春の丘丘人

Last-modified: 2018-09-07 (金) 14:31:17

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「異境の道」

奇怪な侏儒の王を葬った後、周りの景色を眺めてシェリは眩いた。
「ここには何も無いのね」
丘王は自分の部族を連れて徘徊していた。この街道の一角で出会い、奴らを斃した。
「どこかの普通の街道に見えるけど、村人を見掛けることなんて無いわ」
人形の少女に話し掛けているが、最初から反応を期待していない調子だ。
「村や街でも、誰も見掛けなかった。まるで舞台の装置みたい。人々の痕跡はあるのに、実際に生活している人がいないわ」
人形は無言だ。代わりに、同行していたメレンが答える。
「ここにも生きている人はいます。いや、いた、と言うべきなのかな」
「どういう意味?」
「ここは聖女様の思い出の世界です。聖女様は偉大な力によってここを作り上げられた。一からね」
「まるで神様ね」
「そう、ここの創造主は聖女様です。その想いによって全てを作り上げられたのです」
「寂しくて悲しい世界ね。こんなところばかりで」
溜息をつくようにシェリは言った。街道にある行き先を示す小さな看板も、馬車が作った轍も、人々が日々を生きていた名残だが、自分達しかいないこの場所では、寂寥感だけを湛えていた。
 
ロブがシェリの足下から離れ、街道の脇を必死に掘り始めていた。獲物を埋めるのだ。
「いつまでここにいればいいの?わたし達」
「記憶をすべて取り戻すまでです」
メレンは快活に言い切った。
記憶、確かに過去の様々な事が思い出せずにいた。ここに来る直前に何が起こったのかさえ。
「ここに来た理由は、皆それぞれ異なります。その時点の記憶をすべて取り戻すことができれば、あなたは地上へ戻ることができるでしょう」
「ふうん、あなたはなんでも知っているのね」
少し皮肉な調子でメレンに語る。
「いいえ、私はすべてを知っているわけではありません。私自身、多くの記憶を失っています。だからこうして、あなた達と共に戦っているのです」
「そうなんだ。あなたにも思い出すべき過去があるんだ」
「ええ。ある……はずです」
「おもしろい。いろんな事を知っているのに、自分の事はわからないのね」
「まったく。カードの使い方や戦い方は、はっきりと覚えています。聖女様がどんな方であるのかも。でも、自分の事は欠けています」
メレンはカードを目の前で素早く出して見せた。まるでマジックのように。
「しかし、聖女様も失ったものを取り戻そうとしておられるのです。それを取り戻すためにこの星幽界をお創りになり、戦士達を呼び寄せたのです」
「失ったもの?」
「肉体を失い、自分を失っておられます。戦士と共に蘇るのをお待ちです」
ロブが獲物を隠し終わり、シェリの足下に戻ってきた。この子も昔は生身の犬だった。そして犬だったころの習慣だけは忘れていない。それが必要の無いものであっても。
「すべては失うことから始まったのです。満ちている場所に動きはありません。欠けたからこそ我々は進むのです」
足下にまとわりつくようにしていたロブを、シェリは抱き上げた。人形となったロブにも、飢えという感情を思い出すことがあるのだろうか。
「あなたにとって、聖女ってなんなの?」
「主人です。そうとしかお答えできませんね」
「それだけは覚えているの?」
「確信だけが残っているのです。これは私だけでない、アコライト全員が思っているはずですよ」
「変な話ね」
「たしかに。我々は誰も自分自身の事をよく知らない。我々を導いているこの小さな女の子も、何もわかっていない」
シェリは自分を連れて回る人形を見つめなおした。その瞳から何かしら感情らしきものを探り出そうとしたが、そこにあるのは無垢ゆえの『美』だけだった。
「それでも、戦わなければならない?」
あらためて、シェリはメレンに問う。
「ええ」
「まあ、ここまで来たら、最後まで付き合うしか選択肢は無いわね」
少し自嘲気味に首を竦めてシェリは言った。
「さあ、次はどこに行けばいいの?」
人形に問いかけた。
そして、誰もいない街道に流れる風を受けたシェリの髪が、大きく膨らんだ。
「―了―」