SU-14-1

Last-modified: 2016-06-07 (火) 00:49:14

ussr.su-14-1.png

Tier 7 ソビエト連邦 自走砲

公式紹介ページ

スペック

車体

HP350
車体装甲厚(mm)20/20/10
最高速度(km/h)30
重量/最大積載量(t)45.15/48.7
本体価格(シルバー)1,370,000
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
SU-14-2
(118,600/2,720,000)
SU-14-1
(62,200/1,370,000)
SU-14A
(32,600/146,700)
SU-14B
(81,800/289,700)

詳細

パッケージ名エンジン名武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
SU-14-1M-17F152 mm Howitzer ML-20 mod. 1931SU-14SU-14350360
500*
*
66
~
110
683
~
1138
32*
*G
3.28
*
*
14--/--/--12360
SU-14AM-17F152 mm BR-2SU-14-1SU-14--
700AP
APCR
HE
88
246
90
950
750
950
32*
*G
*G
3.16
7
0.75
16--/--/--12360
SU-14BM-17F203 mm B-4SU-14-1SU-14--
700AP
APCR
HE
102
260
102
1850
1450
1850
32*
*
*G
1.53
8
0.87
16--/--/--12360

解説

史実

SU-14-1は、1933年に開発されたT-35重戦車の車体を流用していました。
T-35は、陸上戦艦としてソ連軍が多砲塔重戦車に執心だった頃のもので、主砲の76mm戦車砲と、2門の45mm戦車砲、同じく2門の7.62mmDT機関銃をそれぞれ4つの砲塔に分けて搭載していました。 このため搭乗員が11人、総重量45tと当時としては重量級で、低速な上にトラブルも多く、完全に失敗作とされプロパガンダのパレードで赤の広場でのメーデーパレードに参加したくらいで、実戦に参加しないまま5年間で61両のみしか生産されませんでした。

このT-35の一部が、自走自衛火砲として改造されることが計画されました。
T-35の車体をオープントップ化されて、エンジンは大型火砲を搭載するために前方へ移動されました。
1934年に、152mmB-10海軍砲および、152mmML-20砲架ベースの203mmM-4臼砲を搭載する計画が提案されます。
ところが、203mmM-4臼砲は命中精度が劣悪で、使用に耐えられないと判断され、152mmB-10砲は俯仰操作が遅く、発射率も遅く、そして砲身寿命が短いことなどを含むいくつかの問題が指摘された結果、双方共に試験結果は芳しくないとされ、正式採用はされませんでした。

SU-14-Br-2に搭載される152mmBr-2カノン砲は、152mmB-10海軍砲に代わり開発されたもので、当時赤軍が持つ中でも巨大な砲の1つ、対戦車戦闘に奨励される重砲で、1941年の秋、この試作車輌はクビンカ実験場からドイツ軍を砲撃し、フェルディナント(エレファント)駆逐戦車の正面装甲にすら、大穴を開けるほどの威力を持っていました。
SU-14-Br-2は量産されませんでしたが、試作車は1940年のモスクワ防衛戦に投入されて生き残り、現在ロシア郊外のクビンカ戦車博物館に展示されています。

コメント

  • ようこそ、巨大鈍足自走砲の世界へ!前身のSU-8も重戦車以上のデカさだったが、コイツはもはや巨大貨物列車。203mm超火力以外は他の性能全てが犠牲となっているため、究極の忍耐が求められる。それを乗り越えてティア9戦車ですら一撃で飛ばすことの快感を知ってしまえば貴公も立派な自走砲乗りだ。ティア8からドイツ・イギリス自走ラインも巨大化するため、この車体で慣れておけばどうということはない。なお、至近距離でのAPCR弾射撃においては、兄弟のS-51の方がやりやすい模様。 -- 2016-06-07 (火) 00:49:14