Ashigaru Te-Ke

Last-modified: 2018-03-08 (木) 12:26:19

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Tier 2 日本 軽戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP160
車体装甲厚(mm)12/10/8
最高速度(km/h)42
重量 / 積載制限(t)4.76/5.8
本体価格(ゴールド)1
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入ゴールド)
Ashigaru Te-Ke
(1G)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
Type 97 Te-KeIkegai Kuurei V-437 mm Gun Type 98Ashigaru Te-KeAshigaru Te-Ke160400
65AP
AP
HE
40
59
18
45
45
60
102-
-G
-
20
2.2
0.4
4612/12/1240300

解説

World of Tanks Consoleが4周年を迎えた事を記念して無料配布されたプレミア軽戦車。
これまでの低Tier日本車同様、装甲が薄く、マッチング上限はTier3となっている。

無塗装版はPC版では2014年に「Wargaming社創業16周年記念」として配布されていた車両でもある。
本車両には、砲塔部分に赤く『4th ANNIVERSARY SPECIAL EDITION』と描かれている。

史実

九七式軽装甲車テケ
日本で正式化された装軌式軽装甲車としては最後に開発されたもので、九四式軽装甲車の発展型でもありました。
当時、装甲トレーラーの牽引車として開発された九四式軽装甲車でしたが、偵察や列車警護などにも用いられた為、7.7mm機関銃1挺では火力不足なので強化を望む声が多くなり、昭和12年5月3日に偵察任務にも耐えられる乗員2名の軽装甲車の開発が企画されました。
基本的にはテケは軽戦車ですが、軽戦車は歩兵部隊の区分となってしまうので、運用が当時陸軍にあった捜索連隊は元々騎兵隊であり、区分では名目上、軽装甲車とされています。 騎兵隊と歩兵隊では世界的にこういう名目上の区分がよく行われていました。

池貝自動車(後の小松製作所川崎工場)が製作し、基本的には九四式軽装甲車を下地にしていますが、砲塔と車体を大型化し、避弾経始に優れた曲面で構成しています。
9月に試作初号車が完成したのですが、エンジンを操縦席右に置いたので車内が過熱してしまい夏場や南方での運用が困難とされ、操縦手と車長の連携にも不都合があるということで、砲塔横にあった機関室は、11月に最大65馬力の4気筒空冷式ディーゼルエンジンを車体後部に移動させた試作車を作り、戦車学校でテストされた後にこちらが採用されました。 なお、池貝自動車が独自に開発した渦流燃焼方式のエンジンを採用していました。
足廻りには改修九四式軽装甲車の採用した後部誘導輪の設地するタイプを踏襲していました。履帯はハイマンガン製で、脱落を防ぐためセンターガイド方式を採用しており、片側98枚。

車体前部右にトランスミッションと副燃料タンク(32リットル)、左に操縦席があり、操縦席右には蓄電池がありました。車体中央は戦闘室で、弾薬箱と予備品ケースが置かれ、後部は前述の通り機関室であり、両者は隔壁で仕切られていて、開口部や扉が設置されており、車内からでもある程度の整備が可能で、車体左後部に主燃料タンク(59リットル)が設けられていて、必要に応じ切り替えコックにより副燃料タンクからの供給と切り替えてボッシュPE4B65C121型燃料噴射ポンプに送り、エンジンに供給するようになっています。

大型化された砲塔には九四式37mm戦車砲を搭載していましたが、のちに九八式37mm戦車砲に交換しています。一部では九七式7.7mm車載重機関銃を装備した車両も存在して捜索連隊や戦車連隊に装備されて威力偵察に使用されました。 火力は前期型の九五式軽戦車に匹敵すると言われています。
また、隊長車は37mm砲搭載型を殆どの連隊で運用していました。

全周旋回可能な砲塔は上面の後部2/3ほどがハッチになっています。後部に覗視孔、左右に防弾ガラス付きスリットとピストルポートを持っていて、内部には車長用座席が吊り下げられており、内面には遮熱用アスベストが張られていました。
戦車砲は俯仰角マイナス9度から20度、旋回角左15度・右6度で、機銃の場合は俯仰角マイナス11度からプラス15度、旋回角左右20度ずつ。照準眼鏡、薬莢受け、額当は射撃時に取り付ける事になっています。携行弾は徹甲弾と榴弾を計58発。資料によっては102発説もあります。

車体装甲は複雑な形状だった九四式から単純な装甲板の組み合わせになった事から、装甲強化に加えて生産性の向上も果たしました。装甲厚は車体前面12mm、側面10mm、後面8mm、上面6mm、底面4mm、砲塔前面12mm、側面16mm、後面10mm、上面6mm。
重量は1.3tほど増加したものの、エンジン出力が増大することにより出力重量比は逆に向上していました。
ただし、最大12mmの装甲は歩兵用ライフルでも容易に貫通した九五式軽戦車よりいくらかマシだった程度と記録があります。
全長3.7m、全幅1.99m、全高1.79m、自重4.25t、全備重量4.75t(機銃型は4.5t)。トランスミッションはクラッチ・ブレーキ式、前進4速・後進1速、最大速度40km/hを発揮。一部の車両には九四式四号丙無線機を搭載した車両もあります。 軽量なので、5tクレーンがあれば船舶や列車輸送が可能で迅速な展開を可能としていました。
しかし、機動力に優れていたものの、耐久性に今一つという評価があり、足回りが壊れ易い、履帯が外れ易い、電気系トラブルが深刻と報告されていたそうです。

生産台数は多く、昭和14年度から池貝自動車、浅野重工業淵野工場、瓦斯電、三菱重工で593両(昭和14年度に274両、15年度に284両、17年度に35両。昭和14年度は217両説あり)が生産されました。
多くの派生型のベースになっていて、一〇〇式観測挺進車テレ、九四式37mm自走速射砲車ソト、自走対空機関砲キト、九八式弾薬運搬車ソダなどが作られています。

キト車:自走対空機関砲バージョンで、車体上に九八式高射機関砲を搭載したもので、防楯などは全く追加されていませんでした。試作のみに終わっています。
ソト車:自走速射砲バージョン。
砲塔を外し、車体後半部に九四式三十七粍速射砲を丸ごと搭載、車内に砲手と弾薬を収容しています。
レールにより地面に降ろして使用しますが、搭載したままの射撃も可能。
全長3.81m、全幅1.92m、全高1.5m、自重3.9t。
車体前部に九七式車載重機関銃1丁を装備し、最大装甲厚12mm。
エンジンは空冷直列4気筒ディーゼルエンジン(65馬力)で、最大速度40km/h、燃料搭載量120リットル。乗員6名。
昭和14年に4両が製作されただけに終わっています。

騎兵連隊が全身の捜索連隊は元々九二式重装甲車を運用していました、1937年以後順次九七式軽装甲車に代わり、時期によりますが装甲車二個中隊とトラック歩兵二個中隊で、装甲車8両で一個中隊を編成していました。
1942年には、軽戦車と中戦車の編成にとって代わり、運用から外されていました。

当時、このクラスの軽装甲車としてはトップクラスで、九五式軽戦車と生産をスイッチして軽戦車として生産するべきという意見があった程でしたが、耐久性と居住性、2名乗車の軽戦車は運用面では時代遅れになりつつあるため、後世では機動軽戦車としての生産はしなくて正解だったという見解が成されていました。

コメント

  • うほ、「史実」記載お疲れ様です。 もうこれ、『週間WoT』が創刊されちゃうラベルでつおw -- 2018-03-02 (金) 02:27:41
    • ありがとうございます。 資料をまとめつつ追記していったので、最後の追記でかなりの長さになってしまいました。 -- 2018-03-08 (木) 01:29:12