基本スペック
駆動方式[FR]/ミッション[5速] 1969年発売
初期馬力[160ps]/カーナンバー:19-89
全長:4,235 - 4,430mm
全幅:1,595mm
全高:1,390 - 1,405mm
最高速度:350km/h
モード別カテゴリー | 称号 |
ST無敗 | 【首都高無敗】 |
夏休み称号 | 【伝説のR使い】 |
ワンメイクバトル | 【ハコスカキング】 |
エンジン形式バトル | 【直6選手権】 |
期間限定首都一TA・1 | 【伝説のR】 |
期間限定首都一TA・2 | 【俺のR】 |
備考:通称「ハコスカ」。現在まで生産されている日産「GT-R」の御先祖様。
GT-R勢の中ではSKYLINE GT-R (BNR32)よりも車体がコンパクトなので擦り抜けや回避もやり易い。全幅に至ってはCosmo SPORTS (L10B)やSAVANNA GT (S124A)と同じく全車種中第2位の狭さ。
しかし湾岸マキシに登場するGT-R勢では6Rから追加された「ケンメリ」ことSKYLINE 2000GT-R(KPGC110)と共にFR車である為、加速は劣る。総合的に考えるとケンメリよりこちらの方がおすすめ。
またコーナリング時にテールが流れ易く、若干オーバー気味な挙動を示す傾向にある。 コーナリングスピードもかなり速度が落ち、立ち上がりにおいても不利。突っつかれた時にバウンドする謎の挙動をするので守る事が難しめ。ただそれを活かせば強いので対戦強者の人が使うと化ける。
幸いにもマキシ5からはコーナー脱出時のトラクションが向上し、脱出速度が改善した反面、フロントの接触判定がかなりシビアになった。
さらにかつて最強クラスと言われた対接触性能は平均以下に弱体化。
しかし、5DX+にて再び強化されたという情報がある(要検証)。
そのため、意外と難易度が高い上級者向けの車種と言える。小さな車体を活かした走りが求められる。
前述の通り扱いやすいクルマではないが、実車が輝かしい経歴を持っていることもあってか旧車の中でもこのクルマは知っているという人も多く、使用者は少なくない。
選択可能カラー
スカイラインレッド |
スカイラインシルバー メタリック |
スカイラインホワイト |
スカイラインブラウン |
更新回数及び追加カラー
1 | ブルー | 21 | レッド |
---|---|---|---|
2 | イエロー メタリック | 22 | ライトシルバー |
3 | グリーン メタリック | 23 | ホワイト |
4 | ダークパープル メタリック | 24 | ブラウン |
5 | コーラル | 25 | ピンク2 |
6 | ワインレッド | 26 | ダークオレンジ |
7 | ゴールド メタリック | 27 | ベージュ メタリック3 |
8 | ピンク メタリック | 28 | ペールグリーン2 |
9 | フロッググリーン | 29 | オリーブ メタリック |
10 | ブラック | 30 | ダークグリーン2 |
11 | ペールピンク | 31 | ライトイエロー |
12 | ペールブルー メタリック | 32 | スカイブルー |
13 | グリーン3 メタリック | 33 | ダークグレー2 |
14 | ガンメタル | 34 | ダークピンク |
15 | ライトパープル メタリック | 35 | グリーン4 メタリック |
16 | オリーブ | 36 | オレンジ |
17 | パープルブルー | 37 | ライトブルー |
18 | オレンジ メタリック | 38 | ライムグリーン |
19 | イエローグリーン メタリック | 39 | クロームシルバー |
20 | パープルシルバー | 40 | ライトブラウン メタリック |
エアロパーツセット
A:往年のワークスレーシングカーのオマージュ。
ライトカバーの色は、ワークスステッカーを貼るとラインの色に合わせて変わったので、車種別ウィングAを付けてワークスステッカーを貼ると、往年のレースカー風に出来た。6ではワークスステッカーがないため細かい再現は不可能。
B:下回りの張りだしを強調し、やたらデカいフロントスポイラー、通称"出っ歯"が付く族車仕様。
内側のヘッドライトは外されている。
4ではリアのメッキバンパーがなくなっていたが、アップデート後は戻っている。
C:'70年代のマッスルカーを髣髴とさせる。見た感じダッジ・チャレンジャーに似ている。
リアウィングは、プリムス・スーパーバードの純正ウィングに似ている。
D:シルエットフォーミュラのような大幅に張り出したフェンダーが特徴。
リアウィングはトランクを囲むような形。ヘッドライトは角目に。
E:ハコスカ定番のチンスポイラーとフロントのオーバーフェンダーが付く。
純正でウィングレス。リアのオーバーフェンダーはボディ同色になり、マフラーは1本出しになる。
F:「街道レーサー」仕様。エアロA譲りのオーバーフェンダーにツリ目ヘッドライト。
テールランプは当時流行ったテールランプ交換がなされており、同社のフェアレディZ Z32に似ている。
G:フェンダーの張り出しの形状はエアロDとやや似ている。
H:角目ライトに開口部の大きいフロント、ディフューザーやリアバンパーのテールランプなど現行風なエアロ。
ウイングはR33の車種別Bに似ている。
I:コスモスポーツのエアロセットI同様、シンプルなスプリッター&ディフューザー付き仕様。
J:日産・IDx NISMOコンセプト風エアロ。オーバーフェンダーが付く。
K:BMW・3.5CSL風エアロ。ワイドボディ化される。
ダクト付ボンネット
A:R35チックのNACAダクトが2つ開けられる。ボンネットピン付き。
カーボンボンネット(ダクト付)1:
B:見比べないと分からないが、ヘッドライトのラインからボンネットの角に向けてわずかに盛り上がっている。
C:
D:前寄りにR34のニスモ製ボンネットのダクトを小さくしたようなものがつく。
カーボンボンネット(ダクト付き)2:
カーボンボンネット(ダクト付き)3:
車種別ウィング
A:純正オプションの通称"板ッパネ"。エアロA・Eのお供に。
B:エボ7のスポイラーに似た形状。
C:エボIIIの車種別Aに似ている。
エアロミラー
ラリーカータイプの固定式ミニ ミラー。
カーボントランク
ワークスステッカー
1971年の日本グランプリ仕様のゼッケン付きワークスストライプが付く。
ラインカラーとゼッケンの組み合わせは色ごとに固定されている。
ちなみにラインカラーは実際のワークス仕様・プライベーター仕様ですべて存在した色であるが、当時の日産のワークスはボディカラーが白(アイボリー)にラインがレッド・グリーン・ブルーの3台のため、ワークスと同じ組み合わせはスカイラインホワイト/赤ラインのみとなる。
とはいっても、フロントスポイラーとリアスポイラーがラインカラーにならないため、完全なワークスカラー再現は不可能。
ボディカラー | ラインカラー | ゼッケン |
スカイラインレッド | ブルー | 21 |
スカイラインシルバーメタリック | レッド | 23 |
スカイラインホワイト | レッド | 23 |
スカイラインブラウン | ブルー | 21 |
ブルー | イエロー | 5 |
イエロー・メタリック | グリーン | 38 |
グリーン・メタリック | レッド | 23 |
ダークパープル・メタリック | ブルー | 21 |
コーラル | ブルー | 21 |
ワインレッド | レッド | 23 |
ゴールド・メタリック | レッド | 23 |
ピンク・メタリック | イエロー | 5 |
フロッグ・グリーン | グリーン | 38 |
ブラック | ブルー | 21 |
サイドステッカー
ドアに斜めに貼られる。
雑記
- ストーリーにはこのクルマは登場しないが、原作では大阪のマフラー職人「シゲ」のかつての愛車であった事が富永達の回想シーンとともに描かれている。
- また楠みちはる氏が湾岸ミッドナイト以前に連載していた作品「シャコタン☆ブギ」の主要登場人物であるジュンちゃんこと野村純一もハコスカを愛車にしていた。*1
ボディカラーをスカイラインシルバーメタリックかペールブルーメタリックに設定し、エアロセットA・FRPボンネットB・車種専用ウイングA・エアロミラー・RSワタナベのEIGHT SPOKEホイールを装着すると、ジュンちゃん仕様に近付けるコトが出来る。
- また楠みちはる氏が湾岸ミッドナイト以前に連載していた作品「シャコタン☆ブギ」の主要登場人物であるジュンちゃんこと野村純一もハコスカを愛車にしていた。*1
- 湾岸マキシに収録されたモデルは左リヤの「5SPEED」のエンブレムが無くメーターの針の色がオレンジの為、70年8月から71年10月まで発売されたモデル(71モデル)だと思われる。
余談だが、72年式の最終生産ロットの5台は生産ラインから外され、職人の手締めでボルトを組んでいたという伝説がある。
- ロールケージが他車種と違い真ん中に補強バーが一本入る形になり、この補強バーはボディカラーに影響されず白色に固定される。
また、3人称視点の場合の視点の距離が他車種より近い。*2
- 湾岸マキシでは車名が「SKYLINE GTーR」となっているが、正しくは「SKYLINE HT 2000GT-R」である。ドリフトスピリッツではSKYLINE 2000GT-R表記になっている。なお、ケンメリRはSKYLINE 2000GT-R表記である。
- 内装を見ると助手席は無いが別のゲームやプラモデル、実車では助手席もある。
実車について
- 正式な車名は「SKYLINE HT 2000GT-R」。湾岸マキシでの車名は、本来1969/2~70/8まで製造された4枚ドアの前期GT-R(PGC10)を指す。
- 先代のS54B型スカイラインGTーBの継続車が姿を表したのは、1968年10月に東京モーターショーで発表された「スカイラインGTレーシング仕様(R380エンジン搭載車)」である。
フロントグリルにある2000GTのエンブレムが赤色になり、S54Bから受け継がれた赤いGTエンブレムも継承した。
ただホイールキャップが付いてたり、Rカットされたリヤフェンダーには何故かメッキモールがあった。
フェンダーミラーも通常の2000GTと変わらない形状で、S54Bよりもちょっと豪華になっていた。
- 先代のS54B型スカイラインGTーBの継続車が姿を表したのは、1968年10月に東京モーターショーで発表された「スカイラインGTレーシング仕様(R380エンジン搭載車)」である。
- 本作品に登場している車の中では本車とケンメリGT-Rはソレックスキャブレターが標準で装着されているクルマで、このクルマがデビューした1970年代前半、当時の高性能スポーツカーの多くはソレックスキャブレターが搭載されていた。*3
それに加えて競技志向のオプションパーツが豊富で、アルミ製の鍛造ピストンやスポーツマフラー、オイルクーラー、アルミ製オイルパンなどが用意されていたが、そのオプションには標準グレードのGTに標準装備されているラジオ・ヒーター・熱線プリントリヤウィンドウ・助手席のシートベルトも含まれていた。面白い話だが、あるオーナーが購入する時、「カタログと同じ仕様で」と頼んだら本当にカタログの仕様のまま納車したという話がある。
ただ、72年モデルから板っぱねとリヤスタビライザーはオプションから外された。- 当時の購入客は高級車と思っていたらしく、みんなラジオとヒーターは付けたらしい。理由は160万円という当時としてはかなり高い値段設定(当時の大卒初任給が5万円前後)の為であろう。
その為、素の状態の個体はかなり貴重だという。状態のいい個体は中古車価格が5,000万円を越える*4とか。
- 当時の購入客は高級車と思っていたらしく、みんなラジオとヒーターは付けたらしい。理由は160万円という当時としてはかなり高い値段設定(当時の大卒初任給が5万円前後)の為であろう。
- 小さなボディからは想像しにくいかもしれないが、ガソリンタンクは100Lという大容量。これは長距離走行を前提としていたからである。なお、ケンメリにモデルチェンジした時は55Lに縮小されている。
- また同車の搭載エンジンであるS20型エンジンは、プロトタイプ・レーシングカーのR380に搭載されていたGR8型エンジンをベースにして量産自動車向けにデチューンした物であるが、レースではエンジンの振動に耐えられずミッションケース等が割れたり、クラック(亀裂)が入ったりといったトラブルがよくあった。
- このS20型は当時、フェラーリですら2バルブを採用していた時代に4バルブを採用し、当時としても異例の工作精度で組まれていたと言う。
ベースとなったGR8型・そしてS20型を設計した中川良一氏は、プリンス自動車に入る前は世界有数の航空機メーカーであった「中島飛行機」で栄エンジンの改良型である『栄二一』*5、栄エンジンの発展版である『誉』エンジン*6を設計した過去を持つ。
旧プリンス自動車は同氏の他にもかつて第二次世界大戦で飛行機を作っていた飛行機屋が多数在籍していた*7こともあり、自動車よりさらに精密さが求められる飛行機用エンジンの設計理念を持ち込み高い精度で組まれたS20型エンジンはレースでも大暴れし、最終的にワークス仕様は2Lのまま264ps/8400rpmという現代の基準で見ても戦闘力の高いエンジンが完成したと言われている。
GR8型・S20型の設計は後に登場するFJ型エンジン*8の設計にも色濃く影響を残した。
- 70年代のレースでハコスカGT-Rは高橋国光選手*9を始めとする優れた選手の手により破竹の進撃を続け、49連勝を記録するなどレース界で大暴れしていた。
その活躍ぶりは、「GT-Rは勝って当たり前。負けたらニュースになる。」とまで言われる程だった。- …と聞こえはいいがこのハコスカ49連勝の中には八百長疑惑のかかったレースも少なからず存在する。
特に言われるのが「ニッサン・サンデーレース」と「ニッサン・オールスターレース」のふたつ。どちらもニッサンの名前から見てわかる通り日産が開催したレースである。「ニッサン・サンデーレース」ではブルーバードかスカイラインしかいない状況が発生し、挙句「ニッサン・オールスターレース」ではフェアレディかスカイラインの二択かスカイラインというカテゴリが存在した等まるで公式八百長と言わんばかりの事をやっている。
また、この連勝という言葉自体にも時折ツッコミが入ることがあり、総合5位で終わったレースでも「クラス1位」を獲得していたら連勝記録に数えていたという。このため当時の他メーカーファンからある種GT-Rは嫌われており、プリンス時代からのファンも一部ではアンチとなったとまで言われている。 - しかしある日、あと1勝で50連勝となる所で後の永遠のライバルとなるSAVANNA GT (S124A)に優勝をさらわれてしまった。
これにより、前人未到の50連勝は夢と消え、GT-Rの無敗神話は崩壊し、おまけに初黒星を刻まれるなど、GT-Rにとって、まさに散々な敗北となってしまった。
そしてこの瞬間、現代まで続くロータリーvsGT-R(スカイライン)という因縁の関係が生まれたのだった。*10 - 今でこそ「ロータリーはコーナリング、(スカイライン)GTーRはパワーで優れている」と言われるが当時は完全に逆だった。富士スピードウェイでも、ストレートでRXー3がハコスカを追い抜き、コーナーでハコスカがRXー3を捲るという光景が見られた。
- そして時は流れ、1971年10月10日の富士マスターズ250キロがワークスGT-Rのラストレースとなった。GT-R勢はワークス2台とプライベーター4台の計6台。
対するマツダのロータリー勢はワークス8台とプライベーター3台の計11台での出場だった為に、日産チームではこのレースに出るのはやめようという意見が多かった。マツダオート東京チームをはじめとしたロータリー勢が戦闘力と勢いを増していたことに加えてハコスカはモデル末期であり、さらには当時の排ガス規制もあった上、GT-Rもギリギリまで改造していた故にこれ以上の戦闘力向上が見込めない為に、GT-Rは最早殆ど勝ち目が無かった。
…のだが、古平メカニックから「もう1回だけやらせてくれ」と熱烈な要望が出たためこのレースに出場することとなった。
結果はマツダのカペラ・ロータリーが優勝。一方のワークスGT-Rはというと、#15の黒沢元治選手はS字で#30の武智選手が駆るサバンナに追突されリタイア。 - ちなみに余談ではあるが、当時の日本グランプリに出場していたワークスマシンは追浜・大森の日産ワークスが撤退した後にことごとく廃棄された*11が、当時サーキットを走っていたプライベーターのマシンが1台現存している。
この個体はハコスカの勝利記録である全57勝のうち、2勝を記録したセミワークス正谷栄邦号そのもので大変貴重なものである。1971年5月16日に富士フレッシュマン第3戦で優勝。1973年7月28日に全日本富士1000キロでクラス優勝(総合5位)という成績を残している。
レース後、その個体は複数のオーナーを経て現オーナーの手に渡った後に、フルレストアとエンジン制御システムの変更等一部改良が施され今なお走行可能だそうで、イベントなどでも元気に走行している。
- …と聞こえはいいがこのハコスカ49連勝の中には八百長疑惑のかかったレースも少なからず存在する。
- R32以降のGT-Rや現代車はキーをひねるだけで280PSやそれ以上のパワーを発揮してくれるが、先代にあたるハコスカやケンメリGT-Rは頑固で一筋縄では160PSを発揮してくれなかった。ハコスカだけに限らず、ソレックスキャブレターには「儀式」があり、当時は「一般人にはエンジンすらかけられない」と言われていた。
例えばハコスカGT-Rだと・・・- 初めにキーを差し込んで1段ひねって電磁ポンプの音(コッコッという音がする)を確かめる。
- アクセルペダルを2、3回踏み込んでキャブレターに燃料を送る。
- そしてアクセルペダルを1/4踏み込みながらスターターをまわす。
- ミスったらエンジンが掛からない。(場合によってはプラグがカブッてしまう)
- …と言った様なものである。ここが第1世代GT-Rと第2世代以降のGT-Rとの一番の違いかもしれない。
- ハコスカやその次代モデルであるSKYLINE 2000GT-R(KPGC110)が現役だった当時は改造車に対する規制が厳しく、オーバーフェンダーが装着されたGT-Rは街中を走行しただけで警察に止められた。
なので、オーナーはトランクやグローブボックスにカタログを入れておき、止められると「メーカーがやっているんだ。俺は悪くねえ」という問答をやりあっていたらしい。
板っぱねも同様、粗悪な社外製品が強度不足で走行中に取れる被害があったので、見つかったら即止められていたそう。純正OPで着けてたオーナーは、板っぱねの裏にある「SKYLINE」の彫り文字を見せるとニッサン純正と認められおとがめ無しだった。