車両の正式名称は「HMH: Huntsman Centurion」ですが、ページ名に「:」(半角コロン)が使用できないため、ページ名を「HMH: Huntsman Centurion」にしています。
Tier 8 イギリス中戦車(課金戦車)
スペック
車体
HP | 1,450 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 76/51/38 |
最高速度(km/h) | 50 |
重量/最大積載量(t) | 44.96/48 |
本体価格(ゴールド) | 9,900 |
修理費(シルバー) |
パッケージ
詳細
パッケージ名 | エンジン | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
HMH: Huntsman Centurion | Rolls-Royce Meteor Mk. IVB | OQF 20-pdr Gun Type A Barrel | Centurion Mk. III | Centurion Mk. III | 1,450 | SR C45 | |||||||
650 | AP APCR HE | 226 258 42 | 230 230 280 | 65 | 『弾代1』 『弾代2』 『弾代3』 | 7.50 2.30 0.33 | 38 | 152/89/89 | 36 | 400 | 750 |
解説
某掲示板によると、ヨルダン軍のセンチュリオンがモチーフではないかとのこと。
史実
第一次中東戦争勃発と同時に、アラブ最強を謳われるヨルダン軍は、パレスチナに全面侵攻を開始します。
イスラエル軍の抵抗を排除して東エルサレムを含むヨルダン川西岸を占領しました、 イスラエル軍は反撃を試みましたが、装備、練度ともに大きく劣るため失敗、ヨルダンは事実上の戦勝国となったのでした。
この時、ヨルダン軍の総指揮をとっていたのは英国軍人グラブ中将で、ヨルダン軍を訓練したのも、英国の軍事顧問団で、兵器もほとんどがイギリス製、いってしまえば、イスラエルはイギリスと戦っていたようなものだったのです。
本車は、1967年の第三次中東戦争でヨルダン陸軍が使用したセンチュリオンMk.III/Mk.3がモチーフになっています。
1948~55年にかけて2,833両生産されたセンチュリオンMk.III(1948年後期より型式番号のローマ数字使用を止めて「Mk.3」と表記されるようになる)中戦車は、Mk.IIの主砲を66.7口径20ポンド戦車砲に換装し新型FCSを搭載したものでシリーズ最多の生産型となります。
1948~56年にかけて2,833両が生産されたセンチュリオンMk.3中戦車は、第2次世界大戦中に開発された58.3口径17ポンド戦車砲Mk.VIIを搭載したMk.IIまでに完成の域に達した車体と砲塔に待望の新型戦車砲である66.7口径20ポンド(83.4mm)戦車砲Mk.IIを搭載し、同時にエンジンの強化も図ったものでありこの型以降が戦後型として分類されています。
この20ポンド戦車砲は17ポンド戦車砲の後継として大戦終了直後から、FVRDE)Fighting Vehicle Research and Development Establishment:戦闘車両研究開発局)がヴィッカーズ・アームストロング社と共同で開発したもので、口径こそ83.4mmと、大戦後期からソ連陸軍の主力MBTとなったT-34-85中戦車が装備する54.6口径85mm戦車砲ZIS-S-53と同等だったのですが、砲身長比66.7口径と長砲身でAPCBC(風帽付被帽徹甲弾、砲口初速1,006m/秒)を用いた場合、射距離1,000mで132mm厚のRHA(傾斜角30度)を貫徹することが可能で、さらにAPDS(砲口初速1,433m/秒)を用いると射距離1,000mで194mm厚のRHA(傾斜角30度)を貫徹することができたと言われています。
これは中戦車クラスの主砲としては当時最強の対装甲威力で、アメリカ陸軍のパットン戦車シリーズが装備する90mm戦車砲にも勝っていました。
また、20ポンド戦車砲は重量約10kgの高性能HE(榴弾)を発射できることから、重量約7kgのHEを発射する17ポンド戦車砲に比べて対陣地攻撃や歩兵支援戦闘等砲兵的用法においてははるかに高い威力を発揮でき、これが朝鮮戦争やベトナム戦争等での活躍に活かされました。
このあおりを受けたのがセンチュリオンMk.IV(A41T)近接支援戦車で、主砲を95mm榴弾砲Mk.IAに換装した火力支援型として1948年にセンチュリオンMk.I中戦車の車体を用いて試作されましたが、前述にある通り、Mk.IIIで採用された20ポンド戦車砲が歩兵の火力支援に充分なことが分かったため開発中止となってしまいました。
ちなみに、この20ポンド戦車砲が最初に撃破した敵戦車は、皮肉なことに朝鮮戦争で中国人民志願軍が捕獲使用していたイギリス製の大戦型巡航戦車クロムウェルだったとされています。
残念ながら、朝鮮戦争ではその他にセンチュリオン戦車が敵戦車と交戦した記録はありません。
1959年になると、画期的な新型戦車砲である105mm戦車砲L7A1が登場しました。
車体は圧延防弾鋼板の溶接構造で車体前面の装甲厚は76mmに抑えられていましたが、良好な避弾経始が図られています。
これに相反するように砲塔は防弾鋼の鋳造製でさほど避弾経始が考慮されていなかったものの、その装甲厚は防盾部で150mmとかなり強力なのが特徴でした。
路上最大速度21.5マイル(34.6km)/h、路上航続距離60マイル(97km)とやや機動性に劣るものの、1950年6月に勃発した朝鮮戦争においては「最優秀戦車」との折り紙を付けられる活躍を示しました。
Mk.3で一応完成の域に達したセンチュリオン戦車は、さらにMk.5、Mk.6、Mk.7、Mk.8と改修を加えられてヴァリエーションを増やしていきま。
そして1950年代末までにセンチュリオン・シリーズは「中戦車」という呼称を改め、「(戦闘)戦車」(Battle Tank)と呼ばれるようになります。
つまり、この時点で本車の本質である巡航戦車も中戦車も、そして重戦車をも包合した「主力戦車」(Main Battle Tank)という概念がイギリスでもようやく固まり、センチュリオン戦車で初めてその地位を勝ち取ったのです。
センチュリオン戦車は型式番号がMk.13まであることに示されるように、西側で戦後最も長期に渡って使用されたMBTであることからヴァリエーションも最も多種類を誇っています。
ハンツマンとは、車体に描かれたアシダカグモ(Hantsman Spider)からとられています。
体躯が巨大な事で知られていますが、巣を作らないで自ら移動し、昆虫などを探し回っていますが、種類によってはヤモリやトカゲなどから小型哺乳類までまで捕食するものがいると言われています。
長い脚が特徴で、毒性は無いものの毛が生えた種類もおり、日本でも家屋内に入り込んでいるのを発見されて驚かされることがあります。
国外種が輸入バナナに紛れて入ってきた時には、タランチュラの一種と間違えられ、騒ぎになる事件も起きました。
コメント
- ハンツマンの語源を調べていますが、アメリカ陸軍軍人のジョン・A・ハンツマンだと思うのですが、どうしても、政治家のジョン・M・ハンツマンの方ばかりヒットして、情報が埋もれてしまっているみたいです、困った…。 -- 2017-05-28 (日) 20:54:00
- 英語版だったら記事あるよ(https://en.wikipedia.org/wiki/John_A._Huntsman) -- 2017-05-28 (日) 23:01:36
- ありがとうございます、見当違いだった事が分かりました(汗 -- 2017-05-29 (月) 09:20:27
- そして、蜘蛛だらけの記事をみて鳥肌が収まらなくなってきた… -- 2017-05-29 (月) 09:35:36
- 英語版だったら記事あるよ(https://en.wikipedia.org/wiki/John_A._Huntsman) -- 2017-05-28 (日) 23:01:36