E 100

Last-modified: 2017-02-20 (月) 17:55:58

G56_E-100.png

Tier 10 ドイツ 重戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP2,700
車体装甲厚(mm)200/120/150
最高速度(km/h)30
重量/最大積載量(t)129.53/150.0
本体価格(シルバー)6,100,000
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
E 100
(183,010/6,100,000)
E-100b
(64,800/340,000)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
E 100maybach HL 295 Ausf.B12.8 cm KwK 44 L/55E-100-KettenE-100-Turm Ausf.B2,700720
1,200AP
APCR
HE
246
311
65
490
490
630
721,070
12G
935
4.20
2.90
0.37
22250/150/15020400
E-100bmaybach HL 295 Ausf.B15 cm KwK 44 L/38E-100-KettenE-100-Turm Ausf.B2,700720
1,200AP
HEAT
HE
235
334
85
750
750
950
501,260
15G
1,120
3
2.90
0.40-0.42
22250/150/15020400

解説

時期は不明だが、名称が「E-100」から「E 100」に変更された。

史実

E-5、E-10、E-25、E-50、E-75、E-100は既存の戦車と置き換えつつも、各種構成部品を共通化し、生産性、メンテナンス性を統一し、また重量毎に戦車の標準化を行う計画、E(Entwicklung=ドイツ語で開発)計画と命名された。
本車両E-100はMausと置き換えされる予定であった。
E-100は唯一、敗戦間際に完成間際まで漕ぎ着けることが出来たEシリーズだった。
1943年6月アドラーヴェルケ製作所は E-100 開発を受注した。 同じ超重戦車Mausを置き換える為の共通化が図られ、砲塔と搭載砲はMausの物をそのまま用いる予定であったが、主砲を17cm KwK 44にする計画となっていた。
車体はPz.Kpfw. Tiger IIの物を大型化したようなものでエンジンはPz.Kpfw.V PantherとPz.Kpfw. Tiger IIと同じMaybach HL 230 TRM P 30と同じであったが、生産時にはPanther IIに搭載予定であったMaybach HL 234を搭載。もう一つの予定ではこのMaybach HL 234に過給機を取付け馬力を870から970に向上させたエンジンの予定だったが、ある情報ではMaybach HL 232に過給機を取付け1,000馬力にする予定もあったという。
さすがに、重量140tとなると、通常のトーションバーでは支えきれないと判断され、外装式縦型コイルスプリングを各スイングアームあたり2本用いることで何とか解決の目処が立った。
車体側面には、60mm厚の装甲スカートが装着されているが、鉄道移動を考慮して砲塔に設けられたクレーンで取り外すことが可能だった。 
通常は1,000mmという尋常でない幅の履帯も、輸送時には530mmの狭い履帯に履き替えられるようになっていた。
主砲に関しては前述の情報以外に幾つかある為にその全てを記載する。
当初の予定ではMausに搭載予定であった12.8cm KwK44 L/55。副武装として7.5cm KwK44 L/36.5。
15cm KwK 44 L/38。副武装として7.5cm KwK44 L/36.5。
17cm KwK 44。副武装として7.5cm KwK44 L/36.5。
前面装甲厚は200mmであるが避弾経始を取り入れた60度の傾斜を採用し、Mausをも上回る防御力を持つ。
カテゴリーは超重戦車。E-100の名前が示す通り重量は100t以上である。
しかしながら、1944年にヒトラーが超重戦車は無用として、全ての開発は中止された。
それでも僅か3名のアドラー社の技術者が残って細々と作業が進められ、戦争が終わる頃には車台のみが完成したと言われている。
1945年5月、パーダーボルン近郊ハウステンベックのヘンシェル社工場にて、ほぼ完成状態の17cm Kannone K72 (Sf) L/50を搭載したGW Tigerと共に車体のみが完成していたE-100だが、興味を持ったアメリカ軍は可能な限り組立を指示し、機関系や転輪などを装着して車体のみが一応完成したが自走には至らず、興味を失ったアメリカ軍はイギリス軍に引き渡した。
E-100を受け取ったイギリス軍は早速自国へ運搬しボービントン戦車試験場にて履帯の装着を行ったがその後の資料は無く廃棄されたという情報がある。
File not found: "E-100_01.jpg" at page "E 100"[添付]

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