朱炎の追憶(ビアギッテ)

Last-modified: 2018-09-08 (土) 00:41:25

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「海辺の追想」

淡く暗い青色の波が打ち寄せる浜辺を、ビアギッテと導き手、そしてリンナエウスが歩いていた。
「一体いつまで暑いのが続くのかしら。これだったら山を登っていたほうが幾分かよかったわ」
一向に和らぐ気配を見せない暑さに、ビアギッテは溜息を吐いた。
山か海辺かの二択を迫られた際、海辺を進むことを選んだのはビアギッテだった。
その時は、真夏のような気温の下を歩くことになるとは、ビアギッテ自身も思っていなかった。
「水着でも持ってくればよかったかしら?ねえ、リンナエウス、あなたのマイクロマシンで何とかならない?」
「君は私のマイクロマシンを何でもできる便利な道具と思っていないかい?」
同行者であるリンナエウスに名案とばかりに言ったものの、呆れたように返されてしまった。
「あら、違うの?蜘蛛っぽい機械は糸を出しているじゃない。それを応用できないかしら」
「あれは元々、皮膚欠損創を覆うために皮膜の役割を果たすものだからねぇ。君の望むようなことはできないかなぁ」
「残念だわ」
にべもなく言い切られてしまった。
諦めたビアギッテは浜辺の方へ向かうと、靴を脱いで足を海に曝す。
「水は冷たいわね。少しは気持ちいいかしら」
水面はぎらつく白い光を反射して煌めいていた。
空を見上げれば、様々な色が混じった淡い空模様が広がっていた。白く輝く太陽の日差しだけが、真夏の様相を呈していた。
「辛気臭い空の色ね……」
夏の空といえば、もっと鮮やかな青だったはずだ。ビアギッテはかつて訪れた浜辺の事を思い出していた。
ビアギッテは、障壁により安全が保たれている帝國貴族御用達の浜辺を訪れていた。良く晴れた青空に白い雲の空模様は、時節が夏真っ盛りであることを示している。
夏の日差しは浜辺を容赦なく熱していたが、日傘の下にいればさほど影響はない。
最後に来たのはいつだったか忘れたが、海水は当時よりも濁っているように見えた。
「人が増えたってことかしらね」
とはいうものの、ビアギッテ自身は騒がしいのは嫌いではなかった。
現在のビアギッテの立場上、他者との関わりは利那的なものにせざるを得なかったが、それでも、俗世に関わって生きていくのは楽しかった。
クーンの用意したビーチチェアに身体を預けてバカンスめいた事をするのも、人生を楽しむためのスパイスである。
海の色に似たカクテルに舌鼓を打ちながら浜辺で遊ぶ人々の様子を眺めていると、一人の幼い少年がボールを追いかけて走っているのが目に入った。
少年が通り過ぎるのを眺めていると、その少年が砂浜に足を取られて盛大に転んでしまった。ボールがビアギッテの方へ転がってくる。
「あら、ぼうや。 大丈夫?」
「このくらいへいきだよ!」
ビアギッテはボールを拾うと少年に差し出した。
「そう?誰か大人の人はいないの?こっちの方は大人しかいないから、一人だと危ないわよ」
「おじい様ならあっちにいるけど、あんまり動けないんだもん」
そういって少年は拗ねたような顔をした。老人にこの暑さは厳しいだろう。腕白すぎる少年に付いていけなくなってしまった可能性が高い。
「だからって、おじい様と離れてしまってはダメよ。私が送ってあげるから、戻りましょう」
「ええー」
不満そうな少年に、ビアギッテはあることを思いついた。
「じゃあ、お姉さんと遊ぶ?」
「え、いいの!?」
少年の顔が輝く。よほど遊び相手がいなくてつまらなかったのだろうか。
そこに、季節のフルーツを調達してきたクーンが戻ってきた。
「なんです、この美しくない子供は!おいお前、ビアギッテ様の邪魔をするんじゃない!」
ビアギッテの傍で照れくさそうに笑っていた少年を見たクーンは、虫でも払うかのような仕草で少年を追い払おうとする。
「クーン、よしなさい」
「ですがビアギッテ様……」
何か言いたげなクーンを冷たい視線一つで黙らせる。
「何か問題でもある?ちょっとこの子の相手をするだけよ」
「わかりました、私はここで控えていますので。何かあればお申し付けください」
「よろしくね」
ビアギッテは少しの間だけ少年と遊び、保護者の下へ送り返した。
ただの気まぐれなのだ。幼い少年のひと夏の思い出に残るのも悪くないだろう。ただそう思っただけのことだった。
どうせ次にこの場所に来ることがあっても、それはしばらく先の話になる。
まあ、その機会が来る前に、こんな訳のわからない世界に来てしまったけれど。
 
「置いて行っちゃうよぉ」
リンナエウスに呼ばれ、ビアギッテははっと我に返った。
ぼんやりしすぎてしまったようだ。
「すぐに追いつくわ」
過ぎ去った日々に興味はなかったが、思い出は思い出である。
あの突き抜けるような青い空の色や、少年の嬉しそうな顔くらいは覚えておいていいのかもしれない。 濡れた足を適当に拭き、靴を履きなおすと、ビアギッテは導き手とリンナエウスのいる方に向かった。

「―了―」