BT-7

Last-modified: 2016-04-17 (日) 11:24:03

ussr.bt-7.png

Tier 3 ソビエト連邦 軽戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP200
車体装甲厚(mm)20/15/13
最高速度(km/h)66
重量/最大積載量(t)14.01/14.2
本体価格(シルバー)37,000
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
BT-7M
(2,050/26,430)
A-20
(3,200/134,000)
BT-7
(1,500/37,000)
BT-7 mod 1937
(640/3,430)
BT-7V
(1,630/19,640)
BT-8A
(2,030/24,930)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
BT-7M-17T45 mm 20KBT-5BT-7 mod. 1935200300
450AP
APCR
HE
51
88
23
47
47
62
84

26.09
1.89
0.46
4820/15/1544260
BT-7 mod. 1937M-17T45 mm 20KBT-7BT-7 mod. 1937--
450AP
APCR
HE
51
88
23
47
47
62


26.09
1.89
0.46
5020/15/1546280
BT-7VM-17F23 mm VJaBT-7BT-7 mod. 1937--
500AP
HE
30
42
12
12

107.46
1.60
0.54
5020/15/1546280
BT-7MV-237 mm ZiS-19BT-7BT-7 mod. 1937--
480AP
APCR
HE
58
92
13
40
40
50


28.57
1.89
0.38
5020/15/1546280
BT-8AV-223 mm VJaBT-7BT-7 mod. 1937--
480AP
HE
30
42
12
12

107.46
1.60
0.54
5020/15/1546280

解説

史実

BT-7はソ連陸軍の快速軽戦車として開発されました。 これより先に作られたBT-5はアメリカのクリスティ戦車を元にしたもので、履帯を外せばタイヤで走行できる装輪式戦車として使用できました。
スペイン内乱の戦訓を取り入れ、BT-5の車体を強化したものでしたが、あくまでもT-34KV-1誕生までの繋ぎだったと言われています。
被弾時に車内をリベットが飛んで乗員が負傷するのを防ぐため、装甲を溶接式(技術は戦前にドイツから導入したもの)とし、加えて傾斜装甲を取り入れて防御力を向上させました。
また、エンジンを換装して航続距離の延伸を行っていました。 1935年からハリコフ機関車工場で生産に入り、計5,433両が生産され、ノモンハン事件、ポーランド侵攻、冬戦争、継続戦争に投入されていました。

 BT-7初期生産型(1935年型)はBT-7-1ともいい、車体の主要部を溶接構造とし、車体装甲厚を前面13mmから20mmに強化、車体設計も変更して前面に傾斜装甲を取り入れ、後部を延長して燃料タンクを併設、左右フェンダー上にも燃料タンクを増設して搭載燃料を620リットルとし、航続距離を250kmまで伸ばし、エンジンも換装しています。
操縦手前面には大型ハッチがあり、非戦闘時は大きく開くので視界が良いのですが、覘視孔が1つしか無いので戦闘中の視界は狭いのが難点です。
砲塔直下にあたる車体底部には、乗員脱出用ハッチがあります。
砲塔はBT-5後期型と同じ砲塔バスル(張り出し)を持つタイプですが、組み立ては溶接に変更され、砲塔上面には2つのハッチが横に並んでいます。
戦闘中の視野は砲塔側面のスリットと砲塔上面の照準兼用潜望鏡で得るものの、視界はあまり良くないそうで、かといってハッチを開けた場合、前開きなのでハッチを避けて身を乗り出さないと前が見えず、狙撃を受けることが多かったと言う記録もあります。
懸架装置はコイルスプリングとベル・クランク式で、ストロークは356mmもあります。 転輪は4枚、前方に誘導輪、後部に起動輪を持ち、上部転輪は装輪式と言う構造上持っておらず、装輪時は起動輪から第4転輪にチェーンで動力を伝達、操向には装軌時が左右1本ずつの操向レバー、装輪時が取り外し式ハンドル(第1転輪がステアリングする)を使います。
装軌から装輪への転換には30分、装輪から装軌への転換には40分かかりました。
全長5.66m、全幅2.29m、全高2.42m、全備重量13.8t。
主砲は46.2口径45mm戦車砲M1932(172発)で、俯仰角はマイナス4度からプラス40度、発射速度毎分10発(訓練次第で20発)、副武装は同軸の7.62mmDT機銃1丁(2,394発)と言うものでした。
装甲厚は砲塔前側面15mm、砲塔後面10mm、上面10mm、車体前面上部20mm、前面下部・側面15mm、後面13mm、上面10mm、底面6mmと、軽量化の為に装甲は重視されていませんが、避弾経始で補っているため箇所によっては数値より高められています。
エンジンはM-17液冷4サイクル90度V型12気筒ガソリンエンジン(450馬力、ドイツBMW製航空機用BMW6のライセンス生産型)、トランスミッションはスライディング・メッシュ式で、前進3段・後進1段、最大速度は装軌時で52km/h、装輪時で72km/h、最大航続距離は装軌で375km(275kmとも)、装輪で500kmを誇っています。(ただし戦闘行動距離で250km)
航続距離の増加には車内燃料タンクの増加と、左右フェンダー上に増加タンクの搭載が2箇所設けられたのが大きな要因となっています。

BT-7(1938年型)はBT-7-2ともいわれ、砲塔も避弾経始を考慮したタイプですが、砲塔装甲厚は変更されておらず、傾斜も浅いので、どれだけの効果があったかは不明であったと言われています、また、不評だったハッチが楕円形の独立したもの2枚に改められました。 後期型では砲塔に機銃を増設した改良砲塔が採用されています。 38年型の登場で、それ以前の型を1935年型と称するようになりました。
ゲーム中では、BT-7 mod. 1937とされているようです。

BT-7Mは1938年型のエンジンをV-2ディーゼルに変更したタイプです。 燃料の入れ間違いを予防するため、機関室点検ハッチ上の吸気口カバーがかなり小さくなっているそうです。最大速度は装軌で62km/h、装輪で86km/h、最大航続距離は装軌で400km、装輪で900kmと性能アップを図っています。
1938~41年に706両が生産されました。

BT-7Aは火力支援型で、M1909山砲を車載用に改造した16.5口径76.2mm短砲身砲M1909/30(50発)を装備したもので、副武装は砲塔後部のボールマウント式7.62mmDT機銃。1938年までに150両が生産されていました。長砲身型も試作されたのですが、量産には至らなかったとされています。 ゲーム中では23mmVJaになぜか換装されています。

BT-7-1Vは指揮戦車型。砲塔上部に鉢巻状のフレームアンテナを装備していて、BT-7-TUには71-TK-1無線機を砲塔後部バスルに搭載したものの主砲弾搭載数は132発に減ってしまったそうです、砲塔上部に鉢巻状のフレームアンテナがあることで区別できましたが、それが却って目立ってしまい真っ先に攻撃目標にされ、やられてしまうことが多かったため、後にアンテナをホイップ型に変更しました。

フィンランド軍が鹵獲したBT-7(1937年型)をBT-42として突撃砲に改造したものも存在します。 砲塔を一回り大きくして第一次大戦時に使用した114mm榴弾砲を搭載していて、18両が改造されて突撃砲大隊に装備されました。

対独戦開戦時は、順次T-34との交替が進む時期でしたが、戦車不足と部隊配置の関係から現役使用されていました。 しかし、ドイツ軍戦車群の前では旧式と言ってもよく、殆どの戦場で壊滅的な被害を被っていました、それでも、赤軍兵の間では愛用されていたそうですが、史実では快速性能を活かせたためしがなく、ノモンハン、ポーランド、フィンランド、東部戦線と、投入されるたびに損害が増えていったというトホホな面もありました。

コメント

  • BT-7の解説がなぜかサッパリ消えていたので、書き直しました。 -- その他史実編? 2014-12-26 (金) 10:54:09