことだもの」
そうは言われたものの、心なしか息も上がっているような。このまま放っておけば暑さで倒れてしまうのではないか。そんな気がした。
なんとかしたい。少しでもこの暑さを忘れさせてあげたいとヴォランドは考える。
考えるうちに、繁華街をすり抜けた際に繁華街の隅で店を開けたままにしているアイス屋があったのを思い出す。
「そうだ、ちょっと待ってて!」
「あ……」
夜も更けてだいぶ経つが、仕事を終えこれから帰宅するであろう中層の労働者に向けてまだ営業しているアイス屋を訪れる。
 
ヴォランドはセレスシャルをつかって身長や容姿をごまかし、夜遊びする素行不良の少年のふりをしてコーンアイスを二つ購入する。
「ボウズ、夜遊びもほどほどにな!」
「わかってるさ!」
アイス屋のお節介を背に、ヴォランドは公園に急いで戻る。
イヴリンは気まぐれなところがあり早く戻らないとどこかへ行ってしまう可能性が高かったのだ。
 
公園に戻ると、イヴリンは最初と同じようにぼんやりと空を見つめていた。
待っていてくれたのか、動く気力がなかったのかは分からないが、そこにいてくれたこと自体にヴォランドはほっとする。
「お待たせ!」
「これは……?」
「アイスだよ。一緒に食べよう?」
イヴリンは目の前に差し出されたコーンアイスを見つめると、おずおずと受け取った。
そして、ヴォランドから受け取ったアイスを一口。
「……おいしい」
彼女の表情に変化が現れる。いつもはぼんやりと表情も変えずにいたのが、わずかではあるが微笑んだのだ。
それを見てヴォランドも自分のアイスを食べる。冷たい甘さが暑さを忘れさせてくれる気がした。
「うん、おいしい」
真夜中の公園に、年端もいかない少年と少女が二人きり。見知らぬ大人に見つかったらどうしよう。
そんなちょっとしたドキドキ感があった。
 
「ってことがあったんだよ。といっても、ボクも最近思い出したんだけどね」
「あのアイスは、冷たくておいしかった」
イヴリンはあの時と同じようにわずかに微笑むとゆっくりと領いた。
「また、アイス食べたいね」
「ええ。でも、不思議……」
イヴリンはそういって、遠くの空を見上げる。空を見るイヴリンの目は酷く虚ろだ。
「何が?」
「だって、私の夢の中のお話なのに、なんであなたはそれを知っているの?」
「違う。違うよ、イヴリン。きっと君はちゃんと思い出してないんだ、だから夢と間違えてるんだよ!」
イヴリンの言葉にヴォランドはかぶせるように否定した。
ヴォランドはあの時のことをはっきりと思い出している。夢なんかではないことは、ヴォランド自身が一番よく分かっているのだ。
「分からないわ……」
「だって、君の夢だったらボクが覚えているはずがないじゃないか」
ヴォランドは必死だった。二人の思い出を夢の一言で終わらせるのは、あまりにも悲しすぎた。
「……そう、よね」
「そうだよ!」
その言葉に、イヴリンは少し考えて領いた。まだ納得はしきれていないのか、困惑ともとれる曖昧な表情をしていたが。
それでも、夢ではないと思いなおしてくれたことがヴォランドは嬉しかった。
「みんな、そろそろ休憩は終わりだ。あの魚がこっちに向かってくる」
魚の見張りをしていたラウルが戻ってきた。
彼の言うとおり、あの魚がヴォランドたちの方へと優雅に舞いながら近づいてくる。
「よし、ボク頑張るよ!」
ヴォランドは勢い良く立ち上がる。イヴリンと思い出が共有できたことが、彼に英気を与えていた。
「随分やる気だな。何かあったか?」
その様子に、ラウルは首をかしげイヴリンに問う。
「……内緒」
ラウルの疑問に、イヴリンは一言だけ言って微笑んだ。

「―了―」